6月7日【47699】「西武鉄道モハ241に寄せて」(https://drfc-ob.com/wp/archives/47699)で、昭和45年頃近江鉄道に在籍していた元西武の電車を紹介したが、同時期に在籍した他の電車を紹介する。 昭和45年4月1日の在籍車両は、編成単位では下記の通りである。
←貴生川
モハ1+クハ1213 モハ2+クハ1222 モハ3+クハ1220
モハ4+クハ1219 モハ5+クハ1221 モハ6+クハ1218
モハ7+クハ1205 クハ1206+モハ8 モハ9+クハ1208
クハ1214+モハ131 クハ1215+モハ132 モハ51+クハ1207
モハ52+クハ1212 モハ135+クハ1210
モハ201+サハ101+モハ202(サハ101は連結されないことが多かった)
モハ501+クハ1501
モハ136 モハ137(モハ136、137は単行及び増結用)
モユニ10
上記のうち、モハ7+クハ1205、クハ1206+モハ8、モハ9+クハ1208、モユニ10は元西武の車両で【47699】で解説済であるので、それ以外の車両について解説する。
撮影した車両は、直前、直後に廃車、増車された車両も含めているが、全車両撮影した訳ではないことをお断りしておく。
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福塩線開業100周年(その4)
福塩線開業100周年(その3)
福塩線開業100年(その2)
窓から写した駅・列車 -11-
ラッシュ時のローカル駅
ローカル線の旅客輸送を、今と昔を対比すると、昼の時間帯は、それほど乗客数に変化はないように思う。いつの時代も車内は空いていた。近年は編成の短縮化が進んでいるから、実感としては最近の方が混んでいるようにも見える。比較して極端なのは朝夕のラッシュ時だ。ローカル線に限れば、現在、ラッシュ時の乗客は高校生だけと断言しても言い過ぎではない。あれほどいた通勤客が今はごっそり消えてしまった。みんな自動車通勤に転移してしまったのか。車窓から見た交換列車の光景も、それを象徴している。
▲西鹿児島駅の夕方のラッシュ時、C61のラストナンバーC6133が牽く鹿児島発川内行き226列車が入線して来る。時刻は18時50分、ちょうど退け時とあって、ホームは通勤客であふれている。地方の県庁所在の駅であっても、現在ではまず見られない光景だ。この乗客のほとんどがクルマ通勤に切り替えたのだろうか。考えると、空恐ろしい気がする(昭和45年)。
2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part16 ハルツ狭軌鉄道 その2

▲ 交換待ちに蒸気機関車運転席を見ていると、お招きをいただきました。
外観はご覧のとおり、どの蒸気機関車も磨かれて黒光りする美しさですが、運転席内もこれでもかと磨き上げられています。ほとんどの機器が新品かと見間違うほどです。
床に落ちた石炭がらも放置されず清掃されてて、とても蒸気機関車の運転台とは思えません。
ここまでするには、毎日の整備にありったけの時間と手間をかけているのでしょうね。鉄道員、そして機関士としての誇り高いドイツ人気質に感服です。
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山陰本線・山口線復旧、C571故障、両備鉄道
一昨日に引き続いて またも中国新聞の受け売りで失礼します。まずは山陰線と山口線の運休区間が復旧、開通との吉報です。まず8月10日に山陰線が、8月23日に山口線が全通します。
三江線 続報
2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part15 ハルツ狭軌鉄道 その1
▲ 13:22 発車準備が出来たブロッケン行きの8935列車。8両の客車を牽引するは、HSBの主力機99-7234-0号機です。麓のヴェルニゲローデ(Wernigerode)から山頂のブロッケン( Brocken)までは約34キロ、30‰以上の勾配を上り、標高差891mの標高1,125mまで参ります。
まだ本格的なシーズンに入る前で月曜日の午後とあって乗客は少ないようですが、それでも親子連れや年配者がホームで蒸気機関車の見学をされていました。これから約2時間の山岳鉄道の旅が始まります。
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神戸有馬鉄道テン1号
窓から写した駅・列車 -10-
乗車列車を写す
車窓からの撮影は、駅風景や交換列車だけではない。乗車した列車の撮影もある。列車がカーブに差し掛かると、窓から身を乗り出して写す。編成全体が入るよう、編成の後部車両に陣取り、蒸機の場合は上り勾配も条件となる。
窓から撮った乗車列車で忘れられない写真がある。鉄道ピクトリアルの第8回写真コンクール特選の「朝を走る」という写真だ。朝の東北本線陸奥市川付近、朝陽を車体いっぱいに浴びて走り続ける急行「十和田」を車窓から写したもの。ただ、その撮られた撮影位置からすると、相当に身を乗り出さないことには撮れない、危険極まりない撮り方だ。あるいは、カメラを三脚に固定して窓から差し出したのか、それとも、地上から列車に接するようにして撮影したのか…。撮影方法は謎だったが、冬の朝の冷気までもが伝わる、印象的な写真だった。そんな窓から写した乗車列車の数々。
▲大畑ループを上る1121列車。1121列車とは、門司港発、鹿児島本線、肥薩線、吉都線経由で都城へ向かう普通夜行列車で、九州の撮影旅行には必須の列車だった。当時は、八代以南が蒸機牽引で、独特の夜行鈍行の雰囲気をよく持っていて、まさに撮るによし、乗るによしの列車だった。なかでも、肥薩線人吉~吉松間のヤマ線区間でちょうど朝を迎える。最高の煙、最高の光線(この写真は曇りだが)で、ループ線を越えて行く。昨今はこの付近、草木が成長し、見通しが利かなくなったと言う(昭和44年)。
2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part14 マンハイムからハルツ狭軌鉄道へ
▲ 今日はマンハイムから鉄路でハルツ狭軌鉄道に向かいます。ドイツ中央部に位置するハルツ地方は東西の壁のある時は東ドイツに属し、開発が遅れました。そのため運良く蒸気機関車運用が残り、現在は生活兼観光路線として保存されています。
マンハイムからはICEに乗ってDB本線のヒルデスハイムまで行き、ここで支線に乗換えてハルツ狭軌鉄道の起点、ヴェルニゲローチへと参ります。所要距離は約500キロ弱、所要時間は乗換時間を含みますと約5時間20分です。
第9日目 6月2日 その1
① マンハイム(Mannheim)7:32(ICE694)→10:39ヒルデスハイム(Hildesheim)
② ヒルデスハイム(Hildesheim)11:21(RE3607)→12:42ヴェルニゲローチ(Wemigerode)
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三江線開通と山陽鉄道企画展
中国地方からのニュースを2件。ひとつは昨年8月の集中豪雨で不通となっていた三江線江津ー浜原間が7月19日に約1年ぶりに復旧、開通予定とのうれしいニュースです。
もう1件は 山陽本線糸崎ー広島間が開業120年を迎えたことを記念して 三原市で「山陽鉄道ものがたり」と題した特別企画展が開催されるという件です。
奈良線ぶらぶら 青電車で上狛へGO!
総本家青信号特派員様が「活躍する103系」を投稿されたのを見て刺激され、以前から気になっていた奈良線も103系が走っているのでぶらぶらすることにしました。奈良線は学生時代に一度だけ写真を撮っただけで、写真もC58がタンク列車をバック運転しているものが2コマと単機回送が1コマの3コマしか撮っていません。それに京都へ行くときに電車から沿線の風景を眺めていると、いい感じのところが多くありそうと思っていました。まずは、車窓から見える立派な茅葺の民家があるところへ行ってみることにしました。地図で調べると上狛駅の近くでその民家は重要文化財の小林家住宅です。とにかく、行ってみることにしました。
窓から写した駅・列車 -9-
現在、信号場の数は、JRで約100ヵ所、私鉄で約60ヵ所と言われている。その分布を見ると、東北、北海道が多いようだ。それだけ輸送量の多さに比して単線区間が多いこと、駅を造るだけの沿線人口が希薄ということだろうか。今回は、その東北、北海道で、窓から写した信号場。
▲いくつかの信号場は、ホームを設けて旅客を扱うところもあった。北海道・東北地方に多かった。写真の羽越本線の女鹿信号場も、昭和37年の開設当時から旅客営業を行なっていたと言うが、時刻表の記載はなかった。北海道に多い、乗降場の類なのだろう。扉ひとつ分に対応した木造ホームも見えるが、信号場職員なのか、人影も見える。昭和62年、JR化に際して駅に昇格した(昭和46年)。
2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part13 ノイスタットからマンハイムへ
第8日目 6月1日 その2
5月25日にこちらへ来て翌日からの7日間にわたった〝ダンプスペクタクル2014″ 撮影も大成果で終わりました。ドイツの蒸気機関車については01型の名前ぐらいしか知りませんでしたが、同行させていただいた皆さんのおかげで少しは語れるようになりました。お世話になりましたO氏、Dukeさん、N田さんに御礼を言って、お別れです。これからは大津の86さんと合流して一緒にドイツに残る保存鉄道の乗り鉄、撮り鉄旅です。
▲ 18:35 ノイスタット駅まで送っていただき、マンハイムまでは一人旅です。一人で切符を買うのも初めてです。Dukeさんに教えてもらった通りに買おうと同じ場所の自動切符販売機に行こうと思ったら駅舎内はこの時間、既に閉鎖されていました。
オイオイ最初から試練かいと別の自動切符販売機を探して何とか切符(区間乗車券)をゲットしました。
切符は列車種別によって違っています。座って早く着けるとIC(インターシティ)を選びましたが、こんな時は遅れてくるものです22分乗車するのに、25分もの延着です。
安くもなく早くもなくになってしまい最初から”とほほ”です。切符は10・5€(約1,500円)でした。
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中央線211系初撮影
窓から写した駅・列車 -8-
信号場(1)
幹線の単線区間を旅していると、駅でもないところで、突然、列車の交換がある。信号場である。「もっぱら列車行き違い、または待ち合わせを行なうために使用する停車場」と定義されている。停車場は、駅、操車場、信号場に分類され、駅と同じ括りとなるが、駅を設置しても旅客が見込めない立地の場合、信号場の設置となる。人里離れたところに設置されることも多く、通常は乗り降りできないため、趣味的な興味は尽きない。
信号場の代表例は、単線区間における行き違いのためだが、複線区間で追い抜き専用の待避線を設けた信号場や、駅と駅の中間で線路が別方向へ分岐する地点、また単線から複線に変わる地点も信号場と呼ばれる(例外もあり)。運行形態の変化により、信号場の必要性がなくなり、改廃された例も多い。
▲日豊本線の南霧島信号場、霧島神宮~国分間に昭和41年に設置された。撮影当時は、まだ設置から間もないことが写真からも伺える。列車は、西鹿児島発門司港・広島行き「青島」、列車交換のためには構内は直線になっていることが望ましく、全体がカーブした信号場は珍しい。電化後の現在も活用されている(昭和45年)。
2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part12 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″ Dampfspektakel 第5日目最終日
活躍する103系 〔2〕
スカイブルーの103系が活躍する阪和線・羽衣線では、一時と比べると数を減らしているとは言え、103系、最大の活躍の場となっている。
その配置所が、吹田総合車両所日根野支所だ。以前の日根野電車区である。平成24年6月にJR西日本の車両検修体制の見直しで、日根野電車区から検査部門のみを継承して、現在の区所名になった。電車区時代にあった運転部門は、鳳電車区に移管したが、同区には配置車両はなく、日根野支所が一括して阪和線、羽衣線の103系の検査・保守を行なっている。
平成26年3月改正後の日根野支所の103系は、6両編成10本、4両編成8本、3両編成2本、保留車1両を加えた99両である。阪和線の103系は、昭和43年10月改正で関西初の103系として鳳電車区に配置された。以来、50年近くに渡って途絶えることなく、走り続けてるの阪和線だけで、最大時、昭和59年の300両だったが、いまは三分の一に減ってしまった。ほとんどは他区所からの転属だが、配置以来、阪和線を離れたことのない車両もいる。すべてスカイブルー(青22号)に塗られている。
以前は阪和線の快速運用にも使用されていたが、今年3月の改正で、103系は普通電車のみの運用となった。6両編成、4両編成が、早朝、深夜を除いて、鳳、熊取、日根野、和泉砂川行きの普通電車に運用されている。103系が山越えをして、和歌山まで顔を見せることはなくなった。また3両編成は羽衣線専用のワンマン仕様となっている。最近では、大阪環状線から転属した車両も多く、先頭クハ103は、800番台の高運転台の体質改善車が多く占めるようになった。最近、転属して来た205系とは、共通運用となっているが、205系の4両編成の一部のみは別の限定運用となっている。
▲阪和線撮影の定番、大和川を渡る和泉砂川行き、クハ103-256先頭のHK609編成。十数年ぶりに訪れた浅香駅ホームは、今でも撮りやすい撮影地だった。












