元米坂線39685号関連の展示コーナー

さいたま市中央区役所(与野本町駅より約350m)に永年保存され近年解体された同機の関連展示コーナーです。同市浦和区在住のクモハ73106東ウラさんが早速訪問されたのでその様子を報告させていただきます。DRFC-OB会クローバー会のtsurukameさんの貴重なカラー写真も並べられております。

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異形式連結電車ー1ー

国鉄90系、後の101系以降の新性能電車は同一系列の車両で組成された長編成が基本であり、大手私鉄でも最近は8~10両(一部12両もある)の長編成が当たり前で中には中間に運転台のない固定編成も数多く見られる。ところで最近電車を撮影していると異なった形式で編成された列車を見ることがあり多少気にし始めた。特に鋼製車とステンレス車は異形式連結の典型であり編成美は崩れるがそれはそれで興味深いものがある。その一部を発表してみたい。なお、吊り掛けモーターの旧型電車の時代には元電動車を付随車化するなどして異形式を中間に挟んだり異形式電動車同士の編成も結構見られたがここでは新性能電車の異形式連結を中心にしたい。

まず、ステンレス車と鋼製車の連結である。小田急や名鉄等に数多く見られる。

2011.11.9 相模川橋梁を渡り厚木を通過する急行新宿行き5255~3559 5000形は既に消滅しており鋼製車は8000形が残っているだけである▼

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寒中北海道見聞録-半世紀前の旅 6号車

暖かい車内から北浜駅に降りると一段と寒さが身に沁みる。先ずはユースに向かうことにしました。今回の6号車はここからです。■ 寒い中のロケ

北浜付近(KAWANAKAの昔のアルバムの絵を流用)

ユースは原生花園YHという割と有名なユースらしいです(今は知りませんが)。また駅から近くまことに便利な立地です。ユースで一休みした後、数少ない列車を如何に効率よく多く撮るかということが大事やとなり、その結果、原動力を確保するために自転車を借りることになったのです。このことをペアレントのおばさんに言うと怪訝な顔をします。それでも小屋の中にあると教えてくれたのです。乗れるなら乗ってみろという感じでしょうか。呆れてものが言えんみたいです。雪の積もった中、小屋へ行ってみるとまともなのは1台きり。仕方ないので誰が乗る幸運を得るかということになりましたが、その幸運な人は西村氏に決まりました。結果論ではありますが断れば良かったのに。寒中の自転車はデジ青のネタにしかならなかったわけだからね。以下は西村氏の後悔の告白であります。

:::先ず、上りの貨物を1本撮って一旦ユースに引き返しました。何しろトーフツ湖は南極越冬隊訓練の場所に選ばれたくらいであるので、凄い寒さです。鼻毛は勿論、まつ毛(2号にもあったが眼の毛という意味)まで凍ってしまって息をすれば鼻の奥が痛く、瞬きをすると目がしょぼしょぼし、手袋も今回こそ何の役にも立たないのである。足は感覚がなくなっていく。次に下りの627レと上りの650D 、630Dを撮りに出たが最後の630レだけはどういう訳か小林センセはストーブの傍から動こうとされませんでした。なお断っておきますが写真は確かに北浜ですが2日にわたるロケのどちらの日の写真かは特定しません、悪しからず。ストーリーになりにくいので、イメージとしてご覧ください。

というわけで、自転車に乗ろう作戦は失敗になったのであります。その後、冬の北海道で自転車を走り回るというのは聞きたことはないですね。冬に行かれる皆様、参考になりましたでしょうか? 続きを読む

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -2-

昭和30年前後、前述のキハ10系に続いて、改良が加えられた新系列のDCが続々投入されることになります。当時の軽量客車の技術を採り入れて、車体断面を拡大の一般車として登場したのがキハ49000(のちのキハ20)でした。走行機器はキハ10系を踏襲しましたが、座席の構造や間隔も大幅に改善されて居住性が格段に向上しました。前回、キハ10系が前に停まれば“ハズレ”でしたが、キハ20系はその逆で“アタリ”でした。昭和32年に登場以来、キハ20系は、一般形DCの主力として、最終、昭和41年までに1126両が製造されることになります。日本一の積雪量を記録したこともある豪雪地帯の飯山線森宮野原付近を行くキハ20系(昭和47年2月)。

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凍える大地への旅 2016年 Part11 札幌市電を撮る その1

▲ 撮影日 1972年(昭和47年)9月6日 札幌の繁華街”すすきの”を行く札幌市電の834号連接車は、金魚鉢と呼ばれた阪神71形電車と同様の側面大型窓やパノラミックウインドーを採用した斬新な北欧調デザインの路面電車です。最近のスタイリッシュな低床式トラムと比べても遜色ない車両です。
私の最も大好きな車両でした。
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保存蒸機39685と山形の鉄道その一部

さいたま市は浦和、大宮、岩槻、与野の各市が合併してできた政令指定都市であるが、保存機39685が展示されていたのはさいたま市中央区役所で、ここは元の与野市役所である。撮影は2013年4月26日である。

正面アップ ▼

 

後方俯瞰 ▼

 

左横 雨ざらしの展示で機関車の荒れが目立つ ▼

 

説明板 ▼

 

なお、さいたま市にはデジ青投稿や撮影旅行等でお世話になっておりますクモハ73-106東ウラさんが浦和区にお住まいです。

ところで山形地方は関西からは本当に遠くて行き難い所であったが、新幹線ができて便利になり特に東京からは日帰り圏である。このためtsurukameさんの投稿へのコメントで山形方面に出かけることが多くなったことを申し上げたがこの場を借りて山形方面での若干の拙写を見ていただこうと思う。

2016.2.2 雪の日の今泉駅 山形鉄道(元国鉄長井線)荒砥行きYR883とJR米坂線米沢行き1130Dキハ110-224 ▼

 

2014.6.25 初夏の今泉駅 坂町行き1129D キハ112-201+キハ111-201 左後方の山には残雪が見られる 冬場はこの駅からさらに豪雪地帯に入る勇気がない▼

 

2014.6.25 左沢線羽前金沢付近を行く寒河江行き1337D キハ101-5+キハ101-11 ▼

 

デジタル青信号は鉄道情報発信の始発駅

デジ青のシリーズもの特番記事に、準特急さんの『保存機とその現役時代』があります。昨年12月で37回にもなる長編連載記事です。今回その関連記事に、準特急さん以外の筆者が無断で割り込みます。お許しください。

実は去る3月7日、デジ青の管理人・小西さんを通じて、筆者宛にこんなメールが届きました。
発信者は、さいたま市中央区役所・区民生活部総務課・防災総務係の I さんです。曰く『デジタル青信号37606号、人と鉄道と-沿線の人々-に掲載の蒸気機関車39685の写真を使わせていただけないでしょうか。都市合併前の旧与野市時代、1972年から市役所東側に同機が保存されていましたが、老朽化が進み危険でもあり、この程解体されました。ついては同機を偲び市役所内に、39685機の写真、それも現役時代の写真を掲示しようと企画中です。』

早速返信を送りました。『何の制約もなく、ご自由にお使いください』と。それと、指摘の画像は同機が玉川口駅に進入するカラー写真(下の画像)で、他に山中の走行カラー(次ページの画像)とモノクロ写真がありますよと、筆者のホームページを紹介し、拡大印刷用に画像データをCDに焼いて送りましょうかとメールしました。すぐに返信が到着、『こちらからは何もできないがいただいてよろしいでしょうか』とありましたので、3月11日データを送りました。近い内に展示されることでしょう。
▼デジ青37606号の記事(2013年7月21日)内から、39685機の画像を再掲載します。

 

 

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 明日から 新しい阪急・嵐電西院駅

京都の西大路四条交差点、西院で、阪急西院駅の新改札口2ヵ所が完成、嵐電西院駅もホームが移設され、明日25日から供用が開始されます。今まで西大路四条西南角にしか改札口の無かった阪急駅では、河原町方面ホーム東端に北改札口が新設され、四条通の北側に移設された嵐電駅の嵐山方面ホームに接続されます。また梅田方面ホーム東端にも、南改札口が新設され、嵐電駅の四条大宮方面ホームと接続されます。

これにより、交差点を渡って徒歩連絡を強いられていた阪急・嵐電接続が、梅田方面から嵐山方面へ、逆の嵐山方面から梅田方面への乗り換えが直結され、円滑に移動できるようになりました。
四条通の北側、ビルの壁面に移設された嵐電嵐山方面ホーム、このビル用地は、もともと嵐電のもので、マンション「ランフォート西院」を建設、地下部を改札口とした。

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寒中北海道見聞録 半世紀前の旅ー5号車

■尺別鉄道へ(迷い込む)行きはよいよい、帰りは・・・

心地良い眠りの中、列車はひたすら釧路に向かって走り続けます。池田を過ぎると3人とも目を覚まし寝台もたたまれた所で早速今日どうするかの予定の相談です。あと30分もすれば尺別に着くのですが、まあ「出たとこ勝負で行こか」と始めた旅であるにしても至極ええ加減なことをしています。相談内容は次の2つからどちらを選択するか、その意思決定をしようというのです。

  • ・ このまま乗って釧路へ行くか
  • ・ 折角なので尺別鉄道へ行くか

尺別鉄道はれっきとした地方鉄道であるが時刻表にも載らず地方鉄道の権威藤本大先生でも訪れたことがないような全く状況が分からない点が問題でした。釧路へ行くとしたら議論が纏まらないうちに降りるチャンスを逃した、というか成行に従った結果ということになるでしょう。議論の結果は折角ここまで来たのだからこの際行っておこうということになって尺別に降り立ちました。とんでもないことになってしまいそうであったとは露知らず・・。

 

尺別に到着
駅員もこの時代には居ります。まだ、尺別が元気な頃。

改札口まで来ると駅員が「汽車ですか?」と言うではありませんか。驚いた小林氏が「そうです」と返事をすると、その駅員「そこに止まっているバスにお乗りなさい」と言うではありませんか。その言葉に従って我々3人は少し不安を感じつつもバスに乗り込んだのです。バスには新聞や荷物が積まれていて車掌などという気の利いた乗務員がいないボロボロのバスは走り出しました。

尺別鉄道を左に見ながら約20分で車庫のある新尺別に着きました。新何々とかというと、何か最近出来たモダンな駅か何かのようであるが、尺別があるので新尺別位かなあの感じである。さて運転手に料金を聞くと「さあ・・・、いらんでしょう」という返事。想定外のことに驚きながらバスを後にしました。※今にして(編集時点)思えば、何でこのバスをもう少しちゃんと記録し、写真を撮っておかなかったんか、と後悔しきりです。得てしてこんなもんなのでしょうが・・。 続きを読む