今時の普通列車は結構速い

毎度あの話、この話で恐縮です。
本年1月末に厳冬の津軽海峡線の撮影(デジ青[68036]2016年2月4日「今冬の撮影」)で青森駅から行動を共にした逗子のTさんは「今日は朝一番の新幹線に乗り八戸で青い森鉄道に乗り換えて青森まで来た。青い森鉄道は速いなー。」と言っておられた。私も彼も古い人間で昔の客車列車と比べれば電車は速いはずと思いその場は聞き流した。後で念のため調べてみたらTさんご乗車の青い森鉄道八戸8時58分発快速は青森までの96kmを1時間26分で走破して10時24分に到着する。表定速度は67km/hである。青い森鉄道の同区間の普通列車でも大体1時間半前後で走り結構速い。新幹線開業により併行する在来線を第三セクター化する例が多くなり、青春18切符愛好者の行動範囲が徐々に狭められているが、第三セクタ-区間は優等列車の待避等もほとんどなくなりJR時代よりもスピードアップや増発して地域奉仕するのは当然と思われる。待避が少なくなったということは第三セクタ-化していない東海道本線も同様で、デジ青[52148]2014年10月6日「青春18忍耐区間」で青春切符利用の普通列車は153系時代の急行「六甲」や「いこま」より時間がかかるが何回も乗り換える割には健闘していることを述べた。関西、中京地区の新快速の寄与も大きい。

2015.11.14 青森駅 青い森鉄道572M八戸行き 青い森クハ700-3 ▼s-15.11.14青森572Mクハ700-3

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 あの日から5年 ≪鉄道版 その2≫

3・11の撮影記録を続けます。運命の時刻が近づいてきますが、実際は何も知らずに、いつもと変わらない時間が過ぎていきました。
syo110311_088▲13:17 京都 先ほど京都総合運転所の横を通った際に目撃した489系H1編成が、京都発能生行き9087Mとして京都駅0番ホームに到着する。前年の2010年3月改正で急行「能登」の不定期化により、489系ボンネットは定期運用がなくなり、廃車も進んでいた。残っていたのは、このH1編成のみで、首都圏、関西圏への臨時列車や、時おり定期特急の代走をこなしていた。本日の臨時列車の乗客は、修学旅行の高校生、京都旅行を終えて、北陸方面へ帰るところ、ただ席が埋まっているのは3両ほどで、あとは空席、ずいぶん贅沢な修学旅行電車だった。

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第6回写真展『鉄路輝く』 web版をアップしました

第6回鉄道写真展『鉄路輝く』が、担当の青信号特派員さんを始め、DRFC・OB会役員、現役の同志社生並びに多くの会員諸氏のご協力により開催され、盛況裏に終了しました、昨年10月30日~11月15日までの17日間、場所は同志社大学寒梅館の地下ギャラリーでした。

OB会クローバー会メンバーによる、『フリーテーマ』および『わが現役時代』の90数点と、現役生『鉄道同好会』メンバーの作品30点。合わせて120点近くの作品展示は壮観でした。
完成が遅くなりましたが、それらを再現すべくweb版が完成しました。ご覧ください。
600【閲覧の方法】
このページの上部、ブルーグリーンの帯上、『写真展』をクリックしてください。写真展のTOPページに移動します。第6回写真展ボタンを、さらに表示画面の Start をクリックすれば、『フリーテーマ』にジャンプできます。画面のサブテーマ『わが現役時代』でサブテーマに、『鉄道同好会』で現役生作品頁に移動します。TOPボタンでトップ頁に、HOMEボタンでこの掲示板に戻ります。また、各ボタンで第1~5回並びにEVE展等、過去の写真展もご覧いただけます。
なお、第3回以降は自動スライドショーです。お手を止めてご覧下さい。
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忽川の工臨に寄せて

2016年1月、生瀬-武田尾の福知山線廃線跡を投稿した時、西村さんが宝塚-生瀬間のTMS記事『忽川の工臨』を紹介されました。その時『まだ残っていますよ。通りがかりに撮ってきます』から時間が大分経ちましたが、最近西宮名塩に寄った帰りに撮ってきました。
▼武庫川を跨ぐ生瀬橋上から、国道176号線の武庫川橋梁と福知山線越しにホッパーを眺めました。山手にあったサイロや諸設備は撤去され、撤去し難いコンクリート製の構造物らしき遺物が山手に見えます。
603111

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 びわ湖大津館で鉄道写真展・模型運転会

大津館チラシ (3)会員の皆さんへはメールでご連絡していますが、本日11日(金)から、大津市柳が崎の「びわ湖大津館」で「湖西を走った昭和の鉄道写真展」が開催されています。
主催されているのは、滋賀鉄道模型愛好会(STMC)の皆さん、以前、スカイプラザ浜大津で行われた、江若鉄道模型運転会では、共同で模型運転会を行ない、クローバー会との友好関係が続いており、今回は、見学を中心とした支援をしようとなりました。「びわ湖大津館」と言えば、西村雅幸さんの江若鉄道の浜大津ジオラマが永久保存されていることは、ご承知のとおりですが、今回、西村さんは、江若車両を広島から持参して、レイアウト上を自走させます。また、昨年の大津市歴史博物館で開催された「思い出の江若鉄道」に展示された私の写真も展示していただけるそうです。

会員の皆さんへは、すでに連絡済みですが、あす12日(土)には、見学会も行います。どうぞ、期間中にお越しいただきますよう、ご案内します。

▲ STMC制作のポスター、びわ湖大津館へは湖西線大津京駅下車

5年前のあの時のこと

 総本家青信号特派員さんが「あの日から5年≪鉄道版その1≫」を見て、ハットしました。5年前のあの時はまだ富山で仕事をしていました。ちょうど、ダイヤ改正前で富山でも高山線のキハ58+キハ28の最終運行となるということで、前日の10日と最終日の11日に撮影をすることにしました。19時台に富山発越中八尾行きがあるので、それを撮影することにしたのですが、夜であることと仕事帰りに車で行って撮れる場所として速星駅にしました。近くにファボーレというショッピングセンターがあり、ここの駐車場に車を停め、ついでに買い物をして帰るという算段でした。(いつも買い物に行くので買い物のついでに写真を撮りに行ったといってもいいかもしれません。)

3月10日の速星駅-1

 ヘッドマークを付けたキハ58+キハ28が到着して乗客が降りて行きました。
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福知山線道場界隈の記録に寄せて

haya11福知山線廃線跡記事の続々編、道場近くの今昔です。準特急さんの写真のお陰で随分はっきりしました。

【昔】右写真:撮影準特急さん、第五武庫川橋梁を行く723列車。直ぐ奥の道路橋は当時の地図になく不詳です。
【今】下写真:岩はそのまま、橋台跡と思われるコンクリート部分が残っています。川中に橋台は残っていません。
IMG_7118 続きを読む

68190の続編は遠州鉄道の規格型

太平洋戦争は日本の全面的な降伏で終わった。鉄道の復興で被害の大きかったものに車両も上げられた。当時の所管機関であった運輸省は、車両新造には独自の標準設計を決め許可制とした。これに基づいた車両の建造は少なかったが、制約を受けた割には鉄道会社の独自性に負うものがほとんどであった。復興資材が取り合いにならぬように国が認めた新造車の資材については責任を持って優先的に割り当てるということであったが、鉄道会社はそれぞれに動いた節もあるようだが、それには触れない。

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 あの日から5年 ≪ 鉄道版 その1 ≫

“あの日から5年”と言っても震災の記憶ではありません。あの日、2011年3月11日は、JRのダイヤ改正の前日でした。改正の目玉は九州新幹線の全線開業で、新大阪から鹿児島中央まで「みずほ」「さくら」が走り始めます。関西では、アーバン区間で、新快速の土日オール12連化・南草津の停車のほか、特急網では、「雷鳥」がなくなり、すべて「サンダーバード」化、山陰線・福知山線でも、愛称名統一で「北近畿」などがなくなり、車両も287系の新製投入、183系の撤退、381系の転属など、特急網にも大きな変化がありました。その日、“ネタ”列車も含めて、朝から京都・大阪で写し続けていました。5年たって記録を見返すと、ほとんどは現在では見られず、改めて5年の歳月を感じます。別の意味での3・11の記録として、記憶に残る一日を、朝から時系列で振り返ってみました。
syo110311_007▲8:37 京都 福知山行き「たんば1号」+東舞鶴行き「まいづる1号」が30番ホームに停車する。クハ183-851ほかのC33編成、新製された287系と交代するため、本日限りの183系だ。山陰本線の列車は、特急・普通とも、建物の下の薄暗い31~33番の山陰線ホームに停車するが、唯一この列車だけが「はるか」用の30番ホームから発車する。2番ホームから見ると、順光で、きれいな編成写真が撮れる。

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福知山線道場界隈の記録

Tsurukame様のデジ青2016年1月31日[67822]「撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(6)」に関してコメントを差し上げたところ「お前もその辺で撮ってるならいっぺん出せよ」と言われ慌ててネガを探しました。劣悪な記録ですが、ここに報告致します。

撮影は全て1965年4月3日で、宝塚を7時35分発の423Dで道場に向かい武田尾側に気の向くままに歩いて撮影した。最初の上り728列車はC5736でピンボケの失敗。続く下り「まつかぜ」もどうってことはない凡作。

①最初はDF50[米子]牽引下り723列車大阪発福知山行き。Tsurukame様の地図では道場駅に近い第五武庫川橋梁と思われる。(8時45分頃)▼

s-65.3.5道場730レ

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part9 津軽の白い野を撮る、帰路

DSC_9846_1004001 7:01 静寂の白い野をシャカシャカとロッドの音を響かせ行く黒いラッセル列車。カラーで撮っているのに関わらず、モノクロの世界しか残せませんでした。それが津軽の冬、みぞれまじりの氷雨降る中シャッターを切りました。雪飛ばしツアーでは1番気に入っている写真です。
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EF65に出くわしました

69043でKawanaka氏からEF65の紹介があり、EF65が今や絶滅危惧種になっていることを再認識しました。今日 鳥の写真撮影のために出かけたのですが、川の対岸を走るEF65に偶然出会いました。場所は山陽本線本郷・河内間で11:30頃です。空チキ6両を従えて上ってゆきました。番号は不明です。古いダイヤしか持ちあわせていないので、列車番号も定かではありませんが、工臨8866レなのでしょうか。1900生さん教えて下さい。

平成28年3月7日 山陽線本郷・河内間にて

平成28年3月7日 山陽線本郷・河内間にて

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part8 弘南鉄道の空雪ラッセル、津軽鉄道ストーブ列車

函館へ向かう飛行機では風雪・視界不良のため着陸不可能、伊丹新千歳に着陸地変更するかもとの案内がありました。雲間を抜けて何とか着いた函館では幸運に恵まれて日中にササラ電車に逢え、白い道行く函館市電も撮れました。順調と思われた旅が始まっていましたが、天候が急変して思わぬ雪解けになってしまいました。

青森ではそれでも5時起きで急行「はまなす」を撮影に行かれた方々もおられましたが、すっかり撮影意欲をそがれた私はホテルで朝食をとってから合流しました。向かうは弘南鉄道大鰐線です。
DSC_9635019
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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔5〕

 小倉・魚町

砂津で撮ったあと、小倉駅前へ戻ってきた。ふつう、大都市の駅前には路面電車の姿が欠かせないが、小倉駅前にはなく、300メートルほど離れた勝山通(国道199号)を通り過ぎるだけで、駅前に立ち寄ることはなかった。その後にできたモノレールも、今でこそ駅の内部まで乗り入れているが、開業当時は、この勝山通止まりで、徒歩連絡を強いられた。北九州線が駅前へ寄らなかった理由は、もともと合併する前の北九州5市の都市間の連絡が目的だったことと、以前の小倉駅は、現在とは違うところにあり、現在の小倉駅ができた当時、駅前はまだ未発達で、小倉の繁華街は、勝山通沿いにあったことに拠るのだろう。
60210 031sy北九州一の繁華街、銀天街と交差する「魚町」から西を見ている。バックの大きな建物は、井筒屋百貨店、ちょうど電光掲示は「さよなら電車展」の催事を案内している。北九州線の電車の塗装はよく変わったが、廃止前は、エンジに、前面に警戒色の黄の矢形と、暑苦しい色だった。

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吉野鉄道テハ1

子供の頃、父親がよく「大軌に乗って・・」とか「大鉄が・・・」と言っているのを聞いて、〈大阪にはややこしい電車があるのやな〉と思っていましたが今も変わりません。たしか参急もあったようですが吉野鉄道などというのまであるとは知りませんでした。いったい今の近鉄は何社が集まって出来ているのでしょうか?
吉野鉄道テハ1_NEW

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part7 青函トンネルを抜けて青森へ

第3日目 2月19日

6:00 旅に身体が慣れてきたようでしっかり睡眠で、スッキリと起きられました。まずは窓から外を見ますが、昨夜雪が降った様子はありません。続いてTVで朝の最新天気予報を見ますと、上空の暖気は座り続けて最高気温は5℃となり、道南・函館及び青森は雨になるとの予報です。大沼公園から北は雪予報で、同じ北海道でも道南は違うようです。

今日は普通列車に乗って雪飛ばしツアー集合地の青森へと向かいます。途中、木古内蟹田で乗換が必要ですので蟹田では下車して津軽線の撮影を予定していますが、天候次第では津軽線の乗り鉄旅も候補に入れました。
01_Map
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こんなところに能勢電(阪急)が

3月に入り 陽気に誘われて久しぶりに山に登ってみました。すると眼下に2両のマルーンが見えました。場所はMIHARA試験センターです。

1504+1554

1504+1554  パンタはたたんである

双眼鏡で確かめると左のMC車が1504、右のTC車が1554です。元阪急の2110と2159のようです。側面には大きく「MIHARA Liner」と書かれています。多分「MIHARA」は 単に三原の意味ではなく、「Multipurpose Integrated Highly-Advanced Railway Applications」 即ち「総合交通システム検証施設」を意味していると思われます。(苦しいこじつけの英語名ですが・・・)

それにしても どういう目的で能勢からここにやってきたのか よくわかりません。マルーンさん 教えて下さい。

EF65コネタ

KAWANAKAです。

最近の掲示板のコメントや巷の情報でEF65原色があと2両(1両?)とありました。そうなんですね。原色を追いかけておられる方もチャンスが減って大変と思います。炬燵猫なんかになっている場合ではなくなったと思慮します。さて、小生マターで恐縮ですが、どこかの経済学者のように減量のコミットしていないので相変わらず軸重を下げられていません。しかし、じっと炬燵猫では家族に叱られるので、段々と慣らし運転をするためにレールサイドに行く練習をすることにしました。大分痛みが軽減してきたということで、拙宅の土手を下った総武線に時々気が向いたらスクランブルして1発決めると帰還することにしました。

先月の19日、何か良い予感がして踏切に行くとお兄さんが一人。そこでの1枚をUPします。平日なのにご苦労さん。P1960063TM

本日3日も大変暖かいので、良い予感。13:50にスクランブル発進、レールサイドに13:55に待機しました。信号が青信号に変わりしばし待つこと3分。現れたのが19番。
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 佐竹さん 明日から「東北展」

佐竹保雄さんが東北地方の震災復興を願って、毎年3月を中心に開かれてきた「東北を旅して」展は、ことしで8回目を数えることになり、明日3月4日(金)から開催されます。

「東北を旅して」 その8
 3月4日(金)~11日(金)10~17時  5日(土)のみ21時まで開場
 ひとまち交流館京都 1階展示コーナー(京都市下京区河原町通五条下る)

今年は震災から5年目、そしてチェルノブイリ事故から30年となります。過去に佐竹さんが関わってこられた、さまざまな活動を振り返るとともに、もうひとつの柱として、佐竹さんが、昭和30、40年代に東北で撮られた鉄道写真が多数展示されます。さらに、三陸鉄道の現役運転士が撮られた「SL銀河」などの写真展示、そして、我がクローバー会有志も、ささやかではありますが写真協力しました。今回は、いつになく展示数が多そうで、本日、会場で準備に当たる精鋭メンバーも大いに張り切っています。

sysy60224 169_R「誰よりもたくさん東北へ行きました」と言われる佐竹さん、確かに預かったネガからは、初めて目にする珠玉の写真があふれていた。蒸機だけでなく、すべての鉄道車両をきっちり撮るのが佐竹流、写真は、仙山線作並駅に到着したED17+暖房車+客車、と言う模型のような編成。