じいじ二人が行く、新緑の四国路の旅 Part3  馬路村へ 魚梁瀬森林鉄道 3の1

第2日目 5月5日
① 「道の駅 田野駅屋」 7:30→9:00馬路温泉
② 馬路温泉→郷土資料館→11:30魚梁瀬
③ 魚梁瀬12:40→13:25馬路温泉

朝日が上がる早朝6時に、ぶんしゅう7号の寝台車内で目覚めました。ゆっくり起きだし、朝食準備をしていますと、ご老公は地元の朝散歩族の方々とコミュニケーションを楽しんでおられます。私も中に入って林鉄時代の話を聞き入りました。
今日は馬路村に復元されている森林鉄道を訪問します。ただ、運行されているのは日祝日だけです。電話で確認を入れましたら5月3日~5日は大丈夫と言う事でしたので、昨日約450kmもの道のりを走ってきました。馬路村には2箇所に走っていると聞きましたので、かつて森林鉄道が走った安田川沿いを馬路温泉に向けて上がっていくことにしました。

【馬路村との出会い】
学生時代は小さな蒸気機関車が走る
森林鉄道(略;林鉄)など全く興味がありませんでした。身近にC57、C58やD51が走る山陰・草津・信楽・関西本線が蒸気全盛期を迎えていて、気が向けばいつでも撮りに行けました。小さな蒸気はせいぜい小海線を走るC56が大好きだったぐらいです。

馬路村知ったのは昨年3月にTV番めざせ!駅弁日本一」た時でした。京王百貨店で1966年(昭和44年)から開催されている大会(正式名;元祖有名駅弁と全国うまいもの大会)に今は廃線となってしまった路線から、懐かしい駅弁をご紹介する企画として「馬路村の村おこし弁当」が特別参加されていました。

▲ 馬路温泉で注文した地元食材をふんだんに使って調理された村おこし弁当駅弁。見てのとおりボリュームはありませんが、素朴な山菜料理でヘルシーです。

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じいじ二人が行く、新緑の四国路の旅 Part2  高松琴平電気鉄道

春の大型連休が終わりましたが、皆様どのようにお過ごしになられましたでしょうか。旅行・撮影にお出かけになられたり、鉄道模型製作に励まれたかと思っておりますが、私は乙訓の老人こと「ご老公」のお誘いを受けて一緒にぶんしゅう7号に乗り、5月4日から8日まで4泊5日の四国路の旅に出ました。
お互いに老朽化で車体・モーター・台車に多くの問題をかかえていましたが、幸いにして故障発生はなく無事帰還いたしております。今回は、天候にも恵まれてゆっくりと、新緑がまばゆい四国路を回ることができましたので紀行記をご披露させていただきます。

第1日目 5月4日

① 乙訓 6:00(名神・中国・山陽・瀬戸中央・高松自動車道)→11:30 琴電岡田
② 琴電岡田付近→滝宮駅→土器川鉄橋(旧型車両走行撮影)
③ 土器川鉄橋 13:55(高松・高知自動車道)→土佐くろしお鉄道田野駅(道の駅 田野駅屋)

連休中の高速渋滞を考慮して早朝6時に出発しましたが、予想に反して空いていました。快調に走行を続けましたが、岡山手前で突然に渋滞に遭遇、見れば車10数台の衝突事故でした。まだ警察・救急車も来ていなく発生したばかりです。本線上に止まる事故車を避けながら抜けきりましたが、道中での高速事故遭遇はその後2度もあって、その都度渋滞に巻き込まれました。連休中は普段、高速道路を使わない不慣れなドライバーが多く、こういった事故発生による渋滞が多発します。自分達も加害者にならないようにスピードは控えめに慎重運転に努めました。

今日は琴電の旧型車両4連が走行する日です。ご老公が若き日に自転車に乗って走り廻り、情熱を傾けられたお奨めの撮影地を目指しました。聞けばこの時期は「こいのぼり」が乱立しての一緒の撮影が出来たそうですので楽しみにしましたが、全くこいのぼりが見えません。どうしたことかと嘆くご老公ですが、若者の過疎化、また少子化という時代の流れは、5月の風物詩まで奪ったようです。


11:45、高松築港からの3221。23+500+200+120の旧型電車4連。岡田~羽間。
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じいじ二人が行く、新緑の四国路の旅 Part1  旅立ち前

第3回総会も無事終わり、連休明けにはどこかへ行こうと目的地を考えていましたところ、乙訓の老人(以下;ご老公)より「5月4日から8日まで時間が取れたので、前から連れて行ってもらいたいと言っていた四国へ行きたい。ぶんしゅう7号の都合は、どうだろうか。」との電話がありました。
四国へは昨年春に2度参りました。そして秋にも馬路村のトロッコ訪問を計画しましたが、【9712】とほほ…. 馬路村の魚梁瀬森林鉄道行けずにて投稿しましたように、出発直前に断念、リベンジを誓いました。
連休中で大渋滞も予想されますが、恐れおおくも電車の神様、ご老公様からのお話です。リベンジも含めて二つ返事で答えました。

ご老公は手術後まもなく、私も初老で持病持ちですので、無理なく動ける行程を組んでみましたので、訪問したい馬路トロッコへ確認電話を入れますと3~5日は運行するが、後は8日の日曜日だけです。それもお客があればとの返事でした。8日に乗車と撮影すれば、当日中の帰宅は強行軍となり無理です。
高松琴平電気鉄道(以下;琴電)も旧車両が5月連休中は、3、4日走行します。折角ですので撮りたいと思いましたが、当初予定では現地到着は走行後です。 現地事情に合わせての行程変更が必要でした。

4日 自宅→ 琴電岡田付近にて撮影→夕日の綺麗な土佐湾浜辺で野宿
5日 →馬路トロッコ訪問→朝日のあがる太平洋海岸で野宿
6日 →高知駅、土佐電気鉄道車庫訪問→夕焼けの見える瀬戸内で野宿
7日 →別子鉱山トロッコ訪問→善通寺ご老公姉貴宅訪問泊
8日 →琴電仏生山車庫訪問→帰路

結局こんな予定になりましたが、予定はあくまで予定です。どうなりますやら。
勿論、讃岐うどんや新鮮魚料理等の現地B級グルメと地酒試飲、ゆったり温泉につかっての垢すりは含んでおります。   Part 2 へ続く

ユースで巡った鉄道旅 -9-

しばらくシリーズを休んでいましたが、しつこく続けることにします。
新幹線全線開業で賑わう鹿児島、ここにも、ユースがありました。何軒かあったと記憶しますが、もっぱら利用したのは”鹿婦”の略称で呼ばれた鹿児島県婦人会館。婦人会館や青年会館がユースを併設する例は各地にありました。自治体の直営ユースではないため、民営のユースに区分され、設備・食事内容にはバラツキがあったように思います。
単なる寝場所としか考えていなかったのか、このユースには全く記憶が残っていません。ただ市電「交通局前」の近くにあったことだけ覚えています。交通局前へは、西鹿児島駅から市電に乗っても遠回りルートになるため、いつも駅から歩いて行ったものでした。
調べますと、館はあるものの、ユースは平成2年に閉鎖されていました。

西鹿児島駅前に停車する鹿児島市電300形304号。東京都電120形を昭和24年に購入した、鹿児島初のボギー車で、のちに半鋼製となったが、ワンマン化されず、訪れた昭和44年には、大阪から来た市電と代わりに廃車されている。行き先は、昭和60年廃止になった伊敷線の終点、伊敷町を指している。右側に西鹿児島駅がある。駅前の配線は何度も変更されており、この時代は、向こう側の郡元方面が一直線で見通せるが、昭和46年にクランク状カーブになり、平成16年には、新幹線の開業に伴い、さらに駅舎側に移設されている。

鹿児島を訪れる一番の目的は、やはり鹿児島機関区の訪問だった。小はB20から、大はC60・C61まで、昭和42年時点、配置両数は29両と中堅規模ながら、7形式もあり、バラエティに富んでいることでは随一だった。その小のB2010、北の小樽築港機関区のB201とともに、希少なB20である。区での仕事は、給炭用のセム車の入換ぐらいで、ほとんどラウンドハウス横の定位置で昼寝している。煙を吐いて活動する姿を数時間粘ってやっと捉えられた。

大のほうのC60・C61は、まだ非電化だった鹿児島本線の旅客牽引用だった。優等列車は、DD51化されていたが、それでも臨時急行はC60が牽いていた。給炭線で、顔を並べた両形式、出自の違いがよく理解できる。いま動態復元されて話題を集めるC61だが、この33号機は、ラストナンバーに当たる。

新幹線の終着・鹿児島中央となった西鹿児島。これはまだ鹿児島本線が電化前、新幹線など噂にすら上がらない時代の九州南端の夕方のホーム、多数の通勤客が待ち受ける中に、C60の牽く普通列車が入線する。当時の地方の中核駅からは、これほどの人が、長編成の列車に乗り込んでいた。

西鹿児島と鹿児島は、年々西鹿児島の比重が高くなり、新幹線の開業でその差は決定的になってしまったが、昭和40年代の前半でも、西鹿児島が当地の中心駅として機能していた。ただ、車両基地は鹿児島のため、西鹿児島~鹿児島間には、さまざまな組合せの回送列車が行き来した。これは、東京から到着したDF50+20系の「富士」、機回しをした後、アタマにC5765が連結され、回送で鹿児島へ向かう図である。

これは夜行列車「はやと」を待つ西鹿児島駅の待合室。盆・年末年始の長距離列車の始発駅では、客をホームに入れず、待合室で集合させて隊列を組んでホームに案内していたが、昭和45年8月末の西鹿児島駅でも、このような方法が採られていた。壁に掲げられた万博の誘致ポスター、「万博はあと12日」の幕があるように、万博閉幕が迫ったこの時でも、人気は絶大で、この日も、夕刻にDD51の牽く旧型客車を連ねた団体列車「さよなら万博」号が、大阪へ向かって行った。世の中、前へ前への時代、列車も満員の時代だった。

桜前線追っかけ2011年 Part1 越美北線

毎年桜の時期は雨が多いのに、今年は不思議と晴天が続いてくれますが、東日本大震災以降各地の桜祭りは自粛ムードで寂しそうです。
何でもかんでも自粛、自粛と続くとみんなの元気がなくなり、被災に遭われた方々への「元気をだして頑張ろう」とのメッセージも届かないのでは、またこれでは復興を支えるべき日本経済そのものが活性化を失ってしまうと、ようやく気づきました。

年金生活者としてのできるだけの義援金には協力しました。時間はたっぷりとあるのでボランティアに出たいのですが、この老体と健康状態ではすぐにボランティアされる方になるのは明らかです。それでは経済活性化しか協力はないだろうと、 割り切っての行動にでました。
今回は、3日後にDRFCクローバー会総会の打ち合わせがあるので、出られるのは2日間 のみです。昨年桜前線を追いかけましたが、すでに葉桜となってしまった越美北線、越前鉄道、福井鉄道を目指しました。相棒は久しぶりのぶんしゅう7号です。

4月14日朝の天候を確認し、大山崎ICから京滋バイパス、名神高速を圣由して北陸道に乗りました。右手に見える伊吹山は残雪が残り湖北は遅い春を迎えています。日本海の見える北陸路に入ってからの山々も残雪がたっぷりと残っています。福井ICで降り、真っ先に向かったのは、越美北線一乗谷駅です。


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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part19 三道嶺、芭石鉄道、成都地下鉄、上海路面電車のまとめ

マイナス20度の新疆ウィグル自治区からプラス20度の四川省芭石鉄道へ、温度差40度の冬から春への14泊15日、うち車中6泊におよぶ旅が終わりました。中国鉄路に乗車した距離は過去最長の8,636キロ、乗車時間は100時間を超え105時間11分と日本国内では経験したこともない最長時間でした。これに撮影時間を加えると、鉄道三昧の撮り鉄、乗り鉄と鉄道好きにはこたえきれない至福の時間を持てました。

糖尿、頚椎ヘルニア、狭心症と持病が多くなり、かかりつけ医も呆れかえっておりますが、これからも美味しい酒が飲め、身体が動けるうちは老体に鞭打ってでも続けて参りたいと思っております。よろしくお願いします。

今後、訪問される方の手助けになればと思い中国鉄路に乗車した走行路線、行程表、乗車した列車表、費用、そして各紀行記のリンク表をを作成しました。ご参考にしていただければ幸いです。

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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part18 上海の路面電車 上海トランスロール(現代有軌電車)

第15日目 3月8日

①成都17:15(D358次)→8:50上海虹橋
②火車虹橋駅9:53(上海地铁10号線)→10:33豫園
③豫園11:55→南京東路(2号線)→12:25張江高科
④張江地铁駅12:55(路面電車)→13:25張東路金春路
⑤張東路金春路駅(原動自転車タクシー)→14:10張江地铁駅
⑥張江高科14:28(2号線)→15:11浦東国際空港
⑦上海浦東空港17:50(JL898)→20:55関西空港

上海は昨年11月以来、4ヶ月ぶりです。トランスロール撮影前に豫園で小籠包を食べたいと前回は未開通だった10号線に乗車して向かいました。やはり長蛇の列でしたが、美味しいものを食べるのには苦になりません。デイト中の若者と話しながら順番を待ちました。


▲ 蟹肉小籠包16個で20元(約390円)、朝兼昼食です。
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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part17 CRH1EのD358次初乗車

第14・15日目 3月7・8日


①成都17:15(D358)→8:50上海虹桥

小腹も満たしました。四川のパン、果物も買いましたので、荷物を受け取って少し早いが成都駅の軟座待合室でゆっくりとすることにしました。

鄭州鉄道日記さんのプログを拝見して知っていたのですが、今まで見たこともない立派な軟座待合室です。北京西站の貴賓室は勤務時代に何回も入りましたが、広さでは勝ります。座っていますとお嬢さんがお茶を運んでくれます。
但し改札時刻になりますと、この待合室からホームに案内してもらいますが、立ちはだかるのは長い階段です。重いスーツケースを持っての上りは苦痛でした

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ユースで巡った鉄道旅 -8-

もうひとつ、九州の撮影地近くのユースの紹介を-。
久大本線日田駅から杖立温泉行きの日田バスに乗ること約30分、ダム湖の近くに日田ユースホステルがありました。廃止された宮原線の終点、肥後小国の方向で、自然が豊かなところです。安くて設備の良い、公営のユースのひとつで、泊まった時は出来たばかり、宿泊客も少なく快適なユースでした。ユース一泊二食430円、バス往復320円とメモ帳には記してありました。
ここを拠点にして、撮影に行ったのが久大本線でした。昭和40年代前半の久大本線は、D60、ハチロクが配置され、貨物はもちろん、旅客もほとんど蒸機でした。今でこそ、沿線の由布院などは第一級の観光地となりましたが、当時は、まだまだローカル色豊かな路線で、一人で撮影しながら鉄道の旅も堪能したものでした。なお、このユースは、日田おおやまユースホステルと改名して現在も在るものの、長期休業中とありました。

日田駅は久大本線のほぼ中間にある。夜明から分岐する日田彦山線も、ほとんどの列車が日田を始終発としていた。久大本線の結節点を成す駅でもある。2面3線の典型的な国鉄式配線を持つが、広い構内には駐泊所もあって、いつも何両かの蒸機が休んでいた。乗客が待ち受けるなか、タブレットの授受をしたD60の牽く上り列車が到着する。左手はハチロクの牽く下り貨物列車。

夏の朝、日田駅では、陽射しを浴びたハチロクがガンガンに輝いている。久大本線では、D60だけではなく、豊後森機関区のハチロクも客貨の区間列車を牽いている。九州の蒸機ならではの輝きだ。これからの暑さを予感させる。陽炎の立つ構内に、門鉄デフ越しにD60の牽く交換列車が見えた。腕木信号機がコトリと落ちて、ハチロクは細いボイラーを震わせて、発車して行った。

西鹿児島から夜行に乗って鳥栖に着き、一番列車に乗って久大本線に入った。どこで降りる当てもなかったが、対向列車とまもなく交換することから、何の予備知識もなく田主丸で降りることになった。久大本線が山間部に入る前、筑後平野の真っ只中にある平凡な駅である。乗ったときから空模様が怪しかったが、駅に着くと、とうとう雪が舞ってきた。北九州は、意外と雪が降る。すっかり戦意を失くし、駅構内で日和ることにするが、雪をかぶった木々とハチロクの猛煙が、いい味を出してくれた。

久大本線の撮影地と言えば、由布岳山麓の湯布院付近、玖珠川の渓谷沿いの豊後中川付近が有名だ。私も下車して写したことはあるが、むしろ日田から久留米方面にかけての区間が好みだった。ことさら優れた風景はないが、その分、穏やかな田園風景が続く。それに、日田以西は鳥栖行きの区間列車があり、朝のラッシュ時は、多くの蒸機列車を稼ぐことができる。この風景には、D60より、ハチロクが客車数両を牽く姿が似つかわしい。

 

 

2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part16 成都地鉄1号線全線乗車

第14日目 3月7日

①鉄路北駅11:09(地铁)→11:12升仙湖11:23→12:00世紀城
②世紀城12:17(地铁)→12:29鉄路南駅12:54→13:07天府广場
③天府广場(地铁)→13:55鉄路北駅
④成都17:15(D358)→8:50上海虹桥

今日は、CRH1Eに乗車して成都を去り上海へと向かいます。発車は17:15と十分時間がありましたので、ゆっくりと帰り仕度をして、まだ全線乗車をしていない成都地铁に乗ろうと出かけました。地上走行区間があれば撮影するつもりです。

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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part15 芭石鉄道 蜜蜂岩からの帰路

第13日目 3月6日

①蜜蜂岩11:31(芭石鉄道)→12:02石渓
②石渓站13:13(Taxi)→14:40楽山肖埧站
③楽山肖埧站15:10(バス)→17:22成都旅游客运中心
④華西埧17:48(成都地铁)→18:00鉄路北站


今日は、今回の芭石鉄道訪問最終日です。昼前の第2次で蜜蜂岩を去りますので遠くへはいけません。昨夜お会いした日本人の方は朝1番の列車で芭沟に向かわれていましたので、最後の撮影は蜜蜂岩站に近い定番撮影地でオーストラリア人一行と一緒に撮ることにしました。
▲ 10:07、第2次が上がってきましたが、期待の煙は今一でした。
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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part14 芭石鉄道 菜子埧~躍進

第12日目 3月5日

①蜜蜂岩6:47(芭石鉄道)→7:07菜子埧
②菜子埧站(徒歩)→12:30蜜蜂岩站
③蜜蜂岩站(徒歩)→14:50躍進站
④躍進17:56(芭石鉄道)→18:12蜜蜂岩

昨日は芭沟~蜜蜂岩間を行ったりきたり、ふかん撮影のための山登りも含めると約20キロは歩きましたので、足の不安は消えました。今日もしっかりと歩こうと1番列車で芭沟を目指しましたが、車窓から見る天候は昨日以上の霧です。予定変更をせざるをえないと判断して菜子で降りることにしましたが、降りてすぐに石につまずいて転んでひざ下を強打してしまいました。

これはえらいことになったと緊急用の湿布をしてサポーターを巻いてから、しばらく様子を診ることにしました。最近は老いてきたのかこういったアクシデントが多くなってきました。先日も長浜で一緒に撮影に同行させていただいた総本家さんにもご迷惑をおかけしました。そのために一人で動く時には常に緊急用品を持ち歩いていましたので役にたちました。
場合によっては民宿の陳さんに連絡して迎えの要請をしなければと覚悟しましたが、痛みが治まってきたので芭沟方向に歩くのは諦めて、民宿方向の撮影地としました。

▲ 7:49、芭石鉄道では3本指に入る撮影地ですが、今年は棚田に菜の花はありません。これからのためでしょうか棚田は区画整理されて菜の花は植えられていませんでした。それでも運転手はドレインのサービスは続けてくれました。来年は絶景が広がることを期待しました。
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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part13 芭石鉄道 芭沟~蜜蜂岩

第11日目 3月4日

①蜜蜂岩6
:45(芭石鉄道)→7:25芭沟
②芭沟站 7:10(徒歩)→19:00蜜蜂岩站



昨夜は9時過ぎにバタンキューで寝てしまいましたので、朝5時半には起き上がれました。今日は1番列車に乗って芭沟に行き蜜蜂岩まで徒歩での撮影予定です。幸いにして、足の状態も良くなってきました。しかり無理は禁物ですので、様子を見ながらとしました。
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ユースで巡った鉄道旅 -7-

蒸機の牙城、筑豊に泊まる

鉄道旅でユースホステルに泊まることのメリットとして、撮影地近くに立地するユースの多いことが挙げられます。ホテルや旅館は人口の集積地や観光地が中心ですが、ユースは観光地とはおよそ無縁なところに立地している場合があり、それは鉄道撮影地近くと一致する場合がありました。
その代表例として、よく利用したのが飯塚市にある八木山(やきやま)ユースです。蒸機の牙城たる筑豊にあり、ここを基地にして、2日、3日と連泊して筑豊各地で撮影を続けたものです。私は累計8泊して、ユース宿泊回数としては最大を記録しています。
飯塚市に所在と言っても、ここは飯塚と福岡の中間、八木山峠の近くにあります。通常は、新飯塚で下車、遠賀川を渡って川向こうの飯塚バスセンターへ向かい、天神行きの西鉄バスに乗ります。飯塚市街を走り抜けると、九十九折の坂道となり、峠を越えたところにユースは所在しています。筑豊のイメージからはほど遠いような、緑豊かな地でした。
今でこそ、飯塚と福岡は、福北ゆたか線(篠栗線)が直結し、電車に乗れば40分余りですが、当時の篠栗線は吉塚から篠栗までの盲腸線、以降、筑豊本線桂川までは未開通、そのため博多へ行くには、バスに乗るか、さもなくば、鉄道なら原田周りの遠回りを強いられました。そのため、この区間のバスは、本数も多く結構な賑わいを見せていましたが、現在では、バイパスができて、峠越えの必要もなくなりました。現在、同ユースは、飯塚八木山高原ユースホステルと改称して盛業中のようです。

ユース最寄駅の新飯塚は、明治35年に貨物専用の芳雄駅として開業、昭和10年に旅客駅となり、「新飯塚」と改称された。本家の飯塚よりも、市の中心市街地に近く、以前から飯塚よりも乗降客が多い。当時の駅舎は、車寄せを持ったいかついスタイルで、北九州によく見られたドイツスタイルを継承している。一昨年だったか、久しぶりに新飯塚駅に降り立った。駅舎は橋上駅になり新しくなったものの、駅前の閑散さは目を覆うばかりであった。

日曜日の朝、北九州方面へ向かう多くの乗客が待ち受ける新飯塚駅に、C55の牽く上り列車が滑り込む。鉄道にまつわる情景は、当時とは変わってしまったが、地方路線での旅客の多さ、これだけは今では全く見られなくなった光景だ。左に停車しているのは、急行「天草」。博多経由ではなく、筑豊本線を経由して熊本へ向かう。ロネ、ロザを連結した、典型的な夜行急行列車であった。

ユースに泊まると必ず行ったのが、筑豊本線筑前内野-筑前山家間の冷水峠だった。冷水トンネルをサミットに両側に25‰勾配が続く。旅客はC55の単機、貨物はD60重連が標準。D50、D51も走る。鹿児島本線のバイパス的な役割もあり、旅客、貨物ともそこそこの本数があった。優等列車も、前述のように客車急行、DC急行、それにDC特急までもが走っていた区間だった。

2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part12 芭石鉄道 蜜蜂岩站へ

第10日目 3月3日

①鉄路北駅9:35(成都地铁)→錦江賓館(Taxi)→成都旅游客运中心駅
②成都旅游客运中心 10:30(バス)→12:22楽山肖埧站
③楽山肖埧站12:35(Taxi)→13:42芭石鉄道石渓駅
④石渓14:00(芭石鉄道)→15:06蜜蜂岩

7:30、昨夜はお風呂にゆったりつかってからベットに入りましたので、さわやかな朝を迎えられました。
▲ 朝霞の中に太陽が昇って来ました。CRH1の16両編成が白蛇のごとく発車していきます。
▲ 朝の成都駅。成都地铁の車内では新聞を読んでいる乗客がたくさんいます。今まで中国で全地铁には乗車していますが上海地铁ぐらいしかこのような光景を見ることはありませんでした。地铁駅では、自動販売機・ATMも設置されています。

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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part11 芭石鉄道行き決定

第9日目 3月2日

①乌鲁木齐13:34(K454次)→15:04成都
②鉄路北駅18:56(成都地铁)→19:08 錦江賓館

成都旅游客运中心駅(Taxi)→19:52汉都大酒店

49時間30分の乗り鉄旅を終えて15:04成都駅に降り立ちました。これから先はホテル予約はしていません。列車の切符もありません。切符が取れればすぐに昆明こ向かうか、あるいは芭石鉄道へと向かうかの選択肢がありましたが、その前に体調維持が優先されます。今日は成都で宿泊して休養を取ったほうが良いと判断しました。
準特急先輩がおられたらどうするのかと不安がられるでしょうが、成都は3回目の訪問で若干ですが土地勘はあります。以前に使ったことのある旅行社に頼むこともできますし、最悪の場合は前回宿泊したバックパッカー向けの日本人経営の「Sim’s Cozy Guesthouse」に飛び込みもできるかと楽観的に考えていました。


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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part10 49時間30分乗り鉄旅 K454乗車 

第8・9日目 3月1・2日
①乌鲁木齐13:34(K454)→15:04成都

翌朝起きて車窓を見ると、K454次はまだ赤土の広がるシルクロードの世界を走行中です。やがて列車は甘粛省地級市の「武威」に到着しました。

【客車列車の種類】 中国鉄路を走行する客車列車には、

Z列車=直達特快;最高速度160km/h対応の最新寝台車両を多くしてサービスを充実し、大都市間を途中停車を少なくして最短時間で結びます。軟座寝台のみといった編成も12本あり、全部で48本が運行されています。今回、北京西→兰州で利用しました。

T列車=特快;全土の大都市~地方都市漢をを結びます。寝台の他に硬座車(2等指定席車)も連結しています。272本が運行されています。今回、兰州→哈密間で利用しました。

K列車=快速;T列車よりも途中停車が多く、区間乗客も利用します。1080本が運行されています。今回、哈密→乌鲁木齐で利用しました。そして現在乗車中の列車です。

Y列車=旅游列車;以前は結構ありましたが、現在は、北京北~延庆に8本が運行されるのみです。北京から万里の長城に行く際に利用されています。

 

その他は普通車ですが、少し早い列車は普通快車(直訳すれば普通急行、車次1001~5816)と遅い列車は普通慢車(直訳は普通鈍行=6001~7582) に分けられています。

⑥また春節には、多くの臨時列車が運行されています。時刻表に掲載されていない短い区間列車、通勤列車もあります。
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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part9 乌鲁木齐から成都へ一人旅の始まり K454乗車

第7日目 2月28日

①美麗華酒店12:00(Taxi)→12:18乌鲁木齐駅
②乌鲁木齐13:34(K454)→15:00成都(車中2泊)

準特急先輩と朝食後、先輩は予約しておいたTaxiで空港に向かわれました。北京空港でのCZからCAへの乗継時間は、3時間20分ありますが到着と出発ターミナルが違っていて初めての方には移動時間は十分とはいえません。もし国内線が多発する霧等の天候で遅れないか心配されておられましたが、予測は不可能です。何かあっても準特急先輩は英語が堪能ですので対応は可能かと、祈ってお送りました。

さて、これからはいつもの一人旅ですが、今まで皆様方とのワイワイ楽しい旅でしたので、寂しさと不安が噴き出してきました。 こんな時は慌ててはいけません。部屋の戻ってゆっくりと荷物を整理して、十分な時間をもって乌鲁木齐駅にTaxiで向かいました。

12:18、乌鲁木齐駅。駅前広場には氷のモニュメントが設置されています。

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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part8 初めての新疆ウィグル自治区

第5・6日目 2月26・27日

①哈密23:35(K9781次)→8:20乌鲁木齐(ウルムチ)
②乌鲁木齐駅8:50(チャーター車)→国際バザール→美麗華酒店

K9781次は、始発駅だけあって1時間前の改札でした。この列車は、2階建て硬座車5両(SYZ25B①不明+②346241+③339311+④339350+⑤346245)+食堂車(⑥CA25G893183)+2階建て軟座寝台車(⑦SRW25B552623)+2階建て硬座寝台車8両(SYW25B⑧674463+⑨671294+⑩674469+⑪671308+⑫671314+⑬671310+⑭675696+⑮997939)の合計15両編成です。



▲ S氏が乌鲁木齐から哈密まで乗車予定だったのは、この列車と同じ編成です。行先板は、久しぶりに見るホーロー製です。乌鲁木齐までの553キロを8時間45分をかけて走行します。その後、喀什(カシュガル)までの1588キロを24時間54分をかけて向かいます。まさに快速「シルクロード号」ですね。この運用ですと哈密を出発して、哈密まで帰ってくるのには5日間かかりますので、少なくとも10本の同一編成が必要となります。駅名板はウイグル語でも記載されていました。

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2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part7 蒸気機関車の現状

三道嶺 撮影地ガイド
初めての三道嶺でしたが、案内人のおかげで効率良く撮影ができました。
ただ反省点としては、2月中旬でマイナス20℃と寒く煙も十分と思っていましたが、昼間は温度が上がってきたのか、やや不満足でした。期待した天山山脈が霞んで、今一見えにくかったのも原因です。
後で、三道嶺へ行かれた方にお会いする機会があり、写真を見せてもらいましたが、天山山脈がはっきりと見えて、順光無風の抜群の状態でした。撮影日は1月12日で、前後の10日間を現地で粘っての成果だったそうです。
私のように、最初ですぐに成果を出そうなんて甘かったようです。機会があれば是非に再挑戦したいものです。

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