名鉄パノラマカー7000系

手元に1961年7月号の「鉄道ファン」があります。そう、これは創刊号です。
最初のグラフページは、奥中山のカーブを通過する80系はつかりの試運転写真でした。次のページは特急さくらの20系、その次のページにはc62+D52で瀬野―八本松をあえぎながら上る特急かもめ、「この付近にもポールが立ち並び、この写真もいまや記念すべきもの・・」との湯口大先輩のコメントが。その次の見開き2ページには夕闇迫る山科の大カーブを通過する特急第二つばめ、人間国宝・佐竹大先輩の作品です。

さて、この記念すべき創刊号の表紙を飾ったのが新製まもない名鉄7000系でした。
オレンジバーミリオンという色調も、この時初めて知りました。中学生にとって名古屋がまだ遠い異国の地に思えた時代でした。

名鉄7000系_NEW名鉄7000系(文)_NEW

小田急SE3000型

昭和34年秋、中学の修学旅行で東京へ行った。
行きも帰りも臨時の修学旅行専用で、スハ32に補助席がついたものだった。できたばかりの東京タワーをみたり、有楽町で逢いましょうで有名になったそごう有楽町店を見たりしたが、箱根にバスで移動中にチラリッと見えた“弾丸列車”が特に印象に残った。あとで調べたら小田急の新特急・SE車だと知った。東京には知らないものが一杯ある!と感銘を受けた出来事だった。

小田急SE3000(文)_NEW 小田急SE3000_NEW

おたずねします。

以前に京都市バスの写真と資料が掲載されていたように思いますが見つかりません。
市バスなら藤本さん、と思ってさかのぼりましたが見つかりませんでした。
誰が書いたものか?いつの掲載か?どなたかご存じの方があればお教え下さい。

備南電鉄モハ100

関先生によりますと、今後しばらくは山陽地方の小私鉄シリーズと言うことで、西村さんはじめ湯口先輩や乙訓の長老様達の出番が多くなるでしょう。
最初は「備南電鉄」という聞き慣れない私鉄です。母の実家が倉敷なので宇野線沿線へは良く出かけましたが備南電鉄は知りませんでした。でもよく読むと玉野市営になった、とのことで、これなら名前だけは知っています。当時は私鉄に興味がなかったため見ることは致しませんでしたが、いまになって悔やんでおります。
後に琴電へ移ったと言うことなので乙訓の長老などはご覧になったことがあるのでしょうか。また、玉野市営では中古のディーゼルカーを購入した、とあるので、これなどは湯口先輩が先週に引き続いてご出座されるかもしれません。よろしくお願い致します。

それにしても関先生の資料はどれほどあるのでしょうか!

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備南電鉄モハ100(文)_NEW

大阪市電801型

久しぶりに大阪通信員氏にお目にかかりました。
なんでもボロクチがあって京都へ来られたとか。一流ホテルで豪華なフランス料理のフルコースをごちそうになりました。
その時、「掲示板に大阪市電の801をのせますからご意見を聞かせて下さい」と申し上げましたところ、「コメントを投稿しようとしてもコメント欄に書き込めへん。どうなってるんや?」とおっしゃいますので、ちゃんと会員登録してますか?とおたずねしましたが、よくわかってられないようでした。なんでも、トップページのヘルプ欄に投稿の手順を順序を追って書いてほしい、A4サイズでプリントすることを考えてほしいなどと口走っておられるので、そのままにして帰ってきました。管理人さん、後はよろしくお願い致します。
大阪市電801号_NEW
大阪市電801号(文)_NEW

 

あけましておめでとうございます。阪急200型

新年第一回は阪急200型。
学生時代の一時期、阪急嵐山線の松尾と上桂の中間地点に住んだことがあります。ちょうど河原町延伸が完成した直後で、毎日嵐山で本線に乗り換えて通っていました。このときに嵐山線で乗っていたのがこの251号。
書いてあるとおり座席が深く、足が短いためか背中を背ズリにつけると足が上がる始末でした。乗り心地が良く、スタイルと相まって大好きな電車でした。
いま思えば、この当時の電車は良く似たものが各地にあったように思います。阪急200型_NEW阪急200型(文)_NEW

どですかでん様、見つけました!

阪急のアロハ特急についての情報を教えて下さったどですかでん様、TMS181号(1963年7月号)に中島新治氏製作で、阪急800型アロハ特急が掲載されていました。記事にも「当時の常識を破って、黄色と空色の派手な塗り分けで登場して話題をまいた阪急802+805の自作ペーパー製」と書かれています。

目撃者、探しています!

終戦直後に、こんな電車が走っていたとは思いませんでした。これを知っている人はわずかでしょう。阪急ファンでも知らないのでは?マルーンさん、知ってましたか?さらに、写真を持っている(リアルタイムで撮っていた)可能性のある人は、山科でD52のボイラー破裂を見た方とか、四国の私鉄を撮りまわっていた方ぐらいでしょう。

南海電鉄1556号

そういえば昔、テレビのコマーシャルで「深日港から淡路島へ・・・」という言葉を聞いた気がします。深日港を「ふけこう」と読むこともその時知りました。
この電車、乗ったことはないけど、なんか懐かしい気がします。どなたか内装の写真があれば見せて下さい。