▲ ウクライナのリヴィウからウイーンへと向かう機内で満面の笑みを浮かべて働くCAさんです。大した機内食は出ませんでしたがCAさんの笑みはそれにも増しての機内サービスでした。日系JAL/ANAのおもてなし機内サービスは世界中から賞賛を受けています素晴らしいものがありますが、自然と出るこういった温かさも格別のサービスですね。
続きを読む
50年前の撮影地を歩く -14-
留萠鉄道 幌新駅
北海道ならどこにでもありそうな駅にも、クローバー会の皆さんの思い出が詰まっていること、前出の「恵比島」でも痛感しました。調子に乗って、もうひとつ駅を紹介します。恵比島から分岐していた留萠鉄道は、前記のように昭和44年に休止されましたが、目玉は、終点・昭和駅の奥にあった明治鉱業昭和炭鉱で働いていたクラウス社製のBタンク機15・17号機でした。
炭鉱閉山後の同機2両は、直後に開催の大阪万博でも展示されたあとは、流転の歴史で、各地へ転売・転属を繰り返しましたが、15号機は、留萌鉄道の中間駅でもあった幌新駅近くの温泉施設の公園に安住の地を見つけて、大事に保存されています。
▲昭和炭鉱のクラウス17号機、この可愛らしい姿を見るのが、留萠鉄道乗車の目的だった。この17号機は、栃木県那須烏山市にある那珂川清流鉄道保存会で保存公開されている。
デジ青の写真投稿について
デジ青投稿時における写真のサイズについての問い合わせをいただきましたのでルールと注意事項について申し上げます。そんなに難しい事ではありませんのでサラッと見ていただければと思います。
【ルール】
1、投稿できる写真サイズは、画像解像度72dpi設定で、200KB前後が最適です。
dpiは「Dot Per Inch」の略称で「1インチの中にどれだけのドット(点)を敷き詰めるか」という意味です。印刷する場合はできるだけ細かいデータがあった方が綺麗になりますが、PCのディスプレイは表現できる解像度が大きくはありませんので不必要です。
デジ青では写真投稿時に最大2MBまでの容量はありますが、大きすぎています。サーバーに負担をかけ、アクセスにも時間を要することがありますので、72dpi(=72pixel/inch)、200KB前後に縮小してください。新聞原稿、地図や写真の細部を表現したい時には300~500KBのサイズまで必要とする時がありますが、一般の写真では不必要です。
2、写真の大きさは縦横の最大サイズが1200pixel、または42cm程度にすると画面にキッチリと入ります。また、ボアアップ(写真拡大)した時にもディスプレイにキッチリと収まります。これ以上大きくしますとボアアップした時にディスプレイの画面からはみ出てしまいます。
3、添付ファイルの表示設定については、配置位置⇒中央、設定⇒フルサイズを指定ください。
4、数枚の写真を並べて掲載したい時は、メディアを追加⇒ギャラリーの作成⇒写真を選んでから⇒ギャラリーの設定⇒カラムは1~9までを選び⇒ギャラリーの挿入、以上です。
【写真画像の縮小】
1、写真画像を縮小するには編集ソフトが必要になります。有料になりますがプロも使うAdobe 社のPhotoshop Elements(12,890円)がお薦めです。数十枚以上の画像を一括で自動編集できますので重宝しています。安い廉価版もあります。
またカメラ会社からはそれぞれ無料のソフトが提供されていてHPからダウンロードできます。私はNikonユーザーですのでViewNX2とCapterNXを使っていますが、1枚1枚を丁寧に画像現像する時にはこちらを使っています。かなり優秀ですが昨年違った製品にバージョンアップされました。使用されている各カメラ会社のHPをご覧いただければ、分ると思います。また他社のカメラでも使用できるようになっていますので、自分で使いやすいソフトはどれが良いのか試してみるのも良いでしょう。
全ての編集ソフトにはデジタル写真のJpg、RawやスキャンしたPDFデータからのJpgへの変換・編集機能がありますので簡単に縮小が出来ます。
各カメラ会社の編集ソフトのダウンロードは下記をクリックしてください。
Nikon Canon Casio Olympus Sony Panasonic Ricoh 富士フイルム
2、もし2MB以下の画像でしたらHPにアップロードしてからでも画像編集ができます。画面右上の「添付ファイルの詳細」⇒「画像を編集」を選びクリックしますとサイズを聞いてきますので数字を打ち込んでやれば縮小できます。
以上、よろしくお願い申し上げます。
2016年 西方見聞録 Part30 ウクライナの蒸気機関車を撮る⑤
一畑電鉄クハ111号
50年前の撮影地を歩く -13-
ふたつの駅名がある駅
留萌線の残存区間から留萌、峠下の今昔を紹介しましたが、もうひとつ恵比島駅の今昔も紹介しましょう。恵比島駅も、無人の棒線駅、一日乗車人員1人台と、典型的な北海道の駅ですが、かつて留萌鉄道が分岐していて、石炭輸送の中継駅として賑わいを見せていました。訪れてみると、当時の姿は、すべて草木のなかに埋もれてしまい、面影は全くありません。ところが、NHK朝ドラのロケ地となったことを契機に、ふたつの駅名を持つことになり、ロケセットも観光資源として残され、流行りの聖地巡りか、時おり、観光客もクルマで訪ねて来るという駅になっています。
▲「えびしま」?「あしもい」? 駅名標もふたつ
2016年 西方見聞録 Part29 ウクライナの蒸気機関車を撮る④
▲ 今回はいつもある嬢さんの写真がないのはなぜかとのご意見をいただきました。街や駅を歩くたびに素敵な被写体の方はおられないかと探してはいたのですが若い年齢層に出会うことは少なく、撮りたくとも機会に恵まれませんでした。
今回はもう撮れないかなと思っていましたら今日初めて乗車したウクライナ鉄道の客車列車の中で元気な土地っ子お嬢さんに会えました。撮らせてくださいと申し出ましたらニッコリ笑顔のピースサインで答えてくださいました。
お嬢さんが座っておられるのは寝台車の昼間運用時の座席です。中々凝った作りになっていますので後ほど紹介させていただきます。
続きを読む
日立笠戸のこと
糸崎と鉄道連絡船
キハニ5000の話題に対して戦後撮影の貴重なお宝画像をご披露頂き、感謝に堪えません。もうひとつだけ糸崎関連の話題を凝りもせずにご紹介させてください。昭和14年8月26日の中国新聞備後版の記事です。
インターネットで見つけました
阪堺線天王寺駅前
以前にINUBUSE氏が阪堺線天王寺駅前の工事状況を載せられていましたが天王寺駅前はほぼ完成しているようです。周辺の道路はまだまだ工事中ですが軌道内はグリーン化され電柱もセンターとなり阿倍野筋もかなり近代化されてきました。
天王寺駅前には歩道橋からも直接アクセスできるようになっています。駅舎そのものも新しくなっており見違えます。※「縦」の写真を入れたのですがこの前はひっくり返っていました、今回は「プレビュー」で見る限り大丈夫なようですが寝ていたらスミマセン。
続きを読む
2016年 西方見聞録 Part28 ウクライナの蒸気機関車を撮る③
京都で最後の583を見送る
583系天理臨が、青森から長躯、京都まで運転されました。唯一生き延びた編成も、そろそろ先が見えて来たようで、とくに天理臨で京都まで顔を見せるのは最後のようです。25日の京都着は午前5時台で、これは鉄鈍爺さんが驚異の早起きで捕獲されています(No.81136)。583は数日、吹総京都支所に留置され、27日(金)の晩に帰ることになりました。発時刻が不明だったものの、そこは、クローバー会のネットワーク。直前の時変まで共有することができました。到着の2時間ぐらい前からは、京都駅は劇パ状態となりましたが、示し合わせた鉄鈍爺さんとともに撮影場所を変えて撮影することができました。発車の際は、例の中高生の“長い間ありがとう”の絶叫の声に見送られて京都を去って行きました。
50年前の撮影地を歩く -12-
あれから半世紀
私の1日は朝食後にデジ青を見ることから始まります。今朝は驚きました。準特急氏が「少し前の三原、糸崎駅界隈」と題して6枚の写真を投稿されているではありませんか! 撮影が1964年、65年ですから もう半世紀以上が経過しています。でも感覚的には 私も「少し前」と感じます。ここのところ雪が舞う寒い日が続いている当地ですが、今日は快晴の穏やかな日和なのを幸いに 準特急氏が撮影された6ヶ所の今を巡ってこようと 早速出かけることにしました。準特急殿の記事の順に「あれから半世紀後の三原、糸崎駅界隈」をご紹介し、準特急殿への御礼に代えさせて頂きます。
まずは三原駅に到着の急行安芸 C59161のカットからです。1975年(昭和50年)に山陽新幹線三原駅が開業します。その時点では新幹線は山側に高架、在来線は地上のままでした。1989年(平成元年)9月になって 在来線上り線が高架となり、翌1990年に下り線も高架となって 現在の姿になりました。従ってC59を撮影されたと同じ位置での撮影はもうできません。C59の背景にパチンコ屋と「みつわ」という看板が見えます。下の写真で 屋上に赤い看板が載っているのがパチンコ屋の位置です。昔の写真ではパチンコ屋と仕出し屋「みつわ」は接していますが現在は駐車場をはさんで白い5階建ての細いビルが「みつわ」さんです。急行安芸の3両目 オロネ10の位置に踏切がありますが 当時は「東1番踏切」と呼ばれていた開かずの踏切で 丁度「みつわ」さんの前でした。踏切跡の道路は今もあります。また 高架が邪魔していますが、バックの山の形は変わっていません。
東海道の電車を楽しむ-その5-
正月はゆっくり過ごしたが、昔の旅人は正月をどんな思いで歩いていたのだろうか? 日本は地震国で、それに伴う地殻変動による津波の発生や到来は事前通告がないだけに旅人を惑わせるものであった。29宿浜松から西へ辿るには、30宿舞阪から渡船によるものであった。15世紀末まで浜名湖は淡水湖であったが、大津波を受けことにより塩水湖に様変わりしていた。1699年高潮、1707年宝永地震には津波、1854年安政東海地震の津波で宿場や渡船場の位置は変動していた。幕府にとって大きな事業は関所の維持で、今も遺構が残る今切(・いまきり)の関所もその一つであった。宿場(31宿新居・あらい)とは離れた位置だが往年の姿が再現されている。これとは別に津波のために浜名湖を渡ることが出来ない時のため、湖岸を北に辿る道(姫街道)が整備されたのは、非常時の代替となり重要なものであった。
48年前の1月26日
身辺整理をしていると正方形の古い天然色のコダック印画紙がでてきた。1969年昭和44年1月26日に撮影されたものである。通信員が結婚式披露宴を済ませ日本国有鉄道大阪駅4番ホームにて新婚旅行出発のときの一齣である。列車の窓が開けられなくなり、駅弁の立ち売りと共にホームで見られなくなった新婚旅行見送り風景である。
この印画紙が貴重なのは写っている当会員の方々です。中央で同志社チェアの音頭をとっておられるのは長岡京の長老で、祇園石段で鍛えた美声が聞こえてくるようである。左下の後頭部は特徴的な板状の耳殻を持つ軽便鉄道の第一人者であらせられる須磨の長老です。ともに身体の修繕をされお元気にこの掲示板に秘話や昔話また押入れの秘蔵写真を投稿されているのは喜ばしいことである。右端は名古屋の和尚さんで名鉄谷汲美濃町線など600V区間を追い続けた方です。禿頭の人は会員ではありませんがボレックスの8mmフィルムカメラを操っています。この画像をゼンザブロニカで撮影されたのはローズ山下氏で各地の大型蒸機の雄姿を中型カメラに収められられました。大勢の先輩にお見送りいただいた果報者の通信員であります。
列車は大阪17:05始発の気動車急行「丹波3号」豊岡行きで宝塚までの乗車であった。画像はキロ28で、窓下に淡緑6号の帯が入っているのが見える。4ケ月後の5月には等級制の変更でグリーン車と呼ばれるようになり窓下帯は無くなりクローバーのマークに変わった。キロ28は1961~1963年に製造された一等座席の気動車である。東海型電車サロ152で採用された二連下降窓を採用し更に張り上げ屋根なのでべっぴんさんである。急行たかやま号として99年12月まで同じ大阪駅に顔を見せていた。
一年後に大阪万国博覧会を迎える日本も国鉄も三波春夫も元気な頃でした。
少し昔の三原、糸崎駅界隈
山陽鉄道の遺構や広島地区の情報で大活躍の西村雅幸さんのお住まいの三原駅付近で撮影したものが少々ありましたので御笑覧下さい。
まず、最初は糸崎区のC59161が牽引して三原駅に進入する東京発寝台急行23列車呉線経由広島行き「安芸」。1965年4月4日の撮影。先頭は座席指定の2等でオハニ36、2両目はマロネ41、3両目の大柄な車体はオロネ10、6両目は遠くて分かり難いがマシ38と思われる。客車の大家に判定をいただきたいが要するにこういう列車が最も輝いて見えたように私には思われた。「安芸」は三原を出ると車窓左手に瀬戸内海を見て広島までの2時間近くを走る。ワイドビューとかオーシャンビューとか言われる特急列車よりも豪快な汽笛を聞きながらの蒸機急行の旅の方がずっとよかったと思うのは私だけか。なお。このC59161は広島市内に保存されている。▼
583系の天理臨
2016年 西方見聞録 Part27 ウクライナの蒸気機関車を撮る②
第12日目 9月29日 その2
▲ 10:57 撮影地② Google座標; 48.268067, 24.373678
ヤシン( Ясіня )からからはチャーター列車に連結された1両の作業車に乗って移動です。両側石橋に真ん中は鉄橋を組み合わせた橋を行く列車の撮影シーンのようです。
今まで経験した海外鉄道撮影ではリーダーがあらかじめ調査の上で決めたお薦め撮影地を回るようになっています。撮影地についてからは参加者各自に気に入ったアングルを探し求めて決めます。参加者からもう一度とアンコールがあった時は、再度繰り返しをしてもらえます。そして今回もアンコール要望がありました。
続きを読む










