梅小路公園便り その訂正と補追

先日「梅小路公園便り」として、整備が進む梅小路公園の現況と、いよいよ姿を現した保存市電の勇姿を投稿致しました。
この件に関して、久しぶりの大雪に見舞われた午後、交通局からわざわざお二人の方がお出で下さり意見を交換致しました。 続きを読む

梅小路公園便り

以前に旧京都市電の保存車両が、梅小路公園内に展示されると報告しましたが、先日、補修が完了したようで無事公園内に設置されました。
また、同時に当欄も含めて京都市交通局と“やりあった”N電は、動力バッテリー化が完成し展示運転用線路も敷かれて試運転を迎えるのみとなっています。

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

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営団地下鉄300型

私が初めての東京生活を始めた頃、よく使ったのがこの日比谷線と都営浅草線でした。日本最初の地下鉄だった浅草線は、リベットが出た駅の柱や、ジャンクションで点滅する車内灯と、ガチャガチャうるさい集電靴の音など、昭和の初めの匂いが満載でした。かたや日比谷線は赤い車体にステンレスの帯と、近代的な地下鉄で対照的な乗り心地でした。
営団地下鉄300型_NEW 営団地下鉄300型(文)_NEW

教えて!専門家!(その1)

日頃から「鉄道マニア」を自称していると、とんでもない質問を受ける羽目になる。
最近、立て続けに聞かれて答えられないことがあったので、諸賢に助太刀をお願いする。

一昔前まで、ローカル線には混合列車が多く見られた。この編成は大抵が客車1両に貨車数両をつないで蒸機が引くものだった。この場合、一般的には客車は機関車側につなぐが、貨車をはさんで後部につながれることもあった。
そこで質問は、機関車の次位に客車が来る場合ではなく、間に貨車をはさんでいる場合の暖房方法である。
記憶を引っ張り出してもストーブを乗せている思い出はなく、かといって貨車を通して蒸機パイプを引いていたこともない。確かにSGのない電機用にヌ(暖房車)もあったが、ローカルの混合列車用ではなかった。ではどうしていたのか?これが質問です。

教えて!偉い方!

国鉄モニ13027号

韓国では美女は整形で作られているが、この電車は改造なのになんでこうもブサイクなんだろうか?改造するにも何か意味があるデザインなのだろうか?
こうなると、最後に書いてある前面傾斜二枚窓の凹型への再改造後のスタイルも是非とも見たいものだ。
国鉄モニ13027号(文)_NEW 国鉄モニ13027号_NEW

 

50年ぶりの木次線

西村さんの「雲南市役所(木次)のC56108」を見て、たまらなくなって木次へ旅立ちました。 はじめてこの地に足を踏み入れたのが昭和38年(1963年)、いまから50年の昔になります。 かつては奥出雲の山村で、斐伊川沿いの田畑を牛が耕していたのどかなところでした。しかし、最近の旅ブームで、テレビでたびたび紹介されているのを見ていると、「おろちループ」なる国道が側を走り、木次線は陰陽連絡幹線の地位を追われ、いまや廃線の危機ですらあると聞きました。今回の旅行がささやかな応援になればいいと思って計画しました。

さて出発と言うことになりますが、昔と違い時間や同行者への配慮がいります。時間はともかく同行者(言うまでも無く家内)は荷物が多く、足軽く飛び乗り・飛び降りはできません。やむなく福田さんの逆鱗を覚悟の上で自動車を使うことにしました。しかし、ご安心下さい。立場を自覚している私は、要所要所では車を乗り捨て、家内も捨てて乗り鉄に徹しました。今回は、二つの目的を持って計画しました。一つは一畑電鉄と木次線の乗り歩き、もう一つは石見銀山の見物です。 続きを読む

東武鉄道クハユ299号

昭和43年ごろ東京にいましたが、休日には疲れ果てて乗り回しにも行っていませんでした。いま考えると残念至極。それより以前の中学生時代に特急「はつかり」と「あさかぜ」を撮るために親戚の家に泊まって見に行ったことがあります。そのとき東武の西新井まで行ったらしいのです。なんで東武に乗ったのか、なんで西新井なのか、さっぱり思い出しませんが写真を撮っているので間違いありません。それが唯一の東武の写真です。寒い2月のどんよりした日でした。

東武クハユ290型_NEW 東武クハユ290型(文)_NEW s-FH000013 s-FH000014

続・木次のC56108によせて

昭和38年~40年にかけてはたびたび木次線を訪ねました。そのうちの一回はDRFC新入生歓迎旅行として昭和39年5月に行きました。今回、キハ02の車内写真と出雲坂根での写真はその時のものです。この中に、いま一部の方々で騒がれている63年度生の“M・紘明”さんが写っています。顔を思い出さない、とか知らない、と言っている方、思い出しましたか?11月10日に天野さんの思い出を話して下さいますので天野さんと同じように思い出して上げて下さい。s-FH030006 s-FH030016 s-FH030017 s-FH030023 s-FH030032

近鉄モ6301+サ6471+ク6501+モニ6251

子供の頃、父親が「ダイキに乗って・・・」と言っているのを聞いて、何に乗るのかな?と思ったことがあります。当時は京都に近鉄は届いて無く、まだ奈良電の時代です。遙か後年になってから「ダイキ」が大軌のことで、現在の近鉄だと知ったことでした。
今回のお話を読んで、大軌や関急を懐かしく思い出します。近鉄モ6301他_NEW 近鉄モ6301他(文)_NEW

出ました!“合いの子”43型

前回のモハ40の時に河様とのやりとりで出てきた、モハ43型の登場です。
昔はこの電車を言うときに、決まり文句として“合いの子電車”モハ43型と書かれていたのを良く覚えています。でも、何と何の“合いの子”なのかわかりませんでした。旧来の“ゲタ電”との合いの子なんだろうと漠然と思っていましたが、モハ52とゲタ電の合いの子だったと知りました。
もっとも幼少の頃から乗った記憶がありますが、それがこの43型か三扉の51型だったのかわかりません。阪和線へ転勤したのが80系に押し出された、とありますのでどちらにも可能性があります。はっきりと覚えているのは、茶色とクリームの80系急電でした。国鉄モハ43型_NEW 国鉄モハ43型(文)_NEW

同志社・関大・大市大対抗模型運転会

今週の土・日に、同志社大学鉄道同好会、関西大学鉄道研究会、大阪市立大学鉄道研究会対抗の“船場鉄道フェスティバル”が船場センタービル6号館で開かれます。

今回二回目ですが、なんせ前回大きすぎて持ち込めなかったDRFCの巨大レイアウトが初公開と言うことなので、模型をやっているOBの皆様は応援をかねてご協力をお願いします。

運転会案内_NEW