私の好きな電気機関車たち   ⑯

幻のEB10

当時愛読していた「機関車ガイドブツク」などを見ると、電機の項で最初に出てくるのがEB10でした。国鉄の制式電機では唯一のEB電機、しかも買収電機ではなく、蓄電池機関車AB10を電機に改造した純粋の国鉄機で、端部はRが付いた、好ましいスタイルの凸電です。最初に憧れたのは、やはり模型の時代でした。ED電機に熱を上げていた中学生時代、天賞堂から発売されたのが、EB10でした。    愛読していた「鉄道ピクトリアル」にもEB10発売の広告が。

「ディテール豊かなプラスティック車体に、ダイカスト製の丈夫な台車」と説明され、いかにも天賞堂らしく、ほかのED電機の仕上りとは一線を画しています。ただ、値段が完成品1990円(東京売価)で、EBのくせに、ほかのED電機より500円以上高くて、中学生にとっては高嶺の花となりました。

DRFCに入るようになって、せめて写真だけでも撮りたい思いが募り、昭和46年2月、東京は王子駅に降り立ちました。当時の数少ない情報では、わずか2両のEB10は田端機関区所属であるものの、普段は、王子から出ている日産化学などがある須賀貨物線で動いていること、本には、その当時には珍しく運用表まで載っていて、王子で待ち構えれば、間違いなくEB10が撮れると、期待感いっぱいの下車でした。鉄道雑誌の記事を手書きでノートに筆写して勇躍、東京へ向かった。

王子駅にも、貨物線を絶えず電機が通過していた。ただEF15ばかりで、いささか食傷気味。

しばらく王子駅前に発着する都電を撮りながら付近を探索します。ただ、どこを見てもEB10はもちろん、貨物線らしきものは見当たりません。人に聞く訳にも行かず、それ以上の探索をあっさり諦めました。王子には旅客駅とは別に、かなり離れたところに貨物駅があって、ここまで行かないことにはEB10が見られないこと、東京の奥深い鉄道・地理事情は、地方から出て来た20歳には、歯が立たないことも痛感しました。

そもそも参照した資料は8年前のもので、その間、貨物量、専用線も縮小して、ちょうど訪れた年の末に貨物線は廃止されたことが、あとになって分かり、訪れた時はEB10は休車状態だったと想像されます。情報量も不足し、地理にも不案内な、学生時代のホロ苦い思い出でした。サッサと諦めたあとは、王子、東十条で東北本線の電機の撮影に勤しみ、あとは、前に紹介した渋谷付近で山手貨物線の電機を撮ったり、残り少ない都電を撮ったりと、結構充実の一日となりました。

終着の上野を前にラストスパートを掛ける青森発の「八甲田」。牽くは、もちろんEF57、ホーム上の女性も、今では当時の流行りの記録。東十条

王子、東十条は台地の縁を通っていて、よく似た光景が続く。EF15 171の牽く貨物。

東十条駅に隣接する下十条電車区には、京浜東北線の72系で埋め尽くされ、やっと数編成の101系の入線が始まっていた。

 私の好きな電気機関車たち   ⑯」への6件のフィードバック

    • そうそう、この姿を見たくて、東京まで行ったのですよ。よく撮られましたね。相当な下調べをしないことには撮れないと思いますが、ここはどこですか?

      • 私が「下調べ」などしますかいな!行き当たりばったりです。たしか田端だったと思います。

        • やっぱり田端ですか。田端に限らず、私は東京にある機関区へは、畏れ多いというか、近づきがたい思いで、いまだに一度も行ったことがありません。さすがに、真実一路、行き当たりばったり(?)の米手さんです。

  1. 模型の方で失礼します。いつ買った(買ってもらった?)のか記憶がありませんが、最初の模型はEB61でしたので実際にある車両が欲しいということで2両目がEB10でした。実物は1972年に廃車となったと書いていましたので見られた可能性もありましたが、当時は興味の対象になっていませんでした。1号機が府中市郷土の森公園に保存されているそうですので一度見てみたいものです。

    • EB61なんて、あったんですね。ネットを見ますと、たしかに特徴である側面の通風ルーバーがついていました。EB10も買ってもらったんですか。私はついに買えずに、電機はED14だけで終わってしまいました。

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