2013年 春の中国鉄路の旅 Part19 北満一人旅 その3 東方紅での1日、そしてまた哈尔滨へ

第18・19日目 5月18日、19日
① 東方江 20:55(K7082次)→翌日11:34 哈尔滨(ハルピン)

② 哈尔滨 翌日22:58(K7023次)→翌々日9:02 綏芬河

今日は夜の列車で哈尔滨に戻り、また夜の绥芬河行きに乗車します。東方江と同じパターンでの夜行列車2連チャンです。貧乏だった学生時代はユースに泊まるお金もなく、夜行列車が常宿でした。その頃に戻った感があります。

今日は乗車までたっぷりと時間があります。朝に発着する列車と昨日時間が分からず撮れなかった貨物列車撮影をしたいと思っていました。昨日、切符を購入した時に駅窓口の駅員に発車時刻を聞いたのですが、知らないと言って教えてはくれませんでした。
今日も別の駅員に聞きましたが同じ答えです。まさか駅員が知らない事はないと思いますが、旅客扱い担当者には知らされていないのかもと思ったりしますが、どうなんでしょうか?

02_朝の東方紅駅03_踏切から▲ 5:17、昨夜に降った雨があがった静寂の東方紅駅です。駅前広場には列車到着の1時間前なのにTaxiが列車の降車客を待っていました。

02_農地へ向かうレールに沿った道を行くと踏切があります。駅構内を見ますと昨日留置されていた貨車は見当たりません。夜に貨物の運用があったようです。

そろそろ稲作作業が始まります。農民の皆さんの朝は早くにおとずれます。出勤時間です。犬走りを耕作地へと向かう農民の姿が続いていました。

03_K7081次▲ 6:09、タイフォンを響かせて、来る時に乗車したK7081次がやってきました。今日も緑皮車14両編成の中国鉄路を代表する列車です。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part18 北満一人旅 その2 迎春駅、東方紅を歩く

第17日目 5月17日
① 延吉 前々日20:55(2038次)→前日9:06哈尔滨(ハルピン)

② 哈尔滨 前日15:49(K7081次)→6:10東方紅

01_車窓1乗車3日目
朝日が上がると共に目覚めますと、列車は水田が広がる稲作地帯を走っていました。この辺りはかつて日本政府の国策によって多くの満蒙開拓団が入植した地域です。00_牡丹江~東方紅

02_虎林駅14:54、虎林に到着しました。
列車は眠っている間に牡丹江から分岐したジャムスへの牡佳線に入り、林口からは東方紅へ向かう林東線を走っていました。
駅名板を見ますと、なぜか駅名表示に「站(駅)」がくっ付いています。多分初めて見た表示です。どこからこういう表示になったのか分かりませんが、どうしてなんでしょうね。
02_虎林駅2今回は駅名や現在位置確認のために日本鉄道旅行地図帳満州編を持ってきました。
満鉄全盛時代では、この虎林からソ連国境の要塞があった虎頭までの線路があったはずですが車窓からは見当たりません。列車は大きく左に曲がって北へと方向を変えます。

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なつかしの日曹炭鉱専用線

梅雨のない北海道、なかでも6月の利尻、礼文は花や鳥を満喫できるということで、久方ぶりに北の大地の旅を楽しんできました。主目的は花と鳥ではありますが、かつて訪れた日曹炭鉱専用線の跡をたどることも目的のひとつでした。ただ廃線跡紀行は本やネットで数多く紹介されていますので、ここでは40数年前の様子を中心にご紹介します。日曹炭鉱専用線、正確には日曹炭鉱天塩礦業所専用線には昭和44年3月と昭和46年3月の2度訪れています。いずれも雪の多い季節でした。昭和44年はK先輩と常紋、上興部から天北線を経て稚内まで行き、羽幌線で南下する途中で立ち寄ったのでした。当時は炭鉱の専用線の様子など殆ど情報がなく、列車が豊富駅に着くまで降りるかどうか迷ったあげく、いちかばちかで豊富駅に降りたのでした。この列車の乗客と一緒に礦業所行きの沿岸バスに揺られること30分程で着いたのが車庫のある一坑でした。幸い9615が煙をあげて停まっており、最北の専用線が生きていたのがわかり ホッとしたものでした。

日曹2

一坑で休む9615

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part17 北満一人旅 その1 延吉から東方紅へ、「北亜号」発見!

第16、17日目 5月16日、17日
① 延吉20:55(2038次)→翌日9:06哈尔滨(ハルピン)
② 哈尔滨 翌日15:49(K7081次)→翌々日6:10東方紅

今日からいつもの一人旅です。前回今年1月では、切符が確保できず途中で断念したことを教訓にして、20日前には切符が買えるように日程を組みましたので今回は、ほぼ確保できました。
今日の目的地はロシア国境に近い東方紅です。ここへ行く確固たる理由はなく、ただ終着駅だっただけの理由で目的地に選びました。地球の〇〇方にも載っていないのでどんなところなのか分かりません。行ってみて、見てみようとのぶらり旅です。01_延吉~東方紅_地図01
02_切符2上の乗車した路線をご覧のように東方へ行くには北へ上がって牡丹江に行き、ここで乗り換えて向かうのが最短ルートです。
しかし調べますと、延吉から牡丹江までの列車は1日1本のみ、牡丹江からは2本の接続が可能ですが、それより延吉発はあまりに早過ぎます。これでは延吉にもう1泊しなければなりません。

東方に着くのもK7077次では遅すぎて宿を探すのに支障があります。K7081次となると哈尔滨始発の列車ですので、途中乗車切符が限られていて確保が難しいと思いました。
一方、遠回りにはなりますが2038次に乗車しますと、未乗車区間の拉浜線を通りますのでこちらに魅力を感じました。よって、こちらを選択しました。

哈尔滨までは530キロ、所要時間は12時間11分、哈尔滨~東方は796キロ、所要時間は14時間21分です。
乗車後は疲れていましたので、ビールを飲んで直ぐの就寝としました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part16 北朝鮮国境沿いの鉄路 その10 消えた駅「三峰洞駅」、朝鮮族の町「龍井」

第15日目 5月15日
① 延吉20:55(2038次)→9:06ハルピン
② ハルピン15:49(K7081次)→6:10東方紅

今日は小竹先生とご同行させていただく最終日です。14日間お世話になりましてありがとうございました。先生は12:57延吉発の夜行列車で大連に向かわれ帰国の飛行機に乗られます。一方の私は、夜の延吉発でハルピンへ、休憩してから午後の列車で東方紅へと2連チャン夜行列車の旅です。

01_消えた駅3

午前中は時間があります。先生はかつて蒸気機関車が走っていた時代に撮った思い出の撮影地が今はどうなっているのか見に行きたいと申されますので一緒に参ることにしました。

今日は昨日のように大雨も降っていなくホテル前から01_消えた駅6Taxiをチャーターでき、約30分で目的地「三峰洞」に着きました。

先生は杏子の花が満開の小高い山を指さされて、あの頂上に立つと龍井を発車した蒸気機関車をフカンで撮ることができた。爆煙を吐きながら勾配を上ってくるのは素晴らしかったと思い出に浸っておられました.

しかし、降りられた駅がありません。しばらく歩かれて、確かここが食堂だった。他に食べる所がなかったのでしかたなく食べたが、不味かったなあ。でも駅前には人通りもあったと申されます。

01_消えた駅1

駅があったであろう上には、工場もありますが既に閉鎖されていて、周りは廃墟と化して生活感はどこにもありません。

01_消えた駅4

散歩に来られたおじさんに以前にあった駅のことを聞きますと、確かにあったが3年前に田舎の小さな駅は廃止するとの鉄道省からの指示が出て壊されて撤去された。改築もされて間もない駅だったのにもう跡形もない。
01_消えた駅2そこが駅舎のあったところだと申されます。確かに石積みが残り建造物があった名残が確認できますが、消えた駅でした。

中国鉄路は各地で建設ラッシュを迎え総延長10万キロを超えていますが、本線やローカル線の小さな駅は、のきなみ閉鎖され廃駅となっています。
地方の小さな町や村々を結ぶ交通手段は整備された道路を走るバスへとシフトされています。

01_消えた駅5多くの中国鉄ちゃんが度々降りられた、この三峰洞駅は中国鉄路の合理化により忽然と消えた駅になっていました。

先生は、呆然と見ておられましたが、横をレールバスを両端にした保線車両が走り去っていきました。

準特急様からコメントをいただいておりました駅です。
まだ写真の整理前で、グーグル地図を見て安易にまだ健在と答えてしまっていたのですが、改めてPart16を編集する際に小竹先生に聞いてみますと訪問した駅が三峰洞駅でした。
よく確認せずで、まことに申し訳ありません。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part15 北朝鮮国境沿いの鉄路 その9 国境の橋「琿春図們橋」、またも来ました北朝鮮の列車!客車型電動車を見る!

第14日目 5月14日 その2

南陽図們橋を撮った後琿春図們橋へと向かいました。主要国道ですが重量トラックやダンプカーが通っていますので、舗装は剥がれ穴ぼこだらけで雨が降ったのでぬかるむ悪路です。穴ぼこを避けて右左にハンドルを切りながら最徐行で進みます。

車中で崔さんにどうして北朝鮮の列車が来るのが分かったのかと質問をしますと、以前に携帯で撮られた動画を見せてくださいました。「聞いてください。なんか壊れて走っている音でしょう。中国の列車とは音が違っています。だから来るのが分かりました。」と申されます。
確かにガタンゴトンではなくカタンコトン、シャカシャカと不調和音に聞こえる気がします。恐ろしや音で北朝鮮の列車の走行音を聞き分けるガイドさんでした。ご尊敬申し上げます。
10_レールカー4向かう途中で小竹先生はアッと言われて止まるように指示されました。そして車を降りて後方へと行かれます。何かあるのかと思いましたら並行する鉄路に保線工事用のレールカーが見えました。 盛り土の軌道に上がって見ますと、ワゴン車にレールを走行できる車輪を付けた、というよりレール台車にワゴン車を乗っけたような車両です。ワゴン車はTOYOTAのライトエースです。 10_レールカー3 10_レールカー210_レールカー1▲ ウン、中々よくできています。トラック改造は見かけますが、ワゴン車は初めて見ました。

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『雨も撮る』に寄せて-加太、大井川編-

今年の梅雨は空梅雨でしょうか。梅雨入り宣言を聞いた途端、晴れの日が続いています。
総本家青信号編集特派員さんによる、この時期ぴったしの記事『雨も撮る』に刺激を受け、真似しで、加太会などの写真を引っ張り出しました。題名を拝借して寄稿します。

地形の関係からか、曇りや雨の日が多かったのが加太です。快晴の記憶や青空の写真はほとんど残っていません。以下の記事も1966年夏から秋にかけて3回連続で雨の中、『恒例加太会』催行の一部です。

▼1966年5月22日、朝から雨です。それでも早朝の列車を撮るべく、朝食前に村田屋から駅まで片道20分を歩き、撮影しました。時刻は7時44分、722レ、機C57145【亀】。雨に洗われて機関車と客車の埃や汚れが洗い落とされたせいか、そして『カラスの濡れ羽色』か黒色が綺麗に見え、雨の日の特典に預かります。肉眼では木々の緑も鮮やかに感じます。一方、後方の山々は低い雲に隠されてしまいます。 撮影機は二眼レフのリコーフレックスでした。普段でも撮影し難い二眼レフをしかも雨の日に。13001▼その二眼レフで、雨中に722レを見送りました。この列車、草津を6時10分に出発。柘植・亀山・多気経由和歌山着21時34分。延々15時間24分の長距離列車。1966年3月25日の時刻改正から登場しました。わざわざこの列車に乗り込み、車内で撮影した写真を、しかも2枚も第1回のDRFC写真展『鉄路輝く』に出展した御仁がいました。タイトルは『普通列車』と『無題』です。早朝から一日同じ車内で、見知らぬ乗客の姿を窺っていたようです。当HPの、クローバー会/リンク/クローバー会写真展から、第1回写真展画像をご覧ください。なお現在、第2回目までの出品作がweb展示されています。13005

▼村田屋に戻り朝食後も、話が弾み雨を口実に誰も外出しません。邪魔草そうに村田屋の2階、物干し台からやっと一枚、電柱や電線があろうがお構いなし。。煙は高く上がらず列車にまとわりつきます。風向き次第では絵にならないこともあります。13007 続きを読む

2013年 春の中国鉄路の旅 Part14 北朝鮮国境沿いの鉄路 その8 国境の橋「南陽図們橋」、撮りました北朝鮮の列車!

第14日目 5月14日

今日も中国と北朝鮮との国境の橋「南陽図們橋」「琿春図門橋」を訪問します。

01_朝食目覚めて外を見ますと、昨日までの好天とは打って変わって朝から雨が降り出しています。撮影には最悪のコンディションです。

泊まっています境浦酒店での朝食です。ここでは何とルームサービスで運ばれてきました。ご覧のように朝鮮式で品数もボリュームも満点です。味も良し、中国式は飽きあきしていましたので美味しくいただきました。これで20元(約350円)でした。お得です。

朝食後、図們へはバスで向かい、ここで道を熟知している地元Taxiをチャーターしようと決めていました。バスターミナルまではTaxiを探しますが、ラッシュ時と雨のために空車が全く通りません。困っていると、ガイドの崔さんから「良かったら、会社の車を出しましょうか。運転手は道も良く知っています。チャーター料はTaxiと同じでいいですよ。」と、助け舟がきました。条件が同じならここから乗った方が便利です。OKを出しました。

今日の撮影地は雨が降ると泥濘となりますので、延吉の町を出る前に大きな傘と長靴を買いました。予想は当たり、大変役に立ちました。どちらも使い捨てで傘は崔さんに、長靴は必需品となりましたので、最後まで持ち歩いていました。
02_図們までの田舎道103_江陽1雨が降る中を図們に向かいますが、崔さんは町はずれから本道を左折して細い地道を行くように運転手に命じます。どうしたのと聞くと、本道では検問があって身分証の確認と車内の荷物検査等があるので面倒です。逆に時間もかかると申されます。
そういえば我々も前回検問に会いました。あの時は後ろから路線バスが来たので途中で我々の検査は止めて、公安は後ろに行きましたので面倒にはなりませんでした。
崔さんはこれを回避するために裏道を行くようにと指示したのですね。ウン、日本のマスコミを案内するぐらいですから実力のほどが分かりました。中々のガイドです。

山越えをして図們手前で本道に戻りました。豆満江を挟んだ対岸には北朝鮮鉄路が見えます。駅がありましたので止まって撮りました。川岸には監視台が設置されています。
03_江陽2▲ 9:55、将軍様の写真が掲げられて、何やらスローガンが書かれた駅舎です。駅名はハングルですので読めませんが多分図们の対岸「南陽」の1つ手前の駅と思われますので「江陽」でしょうね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part13 北朝鮮国境沿いの鉄路 その7 国境の駅「開山屯」と国境の橋「三峰橋」

第13日目 5月13日 その2

小竹先生と私が訪れております日本統治下時代の満州と日本(朝鮮)の国境の橋の位置図を作成しました。ご覧ください。
国境沿いには白頭山(中国名:長白山)を源に発しての鴨緑江と豆満江が流れていて、それぞれ黄海と日本海に注いでいます。この2つの川が国境線となっていました。川に面した2つの国を結ぶ鉄道橋はそれぞれ3つが建設されています。軍事物資や生活物資輸送の他、旅客輸送も行われていました。今日の午後からは前回も訪問しました三峰橋を訪ねます。00_日満間国境の橋110_南坪~延吉▲ 国境の町「南坪」を訪ねた後は、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。

道中でガイドの崔さんは、若い頃に日本に留学していた。大学は京都工業繊維大学で宇治に住んでいましたと申されます。
中国の方とは結構面識がありますが、京都の大学は珍しく工繊大と聞くのは初めてです。私も京都の同志社ですと名刺を渡すと、崔さんも喜ばれたようで、打ち解けて京都の話で盛り上がりました。

今日はさわやかな春の青空が広がっています。Taxiは、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。町の中でまずは腹ごしらえです。

11_昼食11_昼食2▲ 12:40、ガイドの崔さんが案内してくださったのは朝鮮料理のお店です。
石焼ビビンバを注文しました。久しぶりの丼ものは、やはり口に合います。とっても美味しく、全部平らげました。これで18元(約300円)は、とても安いです。
この値段、この味で日本で出せたらお客殺到でしょうね、

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part12 北朝鮮国境沿いの鉄路 その6 国境の駅「南坪」、

第13日目 5月13日
① 丹東 前日14:42(K7378次)→10:29和龍
② 和龍(Taxi)→南坪→開山屯→延吉

今日は、終点までは乗らず手前の和龍で下車して国境を目指します。緊張地帯を行きますので何かあった時のために朝鮮語もできるガイドを延吉から呼んであります。
日本を出発する前に小竹先生から若い美人ぞろいの写真入りの候補者リストをいただきました。一応私好みはお伝えしてありますが、誰にお決めになったのか聞いていません。会ってからの楽しみにしておりました

丹東の「虎山長城」で会った喜び組のような美貌のガイドさんが来られれば旅も楽しくなります。1駅1駅、列車が和龍に近づく度にワクワクと期待感は高まります。

01_K7378次走行図_105_サボ05_切符1▲ 乗車したK7378次は、丹東~和龍 1,015キロ(これは、東京から鹿児島本線八代~水俣の中間点あたりに相当)を19時間47分をかけて走破します。長距離列車が多い中国鉄路では一般的な乗車距離、乗車時間です。1等寝台下段で247.5元(約4,100円)ですから乗り鉄にはこたえきれない安さです。
04_車窓204_車窓0
5:30、久しぶりの列車内での目覚めです。先日訪れた通化を午前3時に出た列車は快調に走行し、この地で暮らす人々が聖地と崇める長白山山系へと入っていました。
町のバックに見えるのが長白山です。
まだ冠雪が残っていました02_朝食

8:05、朝食をとりたいのですが車内販売のおばちゃまが回ってきません。隣の食堂車に行くと、お客は誰もいませんが「ここで用意できるよ」と、コックさんが申されますので、久しぶりに食堂車内で食べる事にしました。
定番の朝のお粥定食です。これで15元(約250円)、昨夜の弁当と同じ値段です。
見てのとおり大して美味しくはないのですが、山河を越えて走る車窓を見ながら食べるとなぜかご馳走にもなります。
貧しかった学生時代には食堂車には入れなかった跳ね返しでもありました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part11 北朝鮮国境沿いの鉄路 その5 国境の町「丹東」、鴨綠江大橋を渡る国際列車と虎山長城

01_チョゴリ▲ 万里の長城の東端 丹東「虎山長城」で朝鮮の民族衣装チョゴリを着て記念写真を撮っておられたお嬢さん。真っ赤な衣装に白い顔がとっても印象的でした。聞けば、籐先生の大学の生徒さんで、観光にきておられていました。 一瞬、すぐそこの国境を越えて来られた「喜び組」の方かと思える美貌の持ち主でした。

 

第12日目 5月12日
 丹東14:42(K7378次)→翌10:29和龍

今日は、小竹先生と一緒に午後の列車で丹東を離れ、次の国境の町へと向かいます。
2日間厚かましくもお世話になりましたOさんの奥様、ご両親やご家族の皆様にお礼を申し上げて出発しました。まず目指すのは、朝に北京から到着して北朝鮮平壌へと向かう国際列車が北朝鮮へと渡る中朝友誼の橋です。撮影場所は前回北朝鮮に残る蒸気機関車?を撮影した中朝友誼の橋、すぐ近くの丹東中聯大酒店の屋上お立ち台です。

02_鴨緑江大橋1▲ 9:35、お立ち台から見た、日本統治下時代の1911年10月に竣工された鴨緑江大橋(中朝友誼の橋)です。全長は944.2m、幅は11m。併用軌道ではありませんが、片側を道路、もう片側を鉄道の両方で使用されています。道路は狭いために一方通行で、時間を区切って両方からの走行です。中国側から北朝鮮に向かうのはこれでもかと積載されたトラックですが、復路は空で戻ってきます。
03_丹東駅303_丹東駅5
今日はどうかなと見ますと、トラックは相も変わらずイミグレ前からの行列ですが、イミグレの様子が前回と変わっています。
前回見た日帰り北朝鮮ツアーの観光バスやチャーター車がいません。従って観光客も居なくガランとしています。
昨日に籐先生が北朝鮮の緊張感が高まり、今年の4月から中国人も北朝鮮に行かれなくなったよと話されていた通りです。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part10 北朝鮮国境沿いの鉄路 その4 国境の町「丹東」、新鴨綠江大橋

第11日目 5月11日

昨夜は丹東に住まわれるOさんの奥様のご実家で厚かましくも夕食をご馳走になり、宿泊までさせていただきました。久しぶりの家庭の味は山菜の天ぷらが出ました。天ぷら粉は日本から持ってこられたそうで、ほっと一息大変美味しくいただきました。ありがとうございました。04_花1

06_山菜採り今日は午前中、ご実家の裏にある裏山に登ってみることにしました。山は春を迎えていました。
綺麗な小さな花が咲き、たらの芽、こごみ、ゼンマイ等々の山菜の宝庫で近所の人たちも採りに来ておられました。昨夜のおかずも山で採ってこられたそうです。

01_山

かつて日本軍が要塞を築いていたそうで、登って見ますと塹壕や砲台の残跡が残り、丹東の街並みが見渡せる尾根づたいはハイキングコースになっていました。気温は20℃とさわやかな朝でした。
03_温度

 

05_餃子▲ お昼も奥様とお母様のお手製の山菜入りの焼き餃子です。これも絶品です。恥ずかしながら私の家内は味音痴ですので、こんな美味しい料理は作れません。ちょっとOさんを羨ましく思いましたね。
前回そして昨日も国境の橋を案内していただいた籐先生も来られました。籐先生はこちらの大学の先生です。今日は丹東に建設中の新鴨綠江大橋を見に行きましょうと案内していただきました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part9 北朝鮮国境沿いの鉄路 その3 集安から丹東へ、水豊ダム

第10日目 5月10日
① 通化BT7:31(Bus)→11:40長甸
② 長甸(マイカー)→水豊ダム→上河口→丹東

今日はホテル横のバスターミナル(汽車站)から丹東行き長距離バスに乗って途中にある長甸にある次の北朝鮮との国境の橋へと向かいます。
鉄路&バス_比較_縮小1▲ 集安から長甸までのルートは鉄路も考えられない事はありませんでしたが、最短距離に鉄道は現在敷設されていなく、上のルート地図のように大きく迂回しなければなりません。3本の列車を乗り換えての所要時間は約24時間とバスの約4時間と比べると雲泥の差がありますのでバスでの移動となった次第です。
バス路線HP用▲ 地形図から見たバス路線です。鴨綠江に沿って走り、途中からは山間を走行します。高速道路はありませんので全線一般道です。
切符はすでに買ってもらいました。今日は天気も良くなさそうですので、ゆっくりとバスの乗り鉄旅です。長甸までの移動距離は約190キロ、所要時間は約4時間です。

01_バス切符▲ バスの切符ですが、保険料(1元=約17円)まで付いてきました。56元+1元=57元(約960円)が運賃になります。
朝起きると外は雨模様でした。1日ずれなくて良かったですね。ホテル食堂で朝飯を食べてからの出発です。
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part8 北朝鮮国境沿いの鉄路 その2 高句麗の都「集安」、北朝鮮の国際列車Ⅱ

第9日目 5月9日

今日も集安にて北朝鮮からの国際列車撮影です。昨日の時間で来るのか教えてもらえないとは分かっていてもまず集安駅へと向かいました。01_集安駅01_集安駅2

01_集安駅4DSC_7123_1▲ 8:20、集安駅に到着。1日1往復しか走っていない駅だけあって、列車が発着しない時間帯は閑散としています。しかし駅前広場の池の前ではおばさんおじさんたちが一緒に朝の体操をしておられました。人けがあるのは、ここだけですね。

01_集安駅3

まずは駅構内を見てみますと、混合列車が止まっています。写真を撮りたかったのですが、監視員にマークされてカメラを出すことさえできませんでした。
しかし、この列車は何時に到着したのでしょうか? 昨日とは運用が違っています。

駅舎内に入ると切符売り場は営業中でしたので王さんに通訳してもらって、この列車はいつ出発するのか聞いてもらいました。10時過ぎとの返事ですが、本当なのかどうかの確認手段はありません。
イミグレは前に車は止まっていますが、動きはありませんので、すぐの発車はないようです。

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雨も撮る 〈2〉

つぎは、「雨と路面電車」について写真を少々。

路面電車の場合、雨がプラスに作用するのは、道路の反射が期待できることだ。そして時として、人物も絡んだシーンとなると、よりフォトジェニックな瞬間に出会うこととなる。

IMG_0002sy_edited-1雨の札幌駅前に発着する札幌市電。連接車・連結車が投入され、輸送力の増強に躍起になっていた最盛期の時代だった。とくに、ほとんどの系統が発着する札幌駅前には、次つぎに市電がやって来る。この日は、DRFCの面々と、札幌から夜行急行「石北」に乗り合わせ、常紋へ行くことになっていた。夕方の札幌駅に着いたが、集合までにまだ時間がある。まずは、駅前の軒先で雨を避けながら、夕方のラッシュ時の光景を写し始めたのだった。(昭和44年9月)IMG_0011sy_edited-1昭和50年に廃止になった阪神国道線には、窓の大きな“金魚鉢”こと、71・201形がいたことで名高い。ただ、車体の塗色が地味なこともあって、昼間に撮って写真にしてしまうと、窓の大きさはよく伝わらない。なら、雨の夜、窓からこぼれる照明で、それを強調しよう。そう思って、雨の日を選んで、上甲子園まで訪れた。(昭和50年4月)IMG_0012syここからは、京都市電。まずは、わが同志社前。以前から、雨の日を狙っていた。なんとしても、女子学生を入れて自分好みの写真を撮りたいが、案外に同志社前は乗降が少ない。調べてみると、土曜日の昼は、女子部の中高生がいっせいに下校するため、いっときの女子学生ラッシュとなることがわかった。(昭和50年11月)

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part7 北朝鮮国境沿いの鉄路 その1 国境の町「集安」、北朝鮮の国際列車

第6~8日目 5月6日~8日
① 5月6日 ホテル(Taxi)→广元21:14(K292次)→
② 5月7日 →8:39咸阳(Taxi)→西安空港
③ 西安空港12:40(CZ6470)→14:00太原経由14:45→16:10瀋陽空港
④ 瀋陽空港(Bus)→太原街(地鉄)→瀋陽駅(バイクTaxi)→駅正面

④ 瀋陽21:46(K7385次)→翌日 7:05通化7:45(Taxi)→9:35集安

00_移動地図小竹先生と二人、今晩の夜行列車で四川省广元から北朝鮮国境の町、吉林省集安へと向かいます。鉄路で行けない事はないのですが、3泊を余儀なくされます。小竹先生の日程もあって途中の西安~瀋陽は飛行機での移動となりました。それでも車中連続泊、移動距離は約3,000キロ強、所要時間は約36時間の長旅です。

广元を6日夜に夜行列車に乗って出発、西安手前の咸阳で下車してTaxiで西安空港へ、CZ6470は途中で太原を経由しての3時間半のフライト。瀋陽空港到着後はTaxIで国鉄瀋陽駅へ、再び夜行列車K7385次に乗車してまずは通化へと向かいました。

11_切符25月6日、广元から乗車するK292次の切符は小竹先生から鄧さんに依頼して前もって購入してもらっていました。
中国鉄路の切符発売日が12日前から20日前に変更なったのは。この時に初めて知りました。依頼した旅行社の鄧さんも知らなかったそうで、广元からの寝台切符は取れず始発駅の成都からそれも硬座寝台になりました。四川からの復路鉄路切符は昔から蟻地獄ともいわれるぐらい四川に入ることが出来ても、出るのは非常に難しいと言われています。現在片道10本が運行されていますが、なぜか寝台切符は即日完売となる列車が多く、特に北京に向かうT8次はプラチナ切符です。
瀋陽からのK7385次の切符は、上海到着時に自力購入しました。こちらは列車本数が需要の割には6本と多く、多忙期と直前購入でもない限り確保しやすい切符でした。

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ヘラン号による韓国一周乗り鉄旅

韓国の鉄道について全く関心も知識もなかったのですが、韓国版「トワイライトエキスプレス」とでも言うべき「ヘラン号」なる列車があることを知り、この列車で旅をしたくなり チケットが入手できたのでこの度 韓国内一周の旅を楽しんできました。ぶんしゅう様のような「戦闘的」な旅にはほど遠い安楽旅ではありますが、簡単にご紹介することにしましょう。

1.ヘラン号について                                     6年前の2007年春 北京オリンピックの際に南北合同応援団のためにソウルーピョンヤンー北京間の国際寝台列車が企画され 専用の新型車両が検討されました。しかし予算面から新造車を断念し、比較的車令の若い客車を豪華客車に改造することになりました。この改造が進む一方で韓国と北朝鮮の関係改善が叶わず、この国際列車計画は頓挫してしまいます。そこで韓国内の富裕層をターゲットにして、有名観光地を巡るツアーの専用豪華客車として 2008年11月にヘラン号がデビューしました。ヘランとは韓国語で「太陽と共に旅をする」という意味の造語だそうです。ヘラン号の日本語版パンフレットの一部を示します。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part6 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その4

第6日目 5月6日
① 广元21:14(K292次)→8:39咸阳(Taxi)→西安空港
② 西安空港12:40(CZ6470)→16:10瀋陽空港(Bus)→瀋陽駅
③ 瀋陽21:46(K7385次)→7:05通化(Taxi)→集安

今日は夜に広元から夜行列車に乗って西安へ、西安空港から飛行機で瀋陽へ、瀋陽から再び夜行列車に乗って通化へ、ここでTaxiに乗り換えて北朝鮮との国境の町、集安へと向かいます。移動距離は約2600キロ強、2日連続の車中泊での移動です。

02_登校202_登校37:10、今日も朝から3日連続で栄山駅に参りました。そして今日も雨です。
朝の駅構内は子供たちの通学路でもあります。色とりどりの傘をさしての登校です。
最終日ぐらいは好天を期待しましたが、この時期の四川はこんな天候が続きますので、余程運に恵まれないと難しいようです。しかし良い点もありました。晴天になりますと日中の温度は30℃を超えます。暑くなっては煙が見えませんが、この3日間の最低気温は何と3℃と寒いくらいになりました。十分とは言えませんが白煙ながら煙が見えました。

今日の1番列車の撮影は、駅から橋を越えた集落に行く事にしました。学校も橋を渡った所にあります。登校する子供たちにとって、橋も通学路です。
03_朝の列車03_朝の列車2▲ 7:45、大きな木の下をプッシュプルの混合列車がきました。傘をさして竹籠を背おったおばちゃまとのツーショットを撮ろうとしていましたら列車が来る直前で建物の陰に隠れてしまわれました。いい感じだったのに残念です。路地の家々をかすめるように列車は行ってしまいました。

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雨も撮る 〈1〉

近畿地方は、例年になく早い梅雨入りとなった。

この10日間ほどは、夏を思わせる晴天続きで、毎日のように撮影に出かけたものだが、しばらくは籠りの生活が続きそうだ。“晴耕雨読”が信条の生活とあらば、雨は、外出・撮影意欲を喪失させてしまう気象条件だ。近距離なら、撮影を中止することも出来るが、長期の撮影旅行で雨に降られると、お手上げだ。撮影はあきらめて、“乗り鉄”で時間をつぶすことが多かった。

しかし、やっかいな雨も、写真の対象として見れば、雨による車体やその周辺の反射、また人物のカットなど、雨でしか表現できないこともある魅力的な気象とも言える。要は、雨にも決断する行動力だ。

過去、雨のなか、意欲的に(?)カメラを向けた、いくつかの写真を思い出とともに並べてみよう。IMG_0001sy_edited-1初めて訪れたウワサの函館本線上目名駅。昼間はまだ曇りで、撮影は順調に進んだが、下りのC62重連を撮った夕方から、空が一転掻き曇り、駅に着く頃には、土砂降りの雨になった。同業者も居ない、山間の駅で、一人心細くなってくる。ホームの軒先で雨を避けながら、乗車する列車を待った。写真からも、雨筋が分かるほどの豪雨だった。(昭和43年8月)IMG_0006sy_edited-1ところ変わって九州、愛用の夜行鈍行1121列車に乗って、早暁の肥薩線坂本駅に着いた。天気予報が当たって、しっぽり降りだ。川筋を歩いて撮影する計画も、あっさり断念、駅撮りと決め込む。やがて到着したC5748の牽く貨物列車は、通票の授受を終えると、慌ただしく発車して行った。列車全体が白煙に包まれて、雨にけぶる彼方へ向かっていった。(昭和46年12月)IMG_0004sy_edited-1こちらは、宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)。鉄道同好会の面々と、加悦鉄道へ行った日だった。朝、京都を出て、丹後山田に着く頃には、雨になってしまった。列車を降りて、加悦鉄道ホームへ向かうと、ちょうど乗車列車が発車しようとしていた。何気ない写真というか、気にも留めていなかった写真だが、客車のナンバーが読み取れるサイドから、人物を手前に置いた写真、何でも撮っておくべきだと思わせる写真だった。(昭和45年9月)IMG_0008sy雨の草津線貴生川駅にD51841の貨物列車が到着する。出迎えの駅員の影が、濡れたホームに映る。ローカル線の交換駅では、必ず見られた光景だが、雨がうまく演出してくれた。背後の跨線橋は今はなく、橋上駅が上を覆っている。駅全体がすっかり変わってしまった貴生川駅だった。(昭和47年6月)

 

目に若葉 野辺の鶯 川根新茶

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毎年春秋恒例にしています、笹間渡川根温泉露天風呂・東屋旅館2泊の大井川巡りです。 本年はサクラの時期を延ばし、新緑新茶の時期にしました。ご覧のとおり、画像は青空と緑一色です。暫くは目の保養と思い、文章よりも画像を拡大して緑をお楽しみください。

5月3日、快晴。抜里の茶畑、緑の真っただ中に到着。すぐに同系色上り電車が通過。畑の中央にある黄色の花はエニシダ。川向いの山々も新緑の芽吹き。305031ほどなく、下り1001レ、かわね路11号が千頭に向かう、牽引はC5644、緑の中に黒の一筋。煙を入れると二筋。茶畑の農夫が二人、列車に手を振る場面も。305032今度は、予めgoogle Earth で検索しておいた国道473号の高所からの撮影。C108号牽引の列車は緑の中を行く模型鉄道の様。 デジタル時代の今日、在宅で予め撮影場所に立つことができる。前ばかりか、背後の状態も確認できるので、高所に登れる道も探すことができる。全く便利。ご存じデジカメは撮影写真がただちに確認できるし、もっと良い写真が撮れて当たり前ですが、いかんせん腕前は昔の儘。昔といえば、半世紀前の撮影でカラー写真が東洋現像所から手元に戻るのに、2週間ほど掛かったものでした。305033緑を眼下に眺めながら、来しなに浜松駅で買ったシラス弁当と缶ビールの昼食を撮った後、抜里の中央を横断して家山寄りの高所に登る。google の航空写真で見ると大井川の蛇行や、抜里の平地が昔川底であったことなどが容易に想像されます。流れや浸食で取り残された丘が一つポツンと抜里平地の中央に残っています。305035今撮影している山は昔の大井川右岸と思しきところ。3年前の同じ場所は樹が茂り、見通しが悪いのでさらに高所に登り見下ろしました。画面中央、踏切付近にはマニアが集合。305034大井川に青い水の流れが見えます。長年に亘る『川に水を返せ』運動を、読んだことを思い出しました。 列車を待つ間の暇な時間は鶯の縄張りのさえずりを楽しんでいました。抜里でも、あす以降の崎平、大和田でも。見事な谷渡りの声が、それも長く長く続きました。
抜里の里には、まだまだ撮影に適した角度がある筈で、また探してみようと思いながら、山を下り、家山駅に向かいました。家山駅で缶ビールを飲んでいると、丁度女王様が上り電車として通過して行きました。初日はここまでです。305036 続きを読む