天然色写真で巡る40年前の九州(1)

(1)まえがき -フジかサクラか-

旧掲示板に、昭和43年、初めて訪れた北海道で撮影したカラースライドを画像復元して発表しました。今回から、その続編として昭和44年春に九州を訪れた際に撮影したカラースライドを、性懲りもなく発表することにしました。すっかり忘れ去った遠い過去の事象が、文字と写真で改めて表現すると、生き生きと蘇ってくるのです。これぞ掲示板の魅力だと考えます。
前回も今回も、一眼レフに入れたモノクロフィルムを主体に、カラースライドはEEカメラで、ここぞという時にだけ撮っていました。ただ違うのは、前回はフジ、今回はサクラのカラースライドを使用したことです。
この40年間、両者は同じ条件(と言ってもほったらかしに近い)で保存しています。ところが、その結果はたいへん対照的なのです。
色調については、フジはほんど色が抜け、復元が不可能なぐらい褪色しているのに対し、サクラは褪色も見られるものの、フジほどではありません。完璧に違うのは、カビの発生です。フジには大なり小なりすべてにカビが見られるものの、サクラにはほとんどカビがありません。
当時の国産カラーフィルムの評価は、フジのほうが高く、シェアも占めていました。サクラは二流品の評価で、価格も少し安かったように思います。
しかし、サクラのほうが、明らかに防褪色、防黴性といった保存性能は優れていたのでしょう。
ものの評価というのは目先だけで惑わされてはならない、長い目でじっくり見定めることが肝要だとの思いをこの例で改めて思いました。
せっかく優れた技術を持っていながらフィルム事業からは撤退したサクラ(現コニカミノルタ)はつくづく惜しいことをしたと痛感しています。

フジとサクラのカラースライド

 

「都電荒川線の日」記念イベント

9月27日土曜日、「荒川線の日」の記念イベントとして、荒川車庫の一般公開が行われたので、都心に出掛ける途中一寸覗いてみた。ポスターやHPに「保存車6000形撮影会の実施」と書かれており、確かに以前「6152」が保存されていたが、平成15年に「荒川遊園地」に移されている。しかも「昭和24年日本鉄道自動車製」と記されており、一般に知られている保存車の中には同社製のものがなく是非確かめたいと思った。

 当日9時40分に自宅を出た。金町・町屋間は僅か15分、町屋で都電に乗換え荒川車庫には10時40分に到着した。車庫の前には山吹色も鮮やかな6086がビューゲルを上げて停まっていた。

6086の経歴は、ネコ・パブ社「RM LIBRARY19 都電6000形」によると、昭和24年3月8日付で入籍し、青山車庫に配属。その後、南千住→青山→三田→巣鴨→神明町→大久保→三ノ輪→駒込と転属し、昭和45年12月24日付で荒川車庫の配属となり、昭和53年4月27日付で廃車となっている。廃車後の足跡については公表されていないが、恐らく個人に譲渡され、大切に保管されていたものと思われる。所有者に手放さなければならない事情が生じ、解体寸前の処を、岩手・宮城内陸地震で亡くなられた岸 由一郎氏のご尽力により保存されることになったそうである。

その他、7515と7027が展示され、7515は車内も見学できた。また、6086については、離れての型式写真と、近くでの記念写真の時間がそれぞれ決められており、見学、撮影者も現場案内担当の方の指示に従い、マナーはよかったと思う。

 6000形については6152が平成12年12月まで動態保存的に営業運転されていたが、京福福井支社の事故により不可能になったため、荒川遊園地での静態保存になってしまった経緯があり、6086については6152の二の舞とならないように願う次第である。

 

昨年登場したレトロ調の新製車9001との並び

 

6086が荒川車庫に運ばれるまでの行程を紹介したパネル

 平成19年5月16日、荒川車庫に隣接して「都電おもいで広場」が設置され、本物のPCC5501と7500形で車体未更新のまま残った7504が展示されている。5501の車内は座席が撤去されギャラリーとして使用されており、運転台は道路に面した片方だけが復元されている。7504の車内は現役時代のままであるが、家庭用のエアコンが取り付けられている。オープンしているのは土・日・祝日の10時~16時までであるが、それ以外の日でも外からの撮影は可能である。

5501の運転台

当初は画像の通り、足踏式であったが、扱いにくいということで後日通常のマスコンに取替えられている。

 

ナニワ工機の銘板

 

7504

#2 新規投稿する

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タグにキーワードとなる単語を入れておくことで、後で検索しやすくなります。
Googleなどの検索エンジンからもヒットしやすくなりますので、できれば入れておきましょう。地名や写っている車種などを入れてください。何も入れなくても投稿はできます。複数のタグを入れるには単語ごとに半角コンマで区切ってください。

カテゴリーもできるだけ指定してください。

投稿作成者は旧掲示板でいうところの投稿者名と同じです。
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#1 新規ユーザ登録

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CRHの旅Ⅱ Part4 京九鉄道初乗車

これからが、今回の旅の本番、香港返還に合わせて1996に開通した京九鉄道広州駅~北京西駅2300km、約21時間の初乗車の始まりです。

 

200891317:15、急いでホームに上がりました。既にT16は、ホームに着いていました。客車の行き先サボを見ると、何と海南島三亜駅からの車両です。前もって時刻表は見ていましたが、気が付きませんでした。

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質問

管理人様、

投稿文に対してコメントを書くとき、複数持っているハンドル名を使い分けることができませんか?
「○○○」としてログイン、と出ていますがこれを「●●●」にコメント欄で変更する方法をお教え下さい。

京都駅付近の鉄道遺跡を偲ぶ (5)

先日、米手作市さんからお誘いを受け、乙訓老人とともに、旧京都駅関連の地図を調べに京都府立総合資料館へ行って来ました。知らないことは誰彼なく聞きまくるという積極的な姿勢を信条とする作市さんが、旧京都駅に関する資料の有無を同館に問い合わせたところ、旧京都駅を描いた地図があるとの回答をいただき、この日の訪問となったものです。
見せてもらったのは、明治17年に京都市が発行した『下京地籍図第32組』。京都市内全域で作成された色刷りの地籍図のなかの旧京都駅付近の地域です。土地の区分を表す地籍図のため、地上の施設や建造物は描かれていませんが、鉄道線路だけは地図記号ではっきりと描かれています。なかでもこのシリーズ1~4で紹介した、現京都駅付近から大宮通に至る区間は、道路や川との関係が手に取るようにリアリティをもって迫ってきます。詳細なうえに着色されているので、その真実味がさらに増します。これを見ると、天下の東海道線とはいえ、家並みの裏手を抜けたり、道路と併用軌道のような感じで通り抜けたりした、ごく小規模な鉄道だったことが伝わってきます。
残念だったのは、旧京都駅そのものの地域は、鉄道記号が省略されており、単に「官有地」としてしか土地の表記がされておらず、線形などを読み取ることはできませんでした。
前回の(4)では、旧駅東の正行院前の道を旧線跡としましたが、今回、この地籍図を見ると、寺の前には細い道がもともと存在していました。旧線はこの細い道の北側を並行して走っていたことになります。

(5)西大路駅付近の開業時の橋脚
旧線は、大宮通付近までは現在線の北側を通っていたが、そこから西へはちょうど梅小路貨物駅を斜めに横断するようにして、現在の西大路駅付近で現在線と合流している。したがってここから西へは開業時の区間を走ることになる。
西大路駅ホーム西端に西高瀬川を渡る鉄橋がある。下の橋台・橋脚はコンクリート製である。昭和の初期の河川改修の際にコンクリート製になったということである。ここから少し西に水路を渡る小規模な上路ガーダーが2ヵ所ある。1ヵ所は立ち入ることができないが、もう1ヵ所は線路の直下まで行くことができる。

複々線+向日町回送線の5線のうち、上り2線を支えているのが、写真のような石と煉瓦の組み合わせで造られた橋脚である。あまり知られていないが、正真正銘の明治9年の大阪~京都間開業時の構造物がいまも現役として使われているのである。その他の3線はその後の線増時代のもので、コンクリート製である。
ここから桂川鉄橋まですぐ。桂川を渡れば、くだんの25連の避溢橋のあったところである。

(おわり)

CRHの旅Ⅱ Part3 シンセンから広州へ

中国では、旧暦の815日に中秋節を迎えます。街中いたるところで、月餅(げっぺい)を売っています。月に見立てた丸い平たい形は、各地でも同じですが、中に入っている(具)に違いがあります。中秋節には、家族で満月を見ながら食べる習慣です。これが、日本に伝わり月見団子になったそうです。

有名な店では、並んで買う客もあります。知人、親戚に贈ったり、会社でも社員に配るのが習慣になっています。私も駐在時によくもらいましたが、甘党ではありませんので、あまり食しませんでした。

立派な箱に入っているのは、結構な値段がします。利益率の高い商品ですので、1年の利益の殆どを稼ぐ店もあると聞きました。

今年は、913日から、3日間が休みになっていました。3連休ともなると、列車に乗って出かける客が増えます。いくら頻繁にCRHが走っているとは言え、当日の切符売場は、大混雑となると予想しました。

前日に羅湖で、ホテルのチェックアウト後の13:00過ぎの広州行きのCRHの空席を探してもらいました。窓口のおばさんは、キーボードをたたきながら、13:00D716の次は、14:38発のD778しかないと、CRT画面を見せながら言います。不測の事態を考慮して、13:00発にしました。

鉄ちゃんなのに、自分で時刻表を見て、列車指定をすれば良いと言われる方が多いでしょうが、下記の8月発刊の時刻表をよく見て下さい。

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おじん2人ヨーロッパ軽便 その23-3

マン島鉄道 その3

翌日はかなりの雨で、気温も低い。雨衣を着てダグラス駅で1日乗車券を買う。10.7ポンドでマンクス電気鉄道と蒸気鉄道には全線自由に乗れ、スナェフェル登山鉄道が終点まで1往復OK。前二者は同じマン政庁が経営しているのであろう。

マン島共通1日乗車券

ダグラス駅構内の庫を覗くと、はるばるこの島までやってくるインパクトであった単端式レイルカーが2両共、徹底的なレストア中であったのが残念無念。アイルランドの有名な軽便鉄道である County Donegal Railway は勿論蒸機以外、実にバラエティに富んだ単端式レイルカーを延べ20両以上保有していた。その中で最も新しい19、20が同鉄道廃止で1961年この島にやってきたのである。

メーカーはWalker、1949年及び1950年の製造で、前頭キャブオーバー部分にエンジンが納まり、客室部分をピギーバック方式で牽引している。それにしても、この骨組み(機関部)はまさしく芸術品であろうが、1950年にもなって木骨鉄皮車を生み出すとは、いかにも英国やアイルランドである。ついでながら戦前有名だったグレート・ウエスタン鉄道のR.E.C流線型ディーゼルカーも木骨車体で、これらはすべて、馬車の車体を作る技術だったのである。


これは芸術品だ


この車体も機関部同様木骨である。手前が機関側

仕方がないから、本場文献(The Railways and Tramways of the Isle of Man)から活躍中の写真を借用しておく。本来1両で就役するものだが、このマン島蒸気鉄道には転車台もデルタ線もないから方向転換が出来ず、このため2両を背中合わせにし、前頭車両のみの動力で進行するわけである。あぁ、やっぱりこの車両の活躍中を見たかった。

これが本来の姿

ダグラス駅には架線がないのに、構内を赤いマンクス電気鉄道の側面開放式電車が動いていた。白鼠色の有蓋貨車を連結しており、実はこの貨車がディーゼル機関と発電機を搭載したパワーユニットで、キャップタイアケーブルで電車にエレキを送っているのであった。サイドのシャッターは全部下ろしているのは、雨がハンパでなかったから。

マンクス電気鉄道電車と電源車
マンクス電気鉄道側開放電車と電源車

CRHの旅Ⅱ Part2 香港鉄路博物館

十分な睡眠を取った深圳での翌日、香港に入国して、香港鉄路博物館を目指しました。香港鉄路博物館は、太和駅大埔墟駅の中間にあります。前回は、近い太和駅で下車しましたが、今回は、市場や繁華街のある大埔墟駅で下車して向かいました。採りたての魚介類魚市場や野菜市場がたくさんあり、グルメ党の私には、見ているだけでも、とても楽しい所です。

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障害報告・要望はこちら。

管理人です。
掲示板に対する要望や障害報告などあれば、コメントの投稿テストついでに、この投稿のコメント欄に投稿してください。

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祝・新掲示板使用開始

今日の佳き日に新掲示板がスタートしたことを心から御祝い申し上げます。
最初は少しとまどうでしょうがハイテク老人の集まりであるクローバー会の面々には何ほどのことがありましょうか!新しい機能の数々を楽しみながら使いこなして下さい。
最後に忙しい中、独力で作って下さった小西会員のご子息、ヨウスケ君に心からお礼を申し上げます。
なお、使い勝手や分からないことは事務局かヨウスケ管理者にお問い合わせ下さい。

CRHの旅Ⅱ Part1 旅立ち

久方ぶりの投稿になります。会社内での業務内容がかわったために慣れぬ事で難儀をしております。この2ケ月間は、まともに休みを取れずで、治らぬ病の頚椎ヘルニアが悪化し、糖尿値も上がり、狭心症と併せて、担当医からは、このまま続けると、本当に生命の保証すらできないと言われる始末です。長期の休暇を勧められ、やむなく休みを取って、まずはストレスを取り除くことにしました。

 鉄ちゃんのストレス発散には、鉄道に乗る事が1番です。目的地は、大きな心で迎えてくれる旅慣れた大地、中国です。前回見学に行ったのにも関わらず、休館日で悔しい思いをした香港鉄路博物館を、第1視察候補地に、その後は、71日に開業した北京天津間300km/hの城際鉄道乗車を目指す事にしました。 続きを読む

群馬県の私鉄を訪ねて

9月9日、前日来の高崎での仕事が午前中に片付いたため、駆け足で群馬県下の私鉄を覘いてみた。

前橋駅から徒歩で上毛電鉄の中央前橋駅へ、この区間は上毛電鉄の発着に合わせてレトロ調のシャトルバスが結んでいるが、歩いても15分位である。ガ ラス張 りの駅舎は掃除が行き届き、非常に明るく清潔な感じがした。到着電車を1本撮影後、改札口で一日乗車券を購入したが、女性の駅員の対応が非常に感じが良 かった。元京王井の頭線のデハ714+クハ724に乗車すると乗客は10人程でちょっと寂しい。次の城東で早くもおばさん1人が下車、各駅の駐輪場には相 当数の自転車が止められていたのでラッシュ時にはそれなりの利用があるものと思われる。車内は内装がマリンブルーで魚のシールが貼られており楽しい雰囲気 である。途中駅で交換待ちの時、乗客のおばさんが初老の運転士に「綺麗な電車ですね」と声を掛けると「組合員がお金を出して水族館をイメージして作った。 内装は専門業者に頼んだが、魚のシールは社員が貼った」と答えていた。20分で車庫のある大胡に到着、降りたのは私一人であった。西桐生寄りの鉄橋で上り 電車を撮影し、次の電車で赤城まで乗車した。

わたらせ渓谷鉄道大間々駅には徒歩15分程で到着。12時16分発間藤行で足尾まで行き、日光市営バスで日光に出て東武で帰ろうと思ったが、足尾で 待ち時 間が2時間もあり中止、結局12時52分発の桐生行に乗車した。この列車は11月末までは間藤始発であるが、12月からの平日は大間々始発となり、間藤〜 上神梅間の列車間隔は約3時間も空くことになる。到着した桐生行の乗客は8名で、大間々で乗車したのは私1人であった。次の運動公園で2名、相老で東武の りょうもう号から乗り換えのビジネスマン風の客が4名増えて桐生に到着した。昼食後、上毛電鉄のフリー切符で前橋に戻ろうと思ったが、上信電鉄に行きたい のでJRに乗った。107系の4連で、こちらも単行で間に合う位の乗車率であったが、伊勢崎で座席の3分の1位が埋まり、前橋で7割位塞がった。

高崎で上信電鉄のホームに行くと、デハ252+クハ1301が停車中であった。未撮影の車両であるが、終点の下仁田まで行かないと撮影できないので 今回は 諦めた。座席は3分の1以上埋まっており、今日乗った電車の中では最も車内が華やいでいた。以前から目を付けていた南高崎〜根小屋間の鉄橋で撮影するため 根小屋で下車。おばさん駅員が乗客に「おかえりなさい」と声を掛けながら切符を受け取っていた。鉄橋に行く途中で上り電車(クモハ6001+クモハ 6002)が通過、現地に到着すると順光側は電柱と電線がうるさいため手前で撮ることにした。程なく下り電車(先程の上りの折返し)が通過、上下あと一本 ずつ撮影しようと思っていたが、疲れたので今回は下見と云うことにして駅に戻った。切符を買うと今時珍しい硬券であった。

今回は、駆け足で平日の昼間という最も乗客が少ない時間帯に乗車したが、3社に共通することは、状況が非常に厳しいということであった。この中でも 各社そ れぞれに一人でも乗客を増やす努力をしていることが判った。特に上毛電鉄は社員がお金を出し合ってでも鉄道を守ろうとする姿勢には感動するものがあった。 しかし、状況は厳しく、来年3月には大胡にある県立高校が少子化による統廃合で廃校となり、通学客の減少が予想されている。開業時に作られたモハ101を 生かしたイベント、沿線の中高年を対象としたハイキング会の開催等を通して是非頑張っていただきたいと思った。

1.デハ711              中央前橋
元京王井の頭線の3000系で、平成11年から12年にかけて入線し、8編成在籍する。昼間の30分間隔は40年前と同じであるが、40年前は朝夕の20 分間隔の時間帯が長かった。中央前橋駅は確かに前橋市の中心部にあるが、生活基盤が郊外に移ってしまったため周囲は閑散としている。JR前橋駅からここま で歩いたがシャッターが下りている店が目立った。JR前橋駅前の大型スーパーも撤退を検討しているとか。

2.デハ714の車内           中央前橋
従業員がお金を出して水族館をイメージした車内に改装した。


3.わ89−201            大間々
大間々駅を発車した間藤行であるが、乗客は10人程。休日は神戸(ごうど)にある冨弘美術館に行く人が結構乗るということである。
わ89−201は平成元年開業時に富士重工で作られた車両で3両在籍する。



4.クモハ6001+クモハ6002    根小屋〜南高崎
昭和56年新潟鐵工所で作られた車両で当初から冷房付きであった。


5.中央前橋駅〜前橋駅間のシャトルバス  JR前橋駅前
上毛電鉄の電車の発着に合わせてJR前橋駅間にシャトルバスが運行されている。運行会社は日本中央バスで運賃は100円である。写真のレトロ調のバスは、平成11年式日野KK−RJ1JJAAという型式で車体は東京特殊車体製である。

おじん2人ヨーロッパ軽便 その23-2

マン島鉄道 その2

マン島は淡路島より少し狭く、人口はその半分—面積572平方キロ、約7万5,000人。勿論英語だが、かつて断絶したマンクス語も最近は文化として一部復活しているとか。元来がケルト系で、地域柄当然ヴァイキングの侵略・殖民も。

一般には100年も続く通常道路60kmでのモーターサイクルレースと、独特のマンクスキャット(尻尾がないかごく短く、後足が前足より長い。大昔ノアの 箱舟に乗り遅れかけ、前足を扉にはさまれ折損したのが由来)が有名。この猫をデザインしたキャットコインも有名で、相棒も記念に銀行で両替しゲットした。

首都ダグラスの地形は南が崖のようにそそりたち、その高台に Douglas Steam Railway のダグラス駅がある。美しい煉瓦建の駅舎にさらに門があり、まるでテーマパークの入口である。勿論ショップがあり、本やグッズが買える。



列車は案外少なく1日4〜5往復。5〜11月のみ運行で、現在島の鉄軌道はすべて観光用。ダイヤ等もインターネットで知ることができる。
http://www.iomguide.com/transportation.php
かつてダグラスの町にはサンフランシスコのようなケーブルカーもあったらしい。

天気が悪いが、まずは2泊のリーズナブルホテル確保を。目の前に路上駐車可能で手ごろな宿だが、何と1人1泊60ポンドと抜かしくさった。これが実に15ポンドまで値切れたのだから、吹っかけにも程がある。雲助は世界中にいる。

鉄道線路の両側はことごとく、戦車でもない限り突破など絶対出来ない物々しい生垣で、列車の半分が完全に隠れてしまうから、撮影場所が殆ど得られず、開放 的なのはわずかに駅構内のみ。これは先回にも書いた羊が線路に入り込まないためだが、どこでも撮影できる農業国は天国である。


踏切も先回紹介したが、普段は鉄柵で閉ざして羊の侵入を防ぎ、列車が来る時だけ90度回転させ道路を塞ぐ。その傍に建つ小屋は、かつて踏切警手の宿舎だっ たのだろう。道が狭いと扉は片開きだが、踏切の数だけ人手が必然だから、絶対数が極めて少なく、無人踏切は立体交差以外あり得ない。

放牧地も同様厳重に囲われているが、非牧畜農地・農家に接している線路だと有刺鉄線だけになる。とある農家で老夫婦に、撮影のため敷地に入らしてくれと頼んでみた。気軽にOKが出、やっと列車が撮影できたが、これ以上の横勝ち構図は高い足場がない限り無理である。

その後その農夫はティーか、カッフィーかと尋ね、お茶をご馳走してくれた。農家といっても、南側壁にはショーウインド顔負けの大きなガラス窓があり、居間 でくつろぎながらからアイリッシュ海が見下ろせるのである。冬なら相当に厳しい風雨に曝されると見え、日本なら当然開閉できるところだが、分厚いガラスは 嵌め殺しだった。

おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-9

IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 サッサリ

翌朝オルメダで朝の列車を撮りそのままサッサリ目指す。アルゲーロ-サッサリ約25kmには11(休日は6)往復の列車が、ほぼ一時間毎程度に設定され、所要は約35分。距離は少し迂回になっても、国道291号だと半時間足らず。

サッサリはこの島でカリアーリに次ぐ二番目の大都市で、人口約12.5万人、地勢的に一部コルシカ語も使われているとか。標準軌間と950mm軽便とが同じ駅に共存し、一部三線式になっている線もある。


一コマ目は本屋に接した行き止まり式のナローのホームで、右側の線が1435、950mmの三線式。この駅にはナローだけでもアルゲーロ、ソルソ、ヌル ヴィへの3線が集中し着発する。後者ははるかテンピオを経て島の東北のパラウに達する長大な路線だが、日常運行はヌルヴィまで。

隣接してかなり大規模な車両基地があり、撮影を申し出ると気楽にOK。ここにも整備して稼動状態のブレダ製1Cタンク機が2両、おなじみ流線型「鯰」や新しいDC、客車も一体何時使うのかと思うぐらいどっさり。イタリア特有の落書きも盛んである。



駅前広場は盛大に掘り起こし中だが、驚いたことに路面電車のレールを敷設していたのである。軌間は950mm、同じ車両基地に引き込まれており、3コマ目 のバックに高い鉄製ポールが並んでいるのは、この架線柱なのであった。ただし何時開通するかは言葉が不自由で分からないまま。街中も部分的にレールが敷か れ、あるいは架線柱も建てられているが架線は張ってない。


車に戻って一旦ソルソを目指したが、道に迷い半時間ぐらいウロウロ。結局最初の道が正解で、小さいが小奇麗な町だった。さらにヌルヴィへ行ってみる。地図での127号線は細くぐにゃぐにゃで覚悟がいったが、走ってみるとバリバリで、さほど時間もかからず。

オシロを経由してサッサリに戻り、相棒のツアコンが日本でインターネット予約していたホテルへ。駅から離れているが、付近が碁盤の目状だったのですぐ見付かった。シャワーを浴び、洗濯後手ぶらでカメラだけ持ちヌルヴィ往復を目指した。

北京〜天津の高速鉄道試運転

北京駅からの続編です。
約50分遅れで、CRH2のD545列車は発車しました。しかし、いつもと違っての30〜50km/h程度の徐行走行です。オリンピックに向けて建築中の北京南駅周辺では、最徐行でした。


反対側の席でしたが、見るとCRH3、CRH2-300が4編成止まっていました。試運転が順調に開始されている事を確認できました。明日からの撮影を期待して、ようなく安心して天津まで眠れました。

天津駅は、北京南駅同様に急ピッチでの工事中でした。やはり最徐行での走行です。ここでも、CRH3と、CRH2-300が4編成止まっていました。天津臨時駅にも北京駅同様に最徐行が続き、回復運転なくさらに遅れての到着でした。改札口を出ると、タクシーの客引きが群がってきます。前の天津駅でも同様でしたが、メーターを倒さずの料金交渉が全てです。まともなタクシーは1台もいません。路線バスもありませんので、ここは諦めざるをえません。常宿のホテルまで、30元(480日本円)で、交渉成立しました。普通にメーターどおりだと20数元ですので、まあまあの料金で、ぼったくりでもありません。それよりも重いスーツケースは、持ってくれますので、助かります。チップ程度の課金と割り切りました。

中国の鉄道駅や空港では、こんな事は普通にある事です。日本のタクシーと比べて高額の料金でもありません。初めて行かれる方は、諦めて荷物を持ってくれる程度のサービス料金と思って下さい。ただ、市内から駅や空港までは、メーターを倒して、歓迎の乗車となります。長距離は、運転手の望むところです。時には、どこかの官庁同様に、お茶を買ってくれたり、たばこを勧めたりの大サービスを受ける事も珍しくありません。必ず、次の日はどこへ行くのかと聞いてきます。1日チャーターしても、200〜400元と、超格安にしてくれることもあります。チベット問題や、毒入り餃子事件で、悪印象が強くなっている中国ですが、1対1になった時の中国人は、むしろ親切で日本人には、忘れて去られた優しさすらあります。

私から言わせれば、関本ジュニアが体験した、中国鉄道の旅に巡り合った人々が、本当の大地の人々です。誇張された悪い部分だけの報道だけで判断せずに、もっともっと中国に行かれて、本当の事を自ら感じて欲しいと思っております。きっと、忘れていた事を感じさせてくれます。私は、そんな大地が大好きです。

話を戻して、8月1日開業が決まっている北京〜天津間の高速鉄道ですが、規制や監視の厳しい北京での撮影は諦めて、天津駅付近にしました。天津駅を発車すると、直ぐに高架軌道線が続いて、撮影は不可能です。そもそも、どこを走行しているのか地図さえありません。タクシーをチャータしようとしましたが、運転手もどこを走っているのか行った事がないとの返事です。
仕方ありません、取り合えず工事中の天津駅に向かい下車して、そこからは歩いて撮影ポイントを探しました。

駅全体を見渡せるマンションを見つけました。守衛に日本からわざわざ取材に来たと頼みましたが、屋上に上がるのは禁止している。公安に見つかったら私も罰せられると、了解がもらえません。無茶を承知で工事現場に入り、線路際での撮影を試みました。丁度、昼休みで監視員も不在です。CRHは、5分おきでの試運転がされていました。
決死の思いで撮影したのが下記の写真です。しかし、駅方面から公安がやってきて、撮影禁止を告げられました。やむなく、撮影を諦めましたが、貴重な数コマは撮れました。

情報では、シーメンス社製のCRH3と、はやて改造型のCRH2-300が合わせて10編成運用に着くそうです。ただ、CRH2-300は6編成が確認できていますので、5:5なのか6:4なのかは不明です。CRH2とCRH2-300との外観上の違いは、パンタの風切り板がついている事と、連結幌が密閉型に変更されている点、そして車両間に蛇行防止装置が新設置されているかです。

出力は、在来型4M4Tから6M2Tに増強されています。ドイツ型が良いのか、日本型が良いのか、試される場です。8月1日には、日本でも開通が報道されるでしょう。
直ぐにでも初乗車をしてみたい私ですが、業務多忙を極め、訪中できるのは、オリンピックが終わってから、早くても9月中旬になりそうです。誰か行かれた方は、ご一報を下さい。

新掲示板へようこそ!

こんにちは、drfc-ob.com管理人の小西です。
早いもので当ホームページも、解説より8年が経過しました。広いネットの世界でもこのホームページほど長期に渡って活動を続けているところは少ないと思われます。
さて目玉コンテンツである掲示板ですが、最近では貴重な写真や遠地への紀行文など、8年前の古い掲示板システムで扱うには勿体ないほどの内容が増えてまいりました。そのため、より内容を活かし表現の幅をより広げるべく、最新の掲示板システム(ブログ)へ移行することと致しました。新掲示板はこれまで要望の多かった機能を備え、柔軟性もより高くなっています。具体的には以下の通りです。

1.写真を任意の箇所に挿入できます。長文で写真の投稿枚数が多い場合でも、説明と写真との対応関係が追いやすくなりました。また、一投稿あたりの枚数制限はありません。


2.文字の書式を変更できます。強調したい箇所を太字にしたり色を付けたり下線を入れたりできます。
3.箇条書きやセンタリング、インデントも行えます。
4.投稿後でも、投稿者本人か管理権限のある人なら自由に編集や削除ができます。
5.検索機能に加え、タグ一覧、カテゴリ一覧などがあり、過去ログを探しやすくなりました。
6.投稿画面を自由に広げたり、全画面表示にできます。長文でも投稿しやすくなりました。
7.各記事に対してコメントをつけられます。質問や議論などしやすくなりました。
8.新規投稿/編集中でもバックグラウンドで自動保存されます。不意にブラウザを閉じても編集内容は失われません。
9.複数の管理者、投稿者でも管理しやすくなっています。自分専用のページを持てます。
10.拡張性が高いです。投稿画像でギャラリーを作ったりできます。