アロハ特急385へのご質問にお答えする・関三平先生より

先日の「アロハ特急」に関して、皆様からご質問が来ておりましたので、関先生へ回答をお願いしていましたところ、お手紙にてご連絡頂きました。

前回投稿文

昭和の電車 改訂版(80)ー阪急電鉄802号+852号ー

全文書き写してご覧頂きます。

『阪急のアロハ塗装につきまして。
阪急は、昭和23年に京都線用(実質支線専用)の700型+750型MTc編成5本、701+751~705+755を新造。続く24年に神戸線用として同じく700型+750型MTc編成5本700+750~704+754を製造。当時はまだ(現・京阪電鉄を含む)阪急の時代でしたが、近鉄などと違って車番のダブりなどは気にしていなかったようです。(京阪本線にも700型が存在したわけだし・・)

さて、阪急が京阪電鉄との合併を解消する際、新京阪線は阪急に残留(乗っ取られたとの説も・・)、新京阪線と京阪線はライバルの関係になります。「元新京阪線は(今や)阪急の物である」とアピールするために、解消直前に京都・神戸直通の特急運転が始まり、これに当てられたのが神戸線の702+752、703+753の二編成でした。
完全複電圧、二個モーターのMM編成に改造され、1500Vの京都線では神戸線の750/600倍のパワーに上がるわけで、120㎞/hを越える高速運転となり、時間が余りすぎて困った、とも言われています。

そして昭和25年に西宮北口で「アメリカ博覧会」が催され、その宣伝のためにアロハ塗装をされたもので、京都線の700系と紛らわしいと言うわけで、この機に800+850~804+854と改番されました。(この時期、京都線系の500→1500、550→1550、300→1300等の改番も実施されています。それでも、まだダブり番号は残りました)
かくて、802+852、803+853の二編成は「アロハ特急」として語り伝えられる存在となりましたが、実は他にも「アメリカ博」塗装をされた車が四両ありました。その一両が今回写真を載せられた宝塚線の385号です。そして京都線用には、戦後阪急唯一のクロスシート車となっていた、元フキ(貴賓車)の1500号が選ばれ、この二両は全く同じ黄色と茶色塗り分けで、端部塗り分けデザインも同じでした。
そして、あと二両が神戸線用の801+851の編成。使う色は802号などと同じですが、全くの逆配色になっていました。即ち、薄いブルー基調で、帯などが黄色というもので、802等に比べるとおとなしいというか、淋しい感じを与えるものでした。
この二両は「アメリカ博」の会場横を通り抜ける今津線に専ら使われたようで、梅田や神戸にはあまり顔を見せなかったようです。こちらは従来通りの600V専用車のままでした。梅田などに姿を見せなかったせいか、あまり存在を知られておらず、現在阪急の語り部の第一人者とも言うべき篠原丞さんも存在を半信半疑で、私に証言を求められたぐらいです。

以上の八両が「アメリカ博」がらみの特装車ですが、その室内について一寸書き加えますと・・・。
マスコミ等へのアピールのためか、852号(?)がベッドみたいに寝そべることの出来るデラックスなリクライニングシートや、ソファ、テーブル等を置いた豪華なインテリアとされた残されています。ただし本営業には使われなかったようで、私もみたことはありません。ただ内装壁面などにいかにも戦後派らしく、迷彩模様のようなベニヤ板張りで、阪急としては最低クラスのものでした。その点385号は戦前の阪急+川崎デザインの重厚な全鋼車内でしたし、1500号は私鉄界貴賓車の最高峰とも言われた造作の車内にクロスシートをつけたものでしたから、乗る側にとっては最高の車でした。

以上、ラフですが、取りあえずお返事まで。草々
関三平拝』

アロハ特急385へのご質問にお答えする・関三平先生より」への7件のフィードバック

  1. 米手作市様
     お疲れの所、早速に関先生のお手紙をご掲載頂き有り難うございます。
     改めて関先生にいろいろお教えを頂き、お礼と感謝を申し上げます。今になっては知ることの出来ない貴重なお話が満載。タイムスリップしてみたいと思ってしまいました。今津線にも走っていたとは!
     

  2. 1500Vの京都線では750/600倍のパワーに上がるとはとはどういうことなのでしょうか。600V時代の神戸線でも特急は梅田ー西宮北口間を14~5分で走っていたように思いますが。特に急いでいませんが昇圧の効果なども併せて教えていただけると幸いです。

  3. 久しぶりだねマイテさん
     またまた私の画像ですんませんが、昭和25年(1950年)にアメリカ博覧会に行ってました。7歳のとき父に連れられ弟とで、アメリカ製のディーゼル機関車が短い線路を往復していたように思います。機関車の運転台側面には8587?と大きくペイントされてます。この機関車については以前この掲示板で書かれていたことがあったように思います。原写真は41×48の小さなものです。

    • 昨年、書き込ませて頂いたものの一部を再録させて頂きます。

      進駐軍が持ち込んだGE47-ton機、US ARMY 8500ですね。GE(ゼネラル・エレクトリック)製ですが、エンジンはキャタピラー社製の180psが2基、これでGE製発電機を回し、GE製モーターにより駆動する、電気式ディーゼル機関車です。
      1945年製で、フィリピンで使用していた6両(No.8584 – 8589)と新造の2両(8592,8593)を部品の形で日本に移送。1946年に13両分が到着、大宮工場で8両が組み立てられました。(残りの5両分はどうなったのでしょうか?)
      講和条約が発効してからは、米軍機としてではなく借り入れ機として引き続き国鉄が使用。1956年に、米政府と国鉄の間で購入契約がなされ、8両のうち5両が国鉄DD12になりました。(8585・8586・8588・8592・8593 → DD12 1・DD12 2・DD12 3・DD12 4・DD12 5)
      (8584・8589)の2両は名古屋鉄道のDED8500形となり、(8587)は八幡製鐵のD402となりました。
      つまり写真の(8587)は国鉄に編入されなかったのでDD12にはならなかったのです。

  4. 乙訓の老人の甥 さま
     進駐軍の機関車の再掲ありがとうございます。70年前の写真が詳細な解説とともに蘇るとは思いもよらない時代になりました。進駐軍といえば、小さいとき京都駅の一番ホームで、停車中の長く繋がった茶色の客車の窓から青い眼の兵隊さんが、チョコレートと円盤状の白砂糖の塊を渡してくれたのを思い出します。進駐軍専用列車だったのでしょう。乙訓の叔父様はご機嫌ようお暮らしですか。

  5. 昨日、別の写真を探していたところ添付の写真に目が留まりました。最近同じような写真を見なかったかな・・・。確かデジ青で小生も参加したアロハ塗装のと思いだし、冒頭の関先生のコメントを再読してみて、ビックリ! ナント記録が少ないと云う801+851の編成では、ありませんか。この写真を入手したのは、もう30年位前だったと思います。一応整理してアルバムに収めたのですが、データが全くありませんでした。関西の電車とは思ったが、東男の悲しさ、阪急がこんな色してる筈ないからと、先ず阪急はX。阪神の電車に、こんな恰好したのは、無いと思う。そうなりゃ京阪だろう。でも確信はないんで、結局アルバムに付したコメントは「851京阪?」となり、それから30年近く、ほっておいたと云うオソマツ。全く無知と云うのは、どうしようもないと反省致しました。デジ青と関先生のお蔭をもちまして、正解に辿り着くことが出来ました。御礼申し上げます。また厚かましい御願いではありますが、若し場所がお判りの方がいらっしゃいましたら、御教示賜りますよう。

    • 宮崎繁幹様
      貴重な写真を発表頂き、ありがとうございます。
      このようにデジ青の記事がきっかけで、埋もれていた貴重な資料が発見されることは本当にうれしいことです。
      これからも発掘にご協力をお願い致します。
      阪急ファンの方!この場所の特定に全力を注入してください。

準特急 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください