以前に紹介したことがある、古い日本映画に出てくる鉄道シーンを解析するサイト「日本映画の鉄道シーンを語る」http://tetueizuki.blog.fc2.com/
を久しぶりに見ましたら冒頭に上映されるカットに映る軽便鉄道を「これは井笠鉄道だ!」「いや、鞆鉄道ではないか」とモメていました。
そこで余計なお世話ですが時間をもてあましている(と、思う)デジ青探偵団の皆様に出動をお願いして解決してあげようと勝手に決めた次第です。
写真は同サイトからコピーしたもので、サイズが小さい上に映画のコマからプリントしたため、非常に画質が悪くなっています。映画は東宝で1956年に製作された「黒帯三国志」というもので、本編では倉敷市交通局の1号機関車や古典客車が使われています。これはなかなか強敵だと思いますからフンドシを締めて掛かってください。
米手作市様
久しぶりの出動依頼ですね。これは遠州鉄道奥山線ではないでしょうか。蒸機はコッペルの1~3号機のうちの1両のようでもあり、サイドタンクやコールバンカーの形からは4号機か? 客車はハ1154と思われますが、写真が裏焼きのようです。2両目以降は判然としません。
丸妻の軽便客車、窓配置と1154の車番から、奥山線のものと推定されますね。1154は名古屋電車製作所 大正4年製。1108 と1109は、大日本軌道鉄工部 大正3年製で開業時に用意されたものですが、1154も含めその後に増備された同型車が多数いますね。
蒸機を特定できました。映画製作が1956年ですので、その時期に現役だったカマを絞り込みますと、9両中1両しかありませんでした。添付の9号機です。1924年コッペル製のC型10Ton機です。元は宇和島鉄道6号機。宇和島鉄道が国鉄に買収され、国鉄ケ220形224号機となり、宇和島線の改軌に伴って、九州の世知原線に移り、1944年に廃車となっています。その後1948年9月に奥山線にやってきて活躍するのですが、1956年6月には廃車になっています。廃車直前の時期に映画に出演するという晴れがましい機会に恵まれたのでしょう。ケ220の図面は臼井茂信氏著「日本蒸気機関車形式図集成2」からの引用です。更に、RMライブラリNo.10「追憶の遠州鉄道奥山線」には遠州鉄道所蔵の小さい写真ながら、「戦後、映画のロケーションのために運転したときのスナップ」というキャプション付きの写真が紹介されています。但し無蓋車と客車の混合列車です。いずれにせよ、かなり状況証拠が揃ってきましたので、間違いないのでは・・・。
早すぎます!
さっそく管理者の方にお知らせしました。
コロナ下の無聊を慰めるために「ここどこ?わただれ?」を再開するために資料を集めております。しばらく時間を貸してください。
機関車の素性は分かってしまったようですね。のんびり構えていたので、すっかり出遅れてしまいました。
ところで客車の扉が見当たりません。暑い時期の撮影で、開け放っているのかと思いきや、そうでもないようです。RMライブラリーには1964年撮影の写真が載っていますが、映画の1154とは扉付近の造作に差異が見られます。ステップがあったのか、一段下がっています。もしや、これはオープンデッキだったのでしょうか?同書の30ページにハ1153が載っていて、「原形のオープンデッキ」とのキャプションがあります。ハ1153は1955年に改造されてサハ1110に改番されますが、改造前はオープンデッキでした。この映画の公開は1956年1月とされてますが、撮影は1955年でしょう。
客車が4桁の番号に改番されたのが1951年ですので、1951年から1955年の間に撮影された可能性もあります。
この時期には他の機関車も残ってましたが、サイドタンクの有無や大きさなど、いずれも形状が異なります。該当するのは西村様がおっしゃる通りで、9号機以外は考えられません。
「日本映画の鉄道シーンを語る」では、古い映画の使い回しでは?と疑っておられます。この当時のフィルム事情なら1シーンや1カットぐらいなら使い回しはあっただろうなと思います。この映画では倉敷市交通局・水島鉄道のこの車両が前編で使われているそうです。
米手様
確かに使い回しであれば、わざわざフィルムを裏向けにしてごまかして利用したことは考えられますね。どう見ても1154の数字が裏向きです。本当は左から右に走っていたコマを、右から左に走る画像にしたのでしょう。どうせだれもわからないだろうとタカをくくっていたのでしょうが、そうはゆきませんよね。
遠鉄奥山線電車と気動車が木造客車を牽き、昭和40年頃まで走っていたと記憶します。
昔、洒論会で仲良くさせていただいた、故中島忠夫さんの撮影した写真を預ったことがありますので、少しお見せいたします。撮影は昭和37年くらいだったと思います。