第10日目 8月11日
昨夜はインドネシアのシュガートレイン撮影の打ち上げでした。落花生さんとはこれでお別れです。我々は今日の飛行機でスラバヤからシンガポールでトランジットしてバンコクへと移動します。
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第10日目 8月11日
昨夜はインドネシアのシュガートレイン撮影の打ち上げでした。落花生さんとはこれでお別れです。我々は今日の飛行機でスラバヤからシンガポールでトランジットしてバンコクへと移動します。
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47都道府県のうち今まで一度も足を踏み入れたことがなかったのが沖縄県です。最大の理由は生きた鉄道が無かったためです。今回 別の目的で初めて沖縄県を訪れたついでに、かつての鉄道の名残を探してきました。沖縄にあった鉄道は、大正3年5月に開業した「沖縄電気軌道」と同じく大正3年12月に開業した「沖縄県鉄道」です。沖縄電軌は昭和8年8月にバスとの競争に敗れて廃止されています。一方の県鉄は 那覇を起点に与那原(よなばる)線、糸満線、嘉手納(かでな)線の3路線を有して県南部の主要な交通機関として機能していましたが、終戦直前のすさまじい艦砲射撃や空襲、地上戦などで壊滅し、戦後復興されることはありませんでした。この他にもサトウキビ輸送のための馬車軌道やトロッコ軌道もあったようです。そして平成15年8月の沖縄都市モノレールの開業まで 約60年近く鉄道のない時代が続きました。ただモノレールは鉄道であって鉄道ではないというイメージが強いのですが、ここでは鉄道として扱うことにします。
1.両備軽便鉄道 4号機のなれの果て
今回の沖縄鉄道探訪の最大目的はこの機関車に逢うことでした。かつて地元広島県下福山・府中間の両備軽便鉄道時代に4号機として活躍していたドイツ ヘンシェル製の蒸機の下回りだけが 那覇市内の公園にひっそりと保存されているのを見ないわけにはゆきません。
カープ優勝を祝って花電車に仕立てた貨51号が広島市内を走り始めました。10月1日の中国新聞記事です。
雨の日にも運行されるかどうかはわかりませんが、運転台上にはビニールテントの簡易屋根があり、前面には透明プラ板の風防もあり少々の雨でも運転士が濡れる心配はありません。運行期間は未定となっていますが、12日から広島で始まるCS6連戦でカープが見事優勝すれば、22日からの日本シリーズ期間中も走るのは間違いありません。椋田社長からのお手紙には「戦後復興のシンボルとして、弊社とカープはともに戦後の広島の歴史を歩んでまいりました。第3代伊藤社長がカープ球団の創設に尽力するなど、長年にわたりカープとは深い絆で結ばれており ・・中略・・ カープの51番を背負い目覚ましい活躍を続けている鈴木誠也選手同様、貨51号にも輝かしい活躍の場を与えてやりたいと考えています」とのうれしい一節もありました。まずはCSを乗り切り 次は日本一になって11月に入っても51号が広島の街を駆け巡ることができるよう カープの一層のがんばりを期待しているところです。改めて広島に取材に出向き、報告したいと思います。
ここ1週間 旅に出ておりましたのでお知らせが遅くなりましたが、三江線の廃止、バスへの転換は少し先延ばしされ 平成30年(2018年)3月末として廃止届が出されました。中国新聞記事を転載します。
元東急5000形改造の両運車5101Aと5102Aの後継として銀座線の01-136,01-636と01-135,01-635の2両編成2本が2015年3月16日と2016年3月1日に入線しています。
その2編成の内2015年入線の01-136,01-636の編成が「くまモンの電車」として2016年6月から上熊本、北熊本間で運行されています。
上熊本駅に向かう01-636です。入線後に大きなスカートが取り付けられ印象が少し変わっています。

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長ったらしい表題であるが、内容は二題あって別のものである。一つは2016.9.17付けデジ青[75248]関三平先生の貴賓車「京王電軌500号」を紹介された米手作市さんにその成れの果てらしき車両があることをコメントで申しあげたところ発表するように言われ用意した次第である。もう一つは同じく関先生のシリーズで京王帝都5000系が紹介された時、地方私鉄へ譲渡された姿を16.6.26付けデジ青[73063]および16.7.15付けデジ青[73443]で紹介したが、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車に使用されている車両と今年になって活動を始めた京王→伊予鉄→銚子の遍歴を持つ銚子電鉄初の京王5000系車両を紹介できなかったので追加発表を行う。
まず、NHKブラタモリの高尾山をご覧になった米手作市さんから頂いた宿題の車両であるが、京王電軌貴賓車500号は1931年(昭和6年)雨宮製作所で半鋼製14m車両として製造され御陵線で使われる予定であった。以下は鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号NO734の合葉清治さんの「京王中形車の思い出」の中にある貴賓車に関する記述で、「御陵線開通後いくらも経たないうちに省線東浅川駅ができたので、皇族方の利用は一度もないまま1938年(昭和13年)に格下げされて一般車として使用された。この車両は1形式1車両で罹災(1945年5月の空襲)したため、原形は残っていない。日本車両東京支店で復旧して番号だけは残っていた。」とある。また、保育社カラーブックス「京王帝都」の著者合葉博治さんはその中で次のように述べておられる。「(大東急から分離独立して)京王帝都となった1年後の昭和24年5月、京王線に日車東京支店から7両の更新車が搬入。被災車の台枠を流用、14m化、京王初の全室仕切り運転台。車号も原番を踏襲、元貴賓車の2500の他、2501、2502、2205、2304、2305と両運転台車2407とされた。台車、主電動機は手入れ復旧、制御器は新製ながらHL、空制は京王初の自動ブレーキAMM、警笛はAW5型タイフォンを装備。のち全車が混成スモールT車とされ、昇圧後まで活躍した。」とある。
以上であるがもう少し付け加えると1938年に一般車への格下げ時に中間にあったトイレを撤去しそこに扉を増設して3扉ロングシート化している。1944年の大東急時代には元京王電軌の車両は2000番台となったためこの車はデハ2500となった。罹災復旧後1960年3月に東横車両で電装解除して運転台撤去、2010系の付随車サハ2503となり1963年(昭和38年)8月の昇圧後も使われたが1968年(昭和43年)12月に廃車されている。
写真は廃車が迫ったころのサハ2503である。尚、右の車両は同じような経緯を経たデハ2305を付随車化したサハ2553である。
こんにちは。二回目の投稿になります。先日の投稿ではコメントをくださりありがとうございました。改めて、今後ともよろしくお願いします。
近年、インターネットでは画像投稿もTwitterで済ませることが多く、ブログも休止中のために長い文章と適切なキャプションをつける機会が減ってしまいました。一方で、この掲示板はこれまで小出しにしてきた写真たちを整理して残せるので非常に有難い場所だと感じました。デジタルカメラ世代らしく、撮り鉄歴12年目の若造にして総撮影枚数だけは5万枚ほどあるため、様々な写真を掲載していきたいと思います。
先日の初投稿日は渋谷で583系の団臨を撮影していました。583系をはじめて撮ったのが2004年9月でしたので、12年目の撮影となりました。よくぞ今まで残ってくれたものだと感心するばかりです。
583系についてはここで解説の必要がない車両だと思いますので割愛いたしますが、気が付けば残り一本となってしまいました。走行の度に沿線は大賑わいで、私も時にはその熱狂に混じったり、あるいはうんと距離を置いて変な場所から撮ったり、コマ数があることを良いことに自分なりのアプローチを試みています。

(2009年3月 東北本線 岩切駅)
撮影枚数はそれなりにあるものの、ヘッドマークが付いた写真は僅かです。「はつかり」のマークはとても似合っていますが、やはり短さについ目がいってしまいます…。
先日京津線80形の話が出て私も便乗させていただきましたが、先週島ノ関-石場間で踏切待ちをしていると目の前を通過していった電車が何か80形のような感じ、帰って調べてみると、タイトルにあるように80形誕生55年記念イベント80形塗装車両がちょうどこの日から運行を開始したとのことでした。今日は久しぶりに天気が良くなったのでぶらぶらと撮影に出かけました。
定番の浜大津の駅を出てくるところでまず撮影、最初踏切で見たときには横からだったのでオーッという感じでしたが、正面から見るとやはり全然違いますね。
それでも、何か懐かしくて移動しながら3本撮影しました。
↑ 運行は2020年3月末までとロングラン、記念ヘッドマークも来年10月11日までと書いてありますが、80形営業運転に入ったのは1961年8月12日ですから来年10月にはには56年になってしまいますね。 続きを読む

京阪2代目16号の室内写真が確かあった筈と、日々限りなく薄れゆく記憶を駆使して3コマ見つけた。上は御座所であろう。


これは侍従の控室であろう。テーブルの下に古めかしい電話機があり、この時期無線電話はあるまいから、電鉄側の添乗責任者への連絡用か。
青の交響曲乗車ツアーでNゲージ模型をしておられる1回生の方と話をしていて、それに刺激され、以前に購入してほったらかしにしていた上信電鉄デキがやっとこさ、出来上がりました。しかし、まだ車番などのシールは貼っていないのです。
WordPress プラグイン「WPtouch」の不具合により、昨日頃より当ホームページにアクセスできない状態が続いておりました。該当プラグイン削除によって、現在は復旧しております。ご迷惑をおかけいたしました。
カープ優勝を記念して 江波車庫の奥で眠っていた貨51号がカープレッドに塗られて 装いも新たに広島市内を走ることが広電ホームページで公表されました。9月30日(金)14:00に広島駅前で出発式が行われ、翌10月1日からは 江波→紙屋町→広島駅→西広島→横川→江波の第1便と そのあと江波→紙屋町→広島港→比治山線→広島駅→江波の第2便が走ります。詳しい通過時間は広電ホームページをご覧下さい。同ホームページのイラストをコピーさせて頂きました。
沿線自治体での説明会が終わり、各自治体が鉄道存続断念の意思表示をして ようやくバスへの転換と鉄道廃止が決まりました。ただ新しいバス交通網の計画立案にはこれから約1年半かかるとか。世の中の変化のスピードに全くついてゆけていないと言うか、悠長なことです。

運転会場 (三光堂模型店に隣接する南側の家屋)