広島で常磐線のC62と再会 昭和42年3月
では、通常投稿に戻ります。高齢者の脳の活性化には、昔話が一番、今年も性懲りなく昔話を続けます。さて、前回(6)のC59、C62の記録は、昭和43年3月、高校3年生の終わり、北九州へ撮影に行く際に写したものでした。今回は、その北九州からの帰り、初めて広島機関区へ寄った時の記録です。前回、書き漏らしましたが、この昭和43年に、呉線のC62に大きな変化が起こりました。前年の昭和42年10月、常磐線の平~岩沼の電化完成により、平機関区で使われていたC62のうち、状態の良い5両が糸崎機関区へ転属、それに対応する糸崎区の5両が廃車と、半数の顔ぶれが入れ替わりました。
▲「ゆうづる」牽引で有名だったC6223、平区のC62のなかで特に状態が良く、特急「ゆうづる」の専用機のようにして常磐線仙台~平で使われた。私の唯一の「ゆうづる」撮影も23号機だった。同線の電化後、昭和42年10月に糸崎区に転属した。前の年に“東”で見た同機が、翌年には“西”へ来ていて、人生になぞらえた蒸機の一生を思ったものだった。