少し前の近江鉄道

137-3 44-2-9
高宮~多賀間を走行するモハ137 / (44-2-9)

6月7日【47699】「西武鉄道モハ241に寄せて」(http://drfc-ob.com/wp/archives/47699)で、昭和45年頃近江鉄道に在籍していた元西武の電車を紹介したが、同時期に在籍した他の電車を紹介する。 昭和45年4月1日の在籍車両は、編成単位では下記の通りである。
←貴生川
モハ1+クハ1213    モハ2+クハ1222    モハ3+クハ1220
モハ4+クハ1219    モハ5+クハ1221    モハ6+クハ1218
モハ7+クハ1205    クハ1206+モハ8    モハ9+クハ1208
クハ1214+モハ131   クハ1215+モハ132  モハ51+クハ1207
モハ52+クハ1212    モハ135+クハ1210
モハ201+サハ101+モハ202(サハ101は連結されないことが多かった)
モハ501+クハ1501
モハ136  モハ137(モハ136、137は単行及び増結用)
モユニ10
上記のうち、モハ7+クハ1205、クハ1206+モハ8、モハ9+クハ1208、モユニ10は元西武の車両で【47699】で解説済であるので、それ以外の車両について解説する。
撮影した車両は、直前、直後に廃車、増車された車両も含めているが、全車両撮影した訳ではないことをお断りしておく。

モハ1+クハ1213
モハ1は、昭和3年4月、高宮~貴生川間の電化と彦根~高宮~多賀間1500Ⅴ昇圧時に当時の親会社宇治川電気電鉄部の1~9の車体のみを譲受け、住友KS33L台車を組み合わせたグループのデハ二9を38年に自社彦根工場で車体を新製して鋼体化したものである。

相棒のクハ1213の経歴を遡ると八日市線の前身である湖南鉄道(→琵琶湖鉄道汽船→八日市鉄道)の蒸気動車キロハ2(→キハニ2)に辿り着く。
更に驚くべきことに書類上は現在も生きていることになっている。

経歴を纏めると次のようになっている。
モハ1
大正12年川崎造船所で神姫電鉄9として新製、昭和2年宇治川電気と合併、3年車体のみ近江鉄道に譲渡されデハ9、7年貴生川寄りの窓2枚分の座席を撤去してデハ二9、38年10月車体新製して鋼体化モハ1、平成10年9月元西武クモハ426に車籍を引き継ぎモハ802、現在に至る。

クハ1213
大正2年汽車会で工藤式蒸気動車キロハ2として新製、昭和2年2月琵琶湖鉄道汽船キロハ2、4年2月八日市鉄道キハニ2、19年3月近江鉄道キハニ2、24年4月ホハフ3、30年12月ハニ1、38年8月車体新製して鋼体化クハ1213、平成10年9月元西武クモハ425に車籍を引き継ぎモハ1802、現在に至る。

モハ1+モハ137 (47-11-12) 貴生川
この日は、本来の相棒クハ1213ではなく、両運のモハ137と組んでおり、完全な固定編成ではなかったことが判る。 1 47-11-12

モハ1とクハ1213/ (H10-11-17) 彦根
平成10年3月にモハ802+モハ1802に改造されたことになっているが、現車はそのまま残っていた。 1 1213

【参考】モハ802+モハ1802/ (H10-11-17) 彦根
元西武鉄道クモハ426+クモハ425であるが、書類上はモハ802は大正12年製デハ9、後ろのモハ1802は、大正2年製蒸気動車キロハ2の改造車と云うことになる。 802

モハ2+クハ1222  上 (47-9-24) 貴生川  下/(47-11-6) 貴生川~水口石橋
モハ2は、大正12年川崎造船所製神姫電鉄2→デハ二2を41年3月彦根工場で車体新製して鋼体化。
クハ1222は、41年8月彦根工場製の新製車であるが、台車等中古品が多用されている。 書類上は平成12年1月モハ805(元西武クモハ418)+モハ1805(同クモハ417)に車籍を引き継いだ。

2 47-9-24 2

モハ3+クハ1220
モハ3は、大正12年川崎造船所製、神姫電鉄3→デハ二3を40年11月彦根工場で車体新製して鋼体化。 クハ1220は、大正3年加藤車輌製の木製客車ハ3が何度かの改番でハ1211となり、31年1月元西武鉄道クハ1255(2年日本車輌製)の車体に載せ替え制御車に改造してクハ1211、40年11月彦根工場で車体新製して鋼体化、クハ1220に改番した。 平成11年1月車籍を引き継ぐことなく廃車された。

モハ137+モハ3+クハ1220の3連/ (47-9-24) 貴生川~水口石橋 1220 47-9-24

モハ5+クハ1221
モハ5は、大正12年川崎造船所製神姫電鉄5→デハ二5を41年3月彦根工場で車体新製して鋼体化。
クハ1221は、41年3月彦根工場製の新製車であるが、台車等中古品が多用されている。 書類上は、平成11年3月モハ803(元西武クモハ416)+モハ1803(同クモハ415)に車籍を引き継いだ。

モハ5/ (43-4-28) 貴生川 5 43-4-28

【参考】鋼体化前のデハ二5/ (40-1-6) 彦根 5 40-1-6

クハ1221/ (44-2-9) 彦根 1221 44-2-9

【参考】モハ803+モハ1803/ (H10-11-17) 彦根 803 1803

モハ6+クハ1218
モハ6は、大正12年川崎造船所製神姫電鉄6→デハ二6を39年6月彦根工場で車体新製して鋼体化。
クハ1218は、明治33年福岡鐵工所製の木製単車は13とは15大正3年にボギー車に改造してハ4に改番、その後何度かの改番でハ1209となり、31年1月元西武鉄道クハ1254(2年日本車輌製)の車体に載せ替え制御車に改造してクハ1209となり、39年6月彦根工場で車体新製して鋼体化、クハ1218に改番した。
書類上は、平成10年5月モハ701(元西武クモハ438)+モハ1701(同クモハ437)に車籍を引き継いだ。

モハ6+クハ1218+ハニ22/ (40-2-28) 貴生川 6 40-2-28

クハ1218/ (47-4-9) 貴生川 1218 47-4-9

【参考】モハ701+モハ1701/ (H10-11-17) 彦根
座席は転換クロスで、スタイルは元西武クモハ400形の面影は全くない。 701 1701

モハ131+クハ1214
モハ131は、大正14年汽車会社製で武蔵野鉄道デハ131として新製、戦後の改番でモハ131、24年3月西武鉄道からの借入れ、25年2月正式に譲受け、そのままの車号で使用、37年2月彦根工場で車体新製して鋼体化した。
クハ1214は、大正11年梅鉢鐵工所製で武蔵野鉄道デハ103として新製、戦時中に電装解除してクハ化、戦後の改番でクハ1203となった。 25年4月西武鉄道から借入れ、同年6月正式に譲受け、そのままの車号で使用、31年にクハ1214に改番、37年2月彦根工場で車体新製して鋼体化した。 書類上は、平成5年6月モハ801(元西武クモハ404)+クハ1801(同クモハ403)に車籍を引き継いだ。

モハ131+クハ1214/ 上: (50-1-6)  彦根   下: (43-4-28) 貴生川
131 50-1-6 131-2 43-4-28

【参考】モハ801+モハ1801/ (H10-11-17) 彦根
クハ1801は平成9年に電装されモハ1801となった。 801

モハ132+クハ1215
モハ132は、大正14年汽車会社製で武蔵野鉄道デハ132として新製、戦後の改番でモハ132、24年3月西武鉄道から借入れ、25年2月正式に譲受け、そのままの車号で使用、36年6月彦根工場で車体新製して鋼体化した。
クハ1215は、大正11年梅鉢鐵工所製で武蔵野鉄道デハ104として新製。戦時中に電装解除してクハ化され、戦後の改番でクハ1204となった。
31年にクハ1215に改番し、36年6月彦根工場で車体新製して鋼体化した。
書類上は、モハ132は、平成8年2月元西武クハ1739の車体を使用して製作したモハ225に車籍を引き継ぎ、クハ1215は廃車された。
この編成は正面2枚窓MT編成の第1号で、当初ヘッドライトが正面窓下2灯で方向幕付であった。後に他車と同様の形態に改造されたが、改造時期はRP誌の「約1年後に方向幕を撤去、灯具の取付け位置も屋根上1灯式に変更した」の記事から1年後即ち37年が通説になっているが、4年後の40年5月23日撮影時は未だ窓下2灯、方向幕付であった。

モハ132+クハ1215/ 上 (40-5-23)   中、下 (44-5-3) 貴生川 1215 40-5-23 1215 44-5-3 132 44-5-3

モハ51+クハ1207
モハ52+クハ1212
モハ51、52は、昭和3年川崎造船所製の郵便室付電動貨車デユワ101、102を日本鉄道自動車工業で車体を新製して旅客車化した。 36年3月米原側の運転台を撤去して貫通化と貴生川側の運転台窓の2枚化が行われた。
47年頃からクハの老朽化により単独で増結用、モユニの代走車として使用されるようになり53年1月銚子電鉄に譲渡され同社のデハ701、702となった。
その際西武鉄道所沢工場で両運に改造された。
銚子電鉄では平成22年まで使用され、現在いすみ鉄道上総中川駅徒歩25分の「ポッポの丘」で保存されている。

モハ51/ 上・中 (40-1-6) 彦根  下 (47-9-9) 貴生川 モユニの代走として使用 51 40-1-6 51-2 40-1-6 51 47-9-9

銚子電鉄譲渡後
モハ701(元モハ51)/ 上 (58-5-15)  下 (H20-8-30  仲ノ町
ワンマン改造されて比較的よく稼働したが、平成22年9月23日に「さよなら運転」を行った。
銚子701+702-2
銚子701

モハ702(元モハ52)/ 上 (58-5-15) 外川  下 (H20-12-30  仲ノ町

ワンマン改造されず、団体輸送時の増結用に使用されたため、晩年の稼働率は低かった。
平成22年1月23日に「さよなら運転」を行った。
銚子702+701
銚子702

クハ1207/ (44-2-9) 彦根
近江鉄道唯1両の元買収国電であるが、このことが表面に出てこないので余計に話をややこしくしている。
明治31年開業時に新製された木製四輪単車「は4」と「は5」を大正2年に台枠と車体を接合してボギー車化して「ハ2」となり、大正15年に車体の改修が行われてフホハユ2、昭和5年にフホハ33、31年1月西武鉄道クハ1260(昭和2年日本車輌製、旧西武鉄道モハ509→16年Tc化クハ1210→23年改番クハ1260)に車籍を引き継いだ。

37年1月西武鉄道所沢工場で鋼体化を行ったが、この時同工場で車体更新を行い新製車体に載せ替えにより不要になった元上信電鉄クハニ21の旧車体を正面2枚窓化する等多少手を加えて使用した。

上信電鉄クハニ21の経歴を辿ると、飯田線豊橋~大海間の前身豊川鉄道(18年8月1日買収)モハ22として2年5月大阪鐵工所で新製、28年6月モハ1601に改番、32年3月31日廃車、33年2月18日上信電鉄に譲渡、34年3月三和車輌で改造してクハニ21、36年5月西武鉄道所沢工場で車体新製クハ22となっている。

話をクハ1207に戻すと、56年6月彦根工場製のクハ1505に車籍を引き継いだ。

1207 44-2-9

クハ1212
大正4年加藤車輌製作所でイ4として新製、「イ」は特等車と並等車の合造車を意味していた。大正10年の改番でフホロハ4、モノクラス制によりフホハ26、31年に運転台を取付けクハ1212となった。
36年3月、上毛電鉄クハ1061の旧台枠に彦根工場で新製した車体を載せて鋼体化改造を実施した。この車体こそが、自社製車体の第1号であったが、不覚にもこの車両を撮り損ねている。
48年に後述のモハ204に車籍を引き継いだ。

モハ135+クハ1210
【47699】の解説と重複するが、元西武鉄道モハ241+クハ1241→モハ133+クハ1216の車体更新車で、元京浜急行400形(22年三井造船所製)が40年から41年にかけて車体新製して廃棄された旧車体を西武経由で購入し、彦根工場で車体を縮小して41年9月に竣工した。
終戦直後に造船所で作られた車両のため車体の老朽化が激しく、53年6月彦根工場製の車体新製車モハ504+クハ1504に再生した。

モハ135+クハ1210/上 (44-2-9) 高宮 下 (47-9-15) 貴生川
135 44-2-9
1210-3 43-2-13

モハ135の台枠の銘板/ (44-2-9) 彦根
銘板

モハ136・モハ137
モハ135+クハ1216と同様元京浜急行400形の車体更新で廃棄された旧車体を西武経由で購入し、彦根工場で車体を縮小した。竣工は42年3月で、こちらは新製扱いである。
両運転台付で多賀線の単行運転や増結車に使用され、モハ136は56年モハ505に、モハ137は58年モハ506に車籍を引き継いだ。

136/ (44-2-9) 彦根
136 44-2-9

137/ 上 (44-2-9) 多賀 中 (47-9-24)  貴生川~水口石橋  下 (47-11-17) 貴生川
137-2 44-2-9
137 47-9-24
137 47-11-12

モハ201+サハ101+モハ202
42年に元東急池上線で使用されていたモハ3151+サハ3101+モハ3155を購入して同年12月25日認可で使用開始した。
入線時6月24日八王子客貨車区で特殊貨物検査を受けている。

3連固定編成は多客時以外は必要でないため、殆どモハ201+モハ202で使用し、サハ101は遊んでいることが多かった。
実見した時は、モハ201はパンタを降ろしクハ代用で使用されていた。
モハ201と202は昭和2年川崎造船所製、サハ101は大正13年藤永田造船所製と車齢が高く、3年後には早くも車体更新が施工された。

45年西武鉄道所沢工場でモハ201は元小田急デハ1600形1609、モハ202は同1603の車体で更新され、モハ202の運転台は貴生川寄りになった。

サハ101は、モハ201、202と同時期に元小田急デハ1610の車体で更新され、同時に電動車化され、モハ203となった。

モハ201+モハ202/ (42-7-19) 彦根
202 42-7-19

サハ101/ (44-2-9)
101 44-2-9

モハ201+クハ1201
モハ202+クハ1202
モハ203
モハ201、モハ202は、Mc+Tc編成となり、相棒のクハ1201は元小田急クハ1657、クハ1202はモハ1602の車体を使用した。この2両は西武鉄道所沢工場の新製名義であった。
車体の老朽化により2編成とも車籍を引き継ぐことなく平成2年12月廃車された。

モハ203は、ワンマン改造され多賀線の単行運用等で使用されていたが、平成4年8月元西武クハ1742の車体を利用して製作されたモハ222に車籍を引き継いだ。

モハ201+クハ1201/上 (47-9-23)   下 (47-5-28)  貴生川
201 47-9-23
1201 47-5-28

モハ204→モユニ11 / (52-7-10) 彦根
書類上は前述のクハ1212が48年に車籍を引き継ぎ電動車化した車両であるが、実態は、西武鉄道所沢工場で元京王帝都電鉄モハ1707(22年汽車会社)の車体に中古台車と電装品を組み合わせたものである。
入線時には記念乗車券が発行され活躍が期待されていた。実物が実家にあり帰省時に持ち帰りたいと思っている。

55年に老朽化したモユニ10の後継車として郵便荷物車に改造され、モユニ11となったが、4年後の59年11月末で郵便荷物輸送廃止され長期間休車後平成2年12月廃車された。
204 52-7-10

モハ205→クハ1506
モユニ10→モハ205→モハ221
写真は撮り損ねたが、もう1両元小田急デハ1600形が在籍した。
55年11月鈴鹿山脈の反対側を走る三岐鉄道のモハ141を譲り受けた。この車両は小田急デハ1600形1605の車体を利用して、45年西武鉄道所沢工場で新製名義で作られた。
58年11月にモハ506+クハ1506を製作時、クハ1506に車籍を引き継いだ。

本来ここでモハ205は消滅する筈であるが、同時に今度はモユニ10の車籍を引き継ぎ、同じ車両が書類上は全く経歴の異なる車両になった。
その後平成3年1月元西武モハ742の車体を利用して製作されたモハ221に車籍を引き継いだ。

監督官庁の職員も、余程の「鉄道ファン」でない限り何のことかさっぱり理解できないのではなかろうか。

クハ1506/ (H10-11-17 ) 彦根
書類上は元三岐鉄道モハ141→モハ205→クハ1506
1506

モハ221/ (H19-3-23) 彦根
書類上はモユニ10→モハ205→モハ221
モハ205の現車は上と同じ車両であるが、途中で経歴が変わってしまった。
221

ハニ2/上 (40-1-6) 高宮 下 (42-7-19) 彦根
八日市鉄道から引継いだ元蒸気動車である。
大正2年汽車会社製で湖南鉄道キロハ1として新製、後に2等室を廃止してキハ二1、17年8月加藤車輌製作所で鋼体化が行われ、我国唯1両の半鋼製蒸気動車となった。
19年3月1日近江鉄道と合併し、21年1月1日八日市線電化により23年10月客車化されホハフ2、31年1月荷物室を設置してハニ2となった。

詳細は湯口先輩が執筆されたネコパブ社RM LIBRARY103「日本の蒸気動車(上)」をご覧いただきたい。
ハニ2 40-1-6
ハニ2 42-7-19

ハニ22、ハユ24
22年日本鉄道自動車工業で改造名義で新製された車両であるが、このグループ全体について解説する。
大正14年3月、彦根~高宮~多賀間の電化時に加藤車輌製作所で電1形1~5の5両電車を新製した。架線電圧600Ⅴ、車体は木製でドイツリンケホフマン社の台車を履き直接制御車、全長12mの小型車であった。
昭和3年4月高宮~貴生川間電化時に全線が1500Ⅴに昇圧されたが、電1形は昇圧改造されることなく電装解除されサ21形21~25となった。
5年に運転台が取付けられクハ21、22、クハニ23、クハユ24、25となった。
18年9月、車体の鋼体化と再電装が計画されたが、実際には車籍の引継ぎのみで新車として日本鉄道自動車工業に発注した。

旧車両は全車名鉄に譲渡される予定であったが、代替となる新車の到着が遅れたため実際に譲渡されたのはクハニ23とクハユ25の2両であった。
戦後新車到着後、25年にクハ21、22を尾道鉄道に、28年にクハユ24を静岡鉄道に譲渡した。

22年10月ようやく完成した車両は、電装品がなく全くのサハ状態であったが、車号は種車からの引継ぎでクハ21~25であった。
この時点では、名義上の種車クハ21、22とクハユ24がまだ残っており、書類上ではどのような形になっていたのか興味のある処である。
小型のトレーラーでは使い物にならず、25年に早くもクハ23とクハ25を上田丸子電鉄に譲渡した。
クハ21と22は31年にやっと運転台を取付け名実ともに「クハ」になった。

サハ状態のクハ24は、29年10月に車体の約5分の3を郵便室にしてハユ24となったが、39年モユニ10の登場により失職して彦根で放置状態であったが、41年6月山形交通に譲渡され、ハフ4として尾花沢線に配置された。その際西武鉄道所沢工場で車体を約2.5m延伸した。
45年9月14日尾花沢線廃止後は三山線 (http://drfc-ob.com/wp/archives/44858)に転属したが、殆ど使用されることなく49年11月16日2度目の廃止を迎えた。

ハユ24/ (39-11-3) 彦根
ハユ24 39-11-3

山形交通ハフ4/ 上 (43-3-31) 尾花沢線大石田 下 (46-5-27) 三山線間沢
山交ハフ4 43-8-31山交サハ4 46-5-27

クハ22は、36年運転台の撤去と米原寄りの座席の一部を取外して荷物スペースとする改造が行われハニ22となった。
こちらも43年10月山形交通に譲渡され、クハ1として高畠線に配置された。前述のハユ24と同様の改造と両側に運転台を設置した。
49年11月18日の営業廃止まで在籍した。

ハニ22/ (40-2-28) 貴生川
ハニ22 40-2-28ハニ22 40-2-28 (2)

山形交通クハ1/ (46-5-27) 高畠
My beautiful picture

クハ21は36年1月尾道鉄道に譲渡され、キ21として39年8月の廃止まで在籍した。尚、尾道鉄道にはこの車の種車である木製クハ21も譲渡されており、本来1両である筈の車両が2両揃っていたことになる。

上田丸子電鉄譲渡後のクハ23とクハ25
自社で電装後、クハ23はモハ2321として丸子線に、クハ25はモハ2322として別所線に配置された。配置が分散されたのは沿線株主に配慮からであった。
31年モハ2322も丸子線に転属して元ガソリンカーのサハを挟んでMTM編成で使用された。
41年にはモハ2321の上田東側、モハ2322の丸子側に貫通扉と貫通幌を設置し、両側に貫通扉と幌を接したサハ41を挟み貫通編成を組んだ。
44年4月20日丸子線廃止後別所線に転属して、中間サハを外してMc+Mcとなったが、予備車的存在であった。
47年モハ2322は銚子電鉄に譲渡され、デハ501となった。

モハ2321/ (42-3-23) 上田東
My beautiful picture

モハ2322/上 (42-3-23) 上田東  中、下 (45-3-16) 上田原
別所線転属後は予備車ではあったが、写真の通り「上田-別所温泉」のサボを下げているのでたまには営業運転していたと思われる。
My beautiful picture
My beautiful picture
My beautiful picture

銚子電鉄デハ501/ (58-5-15) 仲ノ町
銚子501

モハ501+クハ1501
【47699】「西武鉄道モハ241に寄せて」で解説済であるので、グループ全体について解説する。
44年から58年にかけて古い車両の車籍を引き継ぎ彦根工場で車体を新製した車両で、Mc+Tc6編成製作された。
製作年と引継ぎ前の車号は下記の通りである。( )が車籍引継ぎ前の車号

モハ501(モハ134)+クハ1501(クハ1217) 44年
モハ502(モハ8)+クハ1502(クハ1206)   45年
モハ503(モハ7)+クハ1503(クハ1205)   45年
モハ504(モハ135)+クハ1504(クハ1210) 53年
モハ505(モハ136)+クハ1505(クハ1207) 56年
モハ506(モハ137)+クハ1506(モハ205)  58年

モハ1形からは大きくスタイルが変化したが、窓と扉の寸法はモハ1形と共通にしたため、やや軽快さに欠ける面はあるが、自社で車両メーカーと遜色のない製品を新製することができる実力は大したものであった。
最後のモハ506+クハ1506は扉のステンレス化と正面に飾り帯が付けられ、モハ501+クハ1501も車体更新時に同様のスタイルになったが他車までは及ばなかった。
撮影した車両のみ紹介する。

モハ502+クハ1502 / 上 (47-3-5) 貴生川~水口石橋 下 (H10-11-17) 彦根
502 47-3-5
502 10-11-17

モハ506+クハ1506 /  (H10-11-17) 彦根
506 10-11-17

以上、駆け足で昭和45年4月1日を基準にその前後に在籍した車両を、前回の【47699】と併せて紹介した。
写真をご覧になってお気付きの方もおられると思うが、台車、電装品も何度か取替えられている。こちらの変化については今回は触れなかった。
電気機関車については時期を見て解説したい。

最後にお願いであるが、最近の状況が全く判らないので、お近くの方から近況の報告をしていただければ幸いである。



 


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