ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より

デジ青へ多大なご協力を頂いている宮崎繁幹様から当探偵団に次のようなお手紙を頂きました。

《GordonDavis氏作品集として「思い出す日本の鉄道」という写真集を刊行して20年近く経ちますが、これは同氏が撮られた中から国鉄を主体としたものでした。続いて私鉄編を出す旨公表したのですが撮影場所不明なものが多く、出版にこぎ着けられませんでした。今回はデジ青探偵団のみなさまのご協力が得られそうなので期待しております》

宮崎さんは多くの鉄道研究家から信頼されて、その方々が撮られた写真を所蔵管理されています。しかし、撮影場所などデータ不足で日の目を見ないものも多いと聞きました。そこで私がお役に立てればと「エエカッコ」をしたのです。

ということで、当探偵団の実力拝見と、先ず関西中心の写真を送ってきて下さいました。私からは「全国津々浦々、鉄道ならば場所は特定できる!」と豪語した手前、サンプリングで躓くことがあってはなりません。
どうか諸探偵の皆さん、宮崎さんが「これならいける!」と評価下さればさらなるご依頼が見込めるので張り切って調査をお願いします。なお、写真には全く手を加えておりません。撮影場所、時期、車両に関してウンチクを傾けて下さい。

ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より」への21件のフィードバック

  1. ③と④は神戸市電です。
    ③の306号は兵庫駅前での撮影。11系統は兵庫駅前―平野を往復する系統です。右手に見える映画の看板に「女いれすみ百万両」とあり、昭和31年2月18日に公開されてます。エノケンやキンゴロー、トニー谷らが出演するコメディ時代劇だったようです。
    撮影は昭和31年でしょう。
    ④の707号は三宮駅前の撮影。6系統は石屋川から栄町・新開地を経由し、兵庫駅間を往復する系統でした。ここにも映画の広告があって、「早春」と読めます。小津安二郎監督、池辺良主演の松竹映画で、昭和31年1が29日に公開されました。
    撮影は昭和31年で、③と同じ日かもしれません。

  2. ①は山陽兵庫ですね  ③と同時の撮影でしょうか?  ②はおそらく①の反対向き、長田へ向かう後ろ追いではないでしょうか? ②と思しき地点で撮った写真がタマタマありました。 続編期待します。   

  3. ③は皆さんご指摘の通り兵庫駅です。67.2.27に撮影した一部ですが、左に市電兵庫駅の表示があります。

  4. ①②はポイントや亘り線、架線等から、山陽電鉄兵庫駅付近で、①は終着の電鉄兵庫駅に進入する電鉄姫路からの普通電車100型2連、②はその反対方向を向いて、西新町行き普通の100型(この時期でも単行の営業列車は珍しいですね。)の、ともに後追いでの撮影と考えられます。参考文献として、「高橋弘写真集2A 関西の私鉄 懐かしき時代」の111~113ページに、ほぼ同じ場所での撮影写真があります。

    • 準特急さま、なかなか素晴らしい組み合わせの写真ですね。公衆電話BOXも懐かしいです。いまやBOXどころか、公衆電話も無くなろうと云う時代になりました。先週、新幹線に乗車したら、電話は未だ置いてあったが、サービス終了し、使えませんとの貼紙がしてありました!

      • 宮崎繁幹様
        新幹線利用の写真展見学有難うございました。写真展と言えば稲門鉄研会さんのM御大の高田馬場のD51も印象に残りました。板張りの跨線橋など時代を感じます。神戸市電兵庫駅ではたまたま上を走る特急電車を絡めましたが、Davisさんと同じ角度で市電577号も撮っています。最近、JR山手線や東急線などは安全対策のホームドアが設置されて駅の雰囲気が激変しております。ホーム柵未設置の駅では駅撮りもして記録に残しております。山陽電車の兵庫界隈も当会OBのTさんの縄張りですが一応撮っております。

  5. デジ青の皆様には、早速に色々と教えて頂き有難うございます。Davisさんは、神奈川県のキャンプ座間に昭和28年から32年頃まで駐屯されたと伺っています。東京周辺では随分と撮影されていますが、遠征はそれほど出来なかったようです。西方へは、東海道本線の電化完成(昭和31.11.29)の直前に出かけたそうなので、これ等の写真はその折のものかと思います。紫の1863さまの、映画封切日からの考察とも一致しています。私も長年鉄道趣味に浸っているので、「私は誰?」の方はまぁまぁ判るのですが、「ここ何処?」の方は、なかなか判りません。これから暫くは、宜しくご教授下さいますよう。

    • 宮崎繁幹様
      「ここどこ?」は全て判明しております。時期については昭和30年前後と踏んでおりましたが、映画の封切りで昭和31年とわかった神戸市電を書き込みました。
      残りは後ほど書き込みますが、⑨⑩の京福電鉄叡山線に少々手こずっております。出町柳付近のように思うのですが、もう少し考えさせてください。

  6. ⑤ 京阪電鉄京津線
    九条山駅から蹴上方向を向いて撮影された、三条行200形2連の急行。200形は木造車体が大半を占めましたが、221をはじめ半鋼製車体のみが京津線に使用されたとか。
    ⑥ 京阪電鉄 七条-五条間
    七条駅の北方から撮影された、奈良電のデハボ1013三条行。この頃京阪と奈良電(現近鉄京都線)は丹波橋で相互乗り入れをしてました。背景の橋はアーチが特徴の七条大橋です。
    ⑦ 京阪電鉄 七条-五条間
    1007ほか3連と1700形?の特急同士がすれ違います。手前は鴨川運河で、大阪行きのホームが見えています。右端に見える鳥居は、西南角の松明殿稲荷神社のもの。
    ⑧ 京阪電鉄 七条-五条間
    ⑥⑦とは反対の三条を向いて撮影された、521+522の三条行き普通。背景の橋は七条大橋の一本北にかかる正面橋。
    ⑨ 京福電鉄叡山線 出町柳-元田中間
    八瀬行きのデナ124です。
    ⑩ 京福電鉄叡山線 出町柳-元田中間
    八瀬行きのデナ124で、出町柳は画面左手です。Davis氏はこの写真の後、⑨を後追いで撮影されたように思います。背景の木々は多分下鴨神社と思われ、信号機が左手に見えますので出町柳を発車した直後と考えました。

    • 紫の1863さまの叡電の撮影場所に関する御考察は、その通りと思います。1枚では判りませんが、同時期にDavisさんが京都で撮影した記録を見ると、叡電はこの2枚だけです。恐らく限られた時間内で、効率よく周るため、叡電の乗車は諦め、撮影も始発駅の直ぐそばで済ませて、次の目的地に向かわれたのでしょう。デジ青探偵団は、撮影者の心理まで読まれて居られると、御見受けしました。

      • 宮崎繁幹様 
        撮影者の心理を考えるほど深くは考えておりませんが、なるほど、おっしゃる通りですね。
        ところで、ずっと考えていたのですが、ようやく⑨⑩の撮影場所が特定できました。
        出町柳から北に延びる線路は、350メートルほど進むと東寄りに進路を変えます。さらに100メートルほど進んだ場所に踏切があります。御蔭通りと交差するのですが、やや変則となっております。Davis氏が撮影されたころとは変わりましたが、信号機は今も同じ場所に立っております。
        どうすれば画像が添付できるのか、私にはわかりません。申し訳ありませんが、グーグル等の地図をご覧になっていただけますでしょうか。
        踏切の南から出町柳を向いて撮影されたのが⑩、振り向いて後追いを捉えたものが⑨になります。

  7. 京津線での200形は乗ったことがあるのではと思いますが、はっきりとした記憶がありません。200形はその後石坂線に移り、私が写真を撮った1968年ころは朝の通学ラッシュ時のみに使われていたようでした。当時高校生で、通学の際に63形と共にこの5枚窓の200形は乗ったことがあります。急行色でいかつい車体、この頃は更新車ですが260形、350形などが主流となっていて、旧型車に乗るのは楽しみでした。

  8. 宮崎繁幹様、初めまして。DRFC四方と申します。
    いつも私の拙いコメントに紫の1863様からコメントをいただいておりますので、私からもフォローさせていただきます。
    ⑨と⑩の場所ですが、出町柳4号踏切で、現在のストリートビューでは下図の如くなっています。⑩の信号機もですが、⑨の洗濯物の後ろの建物も健在(?)のようです。

    • 宮崎様、紫の1863様、四方様
      かつて3年間 叡電で通学していましたので、⑩の閉塞信号機の背後にある低いコンクリート壁はよく覚えています。ご推察通りの地点に間違いないと思います。ただ、年代を推定する決め手がないですね。植木に木の葉がなく、秋から春にかけての寒い時期のようですね。⑩の自転車の人の右手に積まれた丸いものは何でしょうね。

    • 四方誠さま、これは完璧な証拠ですね! 私も叡電には乗車していますが、出町柳からでも北方には山が望めたと憶えていたのに、Davisさんの写真では見えません。それが場所が何処だか判らなかった、大きな原因でした。こうしてみると、単に撮影時には山は霞んでいて写っていなかったのかと思います。やはり場所のことは、地元の皆様に聞くのが一番との思いを深く致しました。有難うございます。

    • 四方誠様
      ありがとうございます。文字で書くより、画像のほうが一目でわかります。おかげさまで助かりました。
      ⑨の薄茶色の建物は、確かに同じようですね。撮影はおそらく昭和31年2月と思われますので、長く叡電の往来を見てきたのでしょう。
      西村雅幸様
      ⑩の丸いものが気になりますねえ。もしかすると陶器でできていて、逆さまにして埋めて使うのでしょうか?

    • 各位、
      ご返信、ありがとうございます。

      宮崎様、
      お役にたてたようで、よかったです。

      紫の1863様、
      差し出がましいことで、失礼いたしました。

      西村様
      工事用資材が放置されているように見えますが、集水桝かマンホールの部材ではないでしょうか。

  9. 皆様、ありがとうございます。出足好調と安心致しました!
    宮崎さんに顔向けが出来そうです。がんばって続けますのでご協力下さい。

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