▲深浦の旅館に泊まって、翌日は5:10に起床(手帳による)、始発の1725レに乗って鰺ヶ沢へ、10分停車ののち、7:22発車の同列車を撮影。化粧煙突のきれいな58666が牽引。
2月7日(月) 雪の五能線を堪能
深浦 5:50→鰺ヶ沢 7:12 1725レ オハフ61 345
鰺ヶ沢 12:24→五所川原 12:57 1731D キハ22 339
五所川原 13:16→鰺ヶ沢 13:53 1734D キハ17 369
鰺ヶ沢 14:40→鳴沢 14:47 1735D キハ11 104
鳴沢 16:11→川部 17:44 1739D キハ11 103
川部 19:04→黒石 19:14 143D キハ22 155
黒石 19:28→川部 19:38 144D キハ22 155
川部 20:06→青森 20:40 急「むつ2号」 キハ28 502
(青森駅待合室 ネ)
▲鰺ヶ沢でのスナップ、待合室から見た1725レ、早くも給水する牽引機。この当時、全国で8620は40両余りに減っていた。ほとんどが入換用で、客貨を牽いていたのは、あと室木線ぐらい、五能線で150キロ余りの長距離を牽くのは、たいへん貴重だった。
▲鰺ヶ沢で下車して、鳴沢寄りに歩くと、ここも海岸沿いの区間に行き着く。上の1728Dはキハ11 103ほかの6連という長大編成だった。▲▲海岸と線路の間に、へばりつくようにして民家が。1727D
▲同区間での1730レ、煙で隠れてしまったが、後部に客車を連結した混合列車。日本海の荒波を被りそうになりながら、ゆっくり通り過ぎた。
▲風も止んで穏やかになり、そのなかを8630の牽く764レが通る。
▲鰺ヶ沢まで戻ると、先ほどの貨物を牽いてきた8630が転車台に乗るところだった。
▲鰺ヶ沢で後部にキハ22 339ほか3両が増結されて、全部で5両となった1731D、これに乗って五所川原へ移動。
▲昭和45年10月改正の五能線ダイヤ 今回は川部~五所川原~鯵ヶ沢~深浦と、北半分のみの訪問だったが、少ない列車をうまく移動すれば、結構稼げることが分かった。
▲五所川原に到着、48640が小雪のなかで発車待ちしていた。
▲五所川原では、つぎの列車の到着直前、たちまち長い列が改札前にできた。
▲これが平日の13時過ぎの五所川原駅ホーム。▲五所川原から、たんまり乗客を乗せた1734D、キハ17 369の車内、津軽弁が飛び交う、五能線ワールドを耳からも満喫。
▲鰺ヶ沢からひと駅戻った、無人駅の鳴沢で下車して8630の牽く764レを撮影、8630は当時、いちばんの若番、化粧煙突で、その年、文句なく梅小路蒸気機関車館の保存機に選ばれ、つい最近まで有火で構内運転を行っていた。
▲続いて1737レ、18677+貨車+客車4両+貨車という長編成だった。
▲これで五能線の任務は完了、時間調整のために黒石線に初乗車して、川部~黒石を往復、青森駅の待合室へ向かい、今回の旅行二度目の宿泊先となった。
五能線はあこがれの地で、始めて行ったのは1974年のDRFC鯵ヶ沢合宿でした。この時すでにSLは走っておらず、DE10が混合列車を曳いていました。それから50年近くたち五能線を完乗したのは去年のことでした。50年前は、平日の13時に五所川原のホームには乗車を待つ乗客が多くいたのですね。昨年行った時は2両のガラガラのGV-E400が走り、津軽鉄道に乗り換えた五所川原には人影はありませんでした。ところで本文にある五能線のダイヤは、鉄道ファン1971年1月臨時増刊号「蒸気機関車撮影地ガイド」にあったダイヤではなかったでしょうか。私も購入しましたが、この時は浪人生時代で指をくわえて眺めていました。
五能線の思い出、ありがとうございます。私も3、4年前に五所川原へ行きました。朝夕はまだ高校生たちで賑わうものの、昼間の閑散ぶりには、昔を知る人間には衝撃でした。
ダイヤは「鉄道ファン」のものです。撮影地へ行くと、その本を抱えた撮影者によく出会ったものです。