月別アーカイブ: 2021年4月
山科人間国宝、マルーンさん、IMUBUSEさんら 続々ご来場!
▲新緑が鮮やかになってきた高瀬川には野鳥も飛来する。今日は、サギがギャラリーの横に来て写真を見学(?)
京都・高瀬川畔の「京都市電写真展」、昨7日(水)から開いています。さすがに平日、まだ媒体での告知も少ないため、一般のご来場は少なく、大部分が顔馴染みの方ばかり。まったりとアノ話コノ話をしながら時は過ぎていきます。昨日はINUBUSEさんが、出張の途中にご来訪、居合わせた初対面の模型ファンの方とは一時間も話し込
む熱の入れよう、“つぎはマツモトへ行く”と行って去って行かれました。今日は、2階で弁当を食べていると、下から懐かしい声が聞こえてきます。そこに、あのマルーンさまのお顔が。勘秀峰さんと三人で話に花が咲いていました。会場からの窓辺の眺めを見て「逆瀬川より、高瀬川のほうがエエ」と誉めていただきました。そして、ひと息入れた頃に、なんと山科人間国宝ご夫妻がご来訪。奥さまからは「伺います」とは聞いていましたが、まさか人間国宝さまも来られるとは‥。会場はバリアフリー構造ではないため、苦労の末に会場に入っていただきました。“私が最初に好きになっ
たのは京都市電でした”と小学校の時、市電に乗って通学したこと、中学になると、市電+国鉄の定期を使うようになって、京都駅で撮影したことの思い出など聞かせていただきました。この時期だからこそ、メールやラインではなく、実際に会ってマスク越しの会話の楽しさを改めて思いました。
▲京都市電の時はまだ生まれていなかったと言う女性のお客様も熱心に見学。▲▲佐竹さんからは、小さい頃の京都市電の思い出をお聞きしました。
明日9日(金)は、クローバー会行事の見学会も予定しています。また皆さんとお会い出来ること、楽しみにしています。
闇鉄(2021年版、新ダイヤ)
鉄鈍爺(てつのろじい)です。
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今年のダイヤ改正で、EF66の仕業数が 34→31へと減少しました。
その内、京都駅を通過する列車は通常運用で 10本、臨時 2本です。
しかも日中に走るのは 2本だけなので、EF65(原色狙い)も表に加えました。

京都市電写真展、7日(水)から開催します!
昭和の電車 改訂版(165)ー新京成8000系ー
懐かしの下津井電鉄
下津井電鉄は、かつて岡山県南部で運行されていたナローゲージの鉄道である。大正2年、1913年11月に味野町(後の児島)-茶屋町14.5キロが開業。大正3年、1914年3月味野町―下津井6.5キロが開業。昭和24年、1949年5月全線電化、昭和47年、1972年3月児島―茶屋町廃止。平成2年、1990年12月児島―下津井廃止、となっている。 続きを読む
保護中: 7日から、また京都市電展やります。
近くへ行こうよ! ちょっとついで撮り 桜とケーブルカー
ここ最近はどこかへ行くときにちっちゃいコンデジを持って行きます。これが結構よく撮れるのです。それで駅近くの郵便局に行く用事があったので、桜も咲いていることだし、保存されている東ケーブルカーとついで撮りをすることにしました。
2021年春 桜前線追っかけ旅 Part4 長良川鉄道を撮る その1
第1日目 3月30日
長良川鉄道にはかねてより見てみたい撮ってみたい、見事なしだれ桜が咲く駅があります。駅名は『大矢駅』、10日前には同じくしだれ桜を求めて天竜浜名湖鉄道に参りましたが満開は遅れ大雨強風になってくるために以降の撮影を諦めました。
次の訪問地、長良川鉄道にも電話を入れて開花状況を聞きますと大矢のしだれ桜は、まだ5分咲き程度ですと先週中頃に聞きました。家内の命日が過ぎる30日なら満開になっているだろうと旅支度を準備しました。天気予報も当分は快晴の春の日が続くようなので期待しての旅立ちでした。
▲ 自宅から大矢駅までは名神と東海北陸自動車道を乗り継いで約195㌔、所要時間は約2時間半と、そんなに遠くはありません。昨年秋には会津若松まで約700㌔を一気に行きましたので楽勝とは思いましたが油断は禁物、まずは安全最優先走行を心掛けることにしました。
簡単に朝食をとった7時過ぎに自宅を出発しましたが、朝のTVニュースでは大陸からの黄砂襲来予報が出ていました。名神は京都南ICから乗りましたが滋賀県に入ると空の色が天竜浜名湖鉄道に行った時と比べると遙かに違って真っ青とは言えません。
途中、養老SAで休憩をとって9時半過ぎには予定通りに大矢駅に到着です。期待を持ってホームに出ました。
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昭和の電車 改訂版(164)ー上信電鉄1000系ー
保護中: 大津の鉄道遺跡を訪ねる~クローバー会イベント報告
四国の鉄道
3月の終わり、某旅行会社がツアーで、国鉄復古塗装のキハ185と高松琴平電鉄に残る旧型電車120型+300型を走らせるのに合わせ、香川~徳島周辺でJR四国と高松琴平電鉄の撮影行を敢行した。
3月27日、309D徳島行き、勝瑞―池谷
四国のキハ47とキハ40は、もともと小世帯だったが近年数を減らし21両しかない。運用も朝晩に限られているが、車体の内外装は比較的原型を留めており、エンジンも国鉄時代からのDMF15系列のままで深い味わいを残している。 続きを読む
湯口さん、米手さんの写真に 感謝の言葉を頂きました
デジ青に掲載された写真が、思わぬところで社会に役立っていることは、以前に「伝言板」で“社会に貢献デジ青写真”として、私の仲介例として3回にわたって紹介しました。そのうち2月9日付の①では、埼玉県の大森一史さんが著わされた「参宮線六軒駅構内列車脱線転覆事故 機関車乗務員無実の証明」に、デジ青に掲載された、亀山機関
区に裁判証拠物件として置かれていた、湯口徹さん、米手さん撮影の六軒事故機C51の写真(左)が掲載されたことを記しました。その大森さんから先日、一度お会いしたいと連絡があり、新たな調査研究で九州へ行かれ、埼玉へ戻られる途中に京都で下車していただき、本日午前にお会いしてきました。
大森さんは、私と同じ生まれ年の70歳で、東武鉄道東上線の運輸運転部門ひと筋に来られた方です。修学旅行の途中に事故で犠牲になった東京教育大学付属坂戸高校の慰霊碑に、偶然に出会います。事故は、下り快速の前補機C51203の機関士の信号見落としが原因と結審し、機関士は禁固刑に服し、その後亡くなられ、言わば、動かすことのできない過去の歴史に疑念を持ち、事故の真相を究めたいと、事故現場の六軒はじめ、三重県下の各地を実に20回に渡って調査、取材されました。事故の当事者は、ほとんど物故されていて、墓碑銘を調べるため、墓をひとつひとつ調査されたり、事故当時の出発信号の見え方を検証するため、事故と同じ日、同じ時刻に現場に立つなど、たいへんなご苦労をされて、著書をまとめられました。
本日、大森さんにお会いして話を聞くなかで、単に文字で著わすだけでなく、湯口さん、米手さんが撮られた事故機の現役時代や、亀山に置かれていた事故後の写真が、本書の重要な訴求となったと力説されました。デジ青のなかで、お二人の写真を見つけたときは、感動で震えが止まらなかった、この写真で本ができる確信を持ったと言われます。改めて、写真の持つチカラを思うとともに、貴重な写真を投稿してたいただいたお二人に対して、感謝の言葉を申し上げます。




