▲ 14:35 復州湾ナロー鉄路五島運輸站路線にはもう1つのハイライトがありました。14基の橋脚に支えられた鉄橋です。本土側から海の中道へは1992年に建築された比較的新しいコンクリート橋でした。中国鉄路を撮影してきていつも戦前か中華人民共和国建国後かを判断する1つの基準として、鉄橋は戦前の日本統治下または列強各国が建築したもの、コンクリート橋は建国後だろうと思っています、そう考えるとこの鉄橋は日本統治下時代に大日本塩業㈱によって建築されたと思われます。ここまで塩田開発が進んでいたとは驚きです。今のように機械化はなかったでしょうから数千人もの作業員が塩の採取、製塩作業に従事していたのでしょうね。
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投稿者「ぶんしゅう旅日記」のアーカイブ
2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part5 復州湾塩田ナローを撮る その3
第3日目 10月12日 その2
10:26 食後は五島運輸站に戻りこれからの運行状況を聞きますが、まだ指示が来ていない様子で確認できません。
作業車編成を牽引していた06号機が単機で待っています。
▲ 10:35 撮影地① Google座標; 39.469295, 121.483682
ダイヤが分からずとあれば、仕方がありません、一路順風!さんが撮りたいが、今まで列車が来ず撮れなかったといわれる第5~7塩場への路線が俯瞰できる道路橋上に向かいました。道路脇に車を停めて、いつかは来るであろうソルトトレインをひたすら我慢の待ちです。
確かに第8塩場の海の中道を俯瞰できる小高い丘と同様に待つに値する絶景の撮影地です。強風を避けるために車の中でお昼寝しながら待機します。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part4 復州湾塩田ナローを撮る その2
▲ 8:27 塩田から採取された塩山が連なる横を第8塩場へと向かう作業車編成。今朝は青空が見えていますが、風が半端ではありません。日本に上陸した台風の影響をこんな離れたところでも受けて、風速20m以上はあります。塩の海も荒れて、塩田には珍しい波の花が舞っています。今日は強風との戦いになりそうです。
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「中朝鉄路 写真紀行」のご紹介
昨日、Amazonより予約しておいた1冊の本が届きました。
いつも訪中される時にはお誘いいただいております中国鉄路の第一人者の小竹直人先生の「中朝鉄路 写真紀行」です。
内容は題名の通り、日本統治下時代に中国と北朝鮮の間に架けられた国境の橋7本の紹介です。
長年に渡っての中国側から現地取材を重ねられた集大成が掲載されています。7本の鉄橋は1本、1本に分けて建設と目的、その後の経緯、そして現状が幅広い視点から書かれています。
取材旅行の何回かは私も同行させていただき、デジ青に掲載させていただきました。それだけに思い出すものが多く、一気に読み上げました。さすがプロです。私の掲載した記事とは一味も二味も違っての卓越したものがあって、また勉強になりました。
今年末からもご同行させていただき急激な変化を遂げていく中朝国境を結ぶ鉄路を訪問予定です。またご紹介させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part3 復州湾塩田ナローを撮る その1 五島運輸路線
【復州湾塩場ナロー鉄路・大連塩化集団 】
大連からは車で約2時間余り、北約90キロにある遼東半島西岸の復州湾一帯は、温帯大陸性季節風気候に属し、年平均気温は10℃、平均年間降雨量は687mm、年間日照時間は2600時間、年間無霜期間は190日です。冬は厳寒がなく、夏も酷暑がなく、古くから汚染なしの海にめぐまれて品質が高い塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。
日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業(大日本塩業㈱)の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
大日本塩業㈱は、天日製塩のために広大な塩田を造り、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道を敷設しました。最盛期には総延長約100キロにもなったそうです。機関車は当初からDLで今も改造を受けながら現役使用されています。小さな木造トロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part2 大連路面電車

大連は、日露戦争後の1905年、ポーツマス条約により日本の租借地である関東州に入りました。都市計画を進めるための路面電車建設については、南満州鉄道運輸部運輸課電気係が当初を担当しました。1909年9月25日に大桟橋(大栈桥)から電気遊園(电气游园)間、2.45キロ(DC750V、ゲージ1,435㎜)の路面軌道を開業したのが、大連路面電車(大连有轨电车)始まりです。
最初の電車は車体は米国製、台枠は英国製、電気部品はドイツ製と国際都市らしく、木造11車型電車37両が投入されました。会社名は、後に「満電鉄課」と改称され、1927年には営業路線も33.80キロに延伸、車両数も100数両となり、ピークを迎え市内ネットワークが完成しました。何度か替わった社名は、「大連都市交通」と再度改称されています。
2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part1 旅立ち 天津地下鉄、空港乗り入れなる
「復州湾の塩田ナローの金城・五島ともに、やはり国慶節明けが最も頻繁に走ることが判明しました。前回の事もあります。ぶんしゅうさんのサポートをさせていただけます。」
中国ナロー鉄路の第1人者であられます一路順風!さんが2度目の惨敗をするわけはありません。満を持しての訪問とあれば乗らないわけにはいきません、即決で決めました。
2014年 立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 ) 2年連続2回目の訪問
2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part14 北京⇒天津 帰国

▲ 今日は北京から天津に向かいますがルートとしては京津城际鉄路(北京南~天津、120キロ、33分)に乗車するのが一般的です。列車本数も多く、天津は在来線との併用站です。繁華街からは離れていますが、地鉄のネットワークが出来たので便利になりました。他にも上海への京沪高速鉄路(北京南~天津南、122キロ、36分)で途中下車する事も出来ます。また旧来の在来線(京山線)も時間を気にしなければ選択肢に入ります。ただ今日は北京西站すぐのホテルに宿泊しているので、北京南站まで地鉄で行こうとすると乗換2回があって50~60分は見ておかないといけません。荷物を持っての階段の上り下りの乗換は老人には辛いものがあります。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part13 北京市郊鉄S2線、和諧長城号、中国鉄路の父「詹天佑記念館」
▲ 2014年末には世界第2位(第1位は上海)の18路線総延長527キロに達しようとする北京地下鉄、初めて開業なったのは1969年10月1日の国慶節、复兴门~建国门16.1キロでした。中国では初めての地下鉄の誕生で、その後延伸工事が行われ、私が初めて訪中した1985年には上記の路線39.7キロが完成していました。今は1日約870万人の利用客を誇り、2015年には1,000万人を突破するであろうと言われていますが、当時は1日約10万人とわずかでした。まだ車内や町中には人民服を着た人を多く見かけました。
※ この路線図は車内に掲示されていたものです。
仕事で視察に訪れた際に案内していただいた地鉄職員からいただきました。今となっては貴重なものになりました。
左は当時の車両です。
2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part12 西安⇒北京 西安北站、中国高速鉄道の現状
▲ 今日は西安北からCRH(高速電車)に乗車して北京西に向かいます。赤線が乗車する高速鉄路の区間(営業距離:1,216キロ)です。
中国の高速鉄路は北京オリンピック直前の2008年8月1日に開業した京津城際鉄道(北京南~天津、116.907キロ)から始まりました。実質距離こそ違えてはいますが、日本の新幹線(東京~新大阪、515.4キロ)が東京オンピック直前の1964年10月1日に開業したのとよく似ています。
国家の威信をかけて建設されましたが、中国では大躍進の新規開業が相次ぎ、気が付けば10,000キロを超えて日本の新幹線(2,620.2キロ)の3倍を上回る距離で建設されています。今年中には4倍を越えようとしています。
なぜにこれほど計画通りスムーズに開業が相次いでいるのか、それは都市間移動短縮に伴う大きな経済効果があげられますが、中国では55もの少数民族を有しているがために日本とは違った事情があります。
最近では新疆ウィグル自治区に始まり、少数民族による反政府テロが発生しました。これを武力鎮圧するには短時間で大勢の軍隊を移動させなければなりません。外務省公式HPでは中国960k㎡、日本は38万k㎡と約25倍もの大差があって、もし有事があった場合には高速大量輸送が国策上で欠かせないためでもありました。
高速鉄路建設には最初に用地買収が必要ですが、土地は国の物であって使用権は認められているものの国策となれば転居は強制的に行われます。日本とは全く違った状況が早期の高速鉄路建設の前進を進めました。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part11 陝西歴史博物館、回民街グルメ
▲ 今日も西安の回民街でグルメウォッチングです。その中でも愛想と威勢が良かったのは炭火でゆっくりと鶏を焙るおばちゃまです。
焼け出した鶏から出た油がジュウジュウと音を立てて炭火に落ちます。その度に香ばしい煙が立ち上がり、鶏を燻していきます。美味さを増してコンガリと焼き色が付いたところで1本いただきました。パリパリとした皮と、ほどよく火が通った食感、そして味付けは抜群で、大変美味しくいただきました。
今回のPart11には、鉄分が含まれておりません。ご承知、ご了解の上、ご覧ください。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part10 西安地下鉄、西安北站、回民街
▲ 美しくライトアップされた高さ36mの西安鐘楼。外観上は3階建に見えますが、中から見ると2階建て。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の楼閣建築です。中国の都城ではでは鼓楼と対で造られることが多く、東に鐘楼、西に鼓楼を置き、早朝に鐘を鳴らし、夕べには鼓を撃って「晨鐘暮鼓(しんしょうぼこ)」と称したそうです。西安では明時代の約600年前に建築されました。晨鐘暮鼓とは、「悠揚たる鐘の音は新しい一年好運を運んでくる。仏教の中で更に鐘の音を聞くことは修行の智慧や煩悩を断つ「不二の法門」としている。」だ、そうです。
西安には世界遺産に登録されている兵馬俑をはじめとして多くの遺跡があります。古代から栄えた都で、かつては長安とも呼ばれ、平安京建設の際にはモデルとされました。今は京都と友好都市にもなっています。観光は以前に致しましたので、今回は久しぶりの街角散歩と2011年に開業した西安地下鉄と西安北站の見学です。
2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 9 西宁⇒西安 鉄路切符購入の現状 蘭新高速鉄道開業近し
当初は予定していなかった青藏鉄路の撮影は満足出来ましたが肝心の茶卡盐湖(チャカ塩湖)に走るナロー鉄路撮影は惨敗に終わりました。今日からは車窓と街角散歩を楽しみながらのゆっくり旅です。次の目的地は3度目の訪問となる西安です。
上の地図は西安までの軌跡です。西宁から兰州までの乗車はK622次、平均速度78.2km/h、表定速度80.9km/hで走破します。兰州からはK2630次に乗り継ぎます。山岳路線を行きますので、平均速度61.8km/h、表定速度65.1km/hとなっています。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 8 茶卡盐湖(チャカ湖)から西宁へ、雪域新天路「拉日鉄路」開業
▲ チベット高原の青海湖畔で地面に穴を掘って住まいにしているオオスナネズミ君。
地面の穴の中は、安全であるだけでなく、冬は暖かく、夏は涼しいので、快適に暮らせるのだそうです。体調は手のひらぐらいで、とっても可愛いのですが繁殖力がおおせいで、放牧されている草原の羊や牛のえさの草木を食い荒らしますので、嫌われ者です。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 7 青藏鉄路を撮る その2
2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 6 茶卡盐湖(チャカ塩湖)ナロー鉄路
2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 5 青藏鉄路を撮る 西宁から茶卡盐湖(チャカ塩湖)へ
▲ 16:14 撮影地 Google座標; 37.056087, 98.878856
長大編成の貨物を牽引、いくつものループを越えて進むHXD1C0780+HXD1C0781重連。海抜は3,434m、周囲の山々は4,000mを越えます。青藏鉄路ではまだまだ序盤の地ですが、急勾配が続いていました。
HXD1C型は、2009年にドイツシーメンス社からの技術導入を得て開発されました。国産化率90%強の高地対応型電気機関車です。軸配置Co+Co、出力7200kw、最高速度120km/h、ここ青藏鉄路に大量投入されています。
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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 4 ぶらっと夏都、西寧
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