八月だ、もっと熱くなろう!  赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 AMBARAWA(アンバラワ保存鉄道)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第6日目 8月9日 2の2

am: ペガロンガンのNirwana Hotel 6:30(約14キロ)→7:08スラギ製糖工場9:00→9:35 Hotel 9:45→
pm: →(約146キロ)→14:15アンバラワ保存鉄道(15:04~18:28)20:06(約65キロ)→23:34ソロ(スラカルタ)のIndah Palace Hotel


▲ アンバラワ保存鉄道の途中駅で蒸気機関車を見にきていた子供たち。澄みきった綺麗な目がとても印象的でした。


▲ GPSロガーの軌跡地図に計測ポイントを入れたペガロンガン→スラギ→アンバラワの走行地図です。計測ポイントの数は任意に指定できます。加工前の元本地図では、ポイントをクリックするとGPSデータが表示されます。約8分毎のポイントですが、多くなっているのが渋滞を起こした地点です。
ご覧のように右上のスマラン手前で渋滞に巻き込まれましたので、市内を避けて山中を迂回して走りアンバラワ鉄道に向かいました。


▲ 14:15、アンバラワ保存鉄道の起点にある鉄道博物館に到着しました。ここは、1873年に開業したWillem1世駅を1976年に改装したそうで、かつてこの地を走った20数台もの蒸気機関車が屋外に静態保存されていました。展示機関車の詳細は、こちらのサイトに掲載されています。

▲ インドネシアの蒸気機関車の形式番号は、日本と同じく動輪軸数をアルファベットのして、頭文字にしています。これは、日本の占領下時代の名残だそうで、動輪6軸がF、3+3のマレー式はCCになっていました。東西に長いジャワ島では、真ん中に3,000mを超える火山があり、山岳地帯を南北に縦断する鉄路は急勾配だったようです。

インドネシア鉄道は、オランダの植民地だった1867年にスマラン(Semarang)とタングン(Tanggung)間、約25キロに初めて開業されました。日本より5年も早かったのですね。その後延伸が進み、世界各地で製造された蒸気機関車が使われていましたが、第2次世界大戦と独立戦争により、多く路線や車両が破壊されました。
戦後に日本を筆頭に各国からの支援があり復旧されましたが、モータリーゼーションの発達によって不採算路線が増え、特に南北を結ぶ路線が休止・廃線に追い込まれてしまいました。現在、かつて活躍した60両あまりの蒸気機関車がインドネシア各地に保存されています。


▲ とても廃止された駅とは思えない立派で広いホームです。当時に使用されていた設備や、ラック式の機関車の車輪まわりとレール等が展示されていました。

▲ 機関区からホームとの間には、転車台がありました。


▲ 機関区には、我々が乗車する列車が発車準備中でした。


▲ 上の写真は、我々が乗る客車とは違いますが、車内は珍しいもろベンチ型のロングシートで、窓にはガラスもルーバーも入っていません。壁には、当時のままの車内灯が取り付けてありました。車掌車と思われる車両は、職工?さんでしょうか、 手直しと塗装の真っ最中でした。

▲ 留置線には、木造の貨車が放置されていました。今後、復元してもらいたいですね。
車庫の奥には、車内は見られませんでしたが、全木造客車と鉄板を張った木造車がありました。蒸気機関車は、我々が乗車する列車を牽引するB2503号機と同じラック式NoB2502号機です。


▲ 14:55、チャーター列車の準備ができたようです。機関区から運転台に乗せてもらって駅まで参りました。
15時過ぎにアンバラワ駅を出発して、ベドノ(Bedono)までの約9キロを走ります。途中のジャムブ(Jambu)の少し先から約4キロの間は、注目のラック区間になります。
▲ 15:07、Jambuの一つ手前の駅まではご覧のような、お洗濯物が干してある住宅地区の中を走りました。


▲ 15:16、山間に入る前に大築堤がありました。降りて思い思いの場所での撮影です。13人もおりますと、希望する場所は集中しますので、フレーム内に誰かが入っていないかの確認が必要でした。
フォトラン列車は、田園風景の中を行きます。


▲ 15:38、熱帯雨林の林を抜けると集落がありました。丁度、新しい道路がオーバークロスしていましたので列車を止めての撮影です。
ベテランの方は、「この道は以前にはなかった。俯瞰できるので良いスポットだ。」と言われ、急な土手を登られます。私も、後に続きました。


▲ チャーターがあった時のみに運行される列車は地元民にとって、とても楽しみのようです。汽笛を聞きつけて人が集まってきます。親子で手をふります。子供たちは、バラスで痛いだろう線路上を裸足で追いかけます。大丈夫かなと心配にもなりました。


▲ 16:09、沿線のハイライトの一つトラス橋に着きました。皆さんは、線路を挟んで左右に分かれました。私はどちらが良いのか分からずで右方向に行きましたが、真横か反対側で「ギラリ」を撮られた方のショットは良かったですね。

▲ 16:18、一旦通過したJambu駅に正向き推進運転で戻りました。ここでも駅には、地元民多数がお待ちです。

到着しますと、子供たちは早速デッキに乗ったりで遊んでいますが、鉄道員は追い払うわけでもなく、かまわず自由にさせていました。おおらかなんですね。


▲ なぜに戻ったのか、見ていますとB2503号機は客車を切り離しました。そして交換用の側線を使っての機回しをして後部に行きました。
どうやらプッシュ推進運転で進むようです。急勾配のラック区間を走りますので、プル運転ですと、連結器に過大な負担が生じます。外れることはないでしょうが、不測の事態を考慮しての運転形態なのでしょうね。

▲ 複雑な構造のラック式蒸気機関車のサイドビュです。シリンダーが、上下2段あります。下段のは粘着運転用、上段のはラック運転用です。平坦区間では、下段のみで運転。ラック区間では上下段を併用して運転します。丁度夕陽が当たって「ギラリ」が見られました。

▲ 16:24、Jambu駅を出発しました。直ぐにラック区間に入りましたが、日本のように線路の縦断勾配を示す勾配標の設置がなく何‰なのかがさっぱり分かりません。この区間のラック式の方式ですが、日本にあるアプト式ではなく、リッゲンバッハ式です。私には分かりやすく説明できませんので、こちらをご覧ください。

アンバラワ鉄道の延長は27、503m、最小曲線半径はAmbarawa~Jambu間で250m、Jambu~Secang間では150mとなっています。各駅の標高、各駅間の距離と勾配は下記の地図をご覧ください。

上っていきますと、神谷隊長がここで止まるようにと指示を出しました。隊長は、ここの地理を熟知しておられます。皆さんには、この日没間際の時間に是非とも撮ってもらいたい絶好のポイントがあるそうです。
しかし列車は止まってくれません。上手くアリフさんから運転手に要望が伝わらないようです。

16:35、列車は、いつも停車する水補給地点まで上がってしまいました。直ぐに後進して指定場所に戻るように言いますが、運転手さん頑として聞き入れず水補給作業です。どう行き違いがあったのか・・、日没を逸してしまいました。


16:52、お奨めの撮影地に着きましたが、山へ上がるルートが分からずで手間取りました。
老脚の私は急いでは上がれません。バナナ林から撮るのがやっとでした。
隊長は、さっきだったら棚田に夕陽があたり、絶景が見られるのに・・・。これを撮るためにこの時間帯をチャーターしてのスケジュールを作っていたのに・・。残念だったと大変悔やんでおられました 。

18:01、大築堤でシルエットの撮影ですが、少し遅かったようです。
もう10分でも早ければ、このカメラとレンズでもう少しまともに撮れたのですが、限界オーバーでした。
DATAは、24mm、ISO1250、F/4、1/6秒手持ち、曇天モードです。


▲ 18:30、アンバラワ駅に戻りました。撮影前にこの鉄道の責任者の方がお見えになって、「いろいろと鉄道側で不備がありました。大変申し訳ありません。また、今から2502号機を用意して重連で撮影していただく予定でしたが、2502号機は故障しています。交換部品の手配をしていましたが、残念ながら今日届かずで動かせなくなりました。ご理解ご了解ください。」と、丁重なお詫びがありました。
夜撮開始です。少しの明かりさえあれば、私のカメラ機材でも何とかなります。三脚に据えて頑張りました。
DATAは、24mm、ISO400、F/9、30秒露光です。

 
こちらのDATAは、29mm、ISO200、F/8、20秒露光です。

20:06、夜撮を終えて、約65キロ先のソロ(スラカルタ)へと向かいました。夕食はソロに着いてから市内の小粋なバー兼カフェで済ませ、ホテルに入ったのは、23:34になっていました。
明日は、午前中ソロ市内線、午後はタクシマドゥ製糖工場の撮影を予定しています。

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八月だ、もっと熱くなろう!  赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 AMBARAWA(アンバラワ保存鉄道)」への2件のフィードバック

  1. ぶんしゅう さん、貴兄が連発する「可愛いお嬢さん!」がトップシーンとなり、ほほえましく思っています。17日、貴兄が御帰宅になった後、孫が2階に上がって襖を引いて「爺ちゃん、トーマスで遊んでいい?」と尋ねるやレールを並べ出しました。ふと思い出し「パソコンでインドネシア見せてやろう」と先日までのぶんしゅう氏が紹介してくれたシーンを見せてやりました。「君のインドネシアの友達が一杯出てきたやろう」と、子供たちの姿中心でしたので食い入るように見ていました。「これでお終い」と言ったら、「爺ちゃん、トーマスのとこをもう一度見せて・・・」となりました。「トーマスより小さいなぁー、煙の色違うなぁー、お尻合わせの2台のがあるなぁー」と次々に現れるシーンに合わせつぶやいておりました。最後に「花火を見せてやろう!」「うわぁーすごい!お盆にやった花火よりすごーい!」
    今度は正真しょうめんの「お嬢さん」のシーンから見せてやります。孫は6歳(早生まれ)で小学校1年です。何処まで日本で生活するやら不明です。言葉は僅かながらインドネシア語の単語を操っております。

  2. 乙訓の老人様、コメントをいただきましてありがとうございました。
    お孫さんと楽しんでいただけたようで大変嬉しく思っております。我が家にも孫3人が入れ替わりに訪れますが、みんな女の子なので鉄道には一向に目を向けてくれません。一人ぐらいは鉄子ちゃんになってくれればいいのですが、ドラえもんやプリキュア等のアニメの方が好きなようです。男の孫が欲しいものです。ジュニアに期待です。
    インドネシア紀行記は帰国後1ケ月になってもまだ半ばで、中々進みません。初めての訪問でしたので、見るもの聞くもの刺激が一杯で絞りきれないのと、だんだんに記憶が薄れてきているようで、思い出すのに時間がかかって文章を書くのに手間取っています。撮った写真も6,000枚近くありますので、これの選択や画像処理も念入りにすると、あっという間に時間が過ぎ去っています。
    いつもの事ですが、次の旅の準備をしておりますので、全行程が完了できるか心配です。

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