撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(2)

4.廃線跡・生瀬-武田尾間(2)
廃線跡を武田尾目指して北上します。
map02▼溝滝尾トンネル 1899年1月竣工、1961年落石防護のため生瀬方8mと武田尾方3.4m延長、全長150m、1986年廃止。
生瀬方杭門、北山第二トンネル杭門同様コンクリート製の味気ない姿。
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撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(1)

1.はじめに
健康第一、並びに足腰の弱りを先延ばしにするべく、歩くことに力をいれ始めて5年が経ちました。この間の歩行距離は稚内から鹿児島まで日本列島の背骨を通る距離に達したようですが、もう少し続けねばならないようです。

なんとなく歩くには、面白くないし長続きしませんので、カメラ片手に風景やら何やらを撮りながらです。山手幹線を尼崎から三宮までとか、国道2号線を梅新から下関(計画のみ、実際は西宮えびす迄)とかですが、都会の風景は兎角面白味がない。そこで近所の庄下川や神埼川を河口から源流まで遡上することにし、写真ブログに掲載を続けました。

次は武庫川です。2013年11月河口から西宮市生瀬まで10回くらいに分けて遡上しました。で行き止まりました。生瀬から先は道路が川から遠く離れ、通るとなれば福知山線廃線跡しかありません。その内に行こうが1年経ち、漸く2015年12月に通過、現在は三田市相野まで遡上しています。

2.福知山線廃線跡通過
1986年に廃止されて、現存する廃線跡を通過するなら、少量ですが半世紀前の画像と今昔対比です。これらの画像は、準特急さんが企画し発刊された、レイルNo.82『武庫川を巡る鉄道風景』に掲載されており、重複するものもありますがその他の画像をも含めて対比します。

『対比』、『今昔』ですが、廃線になってしまい線路そのものがありませんので、【昔】の列車走行風景と【今】に残る建造物などを6回に分けて紹介します。また第3回、武田尾近くで、筆者登場の現地からの映像報告もあります。

3..廃線跡・生瀬-武田尾間(1)
▼❶現・生瀬駅 ❷現在線の高架下から、その北側に旧線の橋台跡が見られ、その先国道176号線・西宝橋南詰め角を曲がると、❸すぐに、水路を跨ぐ橋。手前・整層切石積みが旧線、奥・コンクリート製が現在線 ❹城山トンネル、62.7m、1899年建設。封鎖されて通行できない。次の当田トンネルも封鎖されていて通行できない。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part6 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その2

DSC_5669008降りしきる雨の中、標準軌とナローゲージとの路線が混在するバノヴィチ駅ヤードで19-12号機82-119号機が揃っての並走シーンを見せてくれました。チャーターするからこそできるシーンです。
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阪急2800系

2800が登場したのは大学に入った年でした。
高三の昨年、四条河原町延長工事が完成して、大宮から河原町まで特急が京都の中心部を文字通り貫通したのでした。明るい近代的な河原町駅に2800系の特急と、2300系の急行が止まっている様は梅田駅にもまけない堂々たる駅で満足したのを思い出します。
阪急2800_NEW

見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー 第二次申込み受付開始!

見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアーにつきましては、10名の皆様方の参加申込みをいただきました。大変ありがとうございます。
12月30日に第一次申込みを締め切りましたが、、まだ若干の受け入れが可能です。第二次だからと言って宴会の献立が減ったり、お酒が燗冷ましになったり、部屋が布団部屋になったりといった差別は決して行いませんのでご安心してお申込みください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

【 ツアー行程概要】
旅行日 2016年4月2日(土)~3日(日)
・集合場所・時間 三次駅 三江線ホーム16:56発の列車、ホテルへ直行も可
・基本行程  4月2日(土曜日) 三次16:56⇒18:19潮 着後旅館に直行、宴会
     4月3日(日曜日) 各自自由行動

(潮駅周辺は桜並木が続き、旅館付近で6時台1本、7時台2本の撮影が可能です)
・参加費用 13,000円を予定 (お酒を飲まない方は10,000円)
・宿泊ホテル 潮温泉 大和荘 http://daiwasou.jp/

詳細は、こちらからご覧いただけます。
https://drfc-ob.com/wp/archives/66276

※ 集合時間については、まだ時刻表が公表されていませんので多少変更する事もあります。

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part5 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その1

DSC_5471006▲ 「容姿の事を言わないでください。齢はとりましたがまだまだ若い者に負けず元気一杯に石炭満載の重量運炭列車を牽引します。」と言っていますClass62-111号機です。
Class62は元々アメリカ生まれで、第2次世界大戦の米国陸軍輸送隊(USATC)で使用されたClass-S100を基本設計としています。62-111号機は、Đuro Đaković of Slavonski Brodで製造されたC形タンクです。
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中国地方から謹賀新年

中国新聞 H28-1-5朝刊

昨年末は広島ツアーに各地からお集まり頂き、ありがとうございました。今春には 公式行事ではないにせよ三江線の旅も計画されています。今年も引き続き中国地方の話題を提供してゆこうと思っていますので、よろしくお願い致します。中国新聞は元旦の1面トップに過疎化が進む中国山地のルポ記事を大きく掲載し、毎日連載されています。5日朝刊には三江線の記事が載りましたのでご紹介します。昨年10月にJR西日本が広島・島根両県に対して三江線の廃止検討を通告して以来、三江線問題が大きくクローズアップされています。JRは廃止を決定したわけではないと弁明しつつも、沿線地元では廃止ありきの動きと受け止められています。

三江線ツアーは桜の見頃の4月上旬を予定されているようですが、3月26日にJR西のダイヤ改正がありますので、このダイヤ改正によって更なる減便などがなければ良いがと思っているところです。

高齢化、過疎化が進む沿線の実態を考えれば小手先の対策では存続は難しいのは周知の事実でしょう。「地方創生」などとうわべだけのきれいごとでは解決しない問題が山積していることを改めて感じる年頭です。

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part4 バノヴィチ炭鉱鉄道 その3

DSC_5407055▲ 今日は前回2014年2月に訪問した時に撮れなかったナロー760㎜ボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道でチャーター列車を仕立てての乗り鉄、撮り鉄を楽しみ最後は夜撮です。
バノヴィチ炭鉱鉄道 は、露天鉱の積込場から標準軌に積替えるまでの間、1947年に開業された10.6㌔の路線です。公式HPはこちらです。
【DATA】 NIKON800E ズーム48㎜、F8、6秒、ISO100

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part3 バノヴィチ炭鉱鉄道 その2

DSCN3389077▲ 12:10 昼食はボスニア風お好み焼き(サンドイッチかも・・)屋に入りましたが迎えてくださったのは目鼻立ちのはっきり整ったボスビア美人のお姉さんです。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part2 バノヴィチ炭鉱鉄道 その1

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仕業前の点検を行う1949年生まれĐuro Đaković製の83-158号機と、1948年生まれČKD Praha製の25-30号機は、760㎜のボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道(Banovic coal-mine railway)を毎日走る現役蒸気機関車です。83-158号機はナローゲージでは珍しいD形テンダー付き、1968年から1969年のユーゴスラビア前には全土に15路線1,559㌔もの760㎜ボスニアゲージの鉄道網が張り巡らされて多くのClass83形機が走行していました。25-30号機はC形タンクです。ニュースソースはこちらです。 続きを読む

2016年 謹賀新年

2016年賀_200ぶんしゅうは乗り鉄、撮り鉄が大好きな鉄ちゃんです。年々少なくなってきた希少の蒸気機関車やトラムを求めて世界各地へと飛び回ります。今年も海外からの報告が多くなると思いますがよろしくお願い申し上げます。

加太始発列車-1966年7月

デジ青読者の皆様、新年おめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

大晦日発、青信号特派員さんの『初の加太行き』を拝見しました。記事に加太始発列車の話題が出てきました。これに即座に応じるのが加太会員とばかりに早速用意しました。ただご覧の通り、雨の早朝とは言え、かなり下手くそな写真です。新年早々ご辛抱下さい。

特派員さんご想像の通り、亀山からD51のバック・プルで加太に到着。駅上りホームの西側に入線、客車を解放後、駅南のポイントから、上り本線を通り、亀山 方向に向かい、駅北のポイントでバックして、再び客車最後尾(加太に来る時)に連結すると言う段取りでした。駅員2名が信号手を努めていました。1966年7月24日でした。

▼機D51841【竜】駅南側ポイントから上り本線を順行、ホームを通過して北側のポイントに向かうところ
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 50年前の撮影地を歩く -8-

新しい年を迎えるというのに、古典ネタで恐縮です。アルパムを繰っていたところ、ちょうど50年前の昭和40年12月31日、加太へ初めて撮影に行ったことが分かりました。高校1年の時でした。その時の思い出で、今年を締めくくることにしました。

初の加太行き

列車で加太を通過したのは、記憶に残る限りでは、小学校の伊勢への修学旅行が初だった。京都の小学校の定番列車である“鳥羽快速”に乗って、草津、柘植を通り、加太を通過したはずだが、まるで覚えがなく、車内で撮った写真から乗ったのは背ずりが板張りのオハ61系だったことが分かるのみだ。時代が下って、昭和40年、「鉄道ファン」の撮影地ガイドに加太が載った。京都から数時間のところに、D51の咆哮が鈴鹿の峯にとどろいて…というフレーズを何度も読んで、イメージを膨らませたものだ。
加太行きを決意させた、もうひとつの理由がある。初めて一眼レフを手にしたのだ。ペンタプリズムのカメラは、憧れだった。それを持つだけで、上手い写真が撮れそうな気がした。機種は思い切ってニコンF、とも考えたが、家庭の経済環境も考慮して、アサヒペンタックスSVとなった。3万5千円ぐらいだったと記憶している。ところが、このアサヒペンタックスSV、露出計は内臓されておらず、軍艦部に取り付ける外付け露出計を買うことになる。そのため、一眼レフを特徴づける軍艦部が無愛想な露出計で隠れてしまい、カッコから入った私にとってはガッカリだった。
横道にそれたが、撮影地ガイドと、一眼レフを携えて、大晦日の加太行きとなった。うっすらと雪の積もった、寒い一日だった。
151229 009sy_R二十回近く通うことになる加太だが、蒸機廃止直前と違ったのは、特急が走っていたことだ。名古屋~東和歌山を一往復する「あすか」で、昭和40年3月改正で、紀勢本線の特急「くろしお」と同時に生まれた。この当時、準急「かすが」ですら区間短縮されていた時代で、特急需要など最初から見込みはなく、キハ80系が和歌山機関区に配置されたことで、その間合い利用を兼ねての運転だった。そのため、運転経路も名古屋~東和歌山となり、久宝寺からは阪和貨物線を経由して阪和線で東和歌山へ向かった。奈良を中心としたビジネス需要を狙った時間帯の設定ではあったが、乗車率は極端に低かった。改正半年後には、食堂車の営業休止、自由席などの合理化が図られたが、好転はしなかった。結局、わずか2年半走っただけで、昭和42年10月改正で廃止されてしまう。私も最終日は奈良駅で撮ったものの、走行中を撮ったのはこの一枚だけだった。

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part1 旅立ち

DSCN3185023 DSCN3182022今回の旅で驚かせられたのはカタール航空乗継でのドーハ空港のシャトルバスです。
飛行機は遅れて大急ぎでしたが、まさかこんな走る応接間のような豪華なバスに乗って飛行機に搭乗するとは思いませんでした。
さすが中東でもトップクラスの産油国、超金持ち国家の空港サービスの1つです。おみそれしました。
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勝手にPR また写真展やってます -2-

IMG_20151225_0003_Rちょっと懐かしめの写真、市電・国鉄・京阪・京福・叡電を約100点展示します

今年もあとわずか、忙しい時期に恐縮ですが、自分勝手に新春のイベントを紹介させてもらいます。別記のように、京都駅前にある京都タワーホテル8・9階で、1月1日~3日限定で開かれる写真展です。テーマは「昭和時代の京都」で、もう辟易されるかも知れませんが京都市電、ホテルの立地柄として国鉄時代の京都駅および京都駅前、そしてホテル系列の関係会社として京阪・京福・叡電、以上の3分野で展示します。私だけの写真では十分なことは望めず、足りない部分は、クローバー会内外の諸先輩の写真もお借りして、何とか構成することができました。もちろん、単独の催事ではなく、ホテルの新春イベントの一環で、当該ホテルらしく、京都一高い展望台からの初詣や、雑煮食べ放題など、新年ならではの催事の余興としての開催です。
IMG_20151225_0002来場者のターゲットは、二世代、三世代の家族連れですので、専門的にならず、ひと目で“昭和”と分かる平易な写真でありながらも、企画・構成者として、こだわりの写真も選定したつもりですが、いかがでしょうか。また系列化の鉄道三社からは出展ブースもあり、ヘッドマークなどが展示されますが、京都市電は私のほうで系統板を集めたり、京都市電のDVD上映、また停留場標識のミニサイズ展示なども行ない、会場に花を添えることにしました。これらは、私自身には実績もノウハウもなく、さまざまな方から理解・協力をいただくことができました。
ただ有料の催事で、それも決して安くはない料金のため、決して見学を強要するものではありません。今年最後の活動報告の例としてのご連絡に留めておきます。     イベント全体のチラシ

江若模型いよいよ発売

先日のホームカミングデー集会の折に西村さんが話されていた江若鉄道キニ9、キハ14のNゲージ模型がいよいよ明日発売されます。今朝の当地地方版に大きく掲載されていましたのでご報告します。この模型は西村さん監修の元、江若交通が発売するもので、キニ9の流線型の前面など、なかなかよい雰囲気が出ています。また、塗装色も記憶どおりのもの、廃止されるころよく通った者にとってはなんともたまりません。

明日は先行販売と言うことで関西では江若交通本社のみでの発売、関東では横浜の京急百貨店で発売されます。1月16日の発売では京阪百貨店守口店、京阪本線主要駅、江若交通本社、営業所などで発売される他、京阪カードの通信販売サイト「e-kenetマーケット」での購入も可能です。
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都電荒川線に新車登場

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8901と8902の並び/(H27-10-18) 荒川車庫

秋から冬にかけて都電の新車8900形が4両(8901~8904)登場した。
平成21年から22年にかけて登場した8800形(8801~8810)に比べると、スッキリとした直線的で、中々感じの良いスタイルである。
性能的には60kwの主電動機×2、WNドライブ、IGBT-VVVFインバータ制御と8800形と変わらない。
オレンジ色の8901、8902が9月18日より、ブルーの8903、8904がそれぞれ12月8日と9日から営業運転に就いている。
また、来年早々にもローズレッドの8905、8906、イエローの8907、8908が登場する予定である。
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生き残った田園鉄道は弘南鉄道

三山電鉄紹介後、間をおいて山形県電鉄訪問記を果たし肩の荷が下りたようだ。1959年東北旅行はこれよりバックオーライで青森県に移ろう。福島、山形から仙台を経て北上が一気に十和田に跳んだ結果、林檎の国での電車訪問記となった。理由は後で明かすとして、ノート中心に「急電101号」、ピク誌「私鉄車両めぐり」を脇に置いて話を続けよう。

弘前には9月21日、盛岡16時03分発DC準急「八甲田」で20時42分到着となった。弘南鉄道には、昭和17年3月南海電鉄に併合された加太電鉄の車両が譲渡されていると奥野師匠に教えられ、どんな電車が走っているのか楽しみであった。翌朝、国鉄弘前駅の跨線橋を下りると木造客車改造の制御車を連結した編成が停車中であった。平賀車庫で書類や図面を閲覧している間に晴天はどこへやら、暗い画像もありで申し訳ない。撮り損なった車両は高松で見つけた同型車で補うことにさせて頂く。弘南鉄道は昭和2年9月7日、弘前~津軽尾上間を蒸機牽引で開業した。昭和23年7月1日に電化(DC600V)された。さらに路線延長を進め、黒石まで延びたのは1951年7月1日、これが現在の営業路線となっている。その後、架線電圧は昭和29年4月1日に750Vに昇圧された。

京都から追いかけてきた甲斐あり、加太電車はこれ!

京都から追いかけてきた甲斐あり、加太電車はこれ!

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