水没橋修整

#84524西村雅幸氏「三重。岐阜の旅(3)」に出てきた可動橋に関し、80.6歳老人が禿筆を以ってコメントしたギリシャの水没橋が、メーターゲージの鉄道橋と記したのは全くの記憶違いで、単なるケチな道路橋でありました。TVアナではないが、「謹んでお詫びし訂正致します」。

ギリシャは間違いなくヨーロッパ大陸だが、その南部ペロポネソス半島は、6キロ足らずだけでつながっているため、コリントス運河が掘削され、東のミルトア海と、西のイオニア海を結んでいる。上の写真のように切り立った崖で有名で、これだけ掘り下げるのは大変だったろうが、メーターゲージの国鉄線がこの鉄橋を渡り、国道と高速自動車道路がそのすぐ横で渡っている。運河の幅はさして広くないから、当然通過できる船もそう大きくはない。
この運河の西端は全くの平地で、シケた地方道がその河口(運河だから河口とは言わないか。要は西口)を渡っているのだが、その橋の中央桁を船の通行時水没させるのである。

これが完全水没直前の件の橋桁。



その通過時間中―詳しくは忘れたたが、1時間以上待たされたか。何しろここで渡らないと、国道まで戻らなければならないし、結構面白かった記憶がある。
何分河口?だから、ここだけ運河底を掘り下げたと思われるが、確かに安上がり工法ではあろう。しかしあんまり他では見られない景色であった。
という訳で、鉄道とは全く関係ない橋でスンマヘン。

水没橋修整」への1件のフィードバック

  1. 湯口徹様
    いえいえ 鉄道にせよ道路にせよこんな沈下橋はめったに見られるものではありません。ご紹介 誠にありがとうございました。切り立った崖の運河もすごいですね。この写真を見て思い出したのが 長崎県対馬の万関運河です。バルチック艦隊を迎え撃つにあたり 艦隊が対馬西側の朝鮮海峡を通過するか、あるいは東側の対馬海峡を通過するかの予想がつかず、駆逐艦、水雷艇を対馬の西側に配置するか 東側に配置するか悩んだ末に 島の最も狭隘部分に運河を開削して駆逐艦、水雷艇が遠回りせずに素早く島の反対側に行けるようにしたのが万関運河です。明治33年に完成しています。ギリシャの運河ほど切り立った崖ではありませんが 大きなアーチ橋(万関橋)が架かっていて結構見ごたえのある運河です。当時は艦船が闇夜に岸に接触しても艦船の損傷を少なくするため両岸には材木で緩衝壁まで作られたそうです。話が変な方向に行きましたが、窮すればいろんなアイデアが出てくるのでしょう。

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