神谷武志企画のテレマカシーツアー 第4日目 8月7日 2の2
▲ 9:36、機関庫から1kmほど離れた所にある指令所に到着しました。ここは工場の敷地のはずれにあり、鉄道の運行を管理しています。しかし、遠くにDL9号機とローリーがいるだけです。このローリーに積んだサトウキビは、O氏が言われていた、運搬途中で落下したのを拾い集めたものなのですね。
▲ 指令所内に入った神谷隊長とO氏は、今日の運行予定について指令官から聞かれています。
私は初めてですので、サッパリ分かりませんが、これから何時どこに行けば神谷隊長が思われているショットを撮れるかの大事な打ち合わせのようです。分からないなりにも聞いておけば、その内には分かるかもと聞き入りました。
▲ こちらが、スンバルハルジョ製糖工場のシュガートレイン路線の概要図です。
O氏が、3年前に来られた時は、黒い路線図しかなく、現在の白い路線図のおかれていた場所にあったそうです。白い路線図は比較的最近書かれたようです。工場は白い路線図で中央よりやや左下のSumberharjoと書かれたところにあります。細い鉄道線がサトウキビ路線で、機関車が入れる本線です。
正確な縮尺はわかりませんが、大体東西30km程度とかなり広範囲に線路がめぐらされているようです。北側にはジャワ海が書かれています。東西に一直線にのびる太い鉄道線は、インドネシア国鉄線(1067mm)の本線でジャカルタとスラバヤを結ぶ大幹線です。
以前は、国鉄線と平面クロスしてサトウキビ路線が伸びていたようです。残念ながら現在はその部分は廃止され、平面クロスが見られません。他にも地図に描かれていても使えなくなった路線があちこちにあります。薄い青で書かれた区域が現在、サトウキビの刈り入れを行っている場所です。
▲ そして詳細図です。薄い青で記入されている斜線と地名が、現在刈り取りをしている農場です。指令官が濃い青の太ペンで、今日の配車する機関車と場所を記入してくれました。番号頭に、”S”と書かれたのが、蒸気機関車を意味します。今日は、Siampelへ10号機、Kesemenへ9号機、そしてTelukへ11号機の蒸気機関車が向かいます。他にDL列車も走ります。黒の斜線も刈り取り場です。これを見て、神谷隊長は、今日の撮影目的地を11号機のいるにTelukと、決められました。
▲ 外に出ますと2人乗り、3人乗り、4人乗りと家族を乗せたバイクの往来が続いていました。そして、道路傍の家の軒下には、設置された棚にペットボトルが並べられています。案内兼通訳のアイフさんに聞くと、これはガソリンで1リッター入っていてバイクや自動車に売るそうで、こちらではベンジンとかかれていました。
インドネシアでは、ガソリンスタンドを町中でも見ることが少なく、郊外に行けば殆どありません。その代わり、あちこちでペットボトルスタンドを見ました。所変ればの世界ですね。
▲ 一方の猛者軍団は、出発が10:30と決まって待つ間、SLが来なくて手持ち無沙汰です。PCを立ち上げて、メールのチェックと返信をされる方もおられます。こんな所まできても、仕事にもご熱心なK・Jさんです。
▲ 10:02、まずは6号機が出勤して、落下サトウキビ搭載ローリーを集積場へと片付けて、線路を空けます。
続いて、集落の橋を渡ってから分岐する、もう一方の路線(KESEMEN方面)へと向かう9号機がやって来ました。神谷隊長は、静かに見続けておられました。
10:19、この時間になると、小学生たちの帰宅時間のようです。早朝に学校に行って、日中は自宅で過ごすのですね。
思い思いのリックを背負って、裸足の子もいますが、熱い地肌を気にもせず、元気に歩いていきました。
10:26、我々が目指す撮影地へと向かう11号機が、刈り取り場へと持っていく空ローリーを牽引して到着しました。
ようやく指令所からの出発です。
▲ シュガートレインのスピードは、約10km/h前後です。バスは早くに、昨日きた雑貨屋もある集落に着きました。豚肉は食べないイスラム教徒は、鶏肉です。威勢よくぶったたたいて切る肉屋のおばさんも、カメラ目線には笑顔で答えてくれます。
▲ 10:47、今日は空ローリーを牽引した11号機が橋を渡ってきました。渡りきると、ポイントを左に曲がりました。真っ直ぐに行くと、9号機の行く刈り取り場があります。
▲ 水路を挟んで、線路と道とが続いています。水路には、対岸の農場に行くためにいくつもの橋が架けられていました。コンクリート橋もありましたが、多くは地元民が竹で作った渡り橋です。
丁度、荷を持ったおばさん、おじさんが渡ってきてくれました。願ってもないショットが撮れました。
やがて線路は90度に曲がって、水路を離れます。
線路の犬走り横には、たわわに実った稲田が続いています。熱帯のこの地では、2ー3期作が行われていて、田植えが行われているの横では、刈り取りされている光景もよく見られました。
零細農家の多いインドネシアへは、日本からの灌漑施設の建設や、稲作方法の向上についての海外援助がされてきました。結果、収穫量は80%以上も多くなったそうですが、1kgあたりの末端販売価格は約40円前後です。私の自宅で契約購入している宮城産有機栽培のササニシキの1kg=600円と比べると、大きな差があります。収穫量が増えても、生産農家の暮らしは大変でしょうね。
▲ 11:17、線路横の荒れた道?を進むと、SL11号機とDL8号機が見えました。SL列車は今日の目的地に到着したようです。既に空ローリーは11号機から切り離されていました。DLは、早朝に空ローリーを牽引して来ていたようです。
バスで行ける所まで行ってから降りて歩くと、刈り取り場からの輸送に使う、水牛さんたちがやって来ました。水浴びに向かうそうです。
水牛は体温調節機能が十分に発達していないため直射日光に弱く、水浴びや泥浴びなどによる体温調節が必要とされるそうです。
▲ 初めて見ました牛車鉄道です。重連で先ほどの空ローリーを、本線から刈り取り場まで回送します。
▲ 本線から刈り取り場まではサトウキビ畑に仮設された線路を使います。
刈り取り場が本線から離れるに従い仮設線路も少しずつ延伸されます。我々の訪問時には、刈り取り場は本線から1km以上も離れていました。バラストには刈り取ったサトウキビの葉っぱを敷き詰めています。仮設線路には重い機関車の乗り入れは無理のようです。そこで水牛機関車の出番です。
▲ 刈り取り場に仮設された機関区に休む水牛型機関車たち、直射日光を避けるために屋根が設置されています。
▲ 仮設線路は、組み立て式のお座敷レイアウトのように簡単に設置・取り外しができます。特にポイントの仕組みが非常にユニークです。本線からの分岐は、本線の上に曲線レールを乗せるという、ごく簡単な接続方法です。これで脱線しないのが不思議なくらいです。
写真では、SL11号機が草むらに孤立しているように見えますが、ちゃんと本線の先の線路上にあります。その手前にポイントがあり畑の中の仮設線路につながっています。
ポイントを切り替えないと(仮設線路をはずさないと)11号機は手前の本線に出られません。
全ての空ローリーが水牛列車で刈り取り場に運びこまれると、ポイント部の仮設線路をはずして11号機は本線上に引き出されます。
猛者軍団もこの光景を追いかけますが、空ローリーにサトウキビを積込むまでは、かなりの時間がかかりそうです。聞きますと、15:00ぐらいから積込んだローリーを水牛が運び出すとのことでしたので、一旦昼食をとりにPemalangの町まで戻ることにしました。
▲ 11;55、白いヒジャブを被った女子高校生?が、ママチャリに乗っての集団下校です。
▲ 13:27、Pemalangの町中のレストラン「SEGORO」に到着。珍しくシーフードがある店です。他の料理もサッパリとしていて、我々の口に合いました。聞けば、中国人が経営しているお店とか、通りで日本人好みなのでしょうね。皆さん、このお店が気に入れました。ツアー後半のB班のときを含めて、5回も食べに来ました。特にカニが旨かったです。
▲ 14:40、刈り取り場に戻ってみますと、サトウキビが満載されたローリーの本線への移動が始まっていました。
▲ 仮設路線から本線への連絡区間は、かなりの上り勾配になっています。4~5両のローリーは満載では、約10トン強あります。
勢いよくスピードをつけてから上がろうとするのですが、2牛力では出力不足で途中で止まってしまいました。
こんな時には、前補機を付けての4重連で上り勾配に挑みます。
▲ 首を横に振りながらの必死の奮走ぶりの前補機です。
16:20、4重連での輸送が続き、集積場へ向かえる程度のシュガートレイン編成ができてきました。SL11号機が先発して運ぶと思いきや、指令所からの指示では、DL8号機が先発し、SL11号機は、次のシュガートレインを牽引することになっているようです。
なお、指令所と現場の機関士たちとの連絡は、バイクによる伝令です。未だ携帯電話の時代ではありません。(町の中は、携帯電話が普及しています。)
次のシュガートレインは何時発車できるか分かりません。既に陽が傾いてきています。
DLが先行するには、前に位置する11号機は、邪魔です。一旦水路近くのポイントへまで行き、側線にスイッチバックして入り待機して、DLのシュガートレインを通すことになりました。
単機回送の11号機は、踏切付近で撮りましたが。もっと住民の方も入れてのショットにしたかったですが、腕不足です。
ここまでのセッティングは、神谷隊長からアリフさんを通じて、現場でできる範囲の事をしてくださいました。非常に協力的な現場の皆さんです。
再び、刈り取り場に戻って、11号機が発車するまで待つという選択肢も残されていましたが、既に夕陽は厚い雲の中に消えて、期待するショットは望めないようです。
17時頃、見切りをつけて、ここから1時間ほど離れたところにあるSragi製糖工場で夜撮をすることにしました。日没は17:30頃ですのでSragiに着いた頃は、もう夜でした。
▲ 18:30、Srsgiに参りますと、既にドイツのFarRailツアーの方々が撮影中でした。ライトを数箇所設置しておられます。神谷隊長から一緒に撮って良いかとお断りを入れてから撮影しましたが、私は、まだ夜撮のセッティングを分かっておりません。花火が出て撮れたのは、これ1ショットだけでした。
無謀にも流し撮りにも挑戦しましたが、狙った写真にはなってくれません。
▲ 私のとは、出来が違いますが、やはり苦労されたようですね。ここは、経験者でも難しい条件だと納得しました。20時過ぎに撮影を終えて、Pekalomganのホテルに戻りました。
▲ 今日もホテルに帰ってからレストランで、9時半過ぎからの夕食です。ハードな4日間が過ぎましたが、まだ中盤にも達せずです。紀行記を書くのも、大変になってきましたが、中断できません。
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