どですかでん氏から鋭い突っ込みが。元来鉄道聯隊では、100式車は鉄路上で97式貨車を5輌牽引して時速30~40kmで走行できるとしていた。そのためピンリンク連結器が装着されていたが、大阪駅の100式は、保線区が使うため固定連結器が装着されている。これはあちこちに山ほどいた貨車移動機が装着していた、相手が自連でないと連結できない、肘が動かない代物である。なおトロッコ牽引の為、その下部に通常連結器を持たない路面電車が、故障や回送時牽引するための簡易なピンと両端を平たく潰して穴をあけた鋼棒=連結棒と同様なもので連結できるように改造していた。

最初と最後のED38
米手様が紹介された金網越しのED384を拝見して、私もED38に出会っていたことを思い出しました。最初の出会いは1970年(昭和45年)4月 秩父鉄道秩父駅でした。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -10-
飯田線(1) A地点:沢渡駅
地図シリーズ、今回は趣向を変えて、蒸機区間をやめて、電車・電機の走っていた飯田線に移ります。飯田線が前身の四つの私鉄をつないで全通してから80周年を迎えたとのこと、鉄道雑誌の記事特集を見て初めて知りました。飯田線はかつて旧型電機・国電の宝庫として注目されましたが、それが終わると、あまり顧みられない線区となりました。改めてチェックしてみると、私も過去4回、飯田線に行っていますが、“撮りっぱなし”の典型で、ほとんど振り返ることもなくネガは眠ったままでした。今回、80周年を迎えて、自分なりに過去の思い出を掘り返してみたいと思った次第です。
▲辰野から乗って12番目の駅、沢渡で待望のED19の牽く貨物列車と交換した。キロポストは190を示すが、実際の営業距離は173.4キロ、たび重なる渓谷区間の路線改良・短縮に対応していないようだ。
たーちゃんの電車めぐりに寄せて
たーちゃんの電車めぐりシリーズは思わぬビッグヒットになりそうですが、阪和線の項で河昭一郎様より「電車はないのか?」「ED38は?」とのご質問がありました。また、大阪駅の西の端にEF52が捨て子されていた、などの書き込みがありましたが私にも少々写真があります。でも毎度のことでひどい物です。どなたかいい写真を出展されるまでのツナギ、時間稼ぎとして見て頂けたら幸いです。
大阪駅の100式鉄道牽引車
乙訓ご老人が、大阪駅北西にEF52が常に1輌待機していたことを記しておられる。お待ちなされ、そのそばに旧鉄道聯隊の100式鉄道牽引車もいたのをご記憶であろう。それともそんな代物に興味はなかった?

この車輌は陸軍が将来対ソ聯戦に備え、1524mmから1435、1067、1000mm各軌間に対応する、今でいう「軌陸車」として、通常の軍用貨物自動車(陸軍では「貨車」と称した)をベースに設計したものである。路面を走行する時は荷台サイドのゴムタイヤを鉄輪の外側に装着し、鉄路上では路面用タイヤより直径の小さい鉄輪で走行する。その着脱時は車端4か所にあるジャッキで車体を持ち上げるのだが、それが油圧かと思いきや、何と手回しウォームギヤなので、陸路⇔鉄路の切り替え(「転路」という)は、踏切を利用しても優に30分以上要したとは、かつて鉄道聯隊に居られた故田中鎈市氏から教わった。蛇足だが現在自衛隊が保管している100式鉄道牽引車の説明板には、数分で転路可能とある由だが、とんでもない。
なおこの車輌はいすゞ空冷ディーゼル機関搭載で、陸軍では戦車が全部空冷だった。満州や北支では寒冷時の始動に苦労し、待機時オイルパンの下で練炭や木炭を焚き続けたそうだが、この100式の現実の活躍は、皮肉にも大方が1000mm軌間のマレーシアやタイで、逆に機関のオーバーヒートに悩まされたと聞いた。
敗戦後国鉄の保線区や機械軌道区に何輌かが再起し、大阪もその内である。敗戦時のドサクサに横領されたものも少なからずあり、西武農業鉄道や菊池電気軌道(変電所が空襲で焼失し、陸軍が放棄していた100式車を4~5輌?横領して緊急避難的に旅客輸送に充当。後上熊本線建設にも)などが知られているが、常磐線沿線の炭鉱でも要員輸送車に使っていて、ファン撮影の写真が残る。正式に譲り受けたわけでない「横領」だから、かような車輌は設計認可が受けられないのである。事のついでに記せば「100式」とは皇紀2600年(1940年)に制式化されたことの陸軍式表示で、同じ年でも海軍ならゼロ戦の如く「零式」となる。
めでたいでんしゃのうちわとパンフ
先頃の関三平先生の加太線の記事に思い出し、引っ張り出しました。
昨年の夏、東京から帰ってきた大学生の孫と和歌山の加太港に魚料理を食べに行きました。南海加太線の加太駅に降り立つと、地元観光協会の人がうちわとパンフを配っていました。そのうちわで扇ぎながら、道々ソフトクリームを舐めたり、パンフ記載の店々に首を突っ込んでは冷やかして歩き、淡嶋神社近所の料理屋で海鮮料理と生ビールを堪能しました。
で帰り、再び加太駅でピンク色の電車はいつ来るのかと探しましたが、生憎時間が合いません。和歌山市駅で見れるかと思いきや、留置線にいて、しかも隣の留置電車の陰になり、結局写真は撮れずに帰りました。従い電車の写真はありません。今年の運転時間は昨年と変更になり回数も増えているようです。南海電車のHPでご覧ください。
それに、10月から今度はブルーの電車が登場するそうです。通信員はお彼岸に高野山に登る予定ですが、登場よりも早すぎる日程で、またまた撮影できそうにありません。どなたか撮影し投稿して頂ければ嬉しいです。
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◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑥和歌山の国鉄瞥見
“た~ちゃん”の和歌山の電車めぐりは、前回で終わりましたが、渡されたアルバムには、最後に国鉄の写真が貼られていました。電車めぐりの際に、和歌山周辺で写されたものです。ご本人は、“行きがけの駄賃”の撮影のつもりでしょうが、国鉄車両に興味を示す私の立場からは、電車もさることながら、アルバムの最終ページに大きな価値を見出しました。おもに写されたのは東和歌山(昭和43年に「和歌山」に改称)で、戦前から電化済みの阪和線(阪和電鉄)の終点であり、そこから続く紀勢西線は、全くの非電化区間であり、電機と蒸機が出会う駅でもありました。
△国産初の大型電気機関車として名高いEF52のトップナンバー機が東和歌山駅に顔を見せる。特徴あるデッキが白く塗られて、さらに大きく見える。
関先生を囲んでの懇談会ご報告
昨日デジ青でおなじみの「昭和の電車」シリーズの作者、関三平先生を囲んでの懇談会が開かれました。先生はデジ青をご覧になっておられ、昨年、米手作市さんに手紙を出されたのがきっかけで、昨年三月に初めてお会いした後、折々にお手紙や、貴重なご本、原画などを頂き、お付き合いをさせて頂いています。昨日は残暑の中、冷たいビールでも飲みながらお話をお伺いしたいという我々のお願いに快く応じていただき、1年半ぶりの再会となりました。「昭和の電車」シリーズでカラー写真もない時代の車両にどのように色を付けられるのか、どんなきっかけで連載を始められるようになったのか等、興味深いお話をお伺いすることができました。また、今年11月の総会で講演をお願いしたところ、こちらも快く応じていただきました。先生のユーモアあふれるお話しを聞きに、ぜひ多数の皆様が参加されることをお待ちしています。
昨日は、お忙しい中おいで頂きありがとうございました。また、ご本や原画もたくさんいただきありがとうございました。いただいたご本と原画は、お預かりしていますのでご覧になりたい方は事務局までご連絡ください。
◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑤野上電鉄 その後
昭和30年代の野上電鉄の訪問は、前回紹介どおりですが、一昨日、廃止直前の野上電鉄を写したL版アルバムが送られてきました。野上電鉄は、ご承知のように1994(平成6)年4月に廃止されていますが、“た~ちゃん”は、廃止前にも数回にわたって訪問しており、現役時代の野上との比較のために、ぜひ掲載してほしいと送られてきたのでした。
私も廃止前に訪れています。ところが、廃止をめぐって、労使の対立があったり、社員間でも考えの相違があったりして、現場には張り詰めた空気がありました。その矛先が撮影者に向けられ、駅でカメラを持っているだけで制止されたり、車内でカメラを取り出すと運転士が怒鳴りに来たりと、すさんだ空気が流れていて、私自身は野上への思い出は封印していました。しかしそこは、決して喧嘩をしない、人間のできた“た~ちゃん”、事務所の呼び出しにも誠実に対応し、沿線の子どもたちとは、野上廃止について、話し合い、友好的な訪問を果たします。ホントに電車が好きな“た~ちゃん”らしい、野上電鉄との別れ方でした。
△ 日方車庫に集結した廃止前の車両たち、これを撮っていたら、事務所から呼び出しが掛かった。
梅小路公園新駅工事の現況
JR西日本が京都市内に造る新駅、「梅小路公園駅」(仮称)新設工事がいよいよ佳境に入ります。平成31年春開業を目指して進む新駅工事ですが、駅本体が姿を現しそうです。
夏の初めから梅小路公園の入り口をほぼ封鎖してなにやら鉄骨を組んでいましたが、こんな物ができあがりました。
◆ た~ちゃんの電車めぐり ④野上電鉄
和歌山紀行、続けます。“た~ちゃん”は現役時代、昭和32年12月、同35年3月の2回、和歌山を訪れています。2回とも、和歌山市内線を撮影・乗車のあと、市内線の終点
近くにある野上電鉄日方駅を訪れています。車庫も隣接していて、事務所を訪れると、30歳代の車両課長に応対してもらい、いろいろな話をしてもらったと述懐しています。中小私鉄ならではの悲哀も聞き、この時の会話が、全国の中小私鉄に目を向けるきっかけになったと言っています。
野上電鉄と言えば、廃止直前の姿しか知らない私など、阪神・富山地鉄から来た小型車という印象が強いのですが、それらが入線する以前で、10両の電車が在籍していました。
△ 和歌山市内線の「野上電車前」で下車、目指す野上電鉄の駅・車庫はすぐだった。
三江線あと7ケ月(続報)
昨日アップしたと思ったら、もう翌日に詳しい記事が載りましたのでご紹介します。大きい紙面のためA4サイズに入らず、2分割となりましたが悪しからず。
但し これだけの情報ではまだ具体的なことがわかりませんが、三江線と同じルートで三次・江津間を乗り通そうとすると4,5回乗換えることになりそうです。乗り通せるのかもわかりません。予約制であったり、定員が少なかったりで、ある日思い立って出かけてみると、運休日だったり、定員オーバーだったりと足止めを食らうことにもなりそうですね。いずれにせよ過疎地旅行をするには市販の時刻表は全く役に立たず、曜日や休校日を確かめ、各市町村のホームページでコミュニティバスの時刻やルート、定員を調べ、予約してから現地に向かう時代がやってきそうです。
2017年6月ほか神戸
yuguchi様の神戸市街の俯瞰写真は大丸からだったのですね。相当高いところからの撮影と想像していましたが、意外でした。
ほとんどが低層の建物ばかりなので余計にそう思えたのでしょう。よく考えると南からこの方面を望めば大丸が写りこむはずでした、、、

ポートタワーからの写真がありました。ビルの隙間に一応線路が写っています。2009年に神戸で新型インフルエンザが発生、かなりの騒ぎでしたが、落ち着いてからの観光キャンペーンで確か入場無料でした。
半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(2)天神下-鷹取
国道2号線、須磨駅前を東に向け出発。間もなく綱敷天満宮の天神下です。
▼ここに架かる天神橋で山陽本線を跨ぎます。2017.7.22撮影
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三江線もあと7ケ月
来春の廃止を控え 代替バスのルートや事業者選定などの協議が進んでいるようです。しかしまだ全貌はよくわからない状況です。いつものように中国新聞記事から拾ってみました。
カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-によせて
はじめまして。88年度生の「こぱんだの保護者」こと山本 晃司です。
昨年の総会で「子連れ鉄日記台湾編」を僭越ながら発表いたしました。
ORFC-OB デジタル青信号 に投稿を…といわれていたのですが、サボっておりました。
8月26日の記事で「カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-」キハ58系「きのくに」の写真がありました。1972年とあまり変わらないということに逆に驚きました。
2017年8月31日のほぼ同一地点の写真をお粗末ながらご紹介いたします。
岩代-南部間のお立ち台ですが、走ってくる役者も287系がメインとなりました。
8月5日から運転開始した「パンダくろしお」です。
何とも言えない表情をしています。
加太電鉄デニホ10号・51号
昔々のことー京都市電②
「家人からの終活圧力」にお悩みの須磨の大兄にもおとらず、小生も「訪問介護士」の執拗な圧力に苦しんでいます。
最初は親切ごかしに「いかがですか? 最初は少し詰めて投稿して慣れないと、やり方を忘れてしまいます。 どんな話題でも練習だと割り切って投稿して下さい。」と優しいメールでしたが、黙殺していると段々口調が厳しくなり、「わざわざ教えに行ったんたやから、サッサとやらんかい!」的な脅迫口調になってきました。
(奨学金の返済をサボっていたころ、最初は手紙で「次代の後輩のためにちゃんと返しましょうね」的なものが、それでもサボっていると段々エスカレートして、最後の最後は「法的手段に訴えるぞ」になっていったのとそっくりです。最終的に私は全部返済しましたよ!為念)
その圧力をかわすため、不本意ながら(あまりにも小生の写真のレベルが低すぎるのに気づいて投稿を躊躇していました)京都市電の②をご笑覧ください。

京都駅前(烏丸線、河原町線、東山線のターミナル)、西を向いて。
左手奥は中央郵便局、真ん中奥は下京区役所 続きを読む
犬見鉱山での加悦C160
夏の思い出 2017-4 ある駅を訪ねる
8月もあと1日で終わります。私も、夏の思い出づくりに、ささやかな旅をして来ました。
以前、デジ青で海水浴の話題がありました。米手さんのコメント「満員の列車に揺られて、若狭・丹後へ海水浴に行ったもんや」で、思い出したことがありました。小学生の3、4年、昭和33、34年です。家族で海水浴へ行きました。米手さんのように乗っ
た列車は超満員でした。小学校高学年になると臨海学校が開かれますが、その学年に達する前の齢で、初めての泊りがけの海水浴でした。泳ぎ疲れた夕方、民宿の開け放した窓の向こうを、DC列車が紫煙を上げて通り過ぎるのを、ぼんやり見ていました。
米手さんのコメントで、なぜか“その場所へ行ってみたい”と言う思いに駆られました。 そう思う理由は、もうひとつありました。その近くに、鉱山へ向かう専用線があって今も廃線跡が残っていると聞きます。二つの理由から、ある日、ある駅に降り立ちました。
▲ある駅に近づいて来た。







