遊びのつもりではじめたのが、なかなかの強者相手と分かりましたのでフンドシを締め直して増結します。
また同じ場所か!と言われそうですが、新年の鳥羽港へ行ってきました。予定では1月5日に「にっぽん丸」が寄港するはずだったのが、海外でトラブルを起こしたようで寄港中止になってしまいました。このため本日まで待っていました、今日は「ぱしふぃっくびいなす(26,594トン)」です。天気も悪く今にも降り出しそうな空で、観客は僅かおじさん2名であります。ところがおじさんの話を聞いていると「まだ放水せえへんな」「去年は9時半から10分したのに…」と聞こえてきます、「今日は何がありますの?」と尋ねると「今日は出初式や、あの船から放水しよんねん」「え!」、そういえば消防艇のような赤い船と、海上保安庁らしき船がうろうろしています。駅からこの城跡にくる間も鳥羽市消防の制服を着た集団とも出会いました。これはいい日に来たと喜んで写したのがこの写真です。
放水の時間内に伊勢志摩ライナーが間にあいました。 続きを読む
今朝の1面トップに宇部・小野田線の105系が載っていて驚きました。当地の読者にはなじみのない「BRT」なのですが、あくまで「検討開始」と理解することにして、今後の動きを注目してゆきたいと思います。
平成11年1月11日11:11に一番列車が走り出してから、今日で20年目を迎えました。今日行われるであろう記念行事などについては、多分明朝の紙面に載ると思われますが、ここ数日 関連記事が載っていましたのでお届け致します。
上笠田へ行かなくなってどれくらいになるだろうか。
一度だけ、彦根で単身赴任をしていた時に車で山越えをして上笠田に行ったことがある。その時はホーム1面の無人駅であった。その後、上笠田駅は線路だけ残った。
昭和の四条通、四条京阪前から、祇園へ向かうことにしました。四条通には昭和47年まで市電が走り、祇園まで行けば、外周線が昭和53年まで見られました。祇園の交差点に建つ八坂神社の西楼門石段から見る光景は、京都市電の格好の写材を提供していました。とくに、人で埋まる初詣のシーンを求めて、廃止前の数年は必ず訪れたものでした。
▲石段から見下ろすと、外周線の市電と人出が、うまく俯瞰できた。交差する四条通は明治まで狭い道路幅だったが、明治末期に京都市は近代化の三大事業に着手し、そのひとつが四条通など主要道路の拡幅と市営電車の経営だった。四条通は市営電車の第一期線として明治45年に開業した。当初の停留場名は「祇園石段下」で、昭和20年ごろに「祇園」に改称されている。昭和47年に廃止された。
元旦の投稿のなかで、広電社長のインタビュー記事の冒頭に「3月からグリーンムーバーエイペックス」を投入するとありました。3月に営業運転に入るのであれば、もう試運転が始まっているだろうと思い、試運転線の様子を見に行ってきました。
今年は題名と同じく「どですかでん」で始めるとしましょう。ちょっと3分ほど「幻想路面電車」にご乗車ください。それでは
いかがでしたか、乗り心地は
第一回「ここはどこ?私はだれ?」で、宇都家さんから「水間鉄道の写真を見せろ」とのご希望を頂いたので約束を果たします。
親戚が貝塚にいたため、時々行っていました。
当時は京都から時間がかかり一日仕事でした。昭和35年頃だと思いますので中学生で、物心ついて初めての南海電車でした。阪和線と水間線の交差点が近くにあったので時間つぶしに撮したのでしょう。数枚ですがご覧下さい。
昨日は、四条通を歩いて、八坂神社へ初詣に出掛けました。昭和の時代、地上の京阪四条駅から、歩道にあふれそうな人並みが、祇園までずっと続いていたことを、ふと思い出しました。四条通りには、昭和47年まで市電が走っていましたし、祇園まで行けば、市電外周線の初詣風景は、昭和53年まで見られたものです。京阪も地下に潜ってから32年が経ち、いま見る当たり前の光景が、ずっと昔から続いているような錯覚に陥ります。京阪、市電が走っていた時代は、私の感覚からしても、はるか遠い過去の思い出になってしまいました。
ちょうど再来週から、四条通の「西利」で開催される、わがクローバー会の写真展でも、四条通の市電を特集して、会員の撮った懐かしい写真を展示することにしました。
▲「京阪特急10分ごと」の横断幕が目に入る京阪四条駅の三条方面乗り場、つぎつぎ到着する電車から吐き出された乗客は、四条通りを埋めるようにして、祇園方面に向かっていった(昭和57年)。
正月の京都駅前の賑わい 昭和36年
平成最後の年が明けました。珍しく一日中テレビの番をしていると、平成時代を総括する特番が多くあり、見ていますと、“昭和か平成か、どちらが良かったか”との調査結果がありました。昭和を知らない若い世代が、平成を良かったと回答するのは当然としても、両方の時代を経験したはずの中高年では、すべての年代で“昭和”が圧倒的でした。われわれが昭和の鉄道の検証に熱心なのもよく分かります。で、平成最後の年も、羽村さんの昭和の正月風景から始めることにします。
▲いつもはモノクロの羽村さんシリーズだが、少数だがカラーポジも遺されていた。昭和36年の正月に、京都駅前で京都市電を撮られたものだ。写真は、河原町線、伏見・稲荷線が発着していた東乗り場の光景、「いなり行き市電のりば」の看板の下には、きっぷ売り場まで出る賑わいだ。これだけ見ると、昭和30年代の当たり前の正月風景に見えるが、よく見ると、行き先幕は「白梅町」、緑地の「臨」系統板、そう、この市電は、これから手前の東西連絡線を渡って、西乗り場へ行き、スイッチバックして、烏丸線を北上するのである。通常は、営業車両が通らない東西連絡線を、正月の臨時電車が乗客を乗せて行く貴重なカラー写真だ。
元旦の郵便受けにはずっしりと重い多ページの新聞が届き、新年を迎えたことを実感することができます。そんな元旦の中国新聞に掲載された鉄道ネタを2件ご紹介し、山陽路からの第1報とさせて頂きます。まずは井原鉄道から。
明けましておめでとうございます。
C57のちにDF50牽引の客車寝台急行列車が走り、いっときはDC特急までが走り抜けた駅です。今日は新嘗祭で日の丸が掲揚されています。
