ふた旅 めぐる旅 東北編 ①

佐竹さん「トレランス」乗車をメインに、東北地方を巡ってきました。久しぶりの長期の旅行となりましたが、“古稀”を迎えた今、鉄道旅行のスタイルも変えざるを得ません。身体の続く限り、“生涯現役”の心意気ですが、昔のように、歩き回ってガンガン写しまくる撮影中心の強行軍は、さすがに無理になったと言うか、そこまでして撮りたい車両・列車も見当たらなくなりました。そこで、「今昔対比を一人でできるのが老人の特権」の格言(?)を活かし、今回も、50年前に訪れた同一地点を訪れて、変貌ぶりを確認する定点対比と、そして、この歳になって、急に目覚めたJR全線乗車を“18きっぷ”で達成したい思いを持って、東北へと向かいました。

釜石
昭和47(1972)年の国鉄釜石駅、駅前に出ると、当時の新日本製鐵釜石製鉄所の巨大な煙突が聳えていた。駅の真ん前に、こんな煙突・工場があるのも、“鉄の街”釜石ならではの光景で、思わずカメラを向けたことを覚えている。釜石製鐵所は、日本最古の製鉄所で、最初は官営で1880年に創業を開始した。

▲現在の釜石駅前。製鉄所は、1989年に高炉を休止、製鉄から撤退、現在は、日本製鉄釜石製鉄所となり、コイル状の線材を生産している。巨大な煙突は無くなり、少し引いて撮っているのと、道路が広げられて製鉄所が少し後退したため、あの威圧感は全くなくなった。左手は釜石駅だが、手前はJR東日本のホテルで、駅はその奥の小さな建物。

釜石駅で発車を待つ山田線の急行「そとやま」、貨車がいっぱいで、テルハが天を覆っている。

ここならではの車両も見られた。キハ5111とスエ31181、キハ51は、10系気動車の強力型で、当時16両が在籍した。
裏手の釜石機関区、すでに蒸機は姿を消していて、釜石線用のDD51の巣となっていた。(以上、昭和47年2月)。

 

 

 

 

釜石、と言えば、やはり“ラグビーの街”、目前に迫ったワールドカップの装飾が街にあふれていた。

釜石駅で発車を待つ、9時02分発の三陸鉄道5205D、36-105+36-703の2連。

5205Dの車内、リアス線の初乗車客をはじめ車内は満員だった。▲▲訪れたのは日曜日で、釜石で一泊した「SL銀河」が花巻に戻る日、新設された庫に牽引するC58が尻を向けていた。

三陸鉄道リアス線は、釜石を発車すると、JR釜石線と併走、甲子川を渡る頃には、次第に高度差を付けて離れていく。

今回、初めて釜石の中心街を歩いてみた。駅から少し離れた高台にあり、ここでは津波の被害も軽微で、賑やかな街並みが続いていた。

釜石の思い出、2017年6月の「トレランス」運転の際、「よみがえれ鉄路フォトコンテスト」の表彰式が、特別に釜石駅のホームで行なわれ、社長ら列席のもと、皆さんから祝福されて表彰が行なわれた。

 ふた旅 めぐる旅 東北編 ①」への2件のフィードバック

  1. 釜石駅前の巨大煙突は、山科人間国宝もいたく感動されたと見えて、駅ホームで釜石線のキハ52を撮られた時にも、煙突を入れて、写されていましたので、紹介します。

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