信越線・横川-熊ノ平間(1) -半世紀前-

2回に渉り、信越線アプト区間の写真です。いずれもDRFCのメンバーと一緒の撮影でした。乗り鉄時と1962年開催、DRFCの合宿・撮影会の時です。
初めは、1960年DRFCメンバーと高山線、富山港線を尋ねた帰り、厳島健一君と二人で上越、信越、小海、飯田線を乗り鉄した時です。高崎から313レに乗車。横川までは勿論蒸機、D51246でした。

横川駅に到着、蒸機から電機へ付け替え。最後尾の本務機などを撮影して、再び乗り込みました。いよいよ古代以来の交通の難所・碓氷峠を初めて越えます。
▼横川駅 下り313レの本務機ED426と、
前へ順に一補および二補機 1960.11.26 00729
00729▼横川-丸山(信)の複線区間 上り列車(峠を下る)三補機ED4217【横】 同日
この区間には、ラックレールがまだ敷かれていない。        00730
313レの窓から半分顔が見えるのが、当会員で一緒に乗り鉄した厳島健一君
00730▼熊ノ平駅 上り臨時列車(峠を下る)と交換 本務・一補・二補 同日    00732
00732▼熊ノ平駅 同上列車 三補機ED4218【横】 同日 平坦区間熊ノ平駅構内にラックレールは敷かれていない。構内の両端にラックレールに進入するエントランス部分がある。駅名票のように、読み仮名は『くまのたいら』(発音が濁らない)。  00733
00733▼碓氷峠を登りたどり着いた軽井沢駅 同日 501235
501235ここで少し古いが、1950(昭和25)年6月の時刻表から、少し見難いですが、横川-軽井沢を中心に、信越線の部分を紹介します。
▼信越線下り・上野-軽井沢間 ポケット全国時間表昭和25年6月号(交通案内社) 195006▼同上り・長野-高崎間 同上 価格¥30.
19500621950年当時、横川-軽井沢間を通過する列車は、上り、下り共に一日9本であったことが判る。そして碓氷峠を48分で登り、48分をかけて下っていた。これくらいの本数なら線路容量が満たされていたのかもしれない。それが次第に通過客・観光客の増加に従い、当然容量は不足し、信越本線最大の隘路区間となって行く。そして解消のための新線建設、やがては長野新幹線の開業と碓氷峠線の廃止へと繋がるのです。

次は、上記・乗り鉄から3年後、1962年9月、DRFCの合宿・撮影会が丸山(信)-熊ノ平間で行われた時の画像です。この直前、この区間で下記の事柄が実施されていました。

1962年6月 碓氷新線の試験区間(丸山信号場-新碓井第一トンネル間)でEF62、EF63の新製電気機関車による粘着走行に関わる各種性能試験を実施。
1962年7月 信越本線高崎-横川間の1500V電化工事完成

このように合宿時は、現在線に沿って北側に、新線建設工事が進み、上記の部分完成区間でEF62及びEF63型機関車を使用して、アプト式に代わり粘着走法による試験運転が開始されていたのです。

先ず合宿集合前の横川駅構内での撮影。
▼ED421他 横川駅構内  1962.9.5   05603
05603▼ED4218  同上 同日   05606
05606▼台車および集電靴(コレクタシュー) 同上 同日   05604
05604▼参考にED42の台車を紹介します。
写真左右は粘着台車、中央がピニオン駆動用電動機付きの台車です。前後に集電靴も見えます。出典は鉄道ピクとリアル108号(1960年7月号、鉄道図書刊行会)
5012312▼ED42型電気機関車(出典:同上)
501232▼下り列車(峠を登る列車)熊ノ平-丸山(信)間
三補機ED423【横】 1962.9.5  05619
05619▼上り客車列車(峠を下る列車)同上区間 本務機ED4216【横】 05620
05620▼同上列車の三補機ED4218【横】 同上区間 05623
05623▼レール、鉄製枕木、ラックレールそして第三軌条。 05630
05630(つづく)

信越線・横川-熊ノ平間(1) -半世紀前-」への3件のフィードバック

  1. 厳島【いつくしま】君こと【がんじま】くん、懐かしい名前がでてきました。ずいぶん前に道端でばったり会ったことがある。彼は老人が今住んでいる向日市上植野町の人で、商学部卒業後いち早く商売人として独立した。老人の勤務先に売り込みに来たことがある。道端であったときには病に冒され、彼の始めた商売は手放したようなことを言ったように思う。DRFCでは模型班であったが、羽村さんが杉津へ行こうというので旦那、徹ちゃん、老人で打ち合わせ中に「僕も連れて行ってくれ」と唯一、一回生での参加者となった。帰路のオハ27で、汽車は行く行く煙は残る事件の時の生き証人であった。今、どうしているのか、同じ町に住んでいながら?で、残念だ。

  2. tsurukame様
    ここらが歳の差、目覚めの差ですね。ちょっとキザな話ですがアブト式はスイスでしか見たことがありません。私は1966年2月12日にEF62の準急で碓氷峠を通過したのが始めてです。この時は熊ノ平の駅名板が残っておりこれを撮っております。ところでtsurukame様ご一行様が行かれた時期は碓氷峠の両サイドにはD51に混じってD50も見られたことと思います。お持ちでしたら発表して下さい。

    • 準特急様
      コメントありがとうございます。すみません。二度の訪問時、蒸機は全く撮影しておりませんでした。話し代わりますが、D50の走行姿はやはり特別ですね。写真を整理していたら、九州でD50が二枚ありました。鹿児島本線・日豊本線でした。機会を見て投稿します。

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