【90655】デゴイチで「これは走りませんでした。」が走った。

 11月におこなった「デゴイチ」さよなら運転で「これは動きませんでした。」の怪しい内燃動車が動くようになりました。証拠に動いている動画を掲載します。掲載する方法は鉄鈍爺さんから伝授していただきました。

お粗末さまでした。

 


【90692】阪急803

デカンショまつり号さんのお宝第1号阪急974、853についてその現役時代の姿がまだどなたからも発表されておらず私も探してみたが見つからなかった。大変申し訳ないが853(制御車)の相棒である803(制御電動車)の姿でご勘弁願いたい。何れも神戸線芦屋川-夙川間で撮影したもので各駅停車(普通)である。

1968.04.04 桜の時期であるがまだ満開ではないようだ。大阪梅田行き2両目が853である。3両目が906、4両目916、最後の2両は920形▼ 記事の続きを読む


【90508】2017年晩秋の中国路 Part1 旅立ち、山口線へ その1


TVを見ていると各地で紅葉のたよりが寄せられています。ボチボチ引きこもり生活からは脱却しなければ身体が鈍ってしまうと鉄ちゃん魂が蘇ってきました。
丁度定年まで勤めた会社の創立69周年パーティの招待状が来ています。場所は宝塚のホテルで西へ向かうにはいい位置です。車で行って翌日から西方を目指そうとなりました。

第1日目 11月18日
目的地は8月も訪問した山口線です。その時はご一緒させていただいた山室さんのお勧めで徳佐へ行きましたが、11月27日にはC571号機D51200号機との重連走行が演じられるとお聞きしました。今まで鉄ちゃんが殺到するイベントは好まず、避けてきましたが家庭環境も変わってきましたので、避けてばかりではいけないかなと思いだしました。山口線の撮影に熟達、デジ青のトップページを飾ってくれています893‐2さんにお聞きしますと、また行かれるようでしたので何回もいかれています893‐2さんにご同行させていただくことをお願いしました。
ただ、27日までは日数があります。紅葉の三江線にはまだ行っていません。三江線が迎えている最後の秋を見なければいけません。SLやまぐち号の重連走行を1週間待つ間にじっくりと行ってみる事にしました。
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【90669】会費納入しました

今日の朝、クローバー会から封書が届いた。開けると懐かしいガリ版刷りの「青信号第1号」とクリアホルダーが出てきた。会費の振込用紙も入っている。

「青信号」は第一号の復刻版らしい。正確にはガリ版刷りではなかったが、開けてビックリ!読めない!!なにやらハングルでもなし、梵字でもなし。でも懐かしい諸先輩の名前があるので後で解読することにした。クリアホルダーはいくらあってもありがたいモノ。大切に使わせていただくとして、早速会費を送金しに郵便局へ行った。5000円を渡すと振込票を機械に入れていたが受け取りを出してくれた。今は手書きで処理はしないのでまたビックリ!「ありがとうございます」と言って澄ましているので「あのー手数料は?」と聞くと「受取人が支払うのでタダです」これにまたビックリ!年額2000円に上げた(これでも安いと思う)が、三年前払いだと6000円を5000円に値引きして、さらに送金手数料まで負担していただけるとは会員冥利に尽きるワイ、と感謝しながら帰途についた。

つくづく考えるに、世間的に70才を超えると活発な交友関係を持っているかどうかでその後の人生・健康が違ってくるそうだ。つまり、煩わしい利害や憎悪の交錯する付き合いではなく、趣味を中心にした気心の知れた交友関係は心身ともにいいそうである。であれば5000円の会費はなお安く思えてくる。
こう書けば20代、30代、40代の諸君は「なにを年寄り臭い!」と笑うだろうが、あと20年、30年、40年すれば諸君全員が年寄りになるのだ。そのとき会費を払い続けたことのありがたさに涙を流すこと間違いなしだ。この5000円は、会費ではなく健康(介護)保険の掛け金だと思って間違いがない!

「青信号第1号」に名前を連ねておられる大先輩が、そのとき以上の熱心さで今もデジ青に投稿されている有様は、デジ青健康(介護)保険説を証明するモノではないか?
どうか、若い会員諸氏も会費を払い続けるとともに投稿もしていただきたいと思う。

新しい役員諸氏におかれましては誠にご苦労なことと拝察しますが、介護費用の削減と、孤独な老人を一人でも減らすためにご助力をお願いして感謝の言葉とさせていただく。


【90641】こんなん、出てきました。昭和43年の上田丸子電鉄時刻表

 お堀の電車でデジ青が盛り上がってますが、信州上田城のお堀を走っていた頃の時刻表があります。それは昭和43年4月1日一部改補と書かれた時刻表です。

なんで、この時刻表があるかというと高校のクラブで信州へ行った時に別所温泉に行ったからです。温泉に入浴するためでなく、ここには全国で1つしかない木造八角三重塔があるからです。そして長野県で最初に国宝になっています。(昭和27年に指定)ということで丸窓電車は乗りましたが、お堀電車は乗らなかったのです。

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【90633】阪急「974」と「853」

阪急の「974」と「853」のガラクタです。

「974」は、名車920系の6次車で、1948年5月川崎車輛製の943~947 973~977の10両のうちの1両で、京阪神急行として戦後最初に投入された新製車です。ただ、資材調達の制約から、名目上ながら、戦災復旧もしくは、更新となっており、「974」は、京阪807となっています。末期には、944+969+939+974で組成され神戸線の支線伊丹線で活躍していたようです。

「853」は、当初700形として、1949年8月ナニワ工機で、700~704、750~754の10両が新製されたうちの1両で、ほどなく800形と改番されました。「853」は、1950年に開催されたアメリカ博覧会のPRのため、クリームとブルーの塗分けに塗装されたようです。末期には、803+967+937+853で組成され宝塚線の支線、箕面線で活躍していたようです。

「974」と「853」の阪急社紋を比べてみると、神戸の市章違いがあるのがわかります。


【90622】阪急京都線ファンだった、故羽村 宏先輩を偲んで

準特急さんの力作編『豪快に走り去った阪急710形』を読んで、ふと、当会の先輩である、故羽村 宏さんの作品掲載誌のことを思い出しました。それは、『関西の鉄道』第20号(1989年1月20日発行)に、乙訓の老人が中心になり寄稿した故羽村 宏さんの作品と共に、羽村さんを偲ぶ一文であります。

また準特急さんが先述作品のコメント蘭で述べられています。ピク誌663臨時増刊号(1998年12月)の『特集阪急電鉄』に羽村さん他DRFCメンバー撮影の写真が掲載されていたと。そうすると都合3度目になるようですが、デジ青には初めてです。

故羽村 宏さんの作品と羽村さんを偲ぶ一文を、乙訓の老人の許可を得て投稿します。なお作品は原画でなく、一文と共に『関西の鉄道』誌面のコピーです。画質が多少粗いようです。また画像の傾きなどは修正しておりません。表記も誌の通りです。

▼710系712+762の特急 高槻市 1956(昭和31)年7月
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【90595】信州上田城のお濠と電車

準特急様のリクエストにお応えして若干古い写真ではありますが投稿致します。先般の【90506】愛電デハ3080が起点となって瀬戸電、お濠の電車に話が拡がりました。お濠の電車と言えば 準特急殿がご指摘のように六文銭で名高き真田の城 上田城のお濠を走っていた上田丸子電鉄も欠かすことはできません。とは申しましても、私が撮っていますのは廃線跡だけです。

平成12年7月30日撮影 旧公園前駅ホーム跡。けやき並木が美しい。

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【90573】今年は花電車走らず

カープがセ・リーグの2連覇を果たし、今年も優勝パレードが行われることは以前から公表されていました。昨年は運よく花電車(貨51号)とパレードのツーショットを撮ることができ、【77393】で報告させて頂きました。昨年は11月5日に実施されましたが、今年はなぜか11月25日と3週間も遅い実施となりました。今年もきっと花電車を走らせてくれるものと信じて、早起きしてイソイソと広島に向かいました。広電さんも昨年の反省からか、しっかりと準備されていました。

カープ女子たちに電車を案内する広電社員   広島駅前にて

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【90567】同志社EVE始まります!

いつもお世話になっております。現役生渉外担当です。

明日11/26㈰より、今出川校地の文化祭「同志社EVE」が始まります。当会も大教室にてブースを展開しております。
詳細は以下の通りです。

第142回同志社EVE【鉄道同好会ブース】
(場所)
良心館104教室
(日時)
11/26㈰ 10時30分~19時
11/27㈪ 10時30分~19時
11/28㈫ 10時30分~16時
(おもな内容)
写真コンテスト,鉄道模型展示,プラレール展示,旅行班展示
また、会誌「青信号」最新刊74号も販売しております。

皆さまのお越しを現役生一同お待ちしております。
写真は昨年の様子です。


【90553】札幌市路面ディーゼルカー

湖畔の老人氏から札幌市交通局路面ディーゼルカーの写真が出た。電車なら出る幕はないが、事ディーゼルカーとあらば、この須磨老人が黙っている訳には参るまい。この異端ともいうべき一連のディーゼルカーに関しては、意外に情報がない、或いは知られていない、という訳で勝手に力んで、鋭意以下講釈に及ぶ。

時は1958年―ほぼ60年前にさかのぼる。ともかく元気だった札幌市は、人口増加が激しいだけでなく意気盛んだった。1950年代後半以降急速な都市化―市域拡大で、特に札幌駅前から函館本線をオーバークロスし、北の琴似に向かう鉄北線が1952年から1964年にかけて新琴似駅前に延長され続けた。この延長区間を電化せず、ディーゼルカーを運行すれば、変電所の増備が不要で、架線も電柱もないから都市景観上も、いいことだらけとして発案されたのがこの路面ディーゼルカーであった。

1958年2月12日「工事方法変更」が申請され、従来の動力「電気」に「内燃機関」が付加された。ほぼ従前通りの車体床下に最大出力150PSの日野DS40を装着し、トルコン、逆転機を経て、片側台車の2軸を駆動する。空気ドラムブレーキ、空気バネ、暖房用にはウエバストを備える。

建設費での比較では、路線(複線)1km当たり、停留場5か所、車輌4輌として、ディーゼル動車は1輌1,000万円、電車950万円、架線750万円、変電所1,300万円が不要になる代わり、給油設備に15万円、車庫修理工場800万円、修理設備560万円を要す。ランニングコストでは電車1km当たり8円78銭、ディーゼルカー13円80銭と1.57倍、減価償却でも耐用年数が短いため電車に対し1.07倍である。何やかやでトータル電車1億2,000万円に対し、ディーゼルカーなら9,535万円で済む、初年度の収益および資本収支では、ディーゼルカーが2,639万1,000円有利との「皮算用」ではあった。

試作車D1001 1959年ごろ 西4丁目 榎 陽撮影 スカートが全長にある 記事の続きを読む