北海道は遠かった、広かった(その4)

今回は初めて渡道した昭和44年3月に訪ねた名寄本線です。この時はKAWANAKA先輩と別れたあと、1900生先輩と2人連れの旅でした。札幌から「大雪6号」で早朝に遠軽に着き、名寄本線の一番列車で中湧別、紋別、興部、名寄と138Km全線を乗り通し、すぐに一ノ橋まで折り返しました。一ノ橋・上興部間は11.0Kmあり、その中間地点のサミットまで歩こうという計画です。丁度北見と天塩の境で、天北峠と言われる場所です。並走する国道239号線をひたすら歩き、腰までの深い雪をラッセルしてようやく線路まで登り、2本の貨物列車を待ちました。まずやってきたのが名寄側から登ってきた49699牽く貨物列車です。

昭和44年3月7日 一ノ橋・上興部間

荷が軽く補機なし

残念ながら荷が軽いために補機なしでした。次に、この下り貨物列車が上興部で上り貨物と交換し、名寄行きが登ってくる筈です。

49600牽く上り貨物列車

最後尾にはスユニが。

こちらも荷が軽く,補機なしでガッカリではありましたが、目的は果たせたので、約5Kmの国道を一ノ橋駅までひたすら歩きました。このあと名寄から宗谷本線を北上し、日曹炭鉱などを訪ねました。

この一ノ橋駅舎は国道239号線の道の駅代わりの「駅カフェ」となって残っているようです。また上興部駅も鉄道資料館として現存し、構内にはキハ27109が保存されているようです。

3回の渡道だけでは、広大な北海道に広がっていた鉄路を、すべて訪ねることは無理な話でした。結局、一度も足を踏み入れることなく廃線を迎えた線区がたくさんあります。江差、松前、瀬棚、日高、富内、万字、幌内、歌志内、深名、士幌、広尾、白糠、相生、渚滑、興浜南、興浜北、美幸、根北各線です。また多くの私鉄、開拓軌道も同様です。このシリーズはこれでオシマイと致しますが、百戦錬磨の会員の皆様から、これらの線区の訪問記が紹介されることを期待しています。

 

北海道は遠かった、広かった(その4)」への3件のフィードバック

  1. 回を追う毎に、西村さんのウデが上がっていくのに目を見張りました。やっぱり艱難辛苦は人を磨くのですね!参りました。

    • 米手作市様
      おほめのお言葉、痛み入ります。褒めて頂いても何も返礼をご用意しておりません。関西から出かけた新婚旅行で標津線に乗られた方は日本広しと言えども、指折り数える程ではないでしょうか。食堂車シリーズで参入しようと思いましたが、向日町で撮ったマシ292で先を越され、打つタマがなく玉砕しました。無念残念!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください