撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(4)

6.廃線跡・武田尾駅今昔
廃線跡を歩き、武田尾駅跡に到着しました。2014、2013両年の台風と大雨でこの付近の武庫川と僧川(ぼうさんがわ)が大きな被害に遭いました。今その大改修が行われていて、4、5年前まで元の駅舎付近にあった店屋、建物がすべて無くなり、面影が一変しました。
map02▼改修中の元武田尾駅付近、武庫川と僧川の合流部から西寄り、画面左端あたりが旧・武田尾駅の東端になります。石積み部分に店屋に家屋があった筈だが皆無です。
takedao01▼【今】駅跡から東方向を眺めます。中央道路が線路跡。画面右端が駅舎のあったところ。当然のことながら山の形はそのままです。
plathome07▼【昔】DF51牽引下り客715列車が武田尾に到着します。手前は728列車 1964.6.7
両機の間に駅舎の一部が見えます。
plathome06【今】旧・武田尾駅のホーム東端、中央建物はトイレ。画面背後部に温泉橋があり、武田尾温泉に通じます。
plathome13【昔】ホーム東端の斜面と右端に紅葉館売店が見える 上り728列車 機C11271【吹一】
plathome05 ▼武田尾温泉に通ずる温泉橋。駅舎改札を抜けると、正面にこの橋がありました。橋上部の歓迎看板は結構新しいように見えました。
plathome08▼【今】左のトイレから画面奥にゆるくカーブしてホームがありました。その右に上り本線と待避線。赤線で描いた部分がホームのあった所と推測されます。
takedao12▼【昔】上り728列車が、C11のバック・プルで進入してきました。1964.6.7
右の退避線は画面奥で行き止まり。
plathome02▼ホームの西端あたり、右手武庫川に接した下り線路脇、背の高い鉄柵が画面奥からコンクリート上の端をずうっと、さらに画面の背後にまで続いていました。柵の立棒の跡と思われる穴が残っていました。軌条はコンクリートと左の石積みの上にあり、カーブして水道管の傍を通り、道場に向かいました。柵の右に細い道路があり、今でもこんな姿で残っていました。金網は後から設けられ、ホームは撤去されています。

コンクリート部分が斜めになっているので、最初はホーム端によくある傾斜部分と思いましたが、右側が下り本線の軌条跡とすると狭すぎるし、ホームの高さに合わせて土砂で埋め立て、道路を作るなど大量の土砂が必要だし、変だなと思い、他人の写真をネットなどで見てホーム跡でないと判りました。ホームの西端部は直角に切り立っていました。
plathome01▼神戸市の水道管施設 この向こう側右に、スプリング・ポイントがあり、手前右に信号機がありました。中央の道路は線路跡です。
takedao09▼現武田尾駅 右手部分はトンネルで、駅の大半はトンネルの中、画像の上り列車は出発後直ぐに、全長2,970mの名塩トンネルに入ります。中央下の道路も線路跡、これからこの道を通り、道場方面に向かいます。takedao12(武田尾-道場間に続く)

 

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(4)」への2件のフィードバック

  1. tsurukameさま

    デカンショまつり号です。
    「撮影地今昔-旧・福知山線」楽しみに拝見させていただいております。

    私事ながら、祖父が丹波篠山におり、何度となく、福知山線を利用したもので、大変思い入れがあります。行楽には、武田尾から多くのハイカーが乗車してきたことも覚えています。
    昔は、秋のシーズンには、宝塚~三田の区間臨時列車も運転されていました。

    就職して東京勤務となり、武田尾の新線切り替えの際は、残念ながら、立ち会えませんでしたが・・・

    是非機会があれば、歩いてみたいものです。

  2. ハンドルネームのとおり、武庫川、福知山線にたいそうご縁があるのですね、デカンショまつり号様。今は千葉県におられるDRFC先輩の土肥さんも三田のご出身ですし、ご縁ある方々をよく聞きます。

    生瀬-道場間の現在線はトンネルばかりで退屈ですが、三田付近は田圃が美しく、山河はのどかでほっとする沿線です。しかも近くて京阪神地域の奥座敷です。

    廃線跡は人気でハイキングシーズンは込み合いますが、荒々しい武庫川渓谷も楽しみながら、ぜひ廃線跡を通過下さい。あと10年くらいは無難に通過できると思います。そして武田尾温泉に行くのもまた宜しいかと。

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