【93836】散歩道で見つけました7

しばらく忙しい日が続きまして、お預かりした原稿を編集することができず、投稿が遅れてしまいました。

今回の写真は近鉄、山陽です。山陽電鉄はすでに専門家の大先輩が寄稿されているので重複することがあればお許しください。
写真はコントラスト・傾き以外の修正はしておりません。

近鉄

① モ680←1200奈良電 京阪丹波橋

②十条付近

③ 6600型 阿部野橋駅

⑤ モニ2300

⑥ 2200型

⑦ モニ2300 今里

⑧ 京阪丹波橋

⑨ 京阪丹波橋

⑩ 800型

⑪ 元奈良電デハボ1000他 京阪丹波橋

⑬ 8000系増備車 布施

⑭ 820型

⑮ 国鉄関西線柏原駅

⑯ ラビットカー 阿部野橋駅

山陽電鉄(カラーは修正しておりません)

次回は南海・水間・江若の予定です。

散歩道で見つけました7” への17件のコメント

  1. 米手様、近鉄の一部の写真しかわかりませんがたいへんなじみがあります。
    〔3〕 近鉄南大阪線の始発駅阿部野橋駅ですね。背景にあるビルは近鉄百貨店です。6600形は電車らしい電車でいい形をしていて好きな電車のひとつです。母の里が土師の里ですので急行には乗りませんでした。いつも阿部野橋から古市行の各停でした。6600形も普通で乗ったと思います。
    〔10〕 800形は信貴山下から王寺までの通勤で時々乗りました。この電車の晩年は生駒線や田原本線でした。2扉ですので朝の混雑時は大変です。王寺で天王寺方面へ快速に乗る人がドアが開いたとたんにダッシュです。跨線橋を登って降りないといけないので大変でした。
    〔14〕 この820形も生駒線で走っていました。これも2扉ですので混雑時は大変です。信貴山下で東ケーブルを撮った写真に生駒行の接続する電車が写っています。820形でした。
    〔15〕 これは珍しい写真です。関西線の柏原駅です。背景の山は二上山で、今でも橋上駅の窓からきれいに見ることが出来ます。近鉄のデンカン(電気機関車をこのように呼んでいた。)道明寺駅から貨車を柏原駅運んできて入換作業中のようです。道明寺にはサントリーのワイン工場がありましたのでこの工場の荷物を運んできたのだと思います。右の建物は今のJR西柏原寮です。写真の時は国鉄の寮でした。左側の2線は架線がありません。これでお判りと思います。近鉄からの貨車はここで国鉄の貨物列車に連結されます。今はこの線は快速の通過線になっています。道明寺線の電車は一番右のホームの向う側で今と同じでした。
    〔16〕 ラビットカー3編成そろい踏みです。遠くにある背景のビルは天王寺ステーションビルです。ラビットカーができた頃は叔父が新車の電車がはしっているで、と教えてくれました。南大阪線にしては久しぶりの最新鋭電車でした。すごい加速だったことを覚えています。電車に酔いそうでした。
    近鉄でよく乗っていたのは南大阪線の阿部野橋から土師ノ里までです。土師ノ里から道明寺間は短いので今でも歩いてしまします。おまけですが土師ノ里駅と藤井寺駅の間に応神御陵前という駅、道明寺駅と古市駅の間に誉田八幡駅があったということです。「かなわん、かなわん」とのんびり走っていた道明寺線の電車は今ものんびりと走っています。

    • ⑮は柏原ですか!機関車は近鉄ですがホームが電車用と貨車用がつながっているのでどこの駅か分かりませんでした。やっぱりみんなで見るものですね。

  2. 米手作市 様、どですかでん 様

    私にとって近鉄は何となく疎遠でしたが、⑥の2200形?には大変興味を持ったのをおぼえています。
    実は実車は見た事が無く、ピク誌(だったと思う)で見た時は『ウン、窓が無い!』と先ずはそのスタイルに結構なインパクトを感じました。
    調べたらトイレ。 スピード出して走っとる電車の、それも先頭車の角ではオチオチ『し〇〇〇ん』なんて、まして『う〇こ』なんてやってられへんのんちゃうか!と、一人でクスクスだったのを思い出した。
    また、⑩の奈良用800形(で、ええんでしたかな?)の小ぶりな車体。たしかチョット赤い色の混じった茶色で、前面の窓も洒落てましたね。

    どですかでん さんへ

    『デンカン』は懐かしいですね。 私も昔はそう言ってたのを思い出しました。何時の程からか『電機』や『EL』なんて言うようになってましたね。

    • 一度だけこのトイレに入ったことがあります。はるか昔で記憶にありませんが、河さんと同じ感覚でオチオチできませんでした。

  3. どですかでん さま
    河さま同様小生も久しく忘れていたデンカン(電関)を想い出しました。小学生5~6年生の頃に友人宅へ遊びに行き、あのデンカンこのデンカンと話をしていたところ、おやつを持ってきて下さった友人のお母さんがそれを「電化」と聞き違え、「今度は何処が電化されるのですか」と尋ねてこられたことも思い出しました。因みにあの・このデンカンとはEF58・EH10・EF15のことです。当時の主力(というよりこれしか無かった)デンカンで花形でもあったEF58の人気がダントツでした。

      • 米手作市さま
        遅くなって申し訳ございません。丹波橋についてはお詳しい諸先輩方がおられますので、コメントを差し控えておりました。しかし未だどなたからもないのと、米手さまからの光栄なるご指名にあずかりましたので、以下に少々コメント致します。
        まず①・⑧・⑨・⑪・⑭の写真が京阪丹波橋で撮られたものですね。
        ①は京阪駅を出て近鉄線への連絡線を降りてゆくモ680型で後追い撮影です。同車は元奈良電の1200型を近鉄が買収後に奈良・橿原特急専用にタタキ直したものです。1200型はたしか2両しかなく、また奈良電には珍しいクロス車であったことから、改装対象になったようです。台車はコイルバネのままだったので、乗ったときは線路改良もされていなかったため、特に上下によく揺れました。当時クラブBOXでは誰言うとなくホッピング電車と呼ぶようになり、よくあれで特急料金を取るなあと罵っていたのを憶えています。
        ⑧も前者と同じ場所・アングルですが、電車は近鉄の元奈良・橿原線用の狭小規格車を改番したものだと思います。この当時は近鉄旧型車標準カラーは濃緑だったはずですが、後に標準色がエンジに替わってからは、濃緑と深紅の入り混じったドギツイ編成が出現して目をむいたものでした。
        ⑨は大阪行ホームの南端から三条方面行本線へ入構してくる近鉄京都行です。ちょっと見づらいのですが電車の後方に通ってきた近鉄連絡線~京阪大阪方面行本線~三条行本線へのポイントが見えます。現認はしていませんが、大阪行本線との交差はダブルスリップのように見えます。小さい頃にほぼ毎夏木津川水泳場へ泳ぎに行きましたが、帰路の電車では丹波橋手前でよく京阪の信号待ちをくらいました。近鉄との買収合戦に敗れた京阪のイヤガラセではなかったと思いますが。
        ⑪は三条発奈良行準急が本来の近鉄線をオーバークロスして丹波橋に入駅するところです。電車の前2両(最後部は不明です)は元奈良電の1000型です(形式称号は忘れました)。行先版は準急:三条ー奈良と読めます。
        ⑭は⑨と同じ構図ですが車両が720・820に替わっています。
        何故近鉄電車が京阪丹波橋にと思われる方には不親切なコメントでしたが、その辺りはウィキででもお調べ下さいますようお願い申し上げます。

        • ありがとうございました。
          さっそく加筆いたします。
          『なぜ近鉄が京阪丹波橋駅に?』と思う方は、以前に京阪1000系の時に無印不用品様の投稿に渡り線の写真があったように思いますのでご参照ください。

  4. 1900生 様

    そうでしたね。 我々の頃のデンカンは仰せの3形式が全てでしたね。
    EF58は確かにスマートでしたが、当初はデッキの無いデンカンに、何か物足りなさを感じたものです。
    しかし、或る時1~31は元はデッキ付きだった事を知り、デッキ付き旧車体を32~の流線形と同じ車体を31両分作ってそれに乗せ換えたと判って、甚く感心したものです。
    そう言えば『お召』機で60と61が有り、車体全体を巻くようにステンレス帯が付いていたのが格好良かったですね。

    ついでながら、セミの脱皮みたいな抜けガラを、今度は凸形電機のEF13の『被せ変え』に使ったと知って、車体の使い回しに更に更に感心したものです。
    それも、偶然?にもEF13が31両のみしか無く、数もバッチリでした。

    一方のEH10は『頼もしい』の一言で、関ヶ原越えも涼しい顔で、真っ黒な2両固定の車体が武骨な感じだったのが印象的でした。
    そのクセ、車体の黄色の帯が如何にもダンディーだったのを覚えています。
    EH10の15号は電動機を変え、歯車比も変更したりして高速運転の試験車になった事もあったような。

    • 仰せの通りです。
      EF58は京都ではデッキナシしか見られなかったため、中学の修学旅行で浜松を通るときにデッキ付きを見たときは感激しました。EH10は貨物用として人気がありました。小学校が京都駅西隣にありましたから“ピー”と汽笛が鳴ると線路を見てしまい、その都度立たされたのを今でも思い出します。
      と、書いていて思い出したことがあります。
      立たされ三人組と言われた仲間に「植村君」がいました。父上は、当時、京都駅助役でした。私がDRFCに入った頃、EVEでかの名作『ある機関助士』を上映するので準備すべし、との会長命令を受けて梅田にあった大阪鉄道管理局広報課へ16㍉フィルムの貸出依頼に行ったとき座っていたのが「植村君」でした。簡単に貸してくれて件のオニ会長にどやされずにすんだのでした。そのオニ会長がデジ青でも有名な・・・

      • 米手作市さま
        ♪やっぱり一緒だ、いっしょだね~です。小生も東海道線から250m離れた元西寺傍の小学校でしたから、よく廊下の窓から見ていました。始業時間の8:30頃は西下する夜行や寝台列車のピーク時間帯で、ある時など夢中で見ていたため始業ベルを聞き逃し、教室に来た先生の出席簿で思い切り尻をバーンと叩かれ飛び上がったこともありましたね。これが原因で持病持ちになったのかもしれません。
        印象的だったのは当時新製投入されたばかりの、おそらくナハネ10と思われる銀色に輝く屋根の塗色が朝日に輝き綺麗でした。それまでの客車の屋根は汚れた色ばかりだったため、グリーンつばめの銀色と共に鮮烈な印象を受けたものです。まだ時刻表を知らない頃だったので列車名もわからず、あんな客車を連結しているのはどんな列車だろうと夢をかきたてられたものでした。

  5. 米手 様
    近鉄の懐かしい写真がいっぱい出てきています。特に南大阪線の6600やラビットカーは毎日のように乗っていました。どですかでん様の言われるようにラビットカーの加速・減速はすごいもので、満員の時は人の流れのままに、空いているときは吊り革をしっかり握らないと飛ばされてしまいます。ちなみにラビットカーの加速度は4.0km/h/sで、減速度は4.5km/h/sということで特に減速の大きさが印象に残っています。⑬の写真は布施ですね、高架になる前の姿で後ろの日本生命や遠くのナショナルの広告塔らしきものが私の写真にも写っています。車両は8000系ですがラインデリア付きなので増備車のようです。当時は布施と上本町間は奈良線と大阪線の線区別の複々線でした。また布施駅の大阪線には通過線(上り用か下り用かは?)が一本だけあったと思います。

    • WAKUHIRO様、
      加筆いたしました。
      ところで⑤のクハニに関してなにかわかりますか?こんなのは京阪や阪急などの都会型私鉄では見たことがないもので・・・
      いまでもあるのでしょうか?

      • 米手 様
        多分モニ2300に荷物を積んでいるところと思います。モニ2300の写真は⑦の「今里」の写真にあるますが、当初は「手小荷物」があってその次にコンパートメント室が2室あったようです。このコンパートメント室は特別室(特急運用の頃)でしたが後に一般室として開放されています、また常に宇治山田側の先頭だったと思います。私(小学生頃)の記憶では伊勢の行商の方が占領していましたが…。これが発展(?)して今の「鮮魚列車」につながっているのではないかと考えます。京阪や阪急なんかの!都会私鉄にはない製造初年昭和5年の由緒正しき貴重な車両です!

        • WAKUHIROさま
          「由緒正しき」がどこにかかるのかわからないのですが、元特別室であったということは伊勢神宮への皇族方の乗車を想定したものだったのでしょうか。そういう事実があったのかどうか詳らかにしませんが、考えられる可能性はあると思います。
          後年荷物室になりカンカン部隊のおばちゃん連のサロンになったようですが、実は小生この部分に乗ったことがありました。小学6年生の修学旅行で伊勢方面へ行った際ですが、ひと月前の台風でどこだったかの橋梁が被害を受けたため、京阪神の小学校御用達であるところの鳥羽快速が多気止りとなり、止む無く松阪で近鉄に乗換えて伊勢に向かいました。この時に乗ったのがこの荷物室でした。たまたま目の前に止ったことと座席に空席がなかったための偶然でした。当時は車両に荷物室があることすら知らなかったので、随分怪しげな電車だと思いながら乗っていたことを憶えています。
          皇族方や小生も乗ったことからして、やはりたいへん由緒ある電車ということがいえますね。
          ついでながら、この時に三重交通神都線
          (伊勢市内路面電車)に乗って下宮→内宮→二見ケ浦に泊るはず!だったのですが、件の台風で同線もやはり被害を被って運休中で、これを機に廃止されたはずなので、今思うと乗れなかったことは返す返すも残念なことでした。

  6. 1900生様
    近鉄の貴賓車としてはサ2601がありますね。紀元2600年(昭和16年)を記念して製造されました。貴賓車として使われた後は、特急用となりその後一般車に格下げされています。また、荷物室のあった車両では南大阪線のモ6651系とモ6661系(郵便室)があったようです。どちらの形式か分かりませんがこの車両が来ると一番前に乗れなくて前が見えない…ことを覚えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.