西村さん、どですかでんさん、お礼です。

相も変わらず記憶などいい加減な私に、撮影場所や日時まで教えて下さってありがとうございます。早速写真を引っ張り出してみました。まちがいなくその三名の写った写真がありました。許可を頂ければ掲載します。乗った車はキハ20ではなくキハ28か58の二連です。
以下はその時に撮った写真です。

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part2 函館市電、ササラ電車を追う

DSC_9179100▲ 21:29 函館駅前電停です。夜になっても雪は降り続きした。今日はササラ電車に運良く巡り会えましたので幸先良いスタートとなりました。明日も雪が降って欲しいと願いました。

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同じく倉吉線

どですかでん氏の倉吉線がアップされた。確か須磨老人も倉吉線には1963年8月に行っている。しばらく土日なしの残業続きで、いい顔をしない係長に、ここ1か月以上休んでいないと捨てゼリフ?を残し、強引に旅立った記憶がある。ネガカバーの日付では姫新線、芸備線、木次線倉吉線、若桜線と撮影を続け、8月11~15日休んだことが分かる。

木次線、若桜線はずっと以前にアップした記憶があるが、今回のどですかでん氏に触発され、倉吉線のみご笑覧頂くことにする。この線の終点山守は無人駅で、DCしか行かなかったはず。車掌が手を伸ばしているのは、車内の忘れものを女学生に教えているのである。関金まではキハ07(トルコン装備で総括制禦)とキハ20の併結で、勿論07の扉は手動だが、20の扉操作のため、キハ20に乗務していた。

倉吉線C11逆行混合列車1963.8.14a
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一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅

 津山から三次へ、そして関金駅で撮った写真です。この倉吉線はすでに廃線になっています。当時は倉吉-関金間でC11牽引の客レが走っていました。終点は山守ですが、機関車の付け替えができないので、客レは関金駅の折り返しです。昼下がりの関金駅で改札口の向うにあるC11を撮っていると・・・・

S-MN関金駅001

シャッターを押すと同時にオジサンが走り抜けて行きました。当時はデジカメでないので現像しないとどのような写真になっているかわかりません。現像をして画像を見ると、ご覧のとおりです。 ホットしたのですが、それよりもドンピシャのタイミングでシャッターを押していたのでびっくりポン。なんという偶然なのか。1974年(昭和49年)3月15日のことでした。

一枚の写真から  どっこいしょ、ちょっとひと休み  国鉄津山駅

 西村さんの『「行商列車」を読んで』の投稿を見て、思い出したのがこの一枚の写真です。 S-MN津山駅001 1974年3月13日に国鉄津山駅で撮った写真です。ちょっとだけ入換用のDE10が写っています。3番線には気動車が出発待ちです。真ん中に大きな荷物を背負ったおばさんが立っています。あれあれ、よく見るとゴミ箱に背負っている大きな荷物をちょっとのせています。列車が来るまで、少しでも楽をしたいのでしょうか。3番線の列車は拡大して見ると行き先サボは鳥取という文字が見えます。因美線を通って鳥取に行くようです。そうすると岡山方面の列車を待っていたのでしょうか。ところで、この写真の次に写っているのは三江南線0番線ホームです。我々は津山から姫新線、芸備線で三次へ行ったのかどうかよくわかりません。(この時はK君と一緒に中国山地ブラブラをしていたのです。)ひょっとしたら三次で泊まったかもしれません。そうしないと三江南線には乗れなかったのです。まさか、岡山経由で福塩線か芸備線なのか、そんなアホなことはしていないと思いますが。姫新線、芸備線に乗った可能性が高いのです。そうするとこの行商をしていると思われるおばさんは姫新線の列車を待っていたのでしょうか。とにかく、津山から三次へ行ったのは間違いないのです。

 ところで、ホームの向うに制服姿の人だかりがあります。これも拡大してよく見ると国鉄職員の人だかりのようです。ひょっとしたら転勤のお見送り。頃は3月13日です。そして、雪が降っていました。まもなく、この写真から42年になります。

 津山から三次へ、そして三江南線の写真の次は倉吉線の関金駅が写っています。どんな旅程なのかさっぱりわかりません。どうも中国山地を鉄道でブラブラしていたようです。そんなことができた時代でした。

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part1

DSC_8849036▲ 15:35 青柳町~宝来町 新雪を吹き飛ばしながらササラ(排形)電車が走ります。降雪のあった早朝に走るとは聞いていましたがこんな真昼間に、着いたばかりなのに走っているのを撮影できるとは感激でした。
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富士急行モハ5000型

年甲斐も無く、風邪を引いてしまいました。諸兄もお気を付け下さい。

今回は富士急行電鉄です。といっても私には全く縁のない鉄道で、昔東京時代に同僚が大月の出身で遊びに行った時に駅で見たぐらいしか覚えがありません。最近テレビの旅番組で紹介されたのを見ました。
こんな113系のような電車を作っていたとは・・・
富士急モハ5000型_NEW

「行商列車」を読んで

2015-7-24 wakuhiro氏の62142「代走鮮魚列車」を見るまでは近鉄にこのような専用列車が走っていることを知りませんでした。つい最近になって山本志乃著「行商列車 カンカン部隊を追いかけて」という本に出くわし、一気に読みました。

表紙

表紙

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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔1〕

博多駅前

“つい最近”と思っていた出来事なのに、改めて思い返すと数十年も経っていたことに愕然とすることがあります。これも加齢現象のひとつでしょうか。少し前に九州を駆け足で回りましたが、そう言えば、西鉄福岡市内線が昭和54年に全廃にになってから37年、北九州市内線でも最終区間が平成12年に廃止になってから16年になることを改めて知りました。いずれも廃止前には、ほぼ全線を歩いて写しており、時代の隔たりを感じるとともに、感慨深いものを覚えました。「一人で今昔対比ができるのは高齢者のみである」は、準特急さんの至言ですが、生き永らえて地道に趣味活動を続けてきた者の特権として、福岡、北九州での今昔対比を試みようと、久しぶりに両市の中心部を歩いてみました。

60210 021sy_R博多駅前の西鉄福岡市内線、背後に見える博多駅は、昭和38年に完成した第3代目で、それまでの博多駅は別のところにあり、手狭になったため、移転・新設された。路面電車も同時に移設・延長された。駅は、ビル全体を博多ステーションビルと言い、百貨店の井筒屋がキーテナントとして入店していた(昭和51年8月)。

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関三平先生から当会への手紙

先日の関先生からのお便りに会長はじめ会員の皆様からいろいろなコメントが投稿されましたので、再度ハガキをお送りさせて頂きました。それに対して再度お返事を頂きましたので皆様にご覧いただきます。なお、ご住所や電話番号等は割愛しておりますのでご了承下さい。
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三江線の次は・・・

年頭から三江線関連の新聞記事を3回ご紹介してきました。中国新聞の「中国山地」シリーズは第3部として中山間地域の公共交通問題が採り上げられていますので ご紹介します。7段組みの記事のためA4サイズに収まらないので2分割しました。

平成28年2月17日 中国新聞朝刊1面

平成28年2月17日 中国新聞朝刊1面

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列車への乗り方を知らない中学生の話は少しショックでした。この連載記事はこれからも適宜ご紹介してゆきます。

 雨のなか 最後の青ガエルを見送る

年が開けて一ヵ月半、少しは自分の時間も持て、小旅行もできるようになりました。こんな時、熊本電鉄の“青ガエル”こと5101Aファイナル運転の報を聞き付け、久しぶりの九州入りとなりました。
かつては福島交通、長野電鉄、松本電鉄、上田交通、岳南鉄道でも、第二の人生を送っていた東急5000系ですが、現役として稼動していたのは熊本電鉄5101Aのみとなりました。両運転台化改造され、数年前に東急時代のグリーン一色に復刻されると注目を集めるようになりました。東京メトロから置換用として入線した01系が増備され、2月14日の運転・展示を最後に引退することになりました。
syo60212 363上熊本線と言われる上熊本~北熊本間3.4キロで、「青ガエル引退イベント」として1、2月の休日を中心に5101Aが終日運転された。訪れた2月13日は、青ガエルに相応しい土砂降りの雨、坪井川公園付近の築堤でズクズクになって写した。

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福井見聞録 2016年冬 Part4 えちぜん鉄道、雪景色を求めてⅡ

DSC_8656046▲ 14:09 福井口で、勝山永平寺線から三国芦原線へと乗り換えられるアテンダントさん、電車が発車して2両目が通り過ぎるまでの長い間、深々とお礼のお辞儀で見送られます。

2度の重大事故で一旦は廃線となった鉄道を新たにえちぜん鉄道として再生した、救世主と言わせる評判のアテンダントさんのおもてなしの心、ここにありのシーンです。しかし、えちぜん鉄道利用客の観光客比率は約1割程度で殆どは沿線地元住民です。”今日もご乗車ありがとうございました。引き続きのご利用をお待ちしております。”のお礼でもあります。

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福井見聞録 2016年冬 Part3 えちぜん鉄道、雪景色を求めてⅠ

DSC_8512025▲ 昨夜就寝前に外を見ましたら白いものが舞っていました。ひょっとしたら今日は白い朝になるのではと期待していました。6時前に起床、カーテンを開けて窓の外を見ましたが残念ながら濡れた路面が見えるだけです。雨に変わったようでした。

7:04 福井駅前、朝焼けがわずかに残る中、静かに発車を待つ急行越前武生行きです。 続きを読む

福山マラソンと鞆鉄道

来る2月21日に第35回ふくやまマラソンが開催されます。今回は福山市市制施行100周年の記念大会でもあり、かつての名ランナー宗兄弟をゲストランナーに迎えるなど 福山市も力を入れているようです。そのためもあるのか、今日の中国新聞朝刊1面のコラムに鞆鉄道が登場したので驚きました。

平成28年2月13日 中国新聞朝刊

平成28年2月13日 中国新聞朝刊

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福井見聞録 2016年冬 Part2 えちぜん鉄道、北陸新幹線高架を走る

DSC_8331085▲ 北陸新幹線高架に仮設された軌道を新福井から福井に向かう列車。わずか800mとはいえ新幹線の高架橋に別の電車が走るとは阪急に続いて2度目の歴史的な出来事です。阪急が約8ケ月だったのに比べて今回は約3年間と長きになる予定です。

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 「多摩川をめぐる鉄道風景」

吹雪をモノともせず、数キロも歩いて敢然と雪中撮影に挑まれる準特急さんは、そのいっぽうで、自らの足跡を趣味誌に寄稿されています。そのひとつが、「レイル」に掲載されている各地の河川を渡る鉄道橋の歴史・現況のレポートで、同誌82号では、高校時代までの居住地に近い武庫川を、tsurukameさんらの写真とともに紹介されています。続いて同誌では、別の寄稿者によって高梁川、紀ノ川が発表され、「レイル」の独自企画として育ちつつあります。そして、このたび発売された97号では、その提唱者たる準特急さんが、再び筆とカメラを持って、いま居住されている近くの多摩川を発表されました。
015syかつて川は、ヒトとモノを運んだ。いま、ヒトとモノは、その川を渡る鉄道によって運ばれる。縦糸と横糸を組み合わせた、たいへん興味深いこの企画、これぞ、鉄道趣味者らしい研究成果と言える。少し前の号では武庫川、今回は多摩川と、東西を代表する川を紹介できるのも、各地を転々とされた?準特急さんらしい成果だ。

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関さんの昭和の電車にあやかる

元会長より、同年輩の関さんに失礼のないように新聞掲載稿に対応するように命じられた。先日の「あやかりたい」とした真意は、日本の鉄道界は電車時代になった喜びを共にするためでした。今回、元会長から老人に与えられたテーマは、阪急2800型と国鉄117系の比較をするようにとの提案であったが、今も現役車が残っているので遠慮させて頂きたい。ふと思ったのがデジ青2014年5月12日付きで掲載された遠州鉄道モハ1型の話だ。須磨の大人が珍しや日本の電車を紹介しているが、車庫事務所でお邪魔虫となった老人が聞いてきたことで、デジ青【47254】の後追いする事にさせていただきたい。

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