1957年5月/1958年7月北陸鉄道その2

落語の枕ではないが「えー毎度お古いお噂で」とでも言わねばならない、半世紀以上前のカビの生えたような写真で恐れ入るが、まあ老い先短い老人に「お付き合いの程、願っておきます」。

今回から、1957年5月に加え、翌1958年7月撮影を加えている。この間にポールからZパンタに変わっているからで、Zパンタだと1958年の撮影である。先ずは大分以前に1954年撮影をご覧頂いた小松線から。この線はすべて尾小屋鉄道に行った時の「ついで撮影」である。旧簸上鉄道ホハ4→省コハ2470→金石鉄道ハ12→北陸鉄道ハ12→サハ511は中妻撤去、密閉化されている。

サハ571は枝光鉄工所製、何とも不細工な車両である。短くてずんぐりむっくり、窓が小さく、低く、屋根が深く、扉幅が狭く、床高は結構あるなど、よくこれだけ泥臭くデザインをしたものと感心するほかはない。温泉電軌ホデハ15→北陸鉄道モハ841→サハ571という経歴で、加南線からの転入だそうな。

モハ501~503は当線生え抜きで、新潟鉄工所製白山電気鉄道デ1~3である。ベンチレーターがやや古めかしい「お椀」型だが、昭和の生まれ。以前ご覧に供した1954年3月撮影時は1本ポールだったが、一人前にZパンタを装着している。モハ503は加南線を経て浅野川線に転出し、EB221と電気機関車に、しかもボギー車に化けている由。

1957年5月/1958年7月北陸鉄道その2」への1件のフィードバック

  1. 【北鉄その2】鯉ならぬ鯰の出現か。買収客車はチンプンカンプンである。
    サハ571は温泉電軌のデハ15が元の姿。片山津線に配属されていたので山代車庫火災の生き残りとなった。温電ホデハ15→北陸モハ841(加南線)→昭和28年3月鋼体化(北鉄工場)サハ571(小松線)。モハ501~503は木造車である。鋼製ボギー11.8mの1001~1002が松金線廃線(昭和30年11月15日)後、小松線に配置されてから500型の出番は少なくなった。その時503は加南線に移動して除雪車になっていた。
    【関西の電車・巡察の旅 その3】が遅延しているが、多忙で写真を探す間なく、やっと見つけプリントに出したので、近々公開となる。

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