故羽村 宏先輩の作品-京都市電運転系統図

最近、故羽村 宏先輩の阪急京都線の画像を投稿し、読者の皆様にご覧いただきましたが、その他の先輩諸氏から連絡が沢山ありました。それは、阪急の写真の他に、羽村先輩の有名な『京都市電運転系統図』も多くの人に見て貰ったらどうか、また、顔を知らない後輩に顔写真も載せて知って貰うのはどうか、とのことでした。

そこで、1961(昭和36)年10月14日発行、青信号8号掲載
『昭和14年7月 京都市電運転系統図』をご覧に入れます。
当時の謄写版印刷でカラー印刷は不可能。現在の標準輪転機印刷機などでもカラー印刷は困難な状況です。これは、予め謄写版印刷で印刷したモノクロ図の上に、黒を含め3色を用い、手書きで彩色したものです。青信号8号は何部印刷製本したのか判りませんが、兎に角発行部数分を彩色、8号に挿入製本されたものです。
上の系統図は画像データ(画像として保存できる)ですが、以下に Word 文書としても掲載しておきました。Wordで閲覧、保存、印刷が可能です。また、『系統図』に関連する『系統表』も併せて掲載しました。

『運転系統図』

『運転系統表』

【Word文書の開き方、保存の方法】

読者の皆様のブラウザが、
★Internet Express (Version11)の場合
1.青色の文字列『運転系統図』の上でクリックしてください。
2.マウスポインタが【手の甲】に変わりますから、クリックしてください。
3.小さな別ウィンドウが開き、開く(O)ファイルは自動保存されません。
をクリックする。
4.Internet Explorer セキュリティが開き、『Webサイトで、このプログラムをつかって Webコンテンツを開こうとしています』が出るので、許可する をクリックする。
5.Wordが開き、画面上部に、黄色の帯が表示される部分で【編集を有効にする(E)】を クリックしてください。正規のWord文書になる筈です。
6.Word 文書が開き、閲覧、保存、印刷が可能になります。
その他の文書も同様に開くか、保存してご覧下さい。

★Google Chrome の場合
1.青色の文字列『運転系統図』の上でクリックしてください。
2.マウスポインタが【手の甲】に変わりますから、クリックしてください。
3.画面左下隅に、Wordのアイコンと、『・・・・・・.docx   ∧ 』 が出るのでクリック。
4.Wordが開き、画面上部に、黄色の帯が表示される部分で【編集を有効にする(E)】を クリックしてください。
5.正規のWord 文書が開き、閲覧、保存、印刷が可能になります。

★Firefoxの場合
1.青色の文字列『運転系統図』の上でクリックしてください。
2.マウスポインタが【手の甲】に変わりますから、クリックしてください。
3.小さな Window で、プログラムで開く(Word)が出るので、OKボタンを押す。
4.Wordが開き、画面上部に、黄色の帯が表示される部分で【編集を有効にする(E)】を クリックしてください。正規のWord文書になる筈です。
5.Word 文書が開き、読み取り、保存、印刷が可能になります。

また、『運転系統図』に関連する『運転系統表』も掲載しておきましたので、上記と同様の方法で閲覧もしくは保存してご覧下さい。

次に、その系統図を掲載する元となった、青信号5号および8号の本文(Word)を掲載します。これは、青信号復刻を試みていた筆者が数年前から用意を始めたものです。本文スキャンでは読み難いので、Word文書に打ち直したものです。ただし、画像・写真や、形式図などは原文のコピーです。当然レイアウトは異なりますが、できるだけ原本に忠実に設定したつもりです。これらも上記同様に、Wordを開き閲覧、保存、印刷が可能です。

『京都市電雑感』(青信号5号)

『続・京都市電雑感』(青信号8号)

なお、上記の操作が判り難い場合には、コメント欄等でご遠慮なくご質問下さい。

そして最後に故羽村 宏先輩のお顔です。
左は学生時代、右は勤務先でのひとコマです。共に、乙訓の老人、湯口 徹 両先輩から寄せて頂きました。

故羽村 宏先輩の作品-京都市電運転系統図」への4件のフィードバック

  1. 羽村さんのこと、楽しく読ませてもらいました。
    「市電雑感」、(戦前のことは知りませんが)私の覚えてることも多くあり(京都駅前のループ線やトロバスのことも)懐かしく拝読しました。
    羽村さんのことはよく覚えています。
    学校でご一緒したことはなかったのですが、ちょっとシニカルな感のある、繊細でシャープな先輩であったと思っています。
    吉田山の麓の自宅にも訪れましたし、ご葬儀にも参列した記憶があります。
    青信号のすべての京都市電の系統図に手書きで彩色されたのは羽村さんらしい「美学」であったと思います。
    あらためてご冥福をお祈りいたします。

  2. この系統図のことは、現役時代からよく覚えています。ある日、ボックスで「青信号」のバックナンバーを読んでいますと、隣にいた先輩(氏名不詳)から「この図はなぁ、羽村さんという方が、一枚一枚、色を付けはったんゃ」と教えられました。その精度たるや、エッジもピシッと出て、一分の乱れも無い完璧なものでした。いかに緻密で几帳面な性格ががよく分かりました。羽村さんは、10年以上先輩にあたり、当時のボックスでは、誰も羽村さんのことを直接知らないのに、いわば、代々、ボックスで語り継がれてきた“伝説”と言えるでしょう。「京都市電雑感」の文とともに、いまも京都市電を知る手掛かりとしています。

  3. この「羽村系統図」は、主要停留場と分岐点を表す大きな丸、一般停留場の細長丸のみ、小生が原紙に筆耕し、謄写版印刷した紙に羽村兄が、シコシコと停留所名を書き込み、かつ系統路線を彩色=もちろん全て通常インクでの手書きです。さすがの彼も20枚ぐらい仕上げて音を上げかけましたが、周囲のハッパで気を取り直して、一晩1枚、あるいは2日に1枚ぐらいのペースで続けていたようです。学生時代ならともかく、あの体で、と心配するぐらいの東光電気なる会社の激務を終えてからの「夜なべ仕事」の成果ではありました。間違いなく彼の「置土産」なのです。ただ彼が命を縮めたのは、この地図が原因では決してなく、やはり体に適応しない就職先の選択—残念なことですが、ご尊父の縁故による就職であったことです。

  4. 改めて系統図の原板を見ました。停留場名は、てっきり筆耕したあと、印刷されたのかと思っていましたが、原板を見ますと、確かにブルーブラック系のインクで書かれているのですね。筆耕では、ここまでシャープな字は表現できません。全停留場名を2ミリ角程度の細かい字で書くという気の遠くなるような作業、一枚だけでなく、全部数をよくこなされたものと、改めて驚きました。しかも「府廰廰前」「百萬遍」などと旧字で表現されています。これは、まさに国宝級の文書であると思いました。また湯口さんも応援されていたこと、今回の証言で初めて知りました。数十年前のご苦労に思いを致しました。

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