2002年春だったと思うが吉川文夫さんから電話を貰った。用件は「1959年夏に東北の電車を巡っておられるが、その時の十和田観光電鉄の写真一式を岸 由一郎さんに提供してほしいのですが・・・」とのことであった。岸さんと言えばピクトリアル611、613号で京都電燈福井支社関係の貨物輸送(九頭竜川水力発電)について発表されたことが頭にあり、その内容が緻密であり学生さんにしては・・・との記憶が残っていた。ポン友の依頼となれば「承知しました!」と、なったのであった。幸いなことに十和田電鉄撮影のフィルムは自家現像にしては調子よく仕上がっており、フィルムその物を送った。
中国新聞 小ネタ3題
関三平先生と会う!
長期に亘って産経新聞大阪版夕刊に連載されている「昭和の電車」の作者で、迷図作家の関三平先生にお目にかかってご高説をお聞かせ頂きたいとのご希望がありましたが、私がご連絡を取る役柄で有りながら私用があり、なかなか実現できませんでした。先生への連絡はメールはされないと言うことで郵便になるため、パッパッと行きません。やっとご都合を合わせて頂いて、急遽25日18時阪急南方でとなりました。そんなわけでご希望を頂いていた乙訓の長老様はじめ一部の方達とだけの顔合わせとなりましたことを最初にお断りさせて頂きます。
先生は京都工芸繊維大学のご出身で大変な電車通でおられることは、連載している作品を見てもおわかり頂けると思います。毎回はじめに線画を描いて、それに色鉛筆やマーカーなどを使って色を付ける、その間5日ほどかかるので掲載を隔週にして貰った、などの裏話や、いつも話題に上る「バックはどこの風景やろか?」については「適当に書いています」とのことでした。しかし、元になる写真や色などには大変なご苦労と記憶力を駆使されている由、全員感心して聞き入っていました。会場となった居酒屋は、2時間厳守だったのですが、3時間以上も粘って9時過ぎにお開きとなりました。しかし、まだ聞き足りない様子で久我会長が「ホームカミングデーにお出で頂き、今日来られなかった会員にも聞かせてやって頂けないか?」と厚顔破廉恥にも切り出したのです。先生は「夜型の生活ですから体調を整えなければなりません。早くなければ行けないことも無いのですが・・・」とやや困惑のご様子でしたが、阪急電車好きの先生にP6を運転した事を武器に取り入った久我会長でした。その後、銘々が持参した先生の出版作品集にサインを頂き帰途につきました。
蘇れ三江線ツアー近づく 準備編
今日で出発まで1週間となりました。桜の開花宣言が各地で出てきましたので私も遅ればせながら準備に入りました。
作成しました往路・復路のダイヤをお知らせします。4月3日の復路については、萩の方に回られる方もあれば、「スーパーはくと」に乗車したいと早々に発たれる方もおられます。朝食は6:30には用意しています。本隊は一応11:20発にしていますが、参加者各位のご希望もあるかと思いますので、出発は各自ご自由にお任せします。
下記は乗換案内を使用して作成したダイヤ改正後の行程の例です。間違っているかも・・、お手数ですが再確認ください。また途中の山陰線の田儀駅では1月30日の線路内土砂流入のため列車交換ができず、ダイヤが少々変わっていますのでご注意ください。
乗換案内はこちらです。http://www.navitime.co.jp/transfer/
最近は時刻表を購入する余裕がなくWebで検索です。年金生活者は苦しいばかりです。
4月3日の三次の日の出は5:53、日没18:32ですが山間ですので朝はもう少し遅く、夕方は早くになると思われますのでご注意してください。
【往路】 集合は三次16:56発の三江線車内です。山室さんが三次駅からお迎えします。私は旅館(大和荘)の準備がありますので潮でお迎えします。
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ニーナにも会っていました(原色狂艶の付録コネタ)
コメントが物凄いことになっているEF66の原色狂艶?について、発信元の 鉄鈍爺
確かに、そうで、 鉄鈍爺
その類のコネタです。
1つ目。ニーナ。
少し古い話です。2014年7月1日8時1分ころ、平塚東側の相模川橋梁でニーナを捕らえています。このときは、小田原に仕事で小田原で泊まれば良いのですが、朝のライナーを撮ろうと思って平塚に泊まり、早朝からここにおりました。ニーナなんてその時はどうでも良く、さっさと撮って仕事に行かないと9時の打合せに間に合いません。
そこで暑い中、アルマジロみたいな踊り子のアルバイト運用を横から
撮っておりますと、すれ違いにいきなり飛び出してきたものです。
あのニーナです(縮小して見えない?撮影者が言うからええでないの!)
気を良くして仕事に行きました。仕事ぎりぎりの時間やけど、このときはまだ、早く歩けました。朝だったけど暑くて川から駅まで結構遠かったなあ。写真は飛び出す瞬間で大慌てした時のもの。続きは撮らなあかんと多くを考えずシャッタを切ったただ1枚のニーナです。 続きを読む
ここにもサヨナラがありましたヨ(2代目スカイライナー)
KAWANAKAです。
北海道新幹線開業を控え、あちこちでサヨナラ特集が組まれ、我がデジ青にも写真や記事が紹介されております。関東におればデジ青の興味の対象になり難いのでしょうが、拙宅の近所ではそれなりに、サヨナラが近づいてくるたびに少しづつ関心がもたれてきたようです。サヨナラがあるのは、あまりにも流行らんで回送状態で走る特急に成り下がってきたためですが、わずか車齢20年余り、跡形もなくなってしまうことに、我が近隣の住民はそれなりに嘆き悲しんだ?のでありました。列車の名は京成電鉄AE100、俗名2代目スカイライナー(晩年はシティーライナー)であります。
実際に定期運行が廃止になったのは昨年11月末(だったかな)、ラストランは2月の末に行われました。その歴史を語るのは、色々な資料に出ているのでしませんが1990年の6月に運行を開始して以来20年間、晩年の2010年からは3代目スカイライナーの登場により、船橋廻りのシティーライナーとして細々生き残っておりました。最後は成田止まりになって、やけくそで船橋停車にしてもまあ乗る人は殆どいないだろうと思ったとおりの状態になりました。売るに売るところもない、かつての初代のようにパーツを流用することも、それほど困窮していないのでスクラップになってしまうのでしょう。JRのNEXと比べれば、都落ちして化粧直しして特急として活躍しているのに比べると20年の生涯、可哀想でなりませんね。
「大阪しなの」を送る -2-
先日、JR西日本線が乗り放題の「おとなびパス」が一日分余ったため、近郊の特急に乗ってきました。京都から外国人で満員の「はるか」に乗って新大阪へ、折り返し「しなの9号」に乗って京都へ戻り、「スーパーはくと」の先頭車の展望席を確保し、初めて智頭急行線に乗って倉吉まで向かいました。「しなの」は標準6両編成ですが、この日は10両編成。2両、4両の付属編成で弾力的な増結が可能となりましたが、まだ名残り乗車には日があるため、自由席の乗車効率は10%程度。いつも見慣れた車窓風景も、よく空いた特急の車内から眺めると、また違った光景に映りました。新大阪から京都まで、わずか20分あまりの乗車が、最初で最後の「大阪しなの」の乗車となりました。▲最後部10号車クモハ383-13の車内、右側に乗客が寄っているのは、単に陽射しを避けたいため ▲京都駅0番ホームの電光表示
▲そして本日、3月24日、最終日の1日前となる「(ワイドビュー)しなの9号」、おなじみ京都駅2番ホームから入線をとらえる。クロ383-7先頭の10両編成。
がんばる井原鉄道 他1題
「大阪しなの」を送る -1-
今年のJRダイヤ改正が近づいてきました。ひと足早く「はまなす」「カシオペア」、はたまた「特別なトワイライトエクスプレス」は運転を終え、テレビを見ると、例によって孫子のような世代が「長い間、感動をありがとう」などと泣き叫んでいます。こちら関西でも、まもなく運転を終える特急があります。大阪~長野の特急「(ワイドビュー)しなの」1往復、通称「大阪しなの」は名古屋~大阪の運転を取り止めます。
この列車に対しては「在来線の最長距離昼行特急」とか「唯一のJR3社直通昼行特急」と評されているが、大阪、京都では、「(ワイドビュー)ひだ」とともに見られるJR東海の車両であり、同時に大垣まで乗り入れているJR西日本の普通電車、朝夕の3往復も取り止めとなり、「ひだ」を除いて、JR東海・西日本相互の乗り入れがなくなる。もともと関西から長野へは、経済的な繋がりは少なく、もっぱら観光客がおもな乗客だった。ただ新幹線+「名古屋しなの」と比べると、所要時間はもちろん、料金においても、新幹線乗継料金だと4660円(のぞみ指定)で、「しなの」直通の3430円(指定)と1000円ほどの差でしかなく、在来線を乗り通す意味はなくなった。「時間が掛かっても直通」を選好する層より「乗り換えを要してでも時間短縮」を望む最近の趨勢が、他社乗り入れを嫌うJR各社の思惑とも一致した形だ。加えて北陸新幹線の開業もあって長野方面への選択肢は広がった。そろそろ潮時なのだろう。
EF66、原色競艶
EF66-27(愛称:ニーナ)が来るというので、出撃しました。
三江線は蘇るか
「見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー」開催まで後2週間となりました。現在参加者は12名となっております。若干ですがまだ受け入れができますので、今からでもご参加されたいと思われる方はご連絡いただきたくよろしくお願い申し上げます。
先日、米手作市氏より「前略;・・・三江線なども津軽鉄道やえちぜん鉄道を大いに参考にするべきだと考えますがいかが?」とのコメントをいただきました。あれこれとコメント返信文を作成しておりましたが、長文になりましたので本文投稿とさせていただきます。
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教えて下さい!
私は三江線を盛り立てようと心に決めて、4月に三江線応援ツアーに申し込んだものです。
この機会にジパング倶楽部なる秘密結社に加入して初めて利用するのですが、切符の買い方が分かりません。どなたかご親切な方、教えて頂けませんか?
実は、自販機以外で切符を買うのは卒業以来初めてです。九州均一周遊券や北海道均一周遊券の買い方は知っていますが、それとは少し違うようなので戸惑っています。
行程は
京都→(赤穂線経由)→福山→塩町→三次→江津→倉吉→(智頭鉄道線経由)→上郡→京都で、倉吉→京都は特急スーパーはくとを利用します。
乗車券は智頭鉄道線区間を引いたJR線は連続乗車として計算してくれるそうです。
その上で説明書を読むと、「片道、往復、連続で201km以上」となっています。
そこで質問です。
単純に京都→京都で乗車券を買った場合、全行程から智頭鉄道線区間56.1kmを引いた距離の乗車料金になるのか?と言うことです。かつて利用した時は一筆書きで書ける範囲が一枚、行きと帰りで重なる範囲が一枚、となっていましたが、もしそれと同じなら京都からルートを逆算して201km地点で前半と後半にわけなければなりません(具体的に言えば京都→湖山、湖山→京都+智頭鉄道線)。それとも重なっても良くなって京都→京都で買えるのかを教えて下さい。
今ひとつ
福山までは赤穂線経由で行きますが、山陽本線経由でも途中下車しなければ安い方で計算してもいいのでしょうか?
割引方法がややこしくなったわりに割引率が悪くなっていることに驚きながらおたずねします。
よろしくお願い致します。
RMライブラリー 200号を見て
NEKO PUBLISHINGから毎月出版されている「RM LIBRARY」を1巻から欠かさず定期購読していますが、この度200巻記念号として「日本の展望客車(上)」が手元に届きました。本誌には今までにもクローバー会先輩諸氏がすばらしい記事、写真を何度も上梓され 各号とも質の高い専門誌として愛読者も多いことと思います。また今回の200号をすでに手にされた方もあろうかと思います。
河口湖行き優等車両使用快速列車
Tsurukame様の宿題です。新宿と富士急行の河口湖の間を往復するJRの優等列車利用の快速列車は「ホリデー快速富士山1・2号」と「山梨富士3・4号」です。前者は189系6連、後者も同様でありますが、一部千葉発もあり、E257系-500番台や485系ニューなのはな等が充当されることもあるようです。源流は東京・新宿ルートと小山ルートの二つがあるようです。撮影する中央線は地元でありますが、八王子市も市域面積が大きく、多摩市に近い拙宅から高尾方向は1時間近くかかります。逆に富士急行線は中央高速道路を利用するとそれほど遠くない印象です。また、これらの土・休日に運転される臨時快速列車は午前中に走行されるのでほぼ逆光線の状態になり、私の好きな順光ばっちりの状態にはなりませんので下手な写真がさらに下手になり申し訳ありません。場所も有名撮影地ばかりです。
東京・新宿ルートは2003年にそれまでの「ぶらり河口湖号」が「ホリデー快速河口湖号」となりましたがさらに2013年7月より富士山の世界遺産登録に伴い「ホリデー快速富士山号」と変更されました。
2011.1.16 豊田-八王子間浅川橋梁を行く風林火山装飾の下り8571M下り「ホリデー快速河口湖1号」189-507M50編成 ▼ 続きを読む
伊賀電鉄デハニ1
遠州鉄道は日本一の中小民鉄!
老人は1986年6月まで冬眠生活を19年間していたが、吉谷先輩の遺言で元に戻った。先の大井川鐡道に拘ったのは、頑張る中小電鉄の一例として白井さんの情熱に惚れたのであった。その行きかえりを利して浜松に途中下車、「行き帰りの駄賃は遠州」としたのは車窓から眺めていた車両や施設の大変貌によるものであった。社会人となってからは舘山寺温泉での業界出張で、合い間を縫って赤い電車に乗っただけであった。車庫は西鹿島に移動、貨物扱いはなく都市近郊型に全てが変貌していた。車庫で若い社員の方と話す機会があったが、「車両や線路の近代化に目途がついたので続いて信号を始めとする通信関係です。無人電車が走りだすかもしれませんよ?」と、2人で大笑いとなった一幕もあった。それから20年あまり経つが、開業以来の中古客車は107号のみ、依然として良き伝統を守っている日本最優秀電鉄である、と思っている。
今時の普通列車は結構速い
毎度あの話、この話で恐縮です。
本年1月末に厳冬の津軽海峡線の撮影(デジ青[68036]2016年2月4日「今冬の撮影」)で青森駅から行動を共にした逗子のTさんは「今日は朝一番の新幹線に乗り八戸で青い森鉄道に乗り換えて青森まで来た。青い森鉄道は速いなー。」と言っておられた。私も彼も古い人間で昔の客車列車と比べれば電車は速いはずと思いその場は聞き流した。後で念のため調べてみたらTさんご乗車の青い森鉄道八戸8時58分発快速は青森までの96kmを1時間26分で走破して10時24分に到着する。表定速度は67km/hである。青い森鉄道の同区間の普通列車でも大体1時間半前後で走り結構速い。新幹線開業により併行する在来線を第三セクター化する例が多くなり、青春18切符愛好者の行動範囲が徐々に狭められているが、第三セクタ-区間は優等列車の待避等もほとんどなくなりJR時代よりもスピードアップや増発して地域奉仕するのは当然と思われる。待避が少なくなったということは第三セクタ-化していない東海道本線も同様で、デジ青[52148]2014年10月6日「青春18忍耐区間」で青春切符利用の普通列車は153系時代の急行「六甲」や「いこま」より時間がかかるが何回も乗り換える割には健闘していることを述べた。関西、中京地区の新快速の寄与も大きい。
あの日から5年 ≪鉄道版 その2≫
3・11の撮影記録を続けます。運命の時刻が近づいてきますが、実際は何も知らずに、いつもと変わらない時間が過ぎていきました。
▲13:17 京都 先ほど京都総合運転所の横を通った際に目撃した489系H1編成が、京都発能生行き9087Mとして京都駅0番ホームに到着する。前年の2010年3月改正で急行「能登」の不定期化により、489系ボンネットは定期運用がなくなり、廃車も進んでいた。残っていたのは、このH1編成のみで、首都圏、関西圏への臨時列車や、時おり定期特急の代走をこなしていた。本日の臨時列車の乗客は、修学旅行の高校生、京都旅行を終えて、北陸方面へ帰るところ、ただ席が埋まっているのは3両ほどで、あとは空席、ずいぶん贅沢な修学旅行電車だった。
第6回写真展『鉄路輝く』 web版をアップしました
第6回鉄道写真展『鉄路輝く』が、担当の青信号特派員さんを始め、DRFC・OB会役員、現役の同志社生並びに多くの会員諸氏のご協力により開催され、盛況裏に終了しました、昨年10月30日~11月15日までの17日間、場所は同志社大学寒梅館の地下ギャラリーでした。
OB会クローバー会メンバーによる、『フリーテーマ』および『わが現役時代』の90数点と、現役生『鉄道同好会』メンバーの作品30点。合わせて120点近くの作品展示は壮観でした。
完成が遅くなりましたが、それらを再現すべくweb版が完成しました。ご覧ください。
【閲覧の方法】
このページの上部、ブルーグリーンの帯上、『写真展』をクリックしてください。写真展のTOPページに移動します。第6回写真展ボタンを、さらに表示画面の Start をクリックすれば、『フリーテーマ』にジャンプできます。画面のサブテーマ『わが現役時代』でサブテーマに、『鉄道同好会』で現役生作品頁に移動します。TOPボタンでトップ頁に、HOMEボタンでこの掲示板に戻ります。また、各ボタンで第1~5回並びにEVE展等、過去の写真展もご覧いただけます。
なお、第3回以降は自動スライドショーです。お手を止めてご覧下さい。
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