スクラップブック 事件・事故編・第16回

事件事故のスクラップ記事も残り少なくなってきました。

では続けます。

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⇧相次ぐこだま型の事故で国鉄の泣きが入ります。

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スクラップブック 事件・事故編・第15回

永らくお休みしていましたが「スクラップブック」を再開します。家庭の事情でなかなか集中してスキャンなどの作業が出来ません。ボチボチと進めます。

当時では大きい事故とは言えないかもしれませんが、いまなら大事故でしょう。

昭和38年(1963年)ですが、まだまだ信号無視や居眠り運転が横行していました。

1963,11,28

1963,11,28

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スクラップブック 事件・事故編・第14回

さらにこの事件が「京福電鉄」の終焉を決定的なものにしました。

1964,8,23

1964,8,23

スクラップブック 事件・事故編・第13回

国鉄だけではありません。
我らが京福鞍馬線でも大事故が発生しました。
この事故は、この後続いた福井での事故と合わせて京福電鉄にとって取り返しのつかない大事件の序章となりました。

1964,1,6,0001

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スクラップブック 事件・事故編・第12回

1963,11,11,

鶴見事故の混乱のさなか、またしても重大事故が発生しました。
国鉄としては頭の痛い事が続きました。

1963,11,11,0001

さらに責任者の自殺騒ぎまで起こるとは、良きにつけ悪しきにつけ国鉄職員が確実に責任感を持っていたという時代の記録です。

スクラップブック 事件・事故編・第11回

鶴見事故の続きです。
この事故をリアルタイムに見た世代はまだまだ多く居られるのではないでしょうか。
その時の感想など、書いては頂けませんか?
特に関東に居られた方々は大ショックだったのでは、と拝察します。

それにしても石田総裁は大変な役回りでした。
新幹線開通、三河島事故、そしてこの鶴見事故と、一番苦労された国鉄総裁だったのでは。

1963,11,10-13,0009

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スクラップブック 事件・事故編・第10回

昭和38年最大の鉄道事故が起きました。

⇩先年の三河島事故と並ぶ鉄道事故の大惨事・鶴見事故です。

1963,11,10-13,

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スクラップブック 事件・事故編・第9回

ここで少し災害ではない事件・事故をご覧頂きます。

1963,9,21

1963,9,21

⇩上の事故とはちがいますが、似た事故が多発していたのですね。キハ10系。

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⇩この事故は特急「ひびき」の窓が開けられたことで発生した事象であります。当時157系は非冷房で窓が下降式で開けられました。不心得者がその窓から空き瓶か何かを線路に投げ捨てたのが運悪く対向車に当たったものです。157系は、この年から冷房か工事が始まっており、当該車両が未施工だったのではと思います。

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この後に大事故が発生します。

スクラップブック 事件・事故編・第8回

昭和38年(1963年)は鉄道史上希有な年となりました。
三河島事故の記憶も真新しいのに大きな事故が続きました。
多難な昭和38年の幕開きです。
因みに私はこの年高校三年生です。

この年最初に起こった大事件は、世に言う「38豪雪」です。
沖中さんも勤務地の北陸で閉じ込められたと言っていました。

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スクラップブック 事件・事故編・第7回

しばらく家庭事情により休載しておりましたが1ヶ月ぶりに再開します。

三河島事故に続く記事にもうしばらくお付き合い下さい。

昭和37年は踏切事故が多発します。

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 西のC59・C62全記録  (7)

 広島で常磐線のC62と再会  昭和42年3月

では、通常投稿に戻ります。高齢者の脳の活性化には、昔話が一番、今年も性懲りなく昔話を続けます。さて、前回(6)のC59、C62の記録は、昭和43年3月、高校3年生の終わり、北九州へ撮影に行く際に写したものでした。今回は、その北九州からの帰り、初めて広島機関区へ寄った時の記録です。前回、書き漏らしましたが、この昭和43年に、呉線のC62に大きな変化が起こりました。前年の昭和42年10月、常磐線の平~岩沼の電化完成により、平機関区で使われていたC62のうち、状態の良い5両が糸崎機関区へ転属、それに対応する糸崎区の5両が廃車と、半数の顔ぶれが入れ替わりました。

「ゆうづる」牽引で有名だったC6223、平区のC62のなかで特に状態が良く、特急「ゆうづる」の専用機のようにして常磐線仙台~平で使われた。私の唯一の「ゆうづる」撮影も23号機だった。同線の電化後、昭和42年10月に糸崎区に転属した。前の年に“東”で見た同機が、翌年には“西”へ来ていて、人生になぞらえた蒸機の一生を思ったものだった。

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(補遺)

西村雅幸さんの記事から高知の森林鉄道跡(廃線)に興味を持たれた方への『オセッカイand煽り情報』です。

自宅でコタツに温もりながらWeb閲覧をされるのも良し、図書館や本屋で情報を漁ったり、一念発起、来年の探索計画を立てるのもアリでしょう。

【お知らせ】
以下の情報の取扱いは、貴方の自己責任でお願いします。
廃線跡調査では思わぬ怪我や、他人の土地への無断侵入でのトラブルなど、貴方の想定外の事が起こり得ます。地元の方から事前に情報を貰い、地域の方の迷惑にならない様に配慮願います。
また魚梁瀬などは産業遺構として文化財指定されています。遺構や遺物を破損したり落書き等は、ちょうど古刹への行為と同じ犯罪行為です。厳に謹んでください。
この情報は部分的に古いものも混じっています。
貴方に起こる不利益の類いを、当方は一切感知しません。
ご安全に、成果が得られます様に、お祈り申し上げます。

1、寺田正写真文庫の総目録(詳細はここをクリック)

  この実物は表紙以下、こんな感じです。
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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑦

④ 野田

北大阪線の最終は、終点の「野田」を紹介します(書類上は、天六が終点)。4.3kmという短い路線、絵になるような場所もなく、おなじ阪神の軌道線でも、行楽客や女子高生で満員になる甲子園線とはエライ違いでしたが、その分、飾らない日常の大阪を堪能できました。反応はイマイチだと思っていましたが、皆さんから多くの思い出を寄せていただきました。やっぱりコメントがあると嬉しいものです。「野田」を発車、天六へ向けて、4.3kmを走り出す。背後の高架は、阪神本線の野田駅、背後に留置線もあった(Tさん提供)。

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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑥

③センターポール区間

中津を出ると、淀川とほぼ平行しながら、南西方向に向かいます。付近は、大小の工場・倉庫が建ち並ぶ地域となり、ある意味、大阪らしい光景が車窓に続きます。

十三バイパスの陸橋に沿って天六方面に向かう。

 

 

 

 

 

 

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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑤

(2) 中津付近

天神橋筋六丁目を出た北大阪線の電車は、中津方面へ向かいます。すぐに「本庄中通」の停留場で、戦災を受けなかった古い街並みが続き、並びには老舗のツバメ屋模型店があったことも思い出です。つぎの「南浜」では、東海道本線をくぐり、名称は、むかし西成郡南浜村だったことに由来、つぎの「北野」も、かつての西成郡北野村に由来、ここに北野中学があり、戦前に十三駅西に移転し、戦後、北野高校となっています(以下、昭和50(1975)年5月)。そして、阪急の複々線をくぐり、北大阪線唯一の専用軌道を行くと、阪急と国道176号に挟 まれて、梅田貨物駅・梅田貨物線を越す、乗り越し橋脇の「中津」に到着する。

 

 

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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺④

(1) 天神橋筋六丁目

“煙”の話が続きましたので、目先を変えて。路面電車シリーズに入ります。先に“アレ”関連で阪神軌道線(阪国)の甲子園線を紹介しました。阪神軌道線には、ほかに国道線、北大阪線がありましたが、昭和50年に全廃され、廃止から50年近くが経過しました。今回は、天神橋筋六丁目~野田の北大阪線を何回か紹介します。目立つことがなかった阪神軌道線にあって、北大阪線は、阪急中津駅の近くを並行していて、阪急電車の窓からも見ることができました。小さい頃、阪急電車に乗って、梅田に着く直前に、チラッと単行の電車が見え、しかも阪急以上に地味な色の電車で、“なんやろ”の思いで見ていたことを思い出します。天神橋筋六丁目から発車していた北大阪線。阪神本線の野田までの4.3kmの路線で、梅田の外縁を半周するようにして連絡していた。

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スクラップブック 事件・事故編・第6回

1週間ほど旅行をしていて投稿・チェックが出来なかった。

さて今回は私の人生最大のショックを受けた大事故の記事を紹介する。

三河島事故、若い会員でもこの事故はご存じだろう。
昭和37年5月3日21時37分、国鉄常磐線三河島駅構内で田端発水戸行下り貨物287レ(D51364)が出発信号を見落とし安全側線に入り、停まりきれずに脱線して機関車と次位のタキ50044が下り本線上に飛び出した。これに三河島駅を4分延で出発した上野発取手行き2117Hレがタキに衝突、先頭車クモハ60005と次位のクハ79396が脱線して上り本線上に飛び出した。さらに7分後、上野行き上り2000Hレが進入し、線路上を歩いて避難中の乗客をはねたうえ、上り本線上の2117Hレ先頭車と衝突した。これによりクモハ60005とクハ79396は粉砕され、上りの2000Hレも先頭車クハニ67007が原形を留めないほど粉砕され、二両目のモハ72549と三両目のサハ17301は築堤下まで転落、四両目も脱線した。
死者160名、負傷者296名

1962,5,4

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スクラップブック 事件・事故編・第5回

明けて昭和37年(1962年)、この年も1ヶ月単位で大きな事故が続く。
さらに国鉄が崩壊した原因の一つの「労働争議」が国鉄の体力を奪う。

まず2月26日の事故。

1962,2,26

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スクラップブック 事件・事故編・第4回

事件や事故も続くと飽きてくるらしい。
反応もイマイチだが、読んでは頂いているようで気を取り直している。
今回は1961年のダイヤ改正から年末へと進める。
この年は「36.10」で新DC特急が走り出す年である。しかし・・・

1961,9,3

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スクラップブック 事件・事故編・第3回

1900生さん、この事故を覚えておられますか?

1961,3,9

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