めでたいでんしゃのうちわとパンフ

先頃の関三平先生の加太線の記事に思い出し、引っ張り出しました。

昨年の夏、東京から帰ってきた大学生の孫と和歌山の加太港に魚料理を食べに行きました。南海加太線の加太駅に降り立つと、地元観光協会の人がうちわとパンフを配っていました。そのうちわで扇ぎながら、道々ソフトクリームを舐めたり、パンフ記載の店々に首を突っ込んでは冷やかして歩き、淡嶋神社近所の料理屋で海鮮料理と生ビールを堪能しました。

で帰り、再び加太駅でピンク色の電車はいつ来るのかと探しましたが、生憎時間が合いません。和歌山市駅で見れるかと思いきや、留置線にいて、しかも隣の留置電車の陰になり、結局写真は撮れずに帰りました。従い電車の写真はありません。今年の運転時間は昨年と変更になり回数も増えているようです。南海電車のHPでご覧ください。

それに、10月から今度はブルーの電車が登場するそうです。通信員はお彼岸に高野山に登る予定ですが、登場よりも早すぎる日程で、またまた撮影できそうにありません。どなたか撮影し投稿して頂ければ嬉しいです。
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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑥和歌山の国鉄瞥見

“た~ちゃん”の和歌山の電車めぐりは、前回で終わりましたが、渡されたアルバムには、最後に国鉄の写真が貼られていました。電車めぐりの際に、和歌山周辺で写されたものです。ご本人は、“行きがけの駄賃”の撮影のつもりでしょうが、国鉄車両に興味を示す私の立場からは、電車もさることながら、アルバムの最終ページに大きな価値を見出しました。おもに写されたのは東和歌山(昭和43年に「和歌山」に改称)で、戦前から電化済みの阪和線(阪和電鉄)の終点であり、そこから続く紀勢西線は、全くの非電化区間であり、電機と蒸機が出会う駅でもありました。△国産初の大型電気機関車として名高いEF52のトップナンバー機が東和歌山駅に顔を見せる。特徴あるデッキが白く塗られて、さらに大きく見える。

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関先生を囲んでの懇談会ご報告

昨日デジ青でおなじみの「昭和の電車」シリーズの作者、関三平先生を囲んでの懇談会が開かれました。先生はデジ青をご覧になっておられ、昨年、米手作市さんに手紙を出されたのがきっかけで、昨年三月に初めてお会いした後、折々にお手紙や、貴重なご本、原画などを頂き、お付き合いをさせて頂いています。昨日は残暑の中、冷たいビールでも飲みながらお話をお伺いしたいという我々のお願いに快く応じていただき、1年半ぶりの再会となりました。「昭和の電車」シリーズでカラー写真もない時代の車両にどのように色を付けられるのか、どんなきっかけで連載を始められるようになったのか等、興味深いお話をお伺いすることができました。また、今年11月の総会で講演をお願いしたところ、こちらも快く応じていただきました。先生のユーモアあふれるお話しを聞きに、ぜひ多数の皆様が参加されることをお待ちしています。
昨日は、お忙しい中おいで頂きありがとうございました。また、ご本や原画もたくさんいただきありがとうございました。いただいたご本と原画は、お預かりしていますのでご覧になりたい方は事務局までご連絡ください。

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑤野上電鉄 その後

昭和30年代の野上電鉄の訪問は、前回紹介どおりですが、一昨日、廃止直前の野上電鉄を写したL版アルバムが送られてきました。野上電鉄は、ご承知のように1994(平成6)年4月に廃止されていますが、“た~ちゃん”は、廃止前にも数回にわたって訪問しており、現役時代の野上との比較のために、ぜひ掲載してほしいと送られてきたのでした。
私も廃止前に訪れています。ところが、廃止をめぐって、労使の対立があったり、社員間でも考えの相違があったりして、現場には張り詰めた空気がありました。その矛先が撮影者に向けられ、駅でカメラを持っているだけで制止されたり、車内でカメラを取り出すと運転士が怒鳴りに来たりと、すさんだ空気が流れていて、私自身は野上への思い出は封印していました。しかしそこは、決して喧嘩をしない、人間のできた“た~ちゃん”、事務所の呼び出しにも誠実に対応し、沿線の子どもたちとは、野上廃止について、話し合い、友好的な訪問を果たします。ホントに電車が好きな“た~ちゃん”らしい、野上電鉄との別れ方でした。
△ 日方車庫に集結した廃止前の車両たち、これを撮っていたら、事務所から呼び出しが掛かった。

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梅小路公園新駅工事の現況

JR西日本が京都市内に造る新駅、「梅小路公園駅」(仮称)新設工事がいよいよ佳境に入ります。平成31年春開業を目指して進む新駅工事ですが、駅本体が姿を現しそうです。

夏の初めから梅小路公園の入り口をほぼ封鎖してなにやら鉄骨を組んでいましたが、こんな物ができあがりました。

▲長さ約50m

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ④野上電鉄

和歌山紀行、続けます。“た~ちゃん”は現役時代、昭和32年12月、同35年3月の2回、和歌山を訪れています。2回とも、和歌山市内線を撮影・乗車のあと、市内線の終点 近くにある野上電鉄日方駅を訪れています。車庫も隣接していて、事務所を訪れると、30歳代の車両課長に応対してもらい、いろいろな話をしてもらったと述懐しています。中小私鉄ならではの悲哀も聞き、この時の会話が、全国の中小私鉄に目を向けるきっかけになったと言っています。
野上電鉄と言えば、廃止直前の姿しか知らない私など、阪神・富山地鉄から来た小型車という印象が強いのですが、それらが入線する以前で、10両の電車が在籍していました。

△ 和歌山市内線の「野上電車前」で下車、目指す野上電鉄の駅・車庫はすぐだった。

 

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三江線あと7ケ月(続報)

昨日アップしたと思ったら、もう翌日に詳しい記事が載りましたのでご紹介します。大きい紙面のためA4サイズに入らず、2分割となりましたが悪しからず。

平成29年9月2日 中国新聞朝刊

同紙

但し これだけの情報ではまだ具体的なことがわかりませんが、三江線と同じルートで三次・江津間を乗り通そうとすると4,5回乗換えることになりそうです。乗り通せるのかもわかりません。予約制であったり、定員が少なかったりで、ある日思い立って出かけてみると、運休日だったり、定員オーバーだったりと足止めを食らうことにもなりそうですね。いずれにせよ過疎地旅行をするには市販の時刻表は全く役に立たず、曜日や休校日を確かめ、各市町村のホームページでコミュニティバスの時刻やルート、定員を調べ、予約してから現地に向かう時代がやってきそうです。

2017年6月ほか神戸

yuguchi様の神戸市街の俯瞰写真は大丸からだったのですね。相当高いところからの撮影と想像していましたが、意外でした。

ほとんどが低層の建物ばかりなので余計にそう思えたのでしょう。よく考えると南からこの方面を望めば大丸が写りこむはずでした、、、

ポートタワーからの写真がありました。ビルの隙間に一応線路が写っています。2009年に神戸で新型インフルエンザが発生、かなりの騒ぎでしたが、落ち着いてからの観光キャンペーンで確か入場無料でした。

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三江線もあと7ケ月

来春の廃止を控え 代替バスのルートや事業者選定などの協議が進んでいるようです。しかしまだ全貌はよくわからない状況です。いつものように中国新聞記事から拾ってみました。

平成29年8月30日 中国新聞朝刊

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カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-によせて

はじめまして。88年度生の「こぱんだの保護者」こと山本 晃司です。

昨年の総会で「子連れ鉄日記台湾編」を僭越ながら発表いたしました。
ORFC-OB デジタル青信号 に投稿を…といわれていたのですが、サボっておりました。
8月26日の記事で「カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-」キハ58系「きのくに」の写真がありました。1972年とあまり変わらないということに逆に驚きました。
2017年8月31日のほぼ同一地点の写真をお粗末ながらご紹介いたします。

岩代-南部間のお立ち台ですが、走ってくる役者も287系がメインとなりました。

8月5日から運転開始した「パンダくろしお」です。
何とも言えない表情をしています。

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