遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part14 帰路

04_Map1_100いよいよ帰路となりました。今日はボスニア・ヘルツェゴビナのトゥズラのホテルから陸路をセルビアのベオグラードへ、ここで飛行機に搭乗してドーハ経由にて帰国します。ただドーハに着くのは深夜で空港に一泊、翌日の午前便で羽田に向かいますがここでも深夜着で空港近くの平和島温泉に宿泊しての帰宅となります。何と2泊3日もかかります。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part13 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その9 バノヴィチ炭鉱

DSC_6892021▲午前18時24分今回最後の撮影は最初の日に訪れたバノヴィチ炭鉱鉄道のヤードでの2回目の夜撮です。83-158号機と前回(25-30号機)と違って55-99号機が用意され、55-99号機は1段上の路線に停められました。
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台湾の旅2016<前編>

1月8日~13日まで台湾に行ってまいりました。鉄道関係のイベントはないのですが、この時期特に南部は天候が安定し、丁度過ごしやすい気温で我々老体とっては行動しやすいため、ここ数年同じ時期に訪台しています。今回の第一の目的は昨年ぶんしゅう様がレポートされていた高雄のトラムが昨年12月25日より一般乗車できる試乗会が始まったとのことで、この乗車、台湾鉄道で取り残していた部分に乗車し、完乗する。また、今回台湾通のブギウギさんとデカンショ祭り号さんが太麻里に行かれるということで、御一緒して初めての太麻里を案内していただきました。

桃園空港に到着するとまず、バスで高鉄桃園へ、バスは頻発していて、15分ほどで高鉄桃園に到着します。桃園空港では空港アクセスのための捷運が建設中で台北-桃園空港-高鉄桃園-環北間が昨年末に開通との報道がありましたが、延期され、現在では3月末の予定で、一部の話では7月になるのではと言われています。高鉄桃園から乗車、10分あまりで高鉄新竹に到着しました。新竹は新幹線開通当時、台鉄との接続がなかったのですが、2011年に従来の内湾線を改良し、内湾線竹中駅から六家駅まで3.1kmを新設して高鉄新竹と台鉄新竹が接続されました。
IMG_4450k▲竹中駅より高鉄側を見る。後に見えるのが高鉄の高架で六家を発車した列車は高鉄に並行して走り、右に90度曲がって竹中の駅に到着します。 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part12 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その8 Rudnik Šikulje炭鉱

DSC_6679021▲ 33-503号機33-504号機が重連で牽引する重量運炭列車です。撮りたいと願っていた列車ですが、最後の日に用意されていました。
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撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(4)

6.廃線跡・武田尾駅今昔
廃線跡を歩き、武田尾駅跡に到着しました。2014、2013両年の台風と大雨でこの付近の武庫川と僧川(ぼうさんがわ)が大きな被害に遭いました。今その大改修が行われていて、4、5年前まで元の駅舎付近にあった店屋、建物がすべて無くなり、面影が一変しました。
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撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(3)

5.生瀬-武田尾間(3)
もうすぐ武田尾です。
▼長尾山第二トンネル 1899年1月竣工、全長149mの直線。延長工事はない。
生瀬方杭門周辺は野石乱積み、内部の側壁部、アーチ部は共にレンガ積み。トンネル前に付近の土砂が流込み、道床が高さ10cmほど埋まった。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part11 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その7

DSCN3744_100朝1番で着いたのは昨夜、夜撮を行った留置・検査場です。33-504号機はここで一泊したようで、留め置かれていました。昨夜降った雨がヤードにも水たまりを作り、黒い車体を写していました。
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お引き取り頂ける方はいらっしゃいませんか

湯口も相応の年齢に達し、余命を片手で数えることになり、身辺の整理が必要になりました。ついては本の整理から始めますが、手始めに次のものをお引き取り下さいませんでしょうか。勿論無償ですが、年金生活=かなり生活困窮中ですので「宅急便着払い」でお願いしたいのです。

ネコ社2004~2007年刊、寺田祐一著『消えた轍1~4』1=北海道、2=東北・関東、3=甲信越・東海・北陸、4=近畿・中国・四国・九州

同2010~2011年刊、寺田祐一著『新・消えた轍1~10』1=北海道、2=北海道・北東北、3=東北、4=関東、5=上信越、6=中部、7=北陸、8=近畿、9=中国、10=九州・四国

以上14冊ひとまとめでお願いしたいのですが。

もう1件は交通公社時刻表で、A4版になった最初の1967年から1978年までの各10月号。この12冊もひとまとめでお引き取り下さる方はいらっしゃいませんか。やはり「着払い」でお願いします。

 京都市電 余話 その4

市電蹴上線の痕跡を見る

前項で紹介した岡崎地域に、現在は鉄道は走っていない(地下鉄は、地域をかすめるように走ってはいるが)。しかし鉄道遺産と呼べるものがいくつか残っている。昨年夏にクローバー会の行事として、炎天下を全員で歩き通した京阪京津線の開業時の廃線跡もその一つ(遺構と呼べるものは無かったが)、そして平安神宮の神苑にはN電も保存公開されている。
058syさらに戦前まで岡崎地域を走っていたのが市電蹴上線で、その名残りとして、今でも架線柱跡が見られるのは、あまり知られていない。蹴上交差点から、仁王門通りに沿う琵琶湖疏水のインクラインの擁壁に、コンクリート製の台座が4基が見られる。これが、市電蹴上線の架線柱の台座の跡だ。市電蹴上線は昭和20年2月に廃止され、レール・架線柱などは、延長工事中の梅津線(右京区)に転用するために撤去されたが、台座のみが残された。
さて、蹴上線の由来だが、京都電鉄木屋町・鴨東線が、内国勧業博覧会への乗客輸送を目的に明治28年4月に開業している。木屋町通、二条通、冷泉通を経て、蹴上水利事務所前(南禅寺前)まで開通、のち明治40年に蹴上まで延長している。大正7年、市営電車が京電を買収、この鴨東線も市営に編入された。市では、大正15年、仁王門通(東山仁王門)~岡崎円勝寺町、約200mを新たに敷設、その際に、岡崎円勝寺町以西の京電路線を廃止、岡崎円勝寺町以東、終点の蹴上までは、広軌に改軌して、市電蹴上線とした。しかし、蹴上線は、前記のように、昭和20年2月に不要不急路線として休止となり、資材は延長工事中の梅津線に転用された。
琵琶湖疏水インクラインで保存されている台車の前に、1基目の台座跡がある
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part10 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その6

DSC_6363003今日は真っ直ぐにホテルへ帰ることなく発電所横の側線にあるヤードでの夜撮です。33-504号機が回送されてきて、ライトアップされました。

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 京都市電 余話 その3

岡崎公園にも京都市電

少し旧聞になったが、昨年12月に京都市左京区の岡崎公園内に、京都市電1800形1860号を改装した観光案内所「岡崎・市電コンシェルジュ」がオープンしたので、本日、午後から見学に行って来た。岡崎地域には、文化・芸術施設や寺社など観光地が集積しているが、今まで観光案内所がなく、情報発信ができていなかった。市電の案内所では、観光客に多くの施設を巡ってもらうためモデルコースなどを提示して、地域内の周遊性を高めようと言うもの。
152sy陽が落ちて、車内灯が洩れると、なかなかのムードになってくる。同志社前あたりで、御所をバックに発車待ちをしているようにも見えてくる。

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part9 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その5 Banovici駅

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▲ Banovici駅で迎えてくれたのは、1948年製の19-12号機です。思いっきり爆煙を吐いてくれました。Class33と違って煙室扉はお椀形でハンドルも付いています。この方がしまった顔に見えます。

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 京都市電 余話 その2

稲荷線の開業年の謎
前回(その1)で、新聞社とのやり取りで議論になったことがある。市電稲荷線(勧進橋~稲荷)の開業年が二通りあると言う。鉄道線の開業年は、創設年や廃止年は、明確に記されており、原稿作成に当たっても複数の資料から裏付けを取るようにしているが、その後の新規開業や短区間の開業などについては、私自身もあまり意識せずに、原稿作成でも漫然と書籍・雑誌から転載しているだけだった。とくに稲荷線は、京都電鉄から市営に継承された路線だけに、京都電鉄時代の原資料はほとんどなく、勢い二次資料、三次資料を頼らざるを得ない。
IMG_20160115_0003記事掲載に当たって、新聞社も手持ち資料を当たってみたが、開業年に答えが見出せず、試しに、私も手持ちの資料を調べて見たが、確かに違う。 ひとつは明治37(1904)年8月4日
さらに、明治38(1905)年8月4日もある。
月日は合致している。年だけが、一年だけ違うが、気にはなってくる。

 

伏見・稲荷線の廃止に当たって、交通局では廃止パンフを大量に配布した。当局が廃止のパンフ゜を作成したのも、これが最後だった。これには、明治38年と記載されているが

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part8 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その4

DSC_6086052石炭満載の運炭列車をチャーターしてのフォトラン開始です。牽引機は約6,000両も製造されたDR52形の33-504号機、正面の煙室扉が平面で真ん中にハンドル設置がないので美しさに欠けますが、戦時設計とあれば仕方ないですね。力強さでは負けません。よく現役で生き残ったものです。
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 京都市電 余話 その1

遅まきながら今年初めての投稿となりました。またもや京都市電ネタから始めることにしました。話は、昨年末の一本の電話から始まります。

稲荷線にあった踏切の協力者を探る

その電話主は、地元の新聞社からだった。新春の紙面で、昭和時代を生きてきた市井の人たちのその後を追ったシリーズ企画があり、市電伏見・稲荷線の廃止時のお別れ式で表彰された民間人3組みのうちの一人を探している、と言うものだった。その人は、15年に渡って稲荷線の踏切の遮断機を守り続けていたと言う。極めて局所的な問い掛けで、ほとんど記憶になかったものの、確かに伏見・稲荷線の最終日、昭和45年3月31日の深夜、京都駅前で、当時の京都市長、交通局長も列席して、お別れ式が行なわれたことは覚えているし、私も居合わせて写真も撮っている。かすかな記憶をたどっていくと、当時の新聞の切り抜きと、乙訓老人からもらった交通局の「軌道事業略史」に手掛かりが見つかった。これにより、「遮断機がクルマなどで破損するたびに無料修理を15年間引き受けてきた」こと、そして、踏切は「師団踏切」であることが分かった。
IMG_20160114_0008sy        ▲「あの日の京都へ Back to 1970」の記事 (クリックして拡大)

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part7 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その3 Lukavac駅

DSC_5904025▲ 9:45 DosoiTuzlaのハイライト、現役蒸気機関車と現役腕木式信号機のコラボです。
Class 33型(DR 52)大型蒸気機関車は、約6,000両も製造された名機です。門デフの元祖ヴィッテ式デフレクターを装着していますが、こちらはドームを包むようにカーブしています。この列車、前から撮っていますので分かりませんが33-504号機+33-503号機の重連です。

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ついに登場 三江線乗車ツアー

廃止が取り沙汰され 急に注目されているJR三江線ですが、三江線乗車を前面に押し出したツアーの広告を初めて見ました。今日の中国新聞朝刊です。広島発着の日帰りツアーで、AコースからFコースまでの6パターンがあります。驚いたのはA,Bコースは貸切列車で全線を乗り通すプランだという点です。最少催行人数は20名、最大40名ですから 貸切列車はキハの単行でしょう。2月20日のAコースは江津から三次への下り列車、3月27日のBコースは三次から江津への上り列車です。いずれの貸切列車も片道運行であり片道は回送するのか等 どのような運用になるのか興味深いところです。Aコースは早朝の422D江津行きに回送車を併結、Bコースは423D三次行きに回送車を併結するのかもしれませんね。

H28-1-12 中国新聞朝刊

H28-1-12 中国新聞朝刊

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新聞・雑誌等のスキャン投稿のご案内

デジ青ご投稿者の皆様方、いつも貴重な記事の投稿をいただきましてありがとうございます。
ただ、新聞・雑誌等の印刷物を投稿される際にご苦労されているのが多いように見受けられます。折角の記事ですので読み手側からみて見やすい基本的な投稿方法についてご案内させていただきます。

【例・新聞記事】
① 適当な新聞を用意しました。これはデジカメで撮った画像です。
DSCN4380_100▲ 撮った元の写真は300pixel/incの解像度です。コンデジで撮ったこの写真のサイズは4608×3456KB、5.6MBもありますので大きすぎてHPにはアップロードできません。画像ソフトを使ってサイズを横420㎜に、解像度は72pixel/incに指定して縮小して保存時には200300KBに圧縮しています。私の場合、画像ソフトはプロデザイナーの多くが使うAdobe社の廉価版ソフト、Photshop Elementsを使っていますが、他の画像ソフトでも問題ありません。
この画像をソフトを使って加工・現像処理するのも方法の1つですが、ご覧のとおり歪んでいますので今回はスキャナーを使ってより見やすくします。
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撮影地今昔 生瀬・道場間(1)に寄せて

tsurukame氏の廃線跡レポートを拝見して思い出した記事をご紹介します。1968年(昭和43年)11月発行の「鉄道模型趣味 No.245」に掲載された坂本衛氏著「忽川の工臨」という記事です。廃線跡レポートの起点である生瀬駅と一つ手前の宝塚駅の間にあった忽川貨物駅の現地レポート記事です。      最近では砂利を敷かないスラブ軌道という方式もありますが、線路には砂利がつきもので、各地に砂利採り線や砂利積込み設備がありました。川砂利採取が禁止され、砂利採り線は姿を消し、採石場に隣接した砂利積込み設備も殆ど見ることはできなくなりました。この記事は当時各地で見られた光景や工臨列車を詳しく記録された貴重な記事だと思っています。坂本氏や機芸出版社には無断で恐縮ながら、全文をご紹介することに致します。

TMS No.245から引用

TMS No.245から引用

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ミャンマーで広電 走り始める

平成27年7月に広電からミャンマーに輸出された 旧西鉄福岡市内線の電車がヤンゴンで走り始めたそうです。塗装は現地で塗り替えられています。

平成28年1月11日 中国新聞朝刊

港湾地域のワーダン貨物駅への引込線を電化した路線だそうで、決して輸送人員が多い路線ではないようです。むしろ初めての電車の運行や保守を訓練するためのようにも思えます。今回ミャンマー入りした電車は 昭和30年代後半の製造年であり 丁寧に使われてきたとは言え半世紀も前の電車です。同時に現地入りしている旧大阪市電1801型も然りです。どうしてこんな古い電車をと思いますが、いきなり最新式の何億円もする電車は買えないでしょうから、まずは釣掛け式の電車を勉強することから始めるのでしょう。ひょっとしたら京都市電1900型も海を渡るかもしれませんね。そうなれば 「ヤンゴンで京都市電に乗ろう」ツアーを考えねば!