国鉄蒸機だけでは息切れしますので、私鉄に手を伸ばしました。今回は岡山臨港鉄道のディーゼル機関車102号機です。終戦間近の昭和19年に軍需工場の専用線として11月に着工したものの、終戦を迎え結局昭和22年2月に汽車会社の専用線として開通したのが岡山臨港鉄道のルーツです。昭和59年12月30日に廃止されました。廃止時点で5両のディーゼル機関車が在籍、江若から来たDD1352もその中の1両です。その5両のうち102号機が現在も良好な状態で保存されています。場所は岡山市南区海岸通2丁目の岡山臨港倉庫運輸の玄関先です。同社は車庫のあった南岡山で現在も盛業中の岡山臨港鉄道の後継会社です。
保存車両とその現役時代(協賛編)その2
今回は皆様おなじみのC575です。姫路市御立(みたち)交通公園に保存されています。姫路城の北西約4Km 夢前川畔にあり、子供たちが自転車などで走るコースになっていて 交差点や立体交差がある自動車教習所のミニ版のような公園でした。その公園の片隅にあるのですが、なぜか周辺の大木がすべて伐採されていて、撮影にはもってこいでしたが、公園の光景としては異様でした。
保存車両とその現役時代(協賛編)その1
準特急殿の「保存蒸機とその現役時代」を毎回楽しく拝見している一人です。保存の様子とその現役時代の両方を自ら撮影した車両は蒸機に限らず思いのほか無いもので、準特急殿の情報量に圧倒されております。今回クルマで京都まで走る機会があり、高速道路を走り続ける単調さがイヤなので、沿線の保存車両を調べておいて 立ち寄りながら往復しました。その結果 私にも準特急殿のマネができるネタができましたので ご紹介したいと思います。なお蒸機と限定してしまうと苦しいので あえて「保存車両」としました。まずはC11200です。場所は兵庫県たつの市中川原公園です。山陽道龍野インターを降りてすぐの便利な場所です。屋根の無い状態ながら非常に良い保存状態でした。
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part13 タクシマド(PG.Tasikumadu)製糖工場
第7日目 8月2日 その4 タクシマド製糖工場
17時過ぎにタクシマド製糖工場へと向かいます。途中の通り道は、眼下に町が見渡せる山岳を行くスカイラインに決まりましたが、買い物に出かけたアリフさんが中々戻ってきません。陽が沈んでしまう夕闇前には行きたいのですが・・・・。
ようやく戻ってきましたが、体調のすぐれない方のためにと忘れずにと頼んだ、ポカリスエットを買い忘れる始末にリーダーのO氏もしっかりしてくれと呆れ顔です。
O氏は何度もこの地を訪れておられた先輩から 『 インドネシアには、ゴム時間がある。気を付けるように。』と、教えられたそうですが、次の行動のための時間を考えていません。肝心な事が抜けてしまうのは本人の性格だと思いますが、時間の管理ができないのは、トラベルエージェントとしては問題です。
製造管理の総責任者でもあったリーダーのO氏は、その都度に厳格な時間管理を要求されます。我々同行者にとっては頼もしい限りで、これまでの行動にはその度にチェックを入れられて、アリフさんのミスを未然に防ぎ、救われました。経緯がどうであろうとも常に結果のみを追い求められる営業畑を歩いてきた私にとっては、経緯の時間の大切さも改めて知る機会でもありました。ただ顧客に接した時の集中力だけは磨きぬきましたので、鉄道写真撮影の際には大いに役立ちました。唯一誇れる社会生活での収穫だったのかも・・・。
チャーター車は夕暮れの中を走り出しました。タクシマド製糖工場へは2,000m超の山が立ちふさぎます。気温もぐんぐん冷えてきて車の窓をオープンにしていられません。急坂の続く曲がりくねったスカイウェーを登り切った所で降りました。標高は約1900mです。眼下に遠くの町の明かりを見ましたが、100万ドルの夜景には程遠く、これはジャワ島中央ですから仕方がないですね。
その代り、夜空に輝く星は素晴らしく、よく見えました。
広電 650型の話題
華やかな超低床車が続々投入される一方、旧型車が徐々に姿を消してゆく新旧交代は自然な流れです。ただ広電には「被爆電車」という特別な存在があり 650型は現在では数少ない被爆電車、歴史の生き証人として 大切に扱われている電車です。昭和17年木南車輛製の半鋼車で651から655の5両がいましたが、3両は廃車となり 現在では651,652の2両が71歳ながら現役で活躍しています。653は千田車庫内に留置、654は広島市交通科学館に保存、655の最期は存じません。654について中国新聞に記事が載ったので ご紹介します。平成25年9月8日朝刊です。
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part12 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場 訂正と追加
第7日目 8月2日 その4 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場 ※追加
Part12で投稿させていただきましたパゴッタン製糖工場のE型無火機関車につきまして、 「7号車の動輪部分です。ロッドは4軸のみに連結されていますが、5軸目は内部の歯車で伝達されています。」 と掲載しました。
しかしながら団長様より、『 ロッドがかかっているのは中央3軸だけではないでしょうか? 』とのご指摘のコメントを受けました。
確認しますと確かにご指摘のとおりです。メカについてよく分かっておらず、間違いがありましたこと申し訳なく、失礼をしました。ここに訂正させていただきます。
▲ 7号車の動輪部分です。ロッドにかかっているのは確かに中央3軸だけで、前後の2軸は内部で歯車によって伝達されています。小さな身体で重いローリーを牽引する製糖工場の機関車です。動輪は多くなります。そして急カーブの多い路線を走りますので、曲がりやすくするために、このような複雑な機能を持っているそうです。
間違いは、もう1つありました。
「 8号機を横から見たカットです。帰国後にTJさんからお聞きしましたが、この機関車たちはすべて無火機関車に改造されています。・・・・・・」と掲載しましたが、O氏より 『 ファイアレス(無火機関車)を指摘したのは、TJさんでなく、小生の先輩のKC氏です。彼は、小型ロコのマニアで昭和30年代に北海道の甜菜糖工場や南大東島のさとうきび工場にも行っておられます。
JAWAには30年以上も前から20回以上行かれています。その彼から、ファイアレスだよと指摘されたのです。それを、今回の参加者に伝えたのです。・・・・』 とのメールが参りました。又聞きだったようで、KC様、TJ様にも失礼いたしました。申し訳ございません。訂正させていただきます。
O氏からは、2009年に訪問された時に撮られた、まだ蒸気機関車だった頃の写真を送っていただいております。掲載了解もいただいておりますので、ご覧ください。
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part11 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場
【しまかぜ】次の日 Part2
先の稿では、四日市に戻って来たところでしたがここでは桑名まで移動し、三岐鉄道に乗車した内容になります。西桑名から阿下喜まで行き、長老の情報では阿下喜から三岐線までは連絡バスがあるとのことで、帰りは近鉄富田まで一周してこよう、ということになりました。
「一日乗り放題パス」(1000円)を求め、10:35発楚原行きに乗ります、先頭車は非冷房でしたが「かぶりつき」です。
楚原の駅からは約20分程度で「めがね橋」に着きます。ただ残念なことに木々がおおい茂り三つ眼は一つ眼になっていました。ただ一面のジャガイモ畑があり花の咲く時期を期待します。そろそろお腹も空いてきたのですが回りにはなにもなく長老が自販機で売っていた!というポッキーをいただきました。楚原からは12:51発で阿下喜に向かいます。保存車を眺めた後駅前のうどん・そば屋さんに入りました。
実はF氏が駅のチラシで見た「一日乗り放題パス持参の方、みたらし無料!」に釣られて入ったのですが「おたくらどこから来やはったん?」「この前来た人写真おいていかはった」と会話がはずみ、お姉さま方との記念撮影も実現しました。食事後は「いなべ市」の無料バス(BONGOタイプ)で伊勢治田まで移動です、当市は自動車関係の企業が多くあり色々と恵まれているようです。
“八重の桜”ゆかりの地を訪ねる 〈1〉
準特急さんからバトンを受けて、“八重の桜”京都編に入ります。大河ドラマ“八重の桜”も京都編が始まり、同志社人として、京都人として、目が離せません。
いまも関連する史跡が残っているのが、京都らしいところです。と言っても、単なる史跡訪問では、デジ青のテーマから外れてしまいます。
そこで、関連史跡が、かつての京都市電沿いにあることに着目し、無理やり京都市電とこじつけて、“八重の桜”ゆかりの史跡めぐりとしました。
女紅場跡
準特急さんも書かれているが、八重が京都で初めて仕事をしたのが「女紅場」だ。
その跡地は、現住所で言うと、京都市上京区河原町丸太町東入る駒之町にあり、この駒之町は、まさに私の生まれ育った町であり、小さい時から、それを示した石碑は日常風景の中にあった。
会津戦争を生き抜いた山本八重は、明治4年、兄・山本覚馬を頼って京都へ来て、女紅場で教官として働き始める。
女紅場とは、女子に英語や手芸を教える場であり、日本最初の高等女学校である。現在の鴨川に架かる丸太町橋の西畔に「女紅場址 本邦高等女学校之濫觴」の石碑が建っている。
もともと、この付近、御所に近いところから、幕末には、鴨川に沿って、九条、鷹司、近衛、有栖川と、公家の屋敷が連なっていた。女紅場は、東京遷都で空き家になった九条家の屋敷を利用して開設され、女紅場の門も、九条家の門がそのまま流用されたと言う。
▲丸太町橋のたもとに建つ「女紅場址」碑
▲女紅場跡の前を行く京都市電丸太町線、電車の右の架線柱の下に石碑があ。背後の建物は、もとの京都上電話局で、大正13年の建築。登録有形文化財に指定されている。電話事業を昭和30年代に終えてからは、通信技術資料館、電々公社の厚生施設となり、NTTになってからは、シーフードレストラン、スポーツクラブとなり、現在は地場のスーパーマーケットとなっている。時折、“文化財のスーパーマーケット”として、テレビでも紹介されている。
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 カニゴロ(PG KANIGORO)製糖工場
【しまかぜ】次の日
しまかぜ乗車はその豪華さ、乗り心地の良さに感動し素晴らしい体験ができました。世話役の皆様お疲れ様でした、本当にありがとうございました。さて【しまかぜ】次の日ですが、長老を筆頭にシルバー世代4名(長老、I氏、F氏、W)の乗車・撮影会となり、せっかく伊勢まで来たので「ナロー」に乗ろうということで近鉄内部・八王子線と三岐鉄道を選びました。朝8時にホテルを出発し近鉄四日市から出発です。
四日市8:25発で西日野に向かいます。西日野ではすぐに折り返し日永で撮影します。
この線の車両はカラフルで一両毎に色が違うかなと思えます。この後日永8:54の四日市行きを写していましたがちょうど幼稚園の通園時間らしく先生を先頭に「カルガモ」の親子が電車の前を横切って行く姿が撮影できましたが、私は手ブレでピンボケとなってしまいました。※幼稚園児でありWeb上で公開するのはこの理由も含めて遠慮します。この日は朝から雨で傘をさして電車(262)の前を横切る姿は本当に可愛かったです。ここでATSの車上子と地上子をみてください。地上子は線路の外側にあります。
この後は内部まで乗車し、近鉄のオリジナル車(I氏間違ってたら修正願います)を写して四日市へと戻りました。四日市からは近鉄5200で桑名に向かいます。しまかぜ当日も松阪から四日市までは5200でしたが名古屋線は5200が多いですね、今年の3月から大阪線でも多くなったように思います、全部で何編成なのか要確認です。ちなみに松阪から乗った急行の中で「車内検察」がありました。ICカードをどうするのか?と思っていましたが端末にかざすと乗車駅等が判るようです。IT技術は大したものですね。内部・八王子線はどんな目的で建設されたのかという話も出ていましたがナローでよく残っていると思います。近鉄も伊賀線や養老線は手放しましたがこの線はよく残していると思います。さて、この後の三岐は別稿とさせてください。
山陰線・山口線の復旧について
「しまかぜ」イベントは大盛況だったようで何よりです。今後一層現役生との交流が活発になることを期待します。ところで 毎度の新聞切り抜きで失礼します。平成25年9月7日の中国新聞朝刊からです。
両線あわせて150ケ所にのぼる被害からの復旧は容易ではないでしょうから 年内復旧を目標というのは無理からぬことでしょう。SLやまぐち号の部分運行はこれから検討のようですが、仮に新山口-地福間の運転としても、津和野以外にはターンテーブルはなかったと思いますから、片道はバック運転となります。しかしながら当節 連結解放、機回しはもとより長距離のバック運転なぞするはずはなく、後部にDD51をつないだプッシュプル運転での復活となることが予想されます。ともあれSL山口号はあとまわしにしても 生活路線としての1日でも早い復旧が望まれます。なお三江線のことに言及されていないのは気になるところです。
写真展「鉄路輝く」 公開中!
クローバー会が過去に行いました第1回から第4回までの写真展の全作品が、ホームページ上にアップされています。
トップページ「クローバー会」→「リンク」→「クローバー会写真展“鉄路輝く”」で見ることが出来ます。Tsurukameさんの寝食を忘れた作業のお蔭で、このたび、すべての写真をアップできました。ぜひご覧になって、写真展の感動に浸っていただければと思います。
こうしてみますと“壮観”の一語です。よくぞ、これだけ撮ったものと感心します。
われわれが“しまかぜ”で楽しんでいる間にも、作業を進めていただいたTsurukameさんには、改めて御礼を申し上げる次第です。
マルーンさん乗車の「伊勢志摩ライナー」
▲大阪難波行き「伊勢志摩ライナー」、6編成すべてが、18年ぶりのリニーアルを行い、うち3編成は、写真の“赤”塗装になった。
“しまかぜ”関連の話題をもうひとつ。
私のところに来たメールによると、かのマルーンさんは、伊勢神宮に参られたあと、宇治山田15時41分の「伊勢志摩ライナー」に乗って帰還されたと言います。列車が宮川鉄橋を渡るとき、撮影する鉄道同好会の一群を発見、手を振って、エールを送ったとのコメントがありました。
これがその、マルーンさんの乗られた「伊勢志摩ライナー」です。残念ながら、仔細に見ても、手を振るお顔は認めることができませんが、撮影の一群は、現役、OBともども、鉄道写真の話題で盛り上がりながら、楽しく撮影を終えました。
なお、宮川鉄橋は、小俣駅下車、徒歩5分で到着できます。午後は、バリ順となり、手すりが多少目障りですが、背景もよい撮影好適地です。
保存蒸機とその現役時代(12)
デジ青[37564]「保存蒸機とその現役時代(5)」2013年7月20日投稿の北海道神居古潭保存の3台の蒸機のうち29638とD516は現役時代の写真なしとお断りしたが、クモハ73106東ウラさんから「持ってるでー」との連絡をいただいた。クモハ73106東ウラさんとは飯田線クモハ52、東北本線ED71の撮影以来、ヨーロッパ、台湾、中国、インドネシア、タイ等ご一緒させていただいた。以前発表した「いすみ鉄道」や最近発表の「会津鉄道八重の桜」もクモハ73106東ウラさんの車運転による撮影である。ここに改めて2台の保存機の現役時代の写真と保存機とは直接関係はないが、神居古潭の新旧写真を発表する。
2013.7.2 神居古潭 一番手前に配列されている29638↓
名寄本線はこの時点で既にDC化されていたが、7月下旬から8月上旬にかけて海水浴臨時列車が運転されたことがある。その後保存機となった29638が客車列車を牽引してやってきた貴重なワンカットである。1969.7.27 上名寄 クモハ73106東ウラ氏撮影↓
2013.7.2 神居古潭 一番奥に配列保存のD516↓
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part9 チェプー(Cepu)森林鉄道
第7日目 8月2日 その1 チェプー(Cepu)森林鉄道
▲ 6:16、朝日が差し込みだしたチェプーの森の中、早起き一家が総出で、笑顔いっぱいの歓迎で迎えてくださいました。近くの子供たちも一緒です。今日も朝から元気をいただいてからの撮影開始です。ありがとうございました。
▲ 今日の午前中は、かつてインドネシアに分布する貴重なチーク材を運んだチェプー森林鉄道を初めて訪れます。レール幅は1067㎜の狭軌です。どんな蒸気機関車に出会えるか楽しみです。上の地図は今日の軌跡です。いつものようにO氏からご提供いただいたGPS地図を原本に作成しました。ご紹介させていただきます写真と合わせてご覧ください。
黄色の線が今回乗車しましたチェプー森林鉄道の路線図です。緑色の線は廃線になったようで、今回乗車できませんでしたが、Google地図で辿ってみました。機関区からの標高差は乗車できた終点までで約80m、路線距離は約15キロだろうと思われます。丸印の番号は降りて撮影したポイントです。
「しまかぜ」乗車報告
9月1日のDRFC現役・OB合同伊勢半日ツアーに参加させていただきました。
女房には日曜日は出かけるので昼飯はいらないよとだけ言っていて出かけたのですが、帰ってから「しまかぜ」で伊勢に行って来たと言うと、「“しまかぜ”って最近できた豪華な特急なんじゃないの?じゃあ私も行きたかった。」と鉄女とは全く無縁の女房も知っていたようで、知名度が高いことが伺えました。
各車両にはアテンダントさんが乗車しており、お出迎えを受けて乗り込むと、車内は落ち着いたクリーム色に、革張りの黄色いシートが3列並んで、まだ皮のにおいがぷんぷんしています。座席はもちろん電動リクライニングで腰の部分をマッサージしてくれるエアークッション機能までついていて、われわれの乗った5号車はこの3列シートが10列並び、1両の定員はわずか30人と贅沢なものです。通路扉上の液晶テレビでは沿線案内などの他に時折前面の走行カメラの映像が写され、前方の展望が楽しめます。大阪方3両目はグループ車両で、サロン席と個室があります。サロン席はヨーロッパのコンパートメント車両と同じような感じで、3人がけのシートはベンチ型で革張りではありませんが、個室は別料金取るだけあって洋風個室はソファータイプでゆったりとしているようです。
難波を発車してしばらくして隣のカフェ車両を覗きましたが、すでに1,2階とも満席で通路にも待つ人が並んでいたのであきらめて車内販売で我慢することにしました。車内販売は品揃えが多く、ビールなど次々と買い求める人があり(われわれのメンバーが主かもしれませんが)売り上げも多そうです。私もビールとつまみを頼みましたが、「伊勢の地ビールもありますよ。おいしいですよ」という商売上手な売り子さんに釣られてつい高いほうの地ビールなんぞを頼んでしまいました。
難波から宇治山田までは1時間40分、乗り心地も良く、この1時間40分の乗車時間が本当に短く感じられました。
当日帰宅して「しまかぜ」の空席状況見ると、1ヶ月先までほぼ満席、発売と同時に売り切れているようです。この人気の中、OB,現役約40名分の席を確保することに大変なご苦労されたことと思います。後になってしまいましたが、お世話いただいた方々に改めて御礼申し上げます。
創会55周年記念行事、大盛況で終わる
9月1日(日)の伊勢ツアーへ参加の皆様、大変お疲れ様でした。しまかぜ乗車、OB・現役生との交流、オプションツアーと盛り沢山の内容でしたがいかがでしたか。
しかし、当日は大いに盛り上がりましたね。鉄道を同じく好むもの同士の集まり、いやぁ、やっぱり良いものです。改めてDRFCへの入会が誇りだと思いました。乙訓の老人様が昨年、(懇談の機会をもったときに)「同志社大学鉄道同好会は鉄道趣味界のNo.1」と言われたの覚えています。もちろん私自身入会前からそれは思っていたのですが、今回の企画を通じて再確認できました。今後も交流の機会を作っていきたいですね。当日の皆さんの笑顔、今でも印象に残っています。
なお、今回の企画立案・実行に至る苦労話は今年の青信号70号に記載予定です。発刊の際はぜひご一読ください。また、今回は大仏鉄道研究会様からの寄稿も掲載予定です。質・量どちらも充実した青信号70号、よろしくお願いします。
さて、6月2日(日)の方へお申込みをされていて今回お越しになれなかった方々に申し訳ない気持ちで一杯です。ぜひ、今後の現役企画を楽しみにお待ちください。5年後には60周年記念行事が待っています。また、“しまかぜ”乗りにいきましょうか。その頃には京都駅から乗車できるかもしれません。
さいごに、本企画立案から多大なるご尽力を頂いた総本家青信号特派員様はじめ、OB会幹部の皆様に現役生を代表して改めて感謝申し上げます。
国鉄モハ30型
「八重の桜」号
NHK大河ドラマ「八重の桜」も新政府軍の猛攻撃により会津が降伏し、舞台は京都に移った。これからは同志社人としては目が離せないが、どういうストーリーになるのか楽しみでもあり、心配でもある。
ところで、昨年福島県内を車でまわった時に会津鉄道の車両を少しだけ撮ってみた。あとでその写真をよく見ると「八重の桜」のPRが車体にあった。大河ドラマで放映されるのを機会に地元に震災で減った観光客を呼び込もうとの試みである。また、東武鉄道に乗り入れの「AIZUマウントエクスプレス」の車両にも同じようなPRがあったので今夏再度撮影したものを含め「八重の桜」号を発表する。
2012.7.21 会津鉄道芦ノ牧温泉17:00 快速「AIZUマウントエクスプレス」鬼怒川温泉発会津若松行きAT601+AT651↓
2012.7.21 17:40 会津鉄道会津長野~養鱒公園 会津田島発会津若松行きAT551+AT501↓