先日【しまかぜ】次の日Part2で三岐鉄道を紹介しましたが、そのコメントに三岐鉄道の貨物鉄道博物館の南野様から書き込みを頂きました。
ご案内によると10/6にイベントがあり、先日修理されていたワフ21000の内部も公開されるようです。さらに三岐線でもイベント列車が運転されるようで詳細はHP http://frm.kans.jp/ をご覧くださいとありました。私は残念ながら自治会の文化祭があり(今年は役員をしています)行けませんが興味のある方はぜひ訪問してあげてください。今回に限らず記事にも書きましたが次回は晴れたジャガイモの花の咲くときに訪れたいものです。博物館の横の道からは鉄橋を渡る列車も撮れます、写真は故S氏の車で連れってもらった時のものです(2008.12.12)午後で逆光ですが、もう少し近づけば電柱等も避けられるかなと思います。
博物館の方からコメントを頂戴し、とてもうれしく思います。幼い時から貨物列車が来ると数を数えた方はたくさんいらっしゃると思います。その延長線で私鉄電車でも関心を持ちましたが、関西では南海で走っていたくらいで、京都では馴染みのないものでした。昭和12年頃の京阪電車のダイヤを、「鉄道資料」に亀井一男さんがを発表なさいましたが、説明なしであったので拡大コピーして読み取り、どこかで発表しましたが、電車では反響なしでした。でも亀井さんから同志社には変人がおるが、君もそのうちの一人らしいと言ってもらい「ありがとうございます」とお礼言ったことがあります。その後、京阪電鉄から貨物運輸の資料を頂戴したものが保管してあります。阪神電車が引越し電車をつくったことが知られておりますが、京阪もそのために廃車のⅠ型を専用車として改造しました。これらは沿線住宅地開発と連動しています。戦後、トラックによる小口貨物輸送が発達しましたが、それとは別に、新聞輸送に鉄道が果たした役割は大きいものがあります。関西では国電モニ53重連が夕方、京都駅1番線で卸していましたし、京阪は300型が天満橋で、後には800型が地上線京橋で積み込んでいました。近鉄の荷物電車では「貨」ではなく「荷」の標識板、南海には「郵便」もありましたが、いずれも姿を消して半世紀になります。関東では東武、西武、関西では南海で貨物列車を見ることが出来ましたが、いまはなしです。丹生川の博物館では東武38号機が展示されており、半世紀前の事を思い出すことができます。