癒しの島 台湾鉄道2023年秋の旅 Part4 国立台湾博物館(鉄道部パーク)視察

第2日目 9月1日 その1

① 高雄6:55(自強3000・110次)⇒10:47台北

▲ 6:50 今日はデカンショまつり号さんと台北駅で合流します。私は昨夜高雄駅で購入したTR-PASSから自強号の切符を受け取り在来線で台北へと向かいます。

▲ 乗車したのは2021年から日立製作所へ50編成600両が発注された新型のEMU3000型です。今迄のPP編成の1000型と比べるとリクライニング角度は劣ります。20度くらいは欲しいですね。
列車速度は、120~130km/hで快走します。

高雄出発時の乗客はガラガラでしたが次第に席は埋まり台北時点ではほぼ満席でした。
車内販売、ごみ収集等車内サービスもしっかりと行われています。

▲ 台風が近づいてはいますが、今日の空は雲はすこしありますが青空です。
デカンショまつり号さんとの合流時間は13時でしたので随分と早い台北到着です。駅構内が変わっていないかゆっくりと見学ができました。

▲ いつもは出発を待つ乗客が床に直に座ってくつろいでいるコンコースの広い広場では台湾各地の名産品を紹介する物産展が開催されていました。見て回りますと日本から日本酒・焼酎を紹介するブースが出品されていました。

▲ 11:58 昼食はフードコーナーで台湾名物の牛肉麺を食しました。

▲ 13:30 デカンショまつり号さんとも無事合流できましたので熱い地上は避けて空調が効いた地下街を歩いて約15分、地上に上がると国立台湾博物館(鉄道部パーク)が見えてきました。
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【 国立台湾博物館(鉄道部パーク) 】
1884年に銃砲火薬を製造するためイギリスとドイツの顧問を招聘し工場が建設されました。1895年には日本軍隊に接収されて、台北兵器修理所に変えられ、兵器以外に船舶、鉄道鉄橋なども製造していました。後に台湾砲兵工場と改称されました。1900年に所属が陸軍省から鉄道部に移され、同年に台北工場と改名され、1908年台湾西部の縦貫線鉄路が開通しますと鉄道の運輸量と車両の修理工事が増え、翌年に台北工場は東に拡張されました。現在は松山に移転されて、2020年7月、新たな博物館「国立台湾博物館 鉄道部パーク」としてオープンしました。
65歳以上の私は入場料無料でした。

【 台湾の鉄道の歴史 】
清朝清朝清朝統治時代の末期の1887年(明治20年)に基隆から台北を経て新竹を目指して工事が始まりました。起工式典が行なわれた6月9日は現在、台湾の鉄道記念日となっています。
1888年(明治21年)7月に台北~錫口(現;松山)が1067㎜(狭軌)で先行開業、1891年(明治24年)10月に基隆~台北(28.6㌔)が開通しました。その後新竹へは1893年(明治26年)10月に延伸されて約100キロの開業となりました。開業式典は1894年1月23日に開催されています。
その後は1894年(明治27年)、勃発した日清戦争により延伸計画は止まっていましたが1895年(明治28年)に日本の勝利により清国から台湾が割譲され日本統治下に入ると台湾発展のためには鉄道整備は欠かせないと積極的な建設が開始されていきます。
線路規格が16kgレール、最高勾配50‰、最小曲線半径100メートル(ただし局所的に75メートル)と低規格であった既存線は高規格へと置き換え改良され、1908年(明治41年)には縦貫線の基隆 -~高雄 404.2㌔が全通しました。

▲ 2階には台北駅のジオラマが設置されていてHOゲージでの運用が行われていました。詳しくはこちらに紹介されていますのでご覧ください。
https://www.taipeinavi.com/miru/494/

▲ 15:15 見学を切り上げて再び台北駅へと戻って花蓮へと向かうことにしました。

② 台北 16:10(自強 3000  34次)⇒18:28 花蓮

 

▲ 花蓮での宿はもう何回も宿泊しています駅前のWOWホステル(洄瀾窩青年旅舍)です。自炊も出来るホステルで外国人の利用も多いホステルです。今夜の宿泊料はツインで2人で9,351円でした。

▲ 今夜の夕食はかつて白川さんに紹介していただいた花蓮名物ワンタンのお店「花蓮香扁食」です。ビールはコンビニで買っての持ち込みで美味しくいただきました。 Part 5 へ続く

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