8月台湾へ

 ここ数年台湾の鉄道にはまっております。旧型客車、釣り掛け特急、客車急行、トロッコ列車、きれいに整備された古い駅舎などなど個別には言い尽くせませんが、自分なりに国鉄の時代の古き佳き鉄道を追体験しているのかも知れません。

 今回は、はじめてTR-PASSを使いました。これは台湾鉄路管理局全線乗り放題の切符で3日間用1800元、5日間用2500元があり、「旧正月には使えません」と書かれています。また高鉄(新幹線)も使えません。高鉄には別途3日間2400元の乗り放題パスがあります。台湾の鉄道はもともと安い(台北-高雄の特急乗車で843元)ため、元を取る?つもりなら結構一生懸命乗ることになります。実際私も、全て計算した訳ではありませんが、5日パスで何とかとんとんくらいだったと思います。でも、優等列車は指定するだけで着座できますし、普通列車や優等列車の立ち席ならパスを持っていれば、いついかなる時でもふらっと乗れる便利さは値段以上のものがあります。

 さて、初日(8月9日)は、午後遅くに雨が降ってきましたので、乗ってばかりです。それでも基隆から台北まで釣り掛け特急(自強号)EMU1200にも乗ることができました。翌日、花蓮始発の鈍行ディーゼルカーDR2700に乗るため、花蓮駅前の宿に投宿します。

 今回、車両についての説明は、他のインターネットホームページや書籍をご覧いただければと思います。

 朝6時花蓮発玉里行きの普快DR2700は、かなりくたびれていますが、カミンズのエンジンは勇ましい音をたてて快走します。非冷房で窓を全開にして風にあたり、肥料の臭いが車内に飛び込んでくるのも懐かしく感じました。

鹿野駅を発車するDR2700型

 
 
 玉里では朝ごはんがてら玉里麺と書かれた店でモヤシとひき肉が少し入った簡単な湯麺をいただきます。なかなかいけます。値段は45元(130円程度)。

 玉里からはディーゼルの特急に乗り、大武まで乗ります。ここでついに一往復になってしまった旧型客車をつかまえ台東まで戻るのです。旧型客車は今や、枋寮12時8分発台東14時20分着の3671次普快車とその逆、台東17時25分発枋寮19時34分着の3672次普快車しかなくなってしまいました。

 この日の客車は3両編成、インド製はなく全て日本客車でした。沿線での走行写真を撮りたいと思いつつも、つい乗ることに執着して今回も駅撮りになってしまいました。

大武駅に入る3671次


 
 台東から鹿野までDR2700に再び乗り、その後、旧型客車で枋寮まで。そこから客車急行(莒光号)で高雄まで乗り、駅前のホテルに投宿しました。

 その次の日は、釣り掛け特急狙いです。EMU1200は高雄発基隆行のEMU1200運用は7時発と12時発の2本ありますが、この日は7時発に乗り、彰化まで乗り、基隆発彰化止まりのこれまた釣り掛け車EMU300の特急自強113次を迎えることとします。

 彰化では時間があったので基務段(車庫)の一般開放ものぞきます。これも以前はパスポートのような身分証明が要りましたが、今では受付で名前、住所、電話を書くのみです。

 あと高架工事中の員林のホーム端でも何本か撮影を行い、二水まで足を延ばし、蒸気機関車運転列車の時間を確認しました。翌日、日曜日も高雄から同じEMU1200の7時発、自強112次に乗るつもりで高雄の泊まろうとしたのですが、週末の夜遅い時間、昨日泊まった宿だけではなく近隣の駅前ホテル約10軒ほどみな満室です。かつて他の都市でも夜遅い時間からの飛び込みの宿探しで困窮したことがありましたが、だんだん心細くなるものです。通勤電車で1時間、台南まで下ってやっと汚い安宿に投宿することができました。飛行機が遅くに着くといった条件でもなければ基本は飛び込みで宿を見つけることにしていますが、体力と次の日を考えるとやはり早めに宿を確保する必要があると改めて痛感しました。

嘉義駅に入るEMU1200型、自強号(特急)112次

 8月12日の日曜日は集集線の「2012南投火車好多節」のSL列車が目当てです。

 今年は、7月15、22、28、29日と8月4日、5日、11日、12日の8回運行され、私が行ったのが最終日でした。運行時刻は、下りが(2777次)濁水9時37分発、水里10時8分着、(2779次)濁水13時34分発、車程14時12分着、上りが(2778次)水里10時20分発、濁水10時48分着、(2780次)車程14時15分発、濁水14時55分着となっています。

 先ず、一番人が集まる中間の集集駅で2778次を迎えます。日本のイベント列車と同様に相当の人出ですが、SL撮影だけを目的に来ている人の割合は低いようです。白い高級望遠レンズがずらりと並ぶ光景はここではありません。

 その列車の構成ですが、昨年復活なったDT668(日本形式D51)と客車(インド製2扉)4連と補機のDLです。その後、2779次を水里の近くで撮影し、折り返しの2780次に乗って濁水まで乗りましたが、これは余裕で座れました。その日は、水里からバスで更に奥に入って廬山温泉に泊まろうと思っていましたが、何でも台風被害であらかた休業中とかであきらめざるを得ません。廬山温泉は心残りですが、気分を変え、嘉義からバスで1時間、山間の関子嶺温泉に投宿することにしました。ここも戦前からの温泉地で、泥水のような湯がなかなか効きそうでお奨めです。

集集駅に入る2778次

 

DT668の雄姿

 
 
 翌日は、台北まで戻り、近郊の汐科駅で撮影をしました。今回だけではなく高鉄(新幹線)とほぼ並行する西部幹線でも、優等列車ですと直前では予約もままならないくらい結構混雑していました。今回の訪問では行けませんでしたが、日本時代からの木造駅舎や、製糖鉄道ゆかりのトロッコ列車も興味深いものです。みなさんも活気あふれる台湾の鉄道を訪問されてみては如何でしょうか?

汐科駅を通過する莒光号(客車急行)

 

八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part1 巨匠 広田尚敬先生も参加された、神谷武志企画 テレマカシーツアーの旅立ち

最近、海外鉄道撮影に同行させていただいておりますO氏より、海外鉄道撮影では名高い神谷武志さんがインドネシアのサトウキビを運ぶ蒸気機関車撮影ツアーを企画されておられるので行ってみないかとお誘いを受けました。

若かりし頃はアウトドアが大好きで、家内と子供たちをワゴン車に乗せて毎月数回はオートキャンピングに出かけていました。特に夏は毎年、鳴き砂で有名な丹後半島琴引浜でのテント生活を1週間も続けるほど熱くなっていましたが、老いるとともに、茹だる暑さと蚊が苦手になってきました、ひ弱な私です。
最初は、乗り気はなかったのですが、この時期のネシアは、乾期で蒸し暑さも少なく、蚊も日中は行動しないと聞き、クーラーの効いた部屋に引きこもり生活では身体に悪いだろう。八月は高校球児と同じく熱くならなければとならないと思い直して、O氏に参加の意思を伝えました。

7月5日、渋谷で壮行会が開催されましたので行ってみますと、何と巨匠の広田尚敬先生が参加されておられてビックリしました。他の参加者の方々も海外鉄道撮影のベテランばかりで、頼もしい猛者集団です。これは前回の小竹直人先生企画ツアーに続いて、すごく勉強になるなあと期待が一気に膨らみました。


約18,100の大小の島々からなる、世界最大の群島国家インドネシア。人口は3億3,000万にもなるそうです。
イスラム教徒が多く、訪問しました時期は丁度日の出から日没まで断食する ラマダン(2012年は7月20日~8月18日)でした。


第1日目 8月4日

① 長岡天神 6:20(阪急)→6:47 十三 6:51→7:01 蛍池7:06(大阪モノレール)→7:09 大阪空港
② 伊丹 8:15(JL3002)→9:35 成田 10:50(JL725)→16:35ジ  ャカルタ
③ ジャカルタ空港17:20 (チャーターバス)→18:00 GAMBIR駅
④ GAMBIR(ガンビア)19:30(36列車)→23:33T EGAL(テガール)
    続きを読む

江ノ電の夏

犬伏です。
夏空の江ノ電を写そうと出かけました。

鎌倉駅では風鈴が出迎えてくれました。2000形2053号です。


稲村ケ崎を過ぎると海が見えてきます。20形22号の運転台越しの江ノ島です。
道路は混雑しています。なかなか青空が見えません。
江ノ島まで乗車し 歩いて戻ります。


江ノ電 江ノ島駅です。20形22号。


江ノ島 腰越間の併用軌道区間です。
1100形1151号 鉄道開通110周年&バス開業85周年「記念スキップ号(スキップえのんくん号)」記念塗装車です。


腰越駅です。さきほどの22号が戻っていきます。右の道路の先が海です。


住宅の間のこの狭い所を抜けると カンナの花に迎えられて 海沿いに出ます。500形551号


海に出ましたが 曇っています。500形502号

1151号が藤沢から戻ってきました。


1500形1501号 異色ですが江ノ島の海に似合う色です。


22号が鎌倉から戻ってきました。珍しく車の少ない時間でした。空の色と海の色はいまひとつです。
この先が 鎌倉高校前の駅です。 以上5枚は腰越 鎌倉高校前間です。

鎌倉高校前から七里ヶ浜へ電車に乗りました。


七里ヶ浜駅の先の橋の横に朝顔が咲いていました。
1500形1501号です。


同じ鉄橋です。1200形1201号です。
1000、1100,1200形の4編成8両は吊り掛け駆動ですので いい音がします。
ブレーキ装置は江ノ電現有車すべて電気指令式HRD-1となっています。


七里ヶ浜駅の稲村ケ崎寄り ここも海の見える踏切です。20形61号です。雨が少し降っています。


2000形2002号です。このあと雨が強くなり、近くのコンビニで雨宿り。


雨の中 江ノ島まで電車で戻りました。どんよりとした海です。右はゆかた着の女性です。


江ノ島での1151号と502号です。まだ雨が降っていますがそろそろやみそうなので 七里ヶ浜へ戻ります。


七里ヶ浜 稲村ケ崎間の踏切です。雨上がりに青空が出てきました。循環系統の江ノ電バスがやってきました。


10形10号です。江ノ電開業95周年を記念して平成9年につくられた きれいな電車です。青空に映える色、クラシックなデザインで子供たちにも人気の車両です。


500形551号がやってきました。


さらに稲村ケ崎方面に移動しました。江ノ島が見えていますが、西の空はまだ曇っています。
1500形1552号 嵐電との姉妹提携を記念した嵐電カラーです。
その後 稲村ケ崎駅まで歩きました。


稲村ケ崎駅 鎌倉行の10形10号です。この車両のカラーリングに似合うお嬢様方が乗り込んでいきました。
車内は 家族連れや若者たちの海水浴客が多く乗っていました。
鎌倉高校前まで 藤沢行きの電車に乗りました。


鎌倉高校前駅の腰越寄りです。東の空は青空ですが雲がかかってきました。2000形2002号です。道路は渋滞です。


鎌倉高校前駅から見た江ノ島です。西の空も晴れてきました。富士山はなかなか見えません。
さて遅くなるので帰ろうとこの電車の乗り鎌倉へ向いました。1000形1052号です。


先ほど電車の車内です。雲がかなり多くなってきました。海ではちょうど良い波のようでサ-ファーが楽しんでいます。


鎌倉駅ではカエルさんが迎えてくれました。
その後横須賀線の鎌倉駅のホームに上がると 西の空に夕焼けが見えましたので、もう一度 鎌倉高校前駅へ急いで戻りました。


かろうじて間に合いました。8月初旬ともなると日没時刻はかなり早くなっていました。乗ってきた藤沢行きの500形551号です。
後部2両は江ノ島止まりでした。


鎌倉行がやってきました。かなり暗くなり夕焼けの色も消え夜のとばりがおりようとしています。
1100形1151号 えのんくん号です。
その後上下2本を写して帰路に着きました。

当日の編成は次の通りです。鎌倉方が左です。
1052-1002+62-22
1552-1502+1551-1501
1151-1101+50-10
551-501+552-502
2053-2003+1251-1201
61-21+2052-2002

平成24年8月4日(土)の江ノ電でした。

アメリカ鉄道のたび(その6)

グランドキャニオン鉄道

3日間滞在したデュランゴから空路フェニックス経由フラッグスタッフに行きました。フラッグスタッフはルート66が通る町、最近では水泳の北島はじめ、高地トレーニングの合宿の町としても知られています。NO2でも少し触れたように、当初はグランドキャニオン鉄道でグランドキャニオンに行くつもりだったのですが、アムトラックとの連絡切符の予約ができず、またアムトラックの連絡駅であるウイリアムズジャンクションは無人駅で、列車が遅れた場合ここで長い間待つのも嫌なので、グランドキャニオンへの往復をフラッグスタッフからのシャトルバスを使うことにしました。

フラッグスタッフのホテルに入ってまず、アムトラックの駅に行きました。この駅に止まる旅客列車はシカゴとロスアンゼルスを結ぶ、サウスウエストチーフ号の1往復だけですが、貨物列車は頻繁に通り、通過の際、踏み切りは長い間遮断機が降りて渋滞します。駅は昔ながらの建物で、半分以上が観光案内所として使われ、アムトラックの方が間借りしているような感じですが、朝5時から23時まで駅員がいて、切符の購入もできます。

フラッグスタッフ駅(前の通りがルート66です)

結果的にこの駅から乗車したのは正解で、その日の晩乗ったサウスウエストチーフ号の到着は2時間半遅れましたが、駅員がおおよその到着時刻を案内してくれたので、その間駅前でビールを飲み、食事して退屈せずに待つことができました。

続きを読む

アメリカ鉄道のたび(その5)デュランゴシルバートン鉄道

デュランゴシルバートン鉄道はアニマス川沿いの渓谷を走る景色が人気で標高1984mのデュランゴから標高2836mのシルバートンまでの72.6kmの区間を3時間半かけて走ります。デュランゴはデンバーと同じコロラド州にあり、デンバー、フェニックス、ダラスからの飛行機便があって、比較的行きやすい場所にあります。このため、この鉄道の乗車をコースに入れている日本の一般ツアーもあり、恐らく日本でも一番知られた保存観光鉄道ではないでしょうか。この鉄道はシルバートンで発見された銀鉱のためのもので、1882年にデンバーまでの鉄道が開通しました。その後、鉱山の閉鎖とともに鉄道も一時期廃止されましたが、1940年代に銀に変わってウラン鉱石の精錬のために再開され、1960年代には国の歴史遺産に登録されたこともあって、観光鉄道に姿を変えて運行が続けられました。ある時期にはハリウッドがこの鉄道に目をつけ、いくつかの映画がここを舞台に作られました。「80日間世界一周」の映画も一部のシーンがここで撮られたそうです。

続きを読む

アメリカ鉄道のたび(その4)デンバー2

コロラド鉄道博物館

この博物館はデンバー郊外のゴールデンという町にあります。前回の投稿で紹介したRTDのトリッププランナーに出ており、デンバーのダウンタウンからは直通はないものの、1度乗り換えるだけで、約1時間でいけるバス路線があります。これはいいと時刻を見るとなんと土日は運休になっています。距離が結構あってタクシーでいくらかかるか心配だったのですが、デンバー近郊タクシー料金検索と言うサイトを発見、検索すると$32とのこと、これならまあいいかとダウンタウンからタクシーで出かけることにしました。

続きを読む

伊予鉄での出会い

 いささか古い話で恐縮であるが、昨年末、趣味仲間と車で一畑、伊予鉄、琴電等を訪問したのでその中で伊予鉄との出会いについて報告したい。その時の最大の目的は一つには1963年、1964年にローレル賞を連続受賞した井の頭線3000系、京王線5000系の生き残りを並べて撮ること、もう一つは京都市電であった2000形を撮ることであった。

 2011年12月3日伯備線、4日一畑、琴電を撮影後、松山市内勝山町のホテルに投宿。道後温泉も行かずにホテル前で三脚を立てて市内線電車の夜間撮影を試みたが、結局元京都市電は現れなかった。翌日も早朝からねばってみたが、ラッシュアワーに重なったのか2003、2005、2006に出会うことができた。正面の前照灯が2灯から1灯となり、多少面構えが変わっていたが、全体の面影は残っており懐かしい感じがした。JTBキャンブックス「京都市電が走った街今昔」(沖中忠順著、福田静二編)によると京都市電2000形は1964、65年に6両が登場し、1両は保存、5両は伊予鉄市内線で旧番号のまま冷房化の上、活躍中とある。2003、2005、2006の京都時代の同番号の2000形はないものかとネガを探してみたが残念ながら全くなく、唯一、卒業前の1969年2月の雪の降る日に京都駅近くで後姿を撮った2002があったので掲載する。  

        2012.12.5 勝山町 2003↑

 

        2012.12.5 大手町2006↑

 

 1969.2.28 京都駅近くの烏丸通と思われるあたり2002↑

 

 元京王3000系、5000系の出会いであるが、当日の運行状況から大手町駅で離合することがわかったので光線状態を考えて同駅の松山市駅側に陣取る。時間になりやって来たのは横河原行きクハ3506(元井の頭線クハ3775)で高浜行き後部のクハ765(元京王線クハ5777⇒クハ5857)と並んだところをキャッチ。朝陽に輝く出会いはよかったが、朝の斜め光線は架線や電柱の影の処理が難しい。それに元京王5000系自身いつまで残るのか予断を許さない時期に入ってきたように思う。古い写真は1968年5月27日聖蹟桜ヶ丘を出て多摩川橋梁に向かう京王八王子~調布間の各駅停車デハ5107+クハ5857吊りかけ車で松の木の影になっている後ろの車両が伊予鉄クハ765になるクハ5857である。新しい写真は2008年11月16日井の頭公園駅に進入する急行運用に入ったクハ3775で現在の伊予鉄クハ3506である。伊予鉄の3000系は譲渡に際し、VVVF化されて井の頭線時代よりも性能のグレードアップ化がなされている。京王線と井の頭線は明大前駅で上下交差しているが、路線の生い立ちやゲージの違いによりお互いが同じ会社の車両でありながら顔を会わせることはない。もっとも井の頭線の1800、1700、1710、1400、1200等は改軌して京王線に転属していった時代がある。その一部も伊予鉄に譲渡されており、京王と伊予鉄は縁の深い関係がある。本年5月1日に彩流社という出版社から発行された「京王線、井の頭線昭和の記録」の編著者三好好三さんは井の頭線と京王線の接点という項目の中で伊予鉄の同じ線路を走る元京王3000系、5000系のことを「本家でも実現しなかった夢の競演である」と述べられている。譲渡車両の今昔を記録してみたが、同じ車両を対比することは大変興味深いものがあり、私のような老人ファンならではの楽しみである。

 2012.12.5 大手町横河原行きクハ3506と高浜行き後部クハ765↑

  1968.5.27 聖蹟桜ヶ丘~中河原 デハ5107+クハ5857↑

 

 

   2008.11.16 井の頭公園 3775先頭急行渋谷行き↓

アメリカ鉄道のたび(その3)デンバー1

デンバーを訪れた一番の目的はビッグボーイのあるフォーニー博物館に行くことだったのですが、数年前に博物館が改築されて、ビッグボーイは室内展示になり、写真が撮りにくくなったということを聞いていました。ただ、デンバーにはトラムも走り、郊外にはグースが走るコロラド博物館などの見所があります。2泊して駆け足でしたがこれらを回りました。

続きを読む

万葉線紀行 連節車と除雪車

万葉線 いつの間にか加越能鉄道から第三セクタ-の万葉線株式会社になっていました。5月12日土曜日 久しぶりに降りたった高岡駅前は新幹線工事で何がなんやらわからない状況で 万葉線の停留所に行き着くのに一苦労しました。七夕で有名な駅前の通りも普段の土曜日でひっそりとしていました。高岡駅前の電停は昔のままの風情で7070形は似合っていましたが、MLRV1000形「アイトラム」は26年3月にJRの駅前広場に電停が移転すれば似合うと思われます。


デ7070形 7076号です。
デ7070形は1967年製で デ7071(冷房車)、デ7072(初代アニマル電車・・・籍なし)、デ7073(アニマル電車 冷房車)、デ7074(非冷房車)、デ7075(非冷房車)、デ7076(非冷房車)の5両が在籍しています。


MLRV1000形「アイトラム」1006号です。
2004年から2009年にかけて作られた、1001号から1006号の6編成が在籍しています。
ボンバルディア社の技術提供により、新潟トランシスで製造された2車体連節の100%低床車です。
後方が工事中のJR高岡駅です。
この電車に乗り 市内線の併用軌道の単線区間を通り米島口の車庫へ向かいます。車内放送は立川志の輔さんの声で車内アナウンスがされていました。


事務所で撮影の許可を頂き 車庫での撮影となりました。
車庫では数人の社員さんが電車の入れ替え中で、もうすぐバスツア-の電車の撮影会が有るので 写しやすいように並べているとのことでした。左から 7072,7073,1001,5022です。


庫内でお休み中の車両達 左から 1003,6000,7074です。
初めて見た6000がいったい何者か この時はわかりませんでした。


1001号です。2003年12月導入2004年8月から営業運転開始です。
当初はフランジの問題での脱線事故やブレ-キ故障など大変だったようです。
右に少し顔をだしているのが1002号です。


1002号です。2004年1月導入1001号と同じ2004年8月から営業運転開始です。


その1002号の右は元デ5010形5022号です。1950年元富山地鉄デ5022、車籍は無く除雪に活躍していましたが 後任の6000が出来たため引退とのことでした。保存の予定とのことですが 最後の5010形ですのできちんと保存をお願いしたいところです。


デ7072号(初代アニマル電車・・・車籍なし)です。どちらかというとネコ電車として有名です。


デ7073号 二代目のアニマル電車(ネコ電車) 冷房車です。
デ7070形は5両の在籍です。1000形は乗り心地やバリアフリ-の点ではすぐれていますが、ハイテク車で安全装置がたくさんあり運転しずらいとのことで、乗務員としては7070形の方が思うように走り 運転しやすいとのことでした。特に雪の日や、架線が凍った時は困るそうです。


今日は車庫内でお休みの デ7074号です。


新しい除雪車 6000が庫内から出てきました。軽いエンジン音、畳んだままのパンタグラフ 異様な感じです。


右のボンネット内にエンジンがあり単純な下回りは模型のようです。メンテナンスを簡単にするためだそうです。
平成24年 新潟トランシス製で 後で知ったのですが車籍を有する鉄道車両とのことです。主に米島口から越ノ潟方面の専用軌道で使用されるとのことでした。パンタグラフはトロリ-コンタクタ-用です。


元デ5022号も少し前に移動です。若い係員(運転手さん)が屋根に上りパンタグラフの鍵を外し(下からベテランさんが 架線に気をつけろよ- と言っていました)自走して 移動です。車内は機材がいろいろ置かれていました。


5両がきれいに並びました。左の3名の社員さんで移動を行っていました。もう一名女性の運転手さんがいましたが途中で乗務に向かいました。(後でその運転手さんの運転する電車に乗りましたが 思いっきりのいい みごとな運転でした)


ようやく少し晴れ間も出て、きれいな5両の並びとなりました。
左から 7072,7073,1001,6000,5022です。貴重だ体験でした。
その後 越ノ潟方面に移動しました。

米島口での1006号です。(2009年4月営業開始)
この角度 きれいです。いい電車です。


デ7076で移動し、途中で赤いデ7075と行き違いました。


庄川 鉄橋でのデ7071号です。


同じ場所での 1005号です。(2009年4月営業開始)


反対側から海をバックに 7076号です。夕日の時がきれいだそうです。


1004号です。(2008年3月営業開始)
庄川口から越ノ潟まで乗車しました。


越ノ潟終点です。1966年富山新港の工事で線路が途切れてしまいました。今は無料の県営フェリーでつながっています。後ろの橋ができればまた状況が変わりそうです。

フェリーボート 「こしのかた」 自転車も乗れます。5分ほどで対岸に着きます。

船の中から見た工事中のつり橋 さわやかな船旅でした。
対岸の堀岡発着場に着きました。


ここからバスで 富山ライトレールの岩瀬浜へ向かいます。土日の限定連絡バスです。以前は射水線廃止後の代行バスが有ったようですが今はありません。


乗客は 私一名でした。せっかくの射水市企画のバスですが 観光客の少ない季節でもありさびしい限りです。右のサイクリングロードは射水線の線路跡のようでした。


20分ほどで岩瀬浜の駅前に着きました。
ちょうど富山ライトレールの電車が到着です。
車庫で遊び過ぎ後の時間が迫ってきましたので、この折り返し電車に乗り富山に向かいました。
高岡の万葉線 車庫でいろいろな話を伺ったり きれいな電車を見たり乗ったり写したり 楽しい時間でしたが、経営は厳しい状況が続いているようです。JR高岡駅内に延長されると利便性はかなり良くなると思います。車庫でお世話になった皆様ありがとうございました。みなさま頑張って乗りに行きましょう。
犬伏 孝司

アメリカ鉄道の旅(その1)

6月5日から19日までの2週間アメリカの中西部に行ってきました。

この旅行の主な目的は3つ、アムトラックに乗って大陸横断鉄道の雰囲気を味わってみたい、SL保存鉄道を訪問したい。世界最大といわれるBIG BOYを見たい。これに加えていくつかの博物館を訪問したいと言うことでした。ところがアメリカの場合、公共交通の面で制限があります。アメリカはご存知の通り車社会で移動はフライ&ドライブという、空港でレンタカー借りて旅行するのが一般的です。アメリカの都市部をレンタカーで走る自信はありませんので、レンタカーでの移動は田舎に限り、それ以外は公共の交通機関が使えるところと言うことで計画を立てました。その結果BIG BOYを見るのに比較的アクセスしやすいデンバーを選び、サンフランシスコからアムトラックのカリフォルニアゼファーでデンバーまで移動、そこから飛行機でデュランゴに飛び、デュランゴでレンタカー借りて、デュランゴシルバートン鉄道を訪問。また折角アメリカにいくのなら一度見てみたかったグランドキャニオンを入れ、この移動にフラッグスタッフからロサンゼルスまでサウスウエストチーフを使い、ロスアンゼルスからサンフランシスコに戻るのにコーストスターライトを入れると言う盛りだくさんな計画となりました。

続きを読む

塩江温泉鉄道跡を訪ねて

湯口先輩の20981「長春の旧塩江温泉鉄道気動車」を拝見して、2009年の年末に塩江温泉鉄道跡で少し写真を撮っていたので、ご紹介します。徳島県側から山越えし 塩江を通ったときのスナップです。線路跡は「ガソリン道」と呼ばれているようですが、知らない人には何のことかわからないネーミングですネ。
ガソリンカーの漫画がよく描けている

ガソリンカーの漫画がよく描けている

塩江温泉駅跡に建つ食堂と香東川の橋台跡
塩江温泉駅跡に建つ食堂と香東川の橋台跡
香東川の橋脚と橋台跡
香東川の橋脚と橋台跡
道路として使われているトンネル
道路として使われているトンネル
手前は鉄道橋の橋脚、向こうに見えるのは沈降道路橋
手前は鉄道橋の橋脚、向こうに見えるのは沈降道路橋

以上のように 塩江温泉から香東川沿いに線路跡はよく残っていましたが、谷が開けて平野部に入ると高松空港もあって道路が整備され、琴電仏生山駅付近も殆ど痕跡が見れませんでした。昭和4年から昭和16年までの短い生涯の鉄道だったにしては、よく遺構が残っているほうだと思いました。撮影は平成21年12月29日ですから、今は少し変わっているかもしれません。 

 

佐渡の鉄道

道遊坑から破砕場に向かう坑外線

道遊坑から破砕場に向かう坑外線

島の鉄道と言えばまず淡路島、戦前の沖縄県営、屋久島の林鉄、サトウキビの南大東島を思い浮かべるのですが、佐渡島にも鉄道があったのです。佐渡と言えば金山で有名ですが、この金鉱山の鉱山鉄道です。実は鉄分抜きのつもりで佐渡旅行をしてきたのですが、思いの外 多くの車両や遺構に接することができました。佐渡の鉱山鉄道についてはJTBキャンブックス 岡本憲之著「全国鉱山鉄道」に1ページだけ紹介されていますが、もう少し詳しくご紹介しましょう。

佐渡金山は約400年前に開山され、江戸幕府の財政の基盤となったのですが、明治維新後は官営鉱山となり、明治29年からは三菱に払い下げられ、三菱金属、三菱マテリアルと名を変えながら平成元年3月末に閉山しています。現在は「金山資料館ゴールデン佐渡」として多くの観光客を集める史跡となっています。残念ながら鉄道車両は静態保存ですが、まずまずの保存状態でした。

道遊坑と道遊の割戸

道遊坑と道遊の割戸。庫内に4Ton機関車が見える。草むらにレールが埋もれている。

 開山当時は露天掘りから始まるのですが、後ろの山の真ん中にV字型の切れ込みが見えます。現在は木が生い茂っていますが、金脈を掘り下げて行った大きな切れ込みで「道遊の割戸」と呼ばれる佐渡金山の象徴です。この金脈に向かって入ってゆく坑道と線路が道遊坑です。

2Ton蓄電池機関車No.6と人車

2Ton蓄電池機関車No.6と人車

この鉱山鉄道の軌間は508mm(1フィート8インチ)と三菱鉱山規格の500mmが混在していたらしいのですが、その区別は不明です。機関車は日本輸送機(ニチユ)製です。ニチユ製の小型蓄電池機関車にはいくつかのタイプがあって、この2Ton車はF型と呼ばれた量産機です。ともあれ佐渡でニチユにお目にかかるとは思いませんでした。ニチユと言えば神足、神足と言えば乙訓のご老人をはじめぶんしゅう殿、特派員殿の地元ということで不思議な縁を感じました。

6号機の銘板、製番は��み取り不能

6号機の銘板、製番は読み取れず

 

昭和13年に三菱電機製の5Ton電気機関車が4両導入される以前には輸入電機が働いていたようですが、詳細はわかりません。蓄電池車ではなく架線式の電機だったと思われます。坑外には2Tonガソリン機関車もいたようですが 、これも詳細不明です。須磨の御大のお出ましを乞う次第。

10号機。機関車だけはきれいに整備されている。

10号機。機関車だけはきれいに整備されている。コントローラーのノッチも軽く動いた。

8号機と鉱車

8号機と鉱車

ニチユの古いエンブレムがついている。号機不明。

ニチユの古いエンブレムがついている。号機不明。

蓄電池機関車は仕事を終えると充電のため車庫に戻ります。今は機械工場ということで工作機械などが展示されていますが、レールの上に旋盤などが置いてあるところを見ると この建物は本来の機械工場ではなく 機関庫だったと思われます。小さなターンテーブルがいくつかあって、充電エリアと整備エリアになっていたようでした。

ターンテーブルと充電エリア並ぶ5,3,2号機。もう1両は坑内に展示。

ターンテーブルと充電エリア並ぶ5,3,2号機。もう1両は坑内に展示。

ここで使われているレールは主要坑道が15Kgレール、一般坑道が12Kgレールということで錆びた古レールが棚に並べられていました。棚にバラ積みされたレールというのも珍しい光景でした。

坑道から2Ton車に牽かれて出てきた鉱車は、坑外は牽引力の大きい4Ton機関車に牽かれて破砕場のホッパーへ運ばれたようです。その4Ton機関車も別棟に保存されていました。

4Ton機関車

4Ton機関車

機関車がニチユ、電池や整流器がGS日本電池、充電制御継電器がオムロン立石電機製と なんとすべて京都で生まれたものというのも京都人としてはうれしい限り。今は亡きSさんが御室にお住まいだったり お父様が確かGSにお勤めだったことも思い出され ここでも不思議なつながりを感じてしまいました(考え過ぎ、こじつけのようですが・・・・)。ところで佐渡島は北前船の寄港地で越後とのつながりよりも関西との文化的なつながりが深い島です。佐渡おけさも もとは北九州地方のハンヤ節が関西、北陸と伝わったものだったり、今も村毎に立派な能舞台が数多く残されて能の伝統があり、料理も関西風のうす味だったりで興味が尽きない島でした。その佐渡金山に京都生まれの機関車たちが働いていたのも おもしろい縁だと思った次第です。

ダルマ転てつ器の残る坑外線

ダルマ転てつ器の残る坑外線

この金山には江戸時代の様子を再現した宗太夫坑と明治時代の様子を再現した道遊坑の2つの観光用坑道があり、両方を見ると1時間半程度を要します。観光バスで乗りつける団体客は時間に追われるため宗太夫坑とお土産店だけで次の名所へ行ってしまうようで、ご紹介した道遊坑の鉱山鉄道跡まで足を延ばす人は少数です。従ってゆっくりと見学できました。この2つの坑道のほか選鉱場跡、製錬所跡などの古い産業遺産も含め、また金とともに金の量の30倍を産出した銀とあわせた金銀鉱山として世界遺産登録を目指して活動しているようでした。今は静態保存の鉱山鉄道ですが、その一部でも動態保存化できれば 集客力も増えるのではと思いました。特にニチユは盛業中であり、比較的良い状態で保存されている機関車ゆえ 復元は楽なように感じます。

現在国内で稼働中の鉱山鉄道がいくつあるのか不勉強ですが、稼働中の鉱山鉄道があっても 普段は見学や撮影は難しいでしょうから 閉山しているとはいえ その様子がよく判り 楽しいひと時を過ごすことができました。わざわざ金山だけのために佐渡に渡ることはないと思いますが、花の島、トキの住む島、古い文化の残る島と様々な顔を見せてくれる島に興味のある方は是非訪れてみられてはいかがですか。

2012年 春の中国鉄路の旅  総集編

44日間の人生最長の旅は、ビザ滞在期限の問題から帰国せざるをえず、帰国後は急を要する用事を済ませて直ぐに、大地へと戻りました。気持ち的には延長のようなものでしたが、堪能するには余りに大地は広く、寧ろもっと行きたい撮りたい所は増えるばかりとなってしまいました。


▲ 前回の乗車距離は12,000キロオーバーでしたが、今回は10,000キロ届かずでした。満州地区での移動が多かったのと、南への移動がなかったせいと思います。特筆は京滬高速鉄道の運賃です。グランシート車に乗車しましたので、1,750元と他の列車を圧倒します。しかし、乗り心地も抜群でクセになりそうです。
続きを読む

2012年春の中国鉄路の旅 Part25  长春(満州国首都 新京)から一路、上海へ 京滬高速鉄道、開業1年後の乗車レポート

29日間に及んだ春の中国鉄路の旅も、帰国への途を迎えました。今日は、夜の列車に乗って北京へ、そして北京南駅に移動して昨年6月30日に開業した京滬高速鉄道のグランシートで上海へと向かいます。移動距離は、一気の2,321キロです

第28・29日目 5月16・17日 長春→北京→上海→帰国

① 長春 22:00(Z62次)→6:00 北京      1,003キロ  8時間
② 北京南 8:00(G11次)→12:55 上海虹橋  1,318キロ   4時間55分
③ 上海浦東空港 18:10(JL898)→21:25 関西空港→なんば→梅田・大阪→長岡京

▲ チェックアウトタイムまで粘ってから、長春駅前のホテルへ行き、午後4時から休憩チェックインするので荷物を預かって欲しいと言った後で昨日ロケハンしておいた撮影地へと向かいました。カラフルな車体色の軽軌車両です。


▲ 上下線が分かれている芙蓉橋の道路高架橋に行って見ましたが、なぜか右側通行ではなく逆です。予定していた列車が撮れず後から来た貨物になりました。再度移動して機務段への連絡橋で電気機関車たちを撮りましたが、 続きを読む

2012年春の中国鉄路の旅 Part24  长春(満州国首都 新京)その2 長春の軽軌と路面電車

第27日目 5月15日 長春の軽軌と路面電車

いつものように元気に目覚めましたが、無理をせずに午前中はPC作業に没頭して、外へはお昼からにしました。目指すは、久しぶりの長春の路面電車です。
人民広場近くに泊まっていましたので、路面電車54路が走る所までは遠いです。まずはホテルを出発して、2011年6月30日に試運転(客扱い有り)を開始した軽軌4号線の初乗車兼ねて向かう事にしました。、


▲ ホテル前からバスに乗って軽軌の东大桥站(東大橋駅に着きました。ガラス張り円形のすばらしい駅です。4号線の総延長は、16.33キロ(地下軌道3.3キロ含む)で、16駅(内、地下3駅)が設置されています。駅に入りICカードを購入しようとしましたが、まだ売っていません。改札口はICカード対応になっていますが、どうしてかなと思いましたが、乗車してみると分かりました。まだ工事中で未完成な駅が2駅ありましたので、暫定開業扱いなのです。4号線の使用車両は、2000系3000系の2種類です。


▲ 仕方なく切符を買う事にしましたが、下車駅が分かりません。メモ用紙に54路路面電車に乗りたいと書いて渡すと、起点の长春北站まで行って降りて、3号線に乗り換えるのが早いと申されます。いや、私は遠回りになっても良いので3号線との接続駅で乗換えて行きたいと言うのですが、理解してもらえません。またいつもの挨拶です。その頃には、駅員が全部集まってきてしまいました。駅員を見ると全員20代前半のの若いお嬢さんばかりです。新しい路線ですので、全て若い女性に絞って採用したようです。一人が手書きで乗換駅
卫星路站)と下車駅(卫星路站)を書いていただきました。老人にはやさしい娘さんばかりです。


▲ 早速乗車しました。軽軌と言っても4号線を走る車両は鉄道車両ではなく、路面電車です。こんな立派な高架軌道を走れるとは、この路面電車は幸せですね。 他の都市では軽軌のホームに駅員がいて、撮影しようとすると撮影禁止とか危ないと言って、静止させられることが多いですが、ここでは誰もいませんので気にすることなく撮れました。3000系
70%低床式C型軌道電車で、連接6両編成です。車両長62m、車高3,600mm、車幅2,650mm、最大定員能力500人、座席定員132人、走行音は65デシベルに押さえられています。最高速度は70km/hですが、現在40km/hに抑えられてのノロノロ走行です。


▲ 3号線への乗換の卫星路站(衛星路駅)に着きました。この駅も設備は路面電車が走っているとは思えないほど立派です。

▲ 3号線を走る路面電車です。こちらにも3000系は走っていますが、主力は開業時に導入された連接3両編成の2000系です。

3号線は、2002年10月30日に长春站~卫光街が開業、2006年12月26日に长影世纪城まで延伸され、全線34.4キロとなりました。33駅が設置されています。最高速度は、開業当初は40km/hでしたが、今は70km/hで運転されています。乗客は多く3両編成では、日中でも満員で走っていました。富山のライトレール同様に市民に定着した感があります。
最初に敷設された区間は、国鉄線と平行した地上線を走行しますので、道路が線路上を跨いでオーバークロスしていますが、離れてからは道路とのの平面交差があります。軌道優先とはなっていなく、停車しての信号待ちとなります。
運賃は、4号線と同じ乗車キロ制で、14.5キロまで2元(約26円)、14.5~24.5キロは3元(約39円)、24.5キロ以上は4元(約52円)となっています

今後、軽軌を市内交通の中心として新規開業されます。1、2号線、5~7号線と、2050年には総延長距離179キロとなる計画です。1、2号線は市内中心部を走行しますので、全線地下化されます。ただし、同じ車両が走るかは現在、発表されていません。

▲ 軽軌3号線4号線有轨电车(路面電車)が走る54路の路線図です。

▲ 卫星路站で降りて、54路路面電車に乗換えて、終点の西安大路へと向かうことにしました。

長春路面電車は、1999年8月に長男と一緒に東北旅行で初めて訪れて以来、4度目の訪問です。


 


▲ 春の日差しを受けて緑一杯の専用軌道を走ります。13年前と比べると、緑も増えて綺麗になりました。

【長春の路面電車の歴史】
1932年3月1日、日本は中国東北部に満州国建国宣言をしました。首都は長春に定められ、名前も新京と改められました。建国後、大規模な都市計画が実施され、上下水道・ガスが完備された近代的な人造都市が誕生しました。街路は、60m幅の舗装された大路となり両側には街路樹が植えられ、美観を損ねる電線は土中に埋められました。

都市交通は、都市美観を守るためにバス・Taxiによって運行されていました。1939年には瀋陽と同様に当時最も進んでいた大阪市交通局の指導のもとに地下鉄計画が立案されました。1940年より工事着手となっていましたが、戦争による資材不足のため断念され、1941年1月から路面電車の敷設工事が始まりました。路線は都市美観を守るためにメインストリートは避けて、翌年にはさらなる新線も建設され、総延長距離は37.3キロに達しました。
使用される車両は、日本車両名古屋工場で新造された車両の他、玉川電気鉄道の2軸ボギー車5号、武蔵電気鉄道の車両や、四国仏生山からの塩見温泉鉄道の気動車が電装化されて送られ走行したそうです。

▲  2005年に訪問した時に長春号の車内に展示してあった写真です。これが本土から送られた車両ではないかと思いますが、どうでしょうか?

敗戦による満州国崩壊後は、トロリーバスに転換されたりして、全長7.64キロの54路を残すのみとなりました。最初に訪れた1999年当時は、まだ道路共用軌道もありましたが、2000年6月から突然線路撤去工事が始まり、一時廃線かと案じましたが、約1年間の間にPCコンクリート枕木化、架線柱のセンターポール化、屋根付きホーム整備、道路共用軌道から専用軌道への配線替えが行われ、近代化した都市交通へと変貌を遂げ、国産新車(800型)も投入されました。最後まで残った満州時代の日車製200型も車体更新して生き残りましたが、その後に廃車となり現在は走っていません。



▲ 上の写真は、1999年、2005年と2012年の西安大路駅での比較光景です。1999年では泥だらけの道路と道床でしたが、迴に植林された木々も育ち、徐々に整備されてきました。戦前の200型は、床の木材が磨り減って所々は下が見えているような状態でしたので、この国では補修が出来ていないのだと思いました。


▲ 54路を全線乗車・撮影後、明日北京圣由にて上海へと乗車するリニューアルなった長春駅を視察に参りました。夕食はいつものように麺です。  Part25  へ続く

2012年 春の中国鉄路の旅 Part23  长春(満州国首都 新京)その1

第26日目 5月14日

図们22:02(2168次)→7:18长春  528キロ 9時間16分

新緑拡がる車窓を見ながらのすがすがしい朝を迎えました。列車は、満州の大地を长春に向かっています。

7:18 长春駅に着きましたが、臨時ホームです。現在、哈尔滨~大連の哈大旅客専用線の建設工事が行われていますので、濱州線ホームは手前に変更されていました。

▲ 臨時駅ホームは広く階段もなくそのまま出口に出られました。本駅は彼方に改築中です。
駅前は狭く、Taxiはメーターを倒しては行ってくれません。こんな時は、そんなぼったくりTaxiを相手にしてはいけません。ここで降りる客を乗せたTaxiを待って、強引に乗り込みました。

続きを読む

2012年 春の中国鉄路の旅 Part22  北朝鮮国境の町 图们(도문=図们)から长春へ

前回に引き続いての長い旅も終盤になりました。後4日間と思うと、無性に我が家が恋しくなり始めました。今日は、夜行列車で长春まで戻ります。1歩我が家に近づく思いで、朝を迎えました。
約67年前になりますが、満蒙開拓団の皆さん方が苦労を重ねて荒野を開墾して、ようやく豊かになってきたかと思ったら敗戦によって大地を追われて、帰国しなければならなくなった無念さは計り知れません。望郷への思いは、この数百倍、いや数万倍以上だったろうと、満州をまわり、この地にいますと感じずにおられません。

第25日目 5月13日  図们2日目

図们22:02(2168次)→7:18长春  528キロ 9時間16分

今日の朝は、昨日とうって変わって雨がふっています。昨日ロケハンを怠りましたが、地図上で撮ってみたい撮影地がありました。小雨に変るのを待ってから、出かける事にしました。雨を避けてTaxi(5元=約80円)で向かいました。

▲ 7;24、途中で寄った道口から何気なく撮った图们の機務段ですが、帰国後に見ると、1番左の車両に興味がわきました。

線路に枕木が置かれているので、普段は使用されないのだろうと推測しますが、正面の顔が面白すぎます。運転席窓ガラス位置に目の玉のようなライトを装着しています。アニメのキャラのようにも見えます。その時にもっと早くに気づいて近くから撮っていれば、もっと詳細に分かったでしょうが、まか不思議な車両です。

続きを読む

2012年 春の中国鉄路の旅 Part21  北朝鮮との国境の町 图们(도문=図们))

第24日目 5月12日  図们

2007年に韓国側の北朝鮮国境駅である都羅山駅に行きました。厳戒態勢の中、特別な雰囲気を感じましたが、ここ図们は中国鉄路ではどこにでもあるような、ごく普通の駅でした。まあ丹東のように国境を越える、国際客車列車があるわけでないので当然かもしれませんが、緊張感を求めてホテルのチェックインが終ってから町に出てみました。

かつて国境から見た北朝鮮の鉄道を追いかけた鉄ちゃんのプログを日本で見ましたら、警戒は厳しくカメラを向けているのが見つかると公安から質問され、引っ張られて撮影したフイルムを没収されたりする事があったとの記事がありました。最近はどうかなと、王さんに電話をしますと、「全然大丈夫ですよ。でも時々状況は一転しますからホテルのフロントで確認だけはしておいてください。」 と、申されましたので出かける前に聞いてみました。すると、「あんたダメだよ、そんな大きなカメラをぶら下げていたら、途中でマークされるよ。北朝鮮を撮ったら公安が来て、外国人で日本人と分かったら直ぐに逮捕されるよ。」 と、物騒な事を申されます。
仰せに従い一眼レフはリックにしまって、撮影用にはコンデジ2台をショルダーバックと衣服のポケットに分け入れて出かけました。

▲ 国境の町「図们」の地図を求めましたら、独自はない、延吉市内図にくっ付いてあると言われました。左の地図です。
向かいたいのは、国境の鉄道橋です。徒歩でどのくらいかかるのかとききましたら、「真っ直ぐに行くと、20分くらいかね。」です。そんなに近いのかと、見学がてらに歩いて向かいました

続きを読む

2012年春の中国鉄路の旅 Part20  哈尔滨から、北朝鮮との国境の町 图们(도문=図们)へ

第23日目 5月11日  ハルピン→吉林→図们

① 
ハルピン1 6:40(D114次)→19:30 吉林  357キロ  2時間50分
② 吉林 22:58(K7323次)→8:17 図们      529キロ  11時間8分

ハルピンから乗車したD114次は、京濱線を150km/h前後で快走し长春駅に到着しました。殆どの乗客は降りましたが、また同じくらいの乗客が乗ってきます。定刻にスイッチバックで発車しました。2010年12月に正式開業した长吉高速鉄路を200km/h弱で駆け抜けます。本来は、250km/h走行可能ですが、痛ましい温州での事故によりスピードダウンされています。
続きを読む

2012年 春の中国鉄路の旅 Part19  满洲里(満州里)から哈尔滨(ハルピン)へ

第22日目 5月10日  满洲里4日目

① 满洲里 19:09(2626次)→9:3 2ハルピン  919キロ 14時間23分
② ハルピン 16:40(D114次)→吉林 22:58(K7323次)→図们

今日は、夕方遅くの列車で「ハルピン」に向かい、翌日夕方は吉林圣由で、翌々日北朝鮮国境の町「図们」に着く予定です。車中泊は連泊となります。

朝からHP投稿作業にまい進していると 、ドアがトントンされます。朝からマッサージお姉さんの到来かと思ったら、お茶目な支配人が立っていました。今日は何時の列車に乗るのか聞いてきます。19時と言うと、「チェックアウトの延長が必要でしょう。18時にホテルを出れば間に合います。延長料金は80元(約1,100円)で良いですよ。それまで部屋でゆっくりしてください。」 と、最後は中々気のきいた格安サービスでした。

▲ 毎日食べても飽きないジューシーなスープ入りの水餃子。ビールを入れても、わずか9元(約120円)の駅前食堂で食べて、25分前には待合室に参りました。

 

続きを読む