小生は社会科見学で工事用軌道のトンネルを見た記憶があります。しかし天ヶ瀬ダムではなく、何処だったのか思い出せず、悶々とした日を送っていました。
先日、KBS京都放送で南山城村の話題が放映され、正に覚えていた情景の写真に出逢いました。

高山ダムの工事用軌道(トンネルと右奥に吊橋が見える)
小生は社会科見学で工事用軌道のトンネルを見た記憶があります。しかし天ヶ瀬ダムではなく、何処だったのか思い出せず、悶々とした日を送っていました。
先日、KBS京都放送で南山城村の話題が放映され、正に覚えていた情景の写真に出逢いました。

高山ダムの工事用軌道(トンネルと右奥に吊橋が見える)
客車に限りませんが鉄道車両には銘板が取り付けられています。外妻や車内クシ桁にネジ止めされている多くは楕円形のプレートで、これによって製造・改造などがわかります。標記されている形式番号の他に現車の素性を知る手かがりにもなります。ですから通常は一度取り付けられたら廃車解体されるまでそのままのはずなのですが、なかにはいつの間にか違う銘板が付いていたという奇っ怪な例をご紹介します。
京福電鉄叡山線
▲この時代の京福と言えば、木造車のデナ1が代表だろう。1925年、叡山線の開業時に日本車両で1~6の6両が製造された。全長12.3m、片開き2ドアの木造車で、写真で見ると、きれいな木目模様が出ている。前面はタマゴ形の3枚窓、ドイツ・マン製の板バネ台車とイギリス製電装品を搭載しているのが特徴だった。固定編成化される前の原形の時代で、車体もグリーン一色塗りで、その後、2色塗装に改められる〔山端(現・宝ヶ池)、昭和26年〕。
羽村さんの写真をきっかけにして、鉄道模型や京阪電車にと、拡散を見せています。
ひとつのテーマから、各方面の投稿が集まるのも、“デジ青”の真骨頂でしょう。今回は、羽村さんの地元、左京区を走る、“叡電”、当時の京福電鉄叡山線・鞍馬線です。考えたら叡電は、始発も終点もすべて左京区内にあります。ひとつの行政区のなかで完結してしまう鉄道というのも、ほかにはちょっと例がないのではと思います。
第5日目 9月28日(金)
893-2さん情報によると迂回貨物列車の運行は山陽本線復旧に伴い今日が最終日となるようです。今まで3日間で撮れなかった撮影地、特に田儀では鉄ちゃんがいつも満杯で行けなかった場所で撮りたいと昨日脚立を置いて場所取りをしておきました。
▲ 7:27 伯耆大山~米子 撮影地③ Google座標;35.428370, 133.364001
今まで撮影地②で撮っていましたが撮影地③への移動は時間的に無理でしたので諦めていましたが是非に撮っておきたい場所です。しかし、残念ながらバックに入れたい大山は雲の中でした、また逆光の中での撮影となりました。
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「羽村さんが遺したアルバム」を拝見していて、羽村さんを思い出していました。
多分、私が羽村さんを知る最後の世代だと思います。
羽村さんは物静かでわりとシャイな感じの方でしたが、かなりシニカルな方で毒舌家でもありました。若くしてお亡くなりになりましたが、幼少時に患われた結核が原因でした。彼は終生独身でしたが、ご両親と同居されてた京大横の吉田山の麓の閑静なお住まいにも何度か訪れたこともありましたし、葬儀にも参列した記憶があります。
そんな彼の京阪の写真を拝見していて、京阪の古い駅を思い出していました。
1967年(昭和42年)夏に撮ったものですが、当時はまだ高価だったフイルムを使ってなぜこんなものを撮ったんだか・・・!?

100年の田原本線は、どですかでんさんが詳しくレポートされていましたが、もう一つの100年「近鉄の生駒ケーブル」に行って来ました。海抜642mの生駒山上まで2000mの距離を2本の路線(宝山寺1,2号線と山上線)で結んでいます。特に「鳥居前(奈良線生駒駅に隣接)」~「宝山寺」までは複線のケーブルとして有名で、昭和元年に複線化されたそうです。
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元祖青信号特派員氏が「羽村さんが遺したアルバムから」シリーズで、羽村宏先輩が撮影された貴重な写真の数かずを紹介して頂いており、毎回驚きをもって拝見しています。同シリーズの第5回目で宮崎繁幹様からのコメントなどに羽村氏の作られたレイアウト「吉田急行電鐵」がTMSに掲載されたとの記述が出てきます。宮崎様と同様に、私も本棚を探しましたところ、幸運にも見つけることができました。TMS32号ではなく、再録された昭和38年4月10日発行の「レイアウト・ブック」の方です。発行から50年以上を経ており、著作権問題にも抵触しませんので、そのままスキャンして デジ青読者にご披露することにしました。
京阪電車
▲四条駅に颯爽とすべり込んで来た天満橋行きの1000系の特急3両編成。まだ鳩マークも無い時代で、赤白の円板の特急標識である。“京阪特急”は、撮影された前年の昭和25年9月、三条~天満橋に所要53分で走り始めた。朝夕2往復のみ、2両編成のささやかなスタートで、特別整備されたロマンスシートの1000、1100形が使用された。その後、中間に1600形が増結されて3両編成となり、まもなく写真のように、1500形に変更された(昭和26年4月)。
“羽村さんシリーズ”、また続けます。阪急、京都市電、バスと来て、つぎは京阪電車です。京都市左京区に住まわれていた羽村さんにとって、京阪電車は、いちばん近い郊外電車で、興味を持つようになるのも自然な成り行きだったのでしょう。撮影されたのは昭和26年、車両としては、赤と黄色の京阪特急色の1700系がデビューする前後で、私にとっても、記憶に残る以前の時代で、大変貴重な記録です。
キハ141系の編成がわかる列車写真も少し撮影しました。走行写真は、人工物ができるだけ写らない石狩太美駅から北東方向の踏切付近で何回か撮影しました。初めて行った時、撮影後そのまま石狩当別まで行こうと思って石狩太美駅前のタクシーを呼んだら女性の運転手で驚きました。
第3日目 9月26日(水)
今日は朝から不銹鋼號さん、加賀野井さんと3人で山口へ向かう下りの迂回貨物列車を追っかけします。6時前に 米子駅前のアルファワンホテルを出発して撮影地①へと向かいました。
約13㌔、所要時間35分で到着です。
撮影場所は昨日よりも岸本寄りに撮りました。

▲ 6:55 伯耆溝口~岸本 撮影地① Google座標;35.367119, 133.422873
既に鉄ちゃん数名がおられましたので横に並んでシャッターを切りました。
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フランクフルト (Frankfurt) ドイツ
最後の“早回り”は、ドイツに戻ってフランクフルトのトラムです。フランクフルトは人口が約70万余り、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐドイツ第5の都市。ユーロ圏17ヵ国の中央銀行の欧州中央銀行本社がある国際金融の中心地で、世界最大の見本市会場や、世界最大級のハブ空港・フランクフルト空港や、ヨーロッパ最大級の駅であるフランクフルト中央駅があって、経済・産業・交通の要衝です。
▲フランクフルトの近郊交通は、Sバーン(DB近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄道)が中心。トラムはフランクフルト交通会社(VGF)の運営で、市街地に限定されるものの、稠密なネットワークが張り巡らされている。一部はUバーンにも乗り入れている。
学生時代から約半世紀、結構全国を旅したつもりでも 実は通過しただけの県も多く、最近ではなるべくそのようなスキマを埋める旅に出かけるようにしています。長野県塩尻市付近で10月に行われる某行事へのお誘いを受け、若干紅葉には早いけれども喜んで参加することにしました。広島から塩尻へ行くなら名古屋で中央本線に乗り換えて、というのが一般的なルートなのですが、上記のようにスキマを埋める工夫もしなければなりません。そこであえて遠回りのルートを設定し、鉄目的ではなく 観光が主目的の旅に出ることにしました。まずは静岡へ向かいます。私はジパング族ですから「のぞみ」には乗れません。早起きを苦とせず、なるべく乗り換えなしで、急ぐ必要のない田舎のジパング族向けに、広島始発6:13の東京行き「ひかり460号」という列車が設定されています。三原発は6:41で、京都までは各停、そのあとは名古屋、浜松、静岡と停まる「区間急行」のようなダイヤです。8分とか10数分とか停車する駅もあり、長時間座ったままではエコノミー症候群になるので、ホームへ出てストレッチやウオーキングができるようにと、心配りあるダイヤとなっています。このダイヤの列車は日に1本しかなく、なぜか下りには岡山止まりしかなく、広島行きは設定されていません。
4時間ほど乗って疲れてきた頃の10:32に静岡着です。ここから先はレンタカーです。まずは三保へ向かいました。
第2日目 9月25日(火) その2
13:07 やくも7号で出雲市駅に着かれた不銹鋼號さんと合流しました。ただこの時間では下りの迂回貨物列車は仁方に行ってしまっていますので追っかけるのは不可能です。上りの迂回貨物列車ならこちらに向かってくるのでこれをキャッチしようと意見は一致しました。そして不銹鋼號さんから出雲市に着く前に神戸川を渡る鉄橋があるので行って見たいとの提案がありました。
▲ 13:43 出雲市~西出雲 撮影地 Google座標;35.356739, 132.739551
神戸川の鉄橋に行って見ましたが連続トラス橋で撮りようがありません。堤防を下りて築堤沿いを見ていくと雑草が茂ってはいますがインカーブがありましたのでここを撮影場所にしました。コンテナ車両は7両に増強されています。
迂回貨物列車は出雲市に32分間停車しますので、次の撮影地は先ほども行った斐伊川橋梁にしました。
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7月の西日本豪雨災害から4ケ月が過ぎました。私がおります広島県三原市には、まだ避難所生活を強いられている方が大勢おられます。比較的軽微な被害で済んだ、床上浸水の被害を受けられた知人(85才)が 「昨日ノーやっと新しい畳が入ってノー、久しぶりに畳の上でゆっくり寝られたワイヤー」とうれしそうに話されていました。山陽本線も全通し、山陰迂回貨物は終わりましたが、支線にはまだ不通区間が残っています。JR西の当初見込みより早く復旧する区間もあるようです。
バーゼル (Basel) スイス ②
▲宿泊したホテルの前は、トラムが通る絶好の撮影地だった。
昼間のバーゼルでのトラム撮影を終えて、いったんホテルで食事を済ませ、再び街へ出ました。この時期のヨーロッパ、現地時刻で午後8時ぐらいまでは、じゅうぶん明るく、手持ちでの撮影が可能です。しかも、この時期は、全欧で1時間のサマータイムが実施されていますから、実際は午後9時ごろとなります。ホテルの目の前に、Grosspeterstrの停留場があり、すぐ近くを、スイス国鉄(SBB)、ドイツ国鉄(DB)、フランス国鉄(SNCF)を跨ぐ橋があり、絶好の撮影地となりました。
キハ143のうち、1995年1月31日に苗穂工場でオハフ51 34から改造された104には着雪防止対策を施して登場しました。781系電車の運転室上と同様のスタビライザーや後位妻面の装置が目立ちました。他には床下機器箱の変更などで、落成後効果の検証が行われたそうです。いつ撤去したのでしょうか。