上越線の重連列車

2014年10月30日付デジ青[52792]「秋は気ままに一人旅ー4ー」で深夜の水上駅で電気機関車重連の急行列車を撮影したことがあるとコメントしたところ、投稿者の総本家青信号特派員さんよりその写真を見せよと言われた。身震いするような写真ではないが、ここに昼間の重連列車とともに掲載させていただく。2枚共に逗子の旦那と一緒に撮影をした。

1980年1月18日金曜日の水上駅に23時41分着47分発の急行801列車上越線・羽越本線経由秋田行き「鳥海」が到着。本務機EF5887[高崎第二]の前に補機EF1630[水上]がつく。清水トンネルの中で日付がかわり、次の停車駅は長岡であるが、石内で補機解放のため運転停車する。▼s-80.1.18EF1630+EF5887鳥海

 

続いて1980年1月6日日曜日の日中走行上り重連列車。メモに列車名がないが1980年10月号時刻表では急行9702列車「佐渡54号」の時間帯の列車。本務機EF58135[高崎第二]+前補機EF1623[水上]で土樽を通過し清水トンネルに向かうところ。尚、この頃のスキー臨時列車にはEF58単機牽引も見られた。▼83.1.6土樽(2)

 

4 thoughts on “上越線の重連列車

  1. 準特急様、
    いつもながらの気持ちのいい写真をありがとう。
    時代の共感が心地よさを感じさせてくれるのでしょうか?
    つい先日の写真と思えますが、もう35年も前のことですね。EF58やEF16は同世代ですが、12系の客車はきらいです。50系や12系が出た頃から鉄道に対する熱意が冷めだしたように思います。
    また見せて下さい。

  2. 米手作市様
    有難うございます。古い人間は古い人間同士で話が合うものですね。12系や50系の客車ができた時、これはあかんと思いました。感覚的には客車というよりも電車でした。米手様よく言われた「客車ちゅうもんは手でドアを開けることができ、便所は垂れ流しでないとだめや」とのお言葉、よく覚えています。客車を愛する皆さんと意見が分かれたのはスハ43系までが本来の客車でナハ10系は違うということでした。確かにナハ10系はスイスあたりの軽量客車をモデルにしたようで車内も湘南電車の300番代全金属製に似た感じでしたが、窓も開き、開放的でした。このスハ43系とナハ10系が重なりあって連結された姿が当時の急行客車列車でした。安全重視の今と違い飛び乗り、飛び降りができ、満員の場合などデッキに立って風にあたっていました。弁当を食べる時も蒸機の煤や前方の客車から水滴があたっていたはずですが、皆平気で食べていました。公害もなく、空には星が一杯でした。群馬・新潟県境の峠に向かう夜行急行もそんな時代の最後の旧型客車列車でした。

  3. 準特急さま
    リクエストした本人のコメントが遅れてしまい、準特急さまには、ご迷惑・ご心配をお掛けしました。一年越しの上越線の写真、ありがとうございました。“さてコメントを”と思ったところ、もう「過去の投稿」に入ってしまい、探すのに苦労しました。私のようなスローな人間には、活発な掲示板も付いて行くのに苦労します。
    さて、私も昨年秋、昼間の上越線に初めて乗って、その沿線に感動しました。とくに、水上を出てすぐの石造り橋脚のあるカーブ鉄橋は、印象的でしたが、ここでちゃんと撮っておられるのには、さすがの眼力と感心しました。逗子市新宿のTさんと豪雪の水上で夜間撮影されたことも懐かしく読ませてもらいました。米手さんも書かれていますが、旧客を引くデッキ付き電機は、ホントに良かったです。蒸機廃止後の鉄道界では、いちばん魅力的に映りますね。

  4. 総本家青信号特派員様
    日本3大車窓風景は旧狩勝、姨捨、肥薩線だそうですが、雪晴れの上越線もいいものです。連続してやってくる181系「とき」や重連電機は魅力的でした。車両の魅力は薄れても雪晴れなら今でも行ってみたい路線です。

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