市電が走った街 京都を歩く トロバス編⑤

その後のトロバス

トロバスの営業は、昭和44年9月限りで終わり、翌日から、トロバスと同じ区間を走る、代替バスの77号系統が新設されて走り始めました。トロバスの活躍は、もう見られないかと思われましたが、そのあと、保管されていた車両1両が意外な使われ方をして、再デビューを果たします。それは、京都市が開発・研究を進めていた電気バスに改造されたことで、「みどり号」の愛称で、京都の中心部を走ることになり、3年ぶりに、京都に電気で走るバスが走ることになりました。
下鴨神社前付近の河原町通を走る、もとトロバスの電気バス「みどり号」、カラーは市バスと同じながら、ボディはトロバスそのもの。300形318号を改造して生まれた。

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編④

新聞記事に見るトロバス

トロバス編の続き、今回は当時の新聞に載ったトロバスの記事を採り上げました。私は、小学生の時から鉄道関係の新聞の切り抜きを続けてきました。さすがに今では、ほとんどしませんが、書籍・雑誌の情報も乏しかった時代のこと、日々の新聞に載る鉄道記事は貴重な情報源でした。なかでも京都市電に関しては、廃止や事故と言った、地元の社会的なニュースとして取り上げられることが多くありました。それらを切り抜いて、一枚ずつB5の藁半紙の台紙に貼り付け、年月別に綴じてファイル化し、京都市電に関する、自分だけのデータベースが出来上がりました。
最初にトロバス廃止のタイトルが紙面に見えたのは、廃止の2年前、昭和42年9月23日のこと、前日に、京都市の交通財政再建計画が発表され、それを受けての報道だった。読み進めると、車両数が26両とあり、戦後製造の100形6両がまだ走っていた時代だった。

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都電撮影会次の日

都電撮影会は日頃行いの良い人ばかりが集まったようで、好天に恵まれ楽しい一日を過ごすことが出来ました。会長はじめお世話頂いた方々本当にありがとうございました、次の機会も楽しみにしております。当日の様子はさておき、次の日の様子を報告しておきます。18日は東京から見て「西グループ」と「東グループ」に分かれて行動することになり、私は「東グループ」で、F氏・I氏・T氏・K氏と共に、先ずは「関東鉄道竜ヶ崎線」に出掛けました。私とK氏は始発となる品川から乗車し、途中でF氏がバタバタと乗り込み、佐貫でT氏と出会いました。I氏はなぜか検索時間を誤解し、1時間遅れとなりました。F氏の情報では「佐貫」の駅名が変更になるようで駅舎も撮っておきます。佐貫では「竜鉄コロッケ☆フリーきっぷ」なるものを購入し、後でコロッケが食べられる!と楽しみが出来ました。

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流線形車両-5-(最終)

1935年(昭和10年前後)の流線形ブームの頃の車両を中心に発表させていただいたがもう一つ忘れられない流線形蒸気機関車があった。そう満鉄のパシナである。満州は現在の中国東北部(遼寧省、吉林省、黒龍江省、内モンゴル自治区の一部)である。デジ青上でパシナは既に発表されている機関車であるが、ここに保存機であるがもう一度登場させていただく。併せて満鉄のジテと中国製のディーゼル機、アメリカのディーゼル機も追加させていただく。l

満鉄(南満州鉄道)のパシナは970~972の3両が満鉄沙河口工場で、973~980の8両が川崎兵庫工場で1934年(昭和9年)に、981が1936年(昭和11年)に合計12両が製造された。1934年(昭和9年)、アカシアの大連から新京(長春)までの700kmを最高速度120km/hで走破、後、哈爾濱まで延長された940kmを超特急「あじあ号」として1943年(昭和18年)まで2mの大動輪で驀進していた。欧亜連絡でロシア人のウエ-トレスも乗車し全車冷房付きの豪華列車であったという。展望車は黒河という所に保存(放置)されているが今はどうなったことであろうか。12両中現存するのは2両らしく、そのうちの1両が瀋陽郊外の蘇家屯の展示場で荒れた状態で展示されていた。この機関車はその後、瀋陽の陳列館に室内展示されたのではないか。

1998.04.11 瀋陽郊外の蘇家屯の展示場のSL751

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熊延鉄道跡を訪ねて

久々に投稿します。昨日3月17日、熊本市内から阿蘇方面へ車で移動する際、ふと熊延鉄道のことを思い出し友人の案内で数か所の遺跡を訪ねました。熊延鉄道は戦前、熊本から宮崎県延岡を目指して建設、春竹(現JR南熊本駅)から熊本県砥用(現在の下益城郡美里町)まで開業しましたが1964年昭和39年に廃止となりました。

最初は佐俣(さほ)~釈迦院間の橋台。位置32.6214771,130.8287495
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Twitterアカウントを作成しました

活動盛んな当掲示板をより広く周知するためにTwitterアカウント(@drfc_ob)を作成しました。掲示板へ記事投稿すると、自動的にTwitter側に記事タイトルと記事へのリンクが投稿されます。利点は次の通りです。
1.読者はTwitterアカウントをフォロー(登録)することで新規記事が投稿されたことをすぐに知ることができます。またTwitterを通じてさらに読者が増えると思います。
2.数多くある転載確認の連絡もメールではなく、ツイッターのDM機能を使うことでより迅速に行えるようになります。
3.掲示板にはない動画やライブ動画配信といった新機能を利用できるようになります。

暖かい大地への旅 Part4 南迴線のロケハン

撮影日;2017年6月11日、蓮の花畑を走るD51(DT668号機)

第1日目 2月24日

今日はクモハ73106東ウラさんたちと一緒に明日走るD51の列車のロケハンを行います。お薦めの南迴線の撮影ポイントはクモハ73106東ウラさんが熟知されていますので、数あるロケ地候補からどこを選ぶか、また新たな好撮影地がないかを探します。
宿泊は台東のホテルです。明後日は高雄に戻りますので荷物はクロークに預けて、リックサック1つで向かうことにしました。

皆さんホテルが違っていますので集合は7:33に高雄を発車する区間車の先頭車車内です。早めに朝食を撮った後、高雄站に向かいました。
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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編③

前記のように、最終日に近い土曜日、DRFCの面々とトロバスの撮影会に行っていますが、その時は、梅津車庫も訪問して撮影しています。梅津車庫は、トロバスの専用車庫として、昭和33年に開設されました。その後、昭和42年に、四条御前にあった市バス四条車庫が、梅津車庫に統合されて、市バス車両も配置されるようになりました。トロバス廃止後は市バス専用車庫となりますが、隣接する京都外国大学に用地を提供し、大学の校舎の下に車庫機能を置く、珍しい構造の車庫となりました。1990年にバス停留所名も、「梅津車庫前」から、「京都外大前」に改称されています。さらに2003年には五条車庫の廃止に伴い、車両が転属し、京都市バスを代表する車庫となっています。

梅津車庫の出庫線にズラリと並んだトロバス、前2両は200形で、そのあとに300形が続く。トロバスも市電の仲間だから、当時、朝7~9時に実施していた急行運転も行っていた。「急」マークは車庫で借りて取り付けた。

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春到来

この間まで寒さで震えていたが早いもので今日、高知で桜の開花宣言。いよいよデジ青上でも桜便り、菜の花便りが見られそうになってきた。昨年DRFCの皆さんが来られた東京八王子市の高尾付近でも梅の花が真っ盛りなので報告させていただく。

撮影場所は中央線の高尾(昔は浅川と言った)~相模湖(昔は与瀬と言った)間で摺差踏切と荒井梅林の2カ所で共に有名な撮影地である。

 

最初は摺差踏切で夕方まで粘っても完全順光にならないのが残念である。

2018.03.12 E257系特急「かいじ105号」甲府行き ▼

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編②

トロバスは、京都、名古屋のほか、戦後には川崎市、東京都、大阪市、横浜市と続いて開業し、都市部にトロバスブームが到来します。背景には、石油事情が好転しない問題もあり、路面電車より建設費が安いという事情もありました。しかし、自動車の増加し道路が渋滞し、さらに地下鉄の建設計画などが持ち上がり、昭和30年代後半になると、早くもトロバスの行く末は頭打ちになってきました。
トロバス梅津線の沿線には、戦後、軍需産業から転換した工場などがあり、当時の京都随一の工場地帯を形成し、朝夕の時間帯は、通勤客がトロバスに集中しました。とくに梅津車庫から松尾橋にかけては、まだ一般の路線バスも少なく、トロバスが独占状態でした。ところが、昭和37年、阪急の河原町延伸で、交通事情が変わります。中間駅となった四条大宮は、交通結節点としての地位が低下し、さらに、この頃になると、松尾橋から、四条河原町や京都駅前へ直通する市バス系統が新設・延長され、四条大宮までしか行かないトロバスは分が悪くなる一方でした。
トロバス最終日も間近の土曜日、DRFCのボックスに集まった面々は、最後のトロバスを写すため、西大路四条から梅津車庫、松尾橋へ向かった。

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 市電が走った街 京都を歩く  トロバス編①

最近のデジ青記事を見て思うことが、皆さんの“地元愛”の気持ちです。米手さんの“散歩シリーズ”では、お知り合いの貴重な写真を惜しげもなく公開され、西村さんからは広島地方の鉄道ニュースを丹念に報告していただいています。西村さんは市民学芸員活動として、三原市の近代化遺産もまとめられ、PDF版を私も閲覧させてもらいました。皆さん、鉄道趣味活動を通じて、調査・研究を続けられ、地域に貢献される姿勢に敬服する次第です。ひるがえって、私にとっての“地元愛”とは? と考えると、やはり京都市電に行き着きます。過去には、乙訓老人さんらと一緒に本を出版したり、写真展を開いたりして、地域に一定の恩返しをしたつもりですが、ことデジ青については、京都市電のことを封印していました。別に理由はないのですが、京都市電が全廃されて、ちょうど40年になる今年、そろそろ封を解いて、デジ青に地域デビューを果たしたいと思っています。京都のトロバスは四条大宮~松尾橋を走り、49年前の昭和44年9月限りで廃止された。装飾をされた車両が走り、市民に別れを告げた。
我々世代が知りうる京都市電の廃止第一号となると、昭和36年の北野線です。私の鉄道撮影の第一号にも当たりますが、さすがに小学校6年生では、デジ青を飾るような写真は撮っていません。そのつぎの廃止となると昭和43年9月廃止のトロリーバス(梅津線)です。鉄道の一員であり、都市を走ったトロバスとしては、最古の開業です。時あたかも、関電トンネルトロリーバス(扇沢~黒部湖)15両が充電式電気バスに置き換えられることになり、国内に残るトロバスは、立山黒部貫光の立山トンネルのトロバスのみになります。まずは、そのトロバスを手始めとして、当時の写真と、現在の対比をして、“地元愛”の発露としたいと思います。

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散歩道で見つけましたー番外編ー

これは藤田さんの話ではありません。
暖かくなった日曜日、近々遊びに来るという酒好きな会員氏のために、16時から開いている酒場を探して徘徊、いや、散歩をしていました。そうしたら新設工事中の梅小路駅前の京果会館前に看板が出ていました。『酒屋の角打ち』『薩摩の焼酎勢揃い』確認のため二階へ上がってみましたら、立ち飲みで肴は薩摩揚げやおでんです。これで良し!と踵を返したとたん、目の前にまた看板。『物作り大好き!貸しアトリエ・工作室』
覗いていると愛想のいいお兄さんがドアを開けて入れてくれました。
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海外写真展開催のご案内

私事で恐縮ですが明日3月14日(水)~3月23日(金)に鉄道写真家小竹直人先生と一緒に海外へ行っております仲間たちとの写真展を大阪天満橋OMMのリコーイメージングスクエア大阪にて開催させていただきます。
お時間ありましたら、お立ち寄りください。よろしくお願い申し上げます。
私も期間中の3月14日から3月23日(夕刻まで)は現場に入っております。
尚、20日(火)は会場定休となっておりますのでご注意ください。

 「東北展」 今年も開催 !

佐竹保雄さんが、3・11前後に毎年開催されている「鉄道写真展-東北を旅して」が、ことしも本日11日(日)から開催されています。
 「鉄道写真展-東北を旅して」その10
 3月11日(日)~16日(金)10:00~17:00(16日は16:00まで)
 ひとまち交流館京都1階 作品展示コーナー 京都市下京区河原町五条下る
東北地方の復興を願って、多い時には年二回開催されてきた展示ですが、所期の成果を収めたこともあって、今回の展示で一応のピリオドを打つことになりました。ファイナル総集編と銘打った今回の展示は、とくに佐竹さんが愛した東北の鉄道の総集編として展開しています。
クローバー会会員らが待ち受ける京都駅一番ホームに入線する、佐竹さんの「トレランス」1号。はて?右端のお方は? 昨年には三陸鉄道南リアス線で「トレランス」8号が運転され、クローバー会会員3人も参加し、佐竹さん始め多くの参加者と交歓したが、その基盤となったのが、1989年から運転を始めた京都発京都行きの「トレランス」1~8号だ。今回、最終回に当たり、「トレランス全記録」として、過去の「トレランス」の走行シーンを収めた写真展示も行っている。

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