こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑥
“コロナ”に負けない“古老”の活動報告、続けます。昨日21日(土)、富山へ行き、路面電車の南北接続の営業初日を見てきました。富山駅の北側の富山ライトレールと、南側の富山地鉄の富山軌道線を、富山駅の高架直下で接続し、一体化する市の事業です。新幹線開業後、壁のように聳えていた高架を挟んで、南と北でほんの数十メートルにまで接近していた両線ですが、在来線の高架工事も済んで、ついに結ばれた訳です。機会
を見て進捗状況を確認してきた私にとっても感慨深いものがあります。ましてや富山に縁の深い、どですかでんさんや、一時は富山におられた乙訓老人さんには、その思いも深いこととでしょう。当日は、
状況に鑑み、終日全線無料の太っ腹企画や集客イベントは中止されましたが、多くの市民が集まり、乗車を楽しみました。古~いネタも良いものですが、新しい鉄道ができて、みんなが笑顔になる、つくづく鉄道ってエエなぁと思った一日でした。 ▲市内の環状線を走って富山駅へ。岩瀬浜行きは渡り線を通るので、ポイントの表示を指差確認して入線していく。
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑭
城南宮道
“道”と言っても、その城南宮へは停留場から1キロほど西にありました。停留場名には、施設名などにプラスして、「~前」「~口」「~通」「~道」と接尾語を付すことが多くあります。「前」「口」は、他都市でもよく見られますが、「通」「道」は、かなり京都的と言えます。「道」は、この城南宮道のように、「前」よりも少し歩く場合に適用されるようです。その違いを端的に理解できるのは、「金閣寺“前”」と「銀閣寺“道”」です。さて、高瀬川沿いを走っていた、古来の竹田街道は、この城南宮道で新しい竹田街道と合流しますが、その地点には「城南宮参詣道」の大きな石碑があります。そして、まもなく近鉄京都線をくぐります。近鉄線の前身は奈良電鉄、さらにさかのぼると、敷設当時は現在のJR奈良線のルーツとなる奈良鉄道でした。京電が敷設された当時は平面で交差しており、開業直後には、電車と奈良鉄道の機関車が衝突して多数の死傷者を出したと言います。
▲砂塵を巻き上げ、少し車体を傾けながら、北上を続ける9号系統693号。市電の向こうに伏見信用金庫の広告塔が見えるが、それ以外に高い建築物は何もなかった。
行ってきました、道明寺線・長野線
「近鉄道明寺線・長野線ツアー」が中止となり、残念な思いをしておりました。ところが昨日の天気予報では今日(3/21)は一日中晴天で暖かいとあります、ツアーは中止となったけれど屋外の人の集まらない場所であればそう怖くは無い、移動の電車の中では出来るだけ空いた車両に乗り、おとなしくしていればよい!折角考えてもらったスケジュールがもったいない!と思い立ち「こんな時こそ…」と出掛けてきました。ルートは多少異なりますが「美旗」から大阪線「安堂」まで行き、「安堂」から道明寺線大和川橋梁までは徒歩です。大和川橋梁を渡る6426+6526のワンマン列車柏原方面行きです。
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昭和の電車 改訂版(58)ー南海デニ502号ー
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑬
信貴電をゆく 信貴山下駅と勢野北口駅辺り
信貴電(近鉄生駒線)については2015年10月31日の「信貴電と柿」を投稿してから5年あまりになりました。近頃は新型コロナウイルスのおかげでクローバー会の行事が延期のなったりとかで気持ちがもんもんとして、どうも具合が悪いようです。どうしたもんかと思っていたら、総本家青信号特派員さんの「こんな時こそ 元気に活動したい・・・・」 と題した投稿を見て、それではと近場にある信貴電を久しぶりにカメラを持ってぶらぶらと・・・
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑫
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑪
竹田久保町
かつての停留場名は「練兵場前」で、付近には、陸軍第16師団の京都練兵場がありました。陸軍の施設が密集し、軍都として伏見の街の別の側面を見せていました。近くの龍谷大学や京都府警察学校も、戦後に陸軍跡地にできました。市電時代にも付近には公共施設も多く、乗降の多い停留場でした。

【竹田久保町 定点対比】
竹田久保町の交差点から南方向を見る。東側(左)では、竹田街道の拡幅工事が進んでおり、伏見線の廃止後には、現在見られる、片側2車線、歩道付きの道路に生まれ変わる。右は現在の様子、街並みはすっかり変わってしまった。西へ行くと、地下鉄くいな橋駅があり、通行も多い。東側には龍谷大学のキャンパスがあり、学生相手のファストフード店が並んでいる。
芸備線 またもや不通
連日コロナに振り回されている昨今ですが、3月9日未明 芸備線新見発備後落合行き3441D キハ120単行(車番不明)が東城・備後八幡間で線路上に崩れ落ちていた土砂に乗り上げ、横転するという事故がありました。この3441Dは新見発5:18で 新見・東城間の布原、備中神代など5駅を通過する「快速列車」という設定になっていますが、実質は回送列車で、事故当日も乗客は無く、運転士にケガは無かったそうです。
客車廃車体訪問記 内地編67 奈良県-1
【田井庄池公園】 34.600976, 135.828893 2011年5月8日撮影
オハ61 930
天理駅の西、田井庄池公園北側に近鉄天理駅のホームと並んで、D51 691と一緒に保存されている。配置標記が「天テンリ」と書いてあるのがおもしろい。最終配置は紀伊田辺であった。上屋があってフェンスで囲まれているので良い状態に見える。茶色の客車がそのまま保存されているのは好きである。できれば標記の字体はなんとかしてほしい。
◆ナハユニ15512→(1955年鋼体化改造 土崎工)オハ61 930→1971年廃車
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市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑩
深草下川原町
では、また京都市電伏見・稲荷線に戻って、停留場ごとに50年前のシーンを巡っていきます。河さんにとってはホロ苦い思い出の残る、深草下川原町から始めます。前記の勧進橋から、棒鼻の手前まで約2キロは、ほぼ一直線の竹田街道を南下していきます。ただ明治の頃は、ここから少し西を流れていた高瀬川に沿った、曲がりくねった道で、京電も同様に走っていました。明治45年に、一直線の広い道に付け替えたもので、京電も同様に移設されています。今でも、竹田街道を歩くと、交差する小さい道とは、少し高低差があり、拡幅時期に、低い土地に盛り土をして、新しい竹田街道を通したことが伺えます。市電時代には、まだ田んぼも散見されますが、大部分は工場・民家が混在した車窓風景が続いていました。正直、なかなか絵にはなりにくい区間で、撮影もスルーすることが多く、今回も、Mさんの貴重な記録で助けてもらいました。
【深草下川原町 新旧対比】
この付近では、竹田街道の東側を市電が走っていた。もちろん安全地帯も無く、乗客は命がけで電車に乗り込んだ。右の現況と対比すると、右手のビルがそのまま。
阪急900型
私のような者でもよければ出します。但し、白黒です。コメントでもいいのですが、2枚の載せる方法がわからないので別項としました。赤い特急マーク付きのこの電車は神戸や大阪に行く時はいつも速いなと思っていました。残念ながら私の撮影時の900型は普通列車の運用ばかりでした。そして最晩年は20両全車が920,800型6~7連の中間車になっていました。ファーストナンバー900は中間電動車で残っていました。現在は116とともに正雀に保存されておりイベント運転で見た方もおられると思います。
1966年12月2日今津線仁川進入の今津行き900です。▼
1968年10月21日 六甲。中間電動車となった900。▼
昭和の電車 改訂版(57)ー京阪700型ー
近鉄ダイヤ改正
近鉄でも3月14日にダイヤ改正がありました。身近な話題としては「ひのとり」の運転開始、「鮮魚列車」の廃止があります。どちらも大きなイベント行事は無かったようですが、ニュース映像を見ると「鮮魚列車」最終日の上本町駅には多くの「鉄道ファン」が押しかけていたようです。この「鉄道ファン」という表現が曲者(?)で、最近は価値観の全く違う者が特に目立っているように感じます。準特急さんの言われるように、日常の普通の風景を楽しむというのが私の思う「鉄道ファン」なのですが。ということで改正後の普通の風景を紹介します。まずは改正後から走り始めた名阪特急「ひのとり15列車」で(赤目口)、時刻表での表現に識別番号が付いています、ちなみに大阪難波15:00発です。今はまだ一部の名阪特急ですが今年度中には合計11編成が完成して名阪(甲)特急はすべて「ひのとり」になるようです。
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とあるニュースの見出し
Yahoo! の見出しに『地下駅の強風、何とかならない? 髪ぼさぼさ「分け目逆に」と不満、その原因は』なんてなのがありました。
最近は記事の購読数を稼ぐために刺激的な文言が見出しとして多用されており、思わずクリックすると、阪急の西院駅と大宮駅のことでした。

画像は下り特急から通過する西院駅を撮ったものです。
記事本体は、以下のURLです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200315-11004048-maidonans-life
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こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑤
ローカルネタ、しかもバス関連で失礼します。元気な趣味活動の報告とご理解ください。全国的には14日(土)が春の改正でしたが、京都では、市バスが20日(金)から新ダイヤとなります。旺盛な観光需要などに対応した増便・延伸など、利便性の向上が中心ですが、いっぽうでは径路が重複する三つの系統が廃止されることになりました。京都市バスは、分かりやすい「多便少系統」が叫ばれる時勢に逆行するかのように、改正のたびに、どんどん系統を増やしてきましたが、久しぶりに系統が縮小されることになりました。なかでも、中心部を回る「循環1号系統」、通称“100円バス”は、土休日のみ運転のため、本日が最終日となりました。自分なりに京都の交通の変化は記録しておきたく、京都の街に繰り出しました。
▲京都の“100円バス”は、2000年4月から四条→河原町→御池→烏丸のルートで運転を開始し、土日のみ42回/日運転されていた。乗客数は一日780人程度だったが、他系統でも代替できるところから廃止されることになった。バス代の高い京都では、100円はデビュー当時は衝撃的だったが、慣れてしまうと価値を感じなくなったし、それに一周しても4キロ足らずでは、歩いた方がずっと早く、利用価値は低かった。
ちょっと思うこと
最近、スマホで東京メトロの03系(日比谷線の18m車)がなくなり地方私鉄(北陸鉄道、長野電鉄、熊本電鉄)に譲渡される(た)という内容を見たが、その中で同社は03系のお別れ運転イベントを取りやめたということが出ていた。何でも千代田線6000系の時にえらい大変だったらしくもう懲りたということのようだ。開業やお別れはそれはそれで意味のある事とは思うが、今や需要(鉄道ファンが多くなり過ぎた)と供給(場所や列車の限定)の関係で危険な状態にあると判断されたようだ。どこもかしこもこの状態ならイベントはやめた方がよいと思う。1回か2回しか乗ったこともないような列車にありがとうとか泣きわめくなどちょっと考えられない場面をテレビ等でよく見る。罵声が飛び交い、マナーを守れず、注意すると反対に文句を言う輩もいる。人それぞれであるから何とも言えないが、そうガツガツしないで普通の日に普通の列車を撮ればゆっくり撮れるのにと思う。なくなりそうになると情報が漏れてくるものである。どうせいつかは人間と同じように消えていくはずだ。そういう私も1回だけ阪急の北千里延長関西初の自動出改札駅開業の時見に行ったことはある。今日はダイヤ改正の日なので澁谷の病院のついでに話題の高輪ゲートウェイ駅を見てきた。雨のしょぼ降る中、側線に役目を終えたのかクハ185-1が止まっていたのが印象的だった。今回の久しぶりの投稿はその消えたメトロ車両である。これも老人鉄が撮った普通の日の普通の車両である。普段着の姿でよいのではないか。
2015.08.23 東武線内 竹ノ塚-西新井 中目黒行き03ー102 ▼
2015.08.23 東武線内西新井-竹ノ塚 南栗橋行き 03-811▼
2014.08.20 小田急線内 黒川ー栗平 多摩急行我孫子行き 6018▼
こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ④
明後日あたりに寒波が到来と報じていますが、ことしは記録的な暖冬で終わりそうです。でも富士山に関しては、例年どおりの冠雪があったようです。いつの時代も富士山は憧れです。とくに、日常的に見ることができる首都圏の在住者より、めったに見られない関西人のほうが、潜在的な憧れを抱いているような気もします。ことし1月、東のほうで用事を済ませて、翌朝、のんびり帰ろうかと思って普通列車に乗り込むと、窓に飛び込んできたのが、雪を抱いた富士山でした。急遽、予定変更、結局は陽が暮れるまで、定番撮影地3ヵ所を歩き回り、その姿を拝んだ一日となりました。
▲最初に行ったのは、伊豆箱根鉄道駿豆線の三島二日町から南へ歩いた地点、ここは以前来たものの、全く富士山が見えず、悔しさのあまり何も撮らずに戻って来たところだ。それだけに冠雪した富士山を見て感激、しかも、最初に通過したのが、今回の改正でも生き延びることになった185系「踊り子109号」。















