クモハ11123+クハ16405/ (48-1-28) 可部線中島
東急、京王、京成と関東大手私鉄の戦災復旧車が続いたので、暫く戦災復旧車が続くのかと思っていたところ、予想に反して国電が登場した。
モハ30形は、同形の付随車サハ36形、サロ35形と共に昭和元年から3年にかけて国鉄(鉄道省)初の半鋼製車として258両製作された。内訳はモハ30形205両、サハ36形45両、サロ35形8両である。
元年製と2年製は旧称号のデハ73200、サハ73500、サロ73100で登場して、3年の称号改正でモハ30、サハ36、サロ35に改番された。
サロ35は13年11月東京地区通勤路線の2等車廃止によりサハに格下げされたが、16年から17年にかけて中扉を増設してサハ36形に編入され36046~36053となった。
戦災で60両を失い、戦後は飯田線向けセミクロス化による他形式に改造等で両数が減少、モハ30の電装解除によりクハ化(クハ38050番代→クハ16200番代)、運転台撤去による中間電動車化(モハ30500番代→モハ10)が実施された。
28年6月1日の改番時でモハ30はモハ11000番代(丸屋根改造車は300番代、後に100番代)、中間電動車化(同時に丸屋根改造を実施)された車両はモハ10、クハ38に編入された車両はクハ16100番代(丸屋根改造車は200番代)、サハ36はサハ17000番代(丸屋根改造後は100番代)となった。
二重屋根は26年から31年まで丸屋根改造(更新修繕Ⅱ)が実施されたが、未改造のまま廃車された車両も存在した。
その後も両運改造、事業用車改造が実施された車両が存在したが、文章では複雑になるため画像で解説する。
クモハ11形100番代
11000番代は丸屋根改造後11100番代に改番され、11100~11140(11039欠)、11150~11161(11155、11160欠)の50両在籍した。
100~と150~の相違は台車で、100~はDT10、150~はDT11を履いていた。
クモハ11111(2年汽車会社)/ (41-3-7) 福山
デハ73346→モハ30147→モハ11045→クモハ11111
「1」の5並び。44年3月31日府中で廃車。
クモハ11116(元年日本車輌)/ (47-5-1) 浅野
デハ73254→モハ30056→モハ11022→クモハ11116
49年2月25日弁天橋で廃車。
クモハ11117(2年川崎造船所)/ (50-8-10) 横川
デハ73322→モハ30123→モハ11035→クモハ11117
可部線で使用のため連結器は自連になっている。52年1月25日広島で廃車。現在も幡生工場で保管されており、梅小路鉄道博物館開館時には是非こちらで保存願いたい。
クモハ11123(元年汽車会社)/ (48-1-28) 横川
デハ73274→モハ30075→モハ11017→クモハ11123
52年1月23日広島で廃車。
クモハ11152(2年汽車会社)/ (47-5-1) 鶴見小野
デハ73254→モハ30056→モハ11022→クモハ11116
台車がDT11のため50番以降に付番。49年2月25日弁天橋で廃車。
クモハ12形040番代
クモハ11100番代で両運転台に改造された車両は、クモハ12形となり040番代が付番された。
クモハ12040(元年汽車会社)/ (41-3-7) 福山
デハ73274→モハ30075→モハ11017→クモハ11153→クモハ12040
35年4月福塩線で閑散時単行運転を行うためクモハ11153を両運に改造した。昭和47年仙石線に転属となり、連結器を自連に取替え、同線車両が郡山工場入場時の牽引車として使用された。57年仙石線で廃車。
クモヤ22112→クモハ12041(2年田中車輌)/ (61-8-10) 沼津
デハ73330→モハ30131→モハ11047→モハ10016→クモヤ22112→クモハ12041
62年3月イベント用としてクモヤ22112を旅客用に復活した。平成14年2月廃車になったが、リニア鉄道館に保存展示されている。
クモハ12041は不覚にも撮り損なったので、改造前のクモヤ22112の画像である。
撮影された方は是非発表をお願いしたい。
モハ10形
26年~28年にモハ30形の運転台を撤去して中間電動車化した車両で、モハ10000~10018、モハ10050~10064の34両在籍した。000番代と050番代の相違は台車で、000~はDT10、050~はDT11を履いていた。
モハ10008(2年川崎造船所)/ (42-3-26) 武蔵中原
デハ73308→モハ30119→モハ10008
43年2月武蔵中原で廃車。
モハ10052(3年汽車会社)/ (42-3-26) 武蔵中原
モハ30200→モハ30508→モハ10052
43年6月武蔵中原で廃車。
モハ10063(3年日本車輌)/ (42-3-26) 武蔵中原
モハ30174→モハ11074→モハ10063
42年9月武蔵中原で廃車。
クハ16200番代
モハ30を電装解除してクハ38になった車両は55両存在したが、丸屋根に改造されたのは44両で、車号は16200~16234(16229.16231.16233欠)16250~16264(16261.16263欠)となり、未改造車は34年までに廃車された。200~と250~の相違はモハ10と同様台車である。
クハ16215(元年日本車輌)/ (47-5-1) 鶴見小野
デハ73223→モハ30023→クハ38063→クハ16109→クハ16215
55年12月武蔵中原で廃車。
クハ16219(元年日本車輌)/ (40-3-20) 豊橋
デハ73252→モハ30053→クハ38065→クハ16111→クハ16219
42年4月富山で廃車。
クハ16225(元年川崎造船所)/ (47-5-1) 鶴見小野
デハ73204→モハ30005→クハ38053→クハ16103→クハ16225
49年8月弁天橋で廃車。
サハ17100番代
サハ36形は28年改番時に28両在籍し、17000~17027となった。全車両丸屋根改造され、順に17100~17127に改番された。
サハ17102(元年川崎造船所)/ (40-8-17) 笠岡
サハ73503→サハ36004→サハ17002→サハ17102
41年12月鳳で廃車。
岡山~三原間の普通電車でクモハ51+サハ17+クハ68+クモハ51の4連。
天下の山陽本線を90km/h以上の速度で17m車が堂々と走行していた。
サハ17106(元年汽車会社)/ (42-3-26) 武蔵中原
サハ73521→サハ36022→サハ17006→サハ17106
44年8月武蔵中原で廃車。
サハ17117(3年日本車輌)/ (42-3-26) 武蔵中原
サハ36035→サハ17017→サハ17117
44年9月武蔵中原で廃車。
サハ17127(元年川崎造船所)/ (43-4-7) 弁天橋
サロ73101→サロ35002→サハ36047→サハ17027→サハ17127
44年8月弁天橋で廃車。
サロ35形は35001~35008の8両製作され、3扉化改造でサハ36形に編入され、サハ36046~36053となった。戦災で36048~36053が廃車となり戦後まで生き残ったのは36046、36047の2両であった。
事業用改造車
クモハ11100番代からクモヤ22(牽引車)に1両、クモエ21(救援車)に4両、クモル24(配給車)に8両、クモル23に2両、モハ10からクモヤ22に9両、クハ16200番代からクル29に4両、サハ17100番代からクエ28に1両、クル29に2両改造された。(車号省略)
クモヤ22117(2年川崎造船所)/ (42-6-8) 西大路
デハ73327→モハ30128→モハ10010→クモヤ22117
56年2月高槻で廃車。
クモル24005(2年日本車輌)/ (47-1-2) 向日町
デハ73298→モハ30099→クモハ11101→クモル24005
56年5月高槻で廃車。
クエ28100(2年川崎造船所)/ (40-3-20) 豊橋
サハ73539→サハ36040→サハ17022→サハ17122→クエ28100
56年豊橋で廃車。
私鉄譲渡車
28年改番後、二重屋根時代に駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道)に1両、相模鉄道に11両、丸屋根改造後、相模鉄道に2両、弘南鉄道に2両、上毛電鉄に1両、伊豆箱根鉄道に2両譲渡された。
相模鉄道は全く撮影していないので、それ以外について解説する。
弘南鉄道
クモハ11124(41年3月北松本で廃車)とクハ16222(41年3月北松本で廃車)が42年に譲渡されモハ1120とクハ1610となった。
経歴は下記の通りである。
デハ73246(元年日本車輌)→モハ30048→モハ11018→クモハ11124→弘南モハ1120
デハ73341(2年汽車会社)→モハ30142→クハ38100→クハ16138→クハ16222→弘南クハ1610
上:モハ1120/(43-9-2) 南弘前 下:クハ1610/(50-4-29) 平賀
上毛電鉄
クハ16259(41年3月北松本で廃車)が42年に譲渡されクハ771となった。モハ222(元国鉄クモハ11214)とMc+Tc編成でラッシュ時を中心に使用されたが、消費電力が大きい、従来からの車両との併結不可等から51年に廃車となった。
モハ30163(3年川崎車輌)→クハ38087→クハ16153→クハ16259→上毛クハ771
(51-2-15) 大胡
伊豆箱根鉄道
モハ11000(34年2月廃車)を35年に譲受けモハ46として大雄山線に、クハニ19003(40年11月伊那松島で廃車)、クハニ19005(41年7月伊那松島で廃車)を42年に譲受け、サハ83として駿豆本線に、クハ28として大雄山線に配置した。サハ83は55年に大雄山線に転属、クハ28は程なくクハ183に改番された。
経歴は下記の通りである。
デハ73203(元年川崎造船所)→モハ30004→モハ11000→伊豆箱根モハ46
デハ73340(2年汽車会社)→モハ30141→クハ38083→クハ16125→クハ16217→クハニ19003→伊豆箱根サハ83
デハ73318(2年川崎造船所)→モハ30111→クハ38077→クハ16119→クハ16221→クハニ19005→伊豆箱根クハ28→クハ183
モハ46/ (48-5-6) 大雄山
丸屋根改造は、伊豆箱根鉄道で行われ、同社の元モハ30戦災復旧車と同様のスタイルとしたため、63スタイルで丸屋根化した国鉄とは異なる。
戦災復旧車
モハ30の戦災復旧車が4両在籍した。全車駿豆本線で使用された。
モハ56/ (48-5-6) 大場
モハ30051を24年自社で復旧した。
モハ57/ (48-5-6) 三島
モハ30031を24年自社で復旧した。
モハ58/ (48-5-6) 大場
モハ30057を25年自社で復旧した。
モハ62/ (48-5-6) 大場
書類上ではモハ31024となっているようであるが、実態は西武クハ1336(元国鉄モハ30019またはモハ30165)らしい。