京浜急行デハ230型とトンボ電車クハ140型

米手作市様からのご指名ではないが、迷図作家さん関連の京浜急行230型の乙訓の老人様発表の続きとして失礼ながら続行させて頂く。また、同作家の昨年7月7日のトンボ電車について廃車後ではあるがその姿も発表する。とんぼ電車については京浜急行クハ140型が電動車デハ51型であった頃にポールをふりふりして軽快に駆けた姿からその様に言われたとのことで私はその記事をよく読まずお尋ねして恥をかいた次第である。

         1998.5.4 房前~塩屋 38+37

この撮影名所はその後の訪問では覆いができてしまい撮影を諦めたように思う。

 

           1998.5.4 房前~塩屋 27

京浜急行デハ230のサイドビューである。京浜急行は馬堀海岸、三浦海岸、大森海岸、津久井浜、汐入、浦賀等々海に因んだ駅名が多いがこれほど海に近づいて走行している場所はないと思う。この撮影地点の背後に琴電の旧型車が保存されている。

 

           1970.1.4 川崎大師付近 

品川からの初詣臨時急行でだるまのヘッドマーク付き。前から246・245・250・249の編成。

1965年の夏には海水浴の臨時特急が230型を含め吊り掛け車も総動員して運行されていた。アルバイトの帰りに新子安の京浜東北線のホームからその快走ぶりを見たことがある。乗ってみると窓が大きくて低く、シルにリベットがつき少しP-6を思い出したが、小錦と舞の海の重量差、軽快差を感じた。

 

        1966.11.1 久里浜工場 141

この電車がその昔ポールふりふりとんぼ電車と言われたようであるが、丁度廃車された頃に久里浜工場にいたので撮影した。デハ230と連結してクハとなったり中間に入っていたとのことであるが、現役の姿は見ていない。

 

 

京浜急行デハ230型とトンボ電車クハ140型」への2件のフィードバック

  1. 準特急さん、鮮明にして発色の良いプリントを投稿していただき有難う。
    頭同様のボケ写真で皆さんごめんなさい。
    ぶんしゅうさんは準特急さんの撮影位置まで登ったり、線路際などずいぶん位置取りで苦労しておられました。以前は漁船の停泊位置を囲む築堤上から塩屋方面から来る2両がきれいに撮れました。また築堤で魚釣りの人も多く賑やかでした。ある時若者が4,5人やってきて「オッチャン何処から来たの?」と声を掛けられました。「京都からや、君らは何処からや」「大阪の関大鉄研や」「オッチャン同志社や」それから堤に腰掛けワイワイガヤガヤ。「オッチャン古いことよう知ってるなぁ」「お姉ちゃんがこっちの人と結婚したさかい、時々甘えにきてるのや」
    この時の若者たちに今日あたり店頭に並ぶであろうCan Books、目に止まるな?
    あれから20年ぐらいになるなぁー。
    ところで京急・快特に乗るには泉岳寺初発に乗るに限る。ずいぶん前に気付き、2100、2000、新々600のカブリツキに乗った。平日、閑散時ならまず大丈夫。
    土日は若い「鉄」専用の乗車位置になっているようだ。

  2. 乙訓の老人様
     関西の大学同士の和やかな会話が目に浮ぶ様です。私も暑い夏の日、@ロギング太郎さん、総本家さんと武蔵野線で撮影する際に関東人の立命館の方と、また夏の小湊鉄道の撮影で新幹線で駆けつけたこれまた立命館の方とお会いしたことがあります。甘えに行かれたのは善通寺のお姉さんでしたね。
     写真が真っ青でブルーのサングラスで見た様な感じお見苦しく申し訳ありません。ポジのRDPⅡ自体が青みが強く出ており、PhotoShopの修正の仕方がよくわからず、また、圧縮技術が不足するなどの結果と思います。
    ところで乙訓の老人様と言えば京阪、京阪と言えば乙訓の老人様ですが、他の私鉄や路面電車、はたまた海外の電車まで造詣が深く、関東の私鉄でもそこいらのにわかマニアよりずっとご存知で私はいつも緊張して話をしております。漏れ聞いたのですが、老人様は関東では小田急に比較的興味をお持ちですが、関西的な匂いのする京浜急行のカブリツキもうなづけます。そう言えばつくばEXにご一緒させて頂いた時もカブリツカれていましたね。

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