国鉄モニ13027号

韓国では美女は整形で作られているが、この電車は改造なのになんでこうもブサイクなんだろうか?改造するにも何か意味があるデザインなのだろうか?
こうなると、最後に書いてある前面傾斜二枚窓の凹型への再改造後のスタイルも是非とも見たいものだ。
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50年ぶりの木次線

西村さんの「雲南市役所(木次)のC56108」を見て、たまらなくなって木次へ旅立ちました。 はじめてこの地に足を踏み入れたのが昭和38年(1963年)、いまから50年の昔になります。 かつては奥出雲の山村で、斐伊川沿いの田畑を牛が耕していたのどかなところでした。しかし、最近の旅ブームで、テレビでたびたび紹介されているのを見ていると、「おろちループ」なる国道が側を走り、木次線は陰陽連絡幹線の地位を追われ、いまや廃線の危機ですらあると聞きました。今回の旅行がささやかな応援になればいいと思って計画しました。

さて出発と言うことになりますが、昔と違い時間や同行者への配慮がいります。時間はともかく同行者(言うまでも無く家内)は荷物が多く、足軽く飛び乗り・飛び降りはできません。やむなく福田さんの逆鱗を覚悟の上で自動車を使うことにしました。しかし、ご安心下さい。立場を自覚している私は、要所要所では車を乗り捨て、家内も捨てて乗り鉄に徹しました。今回は、二つの目的を持って計画しました。一つは一畑電鉄と木次線の乗り歩き、もう一つは石見銀山の見物です。 続きを読む

東武鉄道クハユ299号

昭和43年ごろ東京にいましたが、休日には疲れ果てて乗り回しにも行っていませんでした。いま考えると残念至極。それより以前の中学生時代に特急「はつかり」と「あさかぜ」を撮るために親戚の家に泊まって見に行ったことがあります。そのとき東武の西新井まで行ったらしいのです。なんで東武に乗ったのか、なんで西新井なのか、さっぱり思い出しませんが写真を撮っているので間違いありません。それが唯一の東武の写真です。寒い2月のどんよりした日でした。

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続・木次のC56108によせて

昭和38年~40年にかけてはたびたび木次線を訪ねました。そのうちの一回はDRFC新入生歓迎旅行として昭和39年5月に行きました。今回、キハ02の車内写真と出雲坂根での写真はその時のものです。この中に、いま一部の方々で騒がれている63年度生の“M・紘明”さんが写っています。顔を思い出さない、とか知らない、と言っている方、思い出しましたか?11月10日に天野さんの思い出を話して下さいますので天野さんと同じように思い出して上げて下さい。s-FH030006 s-FH030016 s-FH030017 s-FH030023 s-FH030032

近鉄モ6301+サ6471+ク6501+モニ6251

子供の頃、父親が「ダイキに乗って・・・」と言っているのを聞いて、何に乗るのかな?と思ったことがあります。当時は京都に近鉄は届いて無く、まだ奈良電の時代です。遙か後年になってから「ダイキ」が大軌のことで、現在の近鉄だと知ったことでした。
今回のお話を読んで、大軌や関急を懐かしく思い出します。近鉄モ6301他_NEW 近鉄モ6301他(文)_NEW

京阪500型

準特急氏が“オカチメンコ”と評し、あるいは“ガイコツ”と揶揄されて、挙げ句の果ては屎尿運搬車と衝突した、などと悪評タラタラな電車でしたが、どこか懐かしいかわいらしい電車でした。

京阪500型_NEW 京阪500型(文)_NEW

出ました!“合いの子”43型

前回のモハ40の時に河様とのやりとりで出てきた、モハ43型の登場です。
昔はこの電車を言うときに、決まり文句として“合いの子電車”モハ43型と書かれていたのを良く覚えています。でも、何と何の“合いの子”なのかわかりませんでした。旧来の“ゲタ電”との合いの子なんだろうと漠然と思っていましたが、モハ52とゲタ電の合いの子だったと知りました。
もっとも幼少の頃から乗った記憶がありますが、それがこの43型か三扉の51型だったのかわかりません。阪和線へ転勤したのが80系に押し出された、とありますのでどちらにも可能性があります。はっきりと覚えているのは、茶色とクリームの80系急電でした。国鉄モハ43型_NEW 国鉄モハ43型(文)_NEW

同志社・関大・大市大対抗模型運転会

今週の土・日に、同志社大学鉄道同好会、関西大学鉄道研究会、大阪市立大学鉄道研究会対抗の“船場鉄道フェスティバル”が船場センタービル6号館で開かれます。

今回二回目ですが、なんせ前回大きすぎて持ち込めなかったDRFCの巨大レイアウトが初公開と言うことなので、模型をやっているOBの皆様は応援をかねてご協力をお願いします。

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京都駅のC5711

C5711の記事は大変楽しく、懐かしく読ませて頂きました。
当時の記録があったと思い出して探したら出てきました。
例によって、いつ撮ったものかが不明確です。この当時は私もまだ子供で、時間があれば梅小路機関区や京都駅構内が遊び場となって徘徊しておりました。実家がカメラ店なので、新品カメラやフィルムはもらえませんでしたが、中古カメラやお客さんが捨てていったフィルムはふんだんにあり、使わせてもらえたので、ろくな写真はありませんが枚数だけはかなりあります。
そんな中に京都駅山陰線側留置線で待機するC5711を撮ったものがありました。記録では昭和37年頃(1962年頃)になっていますがわかりません。
梅小路機関区で撮ったのは記録がありませんが煙突のクルクルパーが無いので時期は違うのでしょう。どなたか検証をして下さい。

さて、C5711は子供心に他とは違う、なにか特別な機関車だと感じました。それはテンダー周りや、キャブの窓周りにクロームメッキした帯が貼り付けられていたからです。

遠い昔が懐かしく思い出されました。ありがとうございました。

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国鉄モハ40型

祭日や休刊日で、約1ヶ月ぶりの掲載でした。

前回がモハ30型、今回がモハ40型。私にはこの40型、特にクハ55は印象に残っています。緩行電車のロ廃止の時は、京都駅から西大路まで乗りました。国鉄モハ40型_NEW 国鉄モハ40型(文)_NEW

JR九州の「ななつ星」

ニュースによると、JR九州ではオリエント急行を彷彿とする超高級列車を作ったとか。
名前を「ななつ星」というらしいが、機関車をはじめ客車に関しての情報が全く出てこない。検索をしても機関車がDF2007001と言うことしかわからないが、JR貨物のDF200を改造したものか、基本性能をDF200と同じにして新たに作ったものかはわからない。客車に至っては新製車だろうが、形式などもわからない。機関車にしてもどこに型式番号を書いてあるのかわからない。

どなたか、機関車はじめ客車の基本性能諸元と、型式番号をご存じの方があればお教え頂けないでしょうか?

国鉄モハ30型

しばらく怠けていたので、連投をお許し下さい。

国鉄モハ30型_NEW 国鉄モハ30型(文)_NEW

京成モハ2000型

高校生だった頃、TMSに13mmゲージというのができて、これからの国鉄型はこれがスケールと書いてありました。なるほど鉄道模型社のEF58は、前から見ると“出っ歯”でブサイクそのもの。これにしよう!と決めましたが車軸をどうしたら13mmにできるのかわかりません。いろいろ考えたあげく、車軸を中央部で3.5mm短くして、内径が車軸と同じサイズのパイプを13mmに切断して差し込むことにしました。
実験は成功しましたが、量産が面倒くさくて計画は中止しました。

これを思い出させた京成モハ2000でした。
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京都市電の移送完了

出張から帰ってきて、予約の歯医者へ行くため山陰線の高架下にさしかかったとき、金網にしがみついて写真を撮る不思議な男を見つけた。そこは永いこと下水工事をしていた旧山陰線線路跡で、現在は市電が7台保存された小屋がある。見たら、なんとトレーラーに乗せられた1600型と2000型が出発寸前ではないか!あわてて携帯を取りだしたが心許ない。
現場で撮影していたテッチャンに聞くと、新聞に竹田車庫へ移動して売店に改造するとでていたそうだ。以前報告した市電のたたき売りが始まったのだ。

すでに旧1型や500型、700型などは移動して、最後の二台だそうだ。ビューゲルは外されていたが、2000型の方向幕には、「ワンマンカー」「烏丸今出川」と往年の表示がくっきり。

以前、交通局へ乗り込んで、局長さんに直談判したときの話では、交通局に金がないばかりに建設局の予算で運搬他、全てを依存しているため、10年間は公園で売店勤め公開するしかない。しかし、シートなど部品は交通局がしっかり保存するので安心してくれ、とのことだったが10年後には立派に復旧してもらいたい。そのためにも交通局が黒字化してほしいと思った。

来春には梅小路公園内に電池式のN電と、ハンバーガーやポップコーンを売る700型や500型が並ぶでしょう。

市電移動

1962吉田耕司です。

DRFC有志各位酷暑が続いていますが、皆さんお変わりありませんか。
小生、退職後ヒョンなことから「大津ジャズフェスティバル」に関わっています。
今年で5回目になるのですが、本年は10月19日(土)20日(日)の2日間、浜大津界隈の湖畔や屋外やストリート、またびわ湖ホールのような屋内など延べ34会場で各種ジャズのコンサートを開催いたします。(全会場入場無料、毎年5月3~4日にある「高槻ジャズストリート」と同じようなやり方です)

その広報活動の一環として、一昨年より京阪電車の協力を得て、石坂線の600型のラッピング電車を約1カ月間、大津の街中を走らせています。
(ご参考までに昨年度バージョンを添付いたします)
但し、貼り付け作業を外注するカネがないため、そのラッピング作業を我々「大津ジャズフェスティバル実行委員会」のメンバーでやらんとあかんのんです。

その作業を9月21日(土)、午前9時頃より石坂線錦織車庫にて行ないます。
(最寄駅:京阪石坂線「近江神宮前」)
プリントした120X90cmくらいのビニールシートを、継ぎ目を上手く合わしながら
何枚も何枚も貼り合わせていく作業で、特に技術や危険を伴うものではありませんが、 実行委員だけでは手が足りませんので、現在ボランティアを募集しています。
滅多に体験できることではありませんし、「ラッピング車両ってこうやるのか!」
を知るいい機会だと思いますので、もしお手すきの方はお助けいただけると非常にありがたい次第です。(但し 交通費自弁、謝礼なしです。すんまへん)朝9時頃から行ないますが、遅れて来られても全然問題ありません。車庫の一番奥で作業することになると思いますが、非常におおらかな車庫ですので、誰にことわることなく、いつでも誰でもどこまででも入ってこられます。
Gパン等の作業着、軍手、(暑いので)タオルやお茶、おにぎりなどのランチ
(近くにはコンビニもメシ屋もない)くらいを持ってお越しください。作業に要する時間は早ければ4時間くらい、遅くなれば7時間くらいです。(人足次第。人手は欲しいですが、得体の知れん「鉄」にまでは声をかけないでください)
保険の関係がありますので、行ってやろうという方(冷やかしも歓迎)は私にまでメール(yo-koji@maia.eonet.ne.jp)等でご連絡願います。
(なお、小雨なら決行しますが、荒天は順延です。ややこしい天侯の場合は私の携帯にご連絡を)
以上、よろしゅうに・・・!
(興味のある方はHPをご覧ください http://otsu-jazz.com/index.html

2012ラッピング電車

この記事は吉田耕司様からの命令で米手作市が投稿を代行いたしました。

京王帝都デハ2118

準特急さんと藤本さんの独壇場です。よろしくお願いしますよ。
なお、下段に文中で説明のある、2011年7月25日掲載の2110型2116号のイラストを増結します。

京王帝都デハ2118_NEW 京王帝都デハ2118(文)_NEW 京王デハ2110型_

傷痍軍人!?東急クハ3232号

この車両を見たことがある人はいるのでしょうか?
ハコの裾に定規を当てると確かにゆがんでいます。こんな車両が本当に走っていたのか?と思いますが、あの頃なら何でもありかもしれませんね。東急クハ3232号_NEW東急クハ3232号(文)_NEW

富士身延鉄道モハ100型

この辺になると全く理解できません。わかるのは赤富士ぐらいです。

富士身延鉄道モハ100_NEW富士身延鉄道モハ100(文)_NEW