三江線の廃止が検討されているということで、いま、デジ青で話題となっています。私の見る限り、朝日新聞や毎日新聞のネット版とNHKオンラインなどで報道されていました。NHKでは廃止されると本州で初めて100㎞を越える路線の廃線となると伝えています。
さて、その三江線ですが「2年後に三江線廃止?」にコメントしたように私は41年前の1974年3月13日にまだ三江南線と言っていた頃、三次駅から口羽駅まで往復しました。この時もはっきり覚えていないのですが、三次で泊まったような気がします。そうしないと乗れなかったようです。いま、三江線乗車を考えてみるとどうしても沿線のどこかで泊まらないといけないようです。無理して宿泊なしにしても、どこかで夜行バスに乗る必要があります。以前であれば夜行列車があったのですが、今はないので夜行バスのお世話になる必要があるのです。
三江南線のホームは一番西側の端っこにちょこんとありました。空は3月というのにどんよりとしていました。どこか寂しげな感じですが、用事を済ませて山間の家に帰る人が間もなく列車が来るのでホームへ向かっています。なぜか、列車の写真は撮っていません。三江南線はこのホームと車窓からの写真が2枚の3枚だけです。この写真は好きな写真のひとつで卒業するときに先輩方が卒業するときにアルバムを残していかれたので、私も真似をしてアルバムを作りました。その時に選んだ写真の1枚です。
その乗客の姿を拡大して明るさも見やすくすると
これを見ると着物を着た女性は用事を済ませて帰宅するような感じです。一番後ろの男性は長靴を履いています。いまはどんな感じなのでしょか。
車窓からの風景ですが、
列車の川を挟んで対岸に集落があります。しかし、どのあたりか全くわかりません。現在の地形図を見てみると対岸に家があるのですが、橋がない所や駅の周辺には家が少ないですが、少し山間に入った所に人家があったりしています。今回、初めてこの車窓からの写真を拡大して見てみました。
川には川船があります。漁をする船なのか対岸に渡る船なのかわかりません。家から川辺に行く道が見ることができます。家の造りは二階建てですが、居住するところは2階で、下は物置のような感じです。もう1枚の写真はというと
川の中にある橋脚のようなものは何でしょうか。これから橋をつくろうとしているのでしょか。よくわかりません。民家の部分を拡大してみると
川沿いの山が迫った狭いところに家が建てられています。3階建てのようにも見えます。河原への傾斜部分を有効に使っているように思えます。
1975年8月に全通したので、その1年前に乗っただけで、その後は乗っていません。ところが、梅原猛氏の「水底の歌」の本に、柿本人麻呂の終焉の地が斎藤茂吉の説によると三江線沿線にある湯抱温泉近くの鴨山ということであるが、梅原氏の考えによると違うと書かれてある。違っていても、その最寄り駅が三江線粕淵駅であることから、興味が出てきて行ってみたいと思うようになりました。ところが、列車本数が少ないのでちょっと難儀なところのようです。やはり、どこかで泊まって乗るしかないようです。近々行くとしたら、広島旅行の帰りに三次で泊まって三江線に乗り、浜田から夜行バスというのが有力ですが・・・。または、改めて秘湯湯抱温泉宿泊というのもいいかもしれません。
どですかでん様
三江南線の貴重な写真を紹介下さり、ありがとうございます。三次の0番ホームはキハがせいぜい2両程度の長さですね。右手の除草剤散布車と保線車両も古そうです。車窓から見る対岸の風景ですが、三次・口羽間でしょうから再度車窓から見れば場所が特定できそうですね。橋脚のようなものですが、多分橋脚でしょう。それも吊り橋の主塔の柱部分が無いようにも思えます。江の川水系には吊り橋が結構あったように思います。広島ツアーにひっかけて湯抱温泉も一興ですね。実は私は湯抱に1泊したことがあります。この掲示板のコメント欄には写真が添付できないので、新たに湯抱紹介を別稿でアップし、三江線の集客に寄与させてもらいます。
西村雅幸様 橋脚は多分吊り橋のものだと思いていますが、これから吊り橋をつくる途中と思ったりしています。それは、わずかな記憶ですが車窓からの眺めでは橋があまりなく、船があったので、それで川を渡っていたのではないかと思っているからです。京丹後鉄道のある由良川鉄橋のところには由良と神崎の集落があるのですが鉄道の鉄橋だけで人が渡る橋がありませんでした。近くにいた人に聞くと手漕ぎの渡し船があったそうです。湯抱温泉へは石見交通で粕淵行きのバスが太田市から出ているのでこれでも行けそうですし、近くには世界遺産の石見銀山もあるのでこれらと三江線乗車をセットにした観光ルートを考えてみてもいいかもしれません。
どですかでん 様
三江線の写真を拝見しました。車輛が写っていないのが残念ですが、当時ならキハ10系DCだったのではと思います。
さて車窓風景写真の三枚目に写っている橋台ですが、恐らく吊り橋の跡ですね。車が無かった時代に対岸へ渡る手段として、建設費の安価な吊り橋が架けられたのでしょう。その後新たに道路橋が建設されて、お役御免になった吊り橋が撤去されたものです。
ついでの余談ですが、高山線の猪谷駅北側には神岡線の前身の旧神岡鉄道(ナロー)の立派な橋台がまだ残っています。機会があればご覧になってください。
そういえば最近はこのような橋台を見ることはまずなくなりましたが、ついひと昔前まではローカル線の沿線風景としておなじみのものでした。
また三江線はたいへん不便だと仰っていますが全く同感です。三江線だけでも計画するのが難しいのですが、特についでに周辺の木次線や福塩線にも乗ろうとするともうお手上げです。各路線とも朝・昼・夕の有効時間帯にしか走らないため、極論すれば一日一線だけの乗車になりかねません。よくよく考えてみると、こういう状況こそがまさに廃止前夜なのかもしれません。
1900生様 神岡鉄道は廃止前に乗りにいきました。また、廃止後も安曇野に行くのに終点であった旧奥飛騨温泉口駅で休憩しました。今はレイルマウンテンバイクとして旧神岡鉱山前駅までの片道約2.9kmを往復できるようになっていて、今頃は紅葉で美しく人気があるようです。軽便時代の橋脚も見ることができるでしょう。神岡はノーベル賞で注目をされているので観光客も多いのではと思います。神岡鉄道はイロリのある車両が有名でした。列車本数が減ると乗客の利便性が損なわれるのでさらに乗客が減るという負のスパイラルになるのではないかと思います。富山では富山港線が廃止されてもいいようでしたが、ライトレイルで本数を増やして復活しました。しかし、沿線の状況が違うので三江線に同じようなことができるとは思えませんが、地元の人間ないのですがもう少し観光として人を呼ぶ方法があるかもしれません。大阪では泊まるところがない海外からの観光客が河内長野にある天見温泉へ多くの人が訪れているようです。海外からの観光客の方が日本人と比べて有名でない所にもどんどん行くようです。意外とその辺に活性化のヒントがありません。とにかく、一度、三江線の江津側に行ってみなけらばならないと思っております。