第7日目 1月16日
ほぼ2年ぶりの訪中でしたがわずか7日間で帰国です。いつもはノービザギリギリの15日間滞在が最低でしたのでちょっと頼りない気がします。次回は過ごしやすい5月ごろにゆっくり乗り鉄旅を楽しみたいなあと思いました。
6:00 車の少ない夜明け前に街に出て市電撮影としましたが昨日と違って中々電車は来ません。
▲ 6:40 昨日と違って寒風はなくマイナス10℃ぐらいしかありませんが待っていますと身体が冷えてきましたので街角食堂に入って朝食です。
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第7日目 1月16日
ほぼ2年ぶりの訪中でしたがわずか7日間で帰国です。いつもはノービザギリギリの15日間滞在が最低でしたのでちょっと頼りない気がします。次回は過ごしやすい5月ごろにゆっくり乗り鉄旅を楽しみたいなあと思いました。
6:00 車の少ない夜明け前に街に出て市電撮影としましたが昨日と違って中々電車は来ません。
▲ 6:40 昨日と違って寒風はなくマイナス10℃ぐらいしかありませんが待っていますと身体が冷えてきましたので街角食堂に入って朝食です。
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今朝の読売新聞滋賀版に江若鉄道廃線50年で記念展開催の記事が出ていました。クローバー会会員の方の写真、模型などが展示されています。
第6日目 1月15日 その1
▲ 8:13 ようやく朝日が差し込みだしましたので大連駅前から行動開始です。
◀ 電停に掲示されています201系統が走る路線駅名案内です。前回来た時と変わりはありません。
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ここ盤錦付近は中国3大油田の1つ遼河油田(りょうがゆでん)もあります。満州時代の昭和12年にはボーリング調査が始まりましたがなぜか本格的な調査には至らず途中で探鉱は中止されました。開戦により南方資源地帯確保が出来たためとも言われていますが、もし進められていましたら南方と繋がる制海権を失ってからも安定した石油供給を確保できたでしょうから戦局も変わっていたかも、そもそも開戦にも至らずになっていたかもと思われます。また当時は中国大陸に油田は存在しないといった説が圧倒的で、発見されたとしても掘削・精製など戦前の日本の技術力・国力からは製品化は難しかったようです。
戦後、満州内には開国なった中華人民共和国の手によって1963年に大慶油田、1973年に遼河油田の大油田が発見、生産開始されて最盛期には日本にも輸出されてその量は日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇りました。
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インフルに感染してからは身体不好で集中力がなくなり、投稿原稿作成が停まってしまいました。ようやく復調?なったようですので続けさせていただきます。
▲ 8:50 昨夕からの移動軌跡です。4列車を乗り継いで1,086㌔、旧満州を南下して盤錦(ばんきん)へと着きました。
13:28 昼食後はチャーターしたC2型蒸気機関車が牽引する客車列車の撮影です。先程の站から先、樺南站からは5㌔先までが走行可能という事でロケハンしてノミネートした3カ所を撮影地に選びました。
◀ 気温は零下9℃です。毎年零下30℃以下にもなるこの地ですのでかなり暖かいようです。また豪雪地帯ですが積雪はほとんどありません。
▲ 14:13 指定した場所から発車してきました。ドレーンも上げて期待できます。
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