ふた旅 めぐる旅 東北編 ④

五所川原

野辺地からは、青森→三厩→津軽二股→津軽中里→五所川原とJR津軽線、路線バス、津軽鉄道を乗り継いで五所川原まで来ました。五能線の五所川原も思い出深いところです。最近も、津軽鉄道と絡めたり、観光旅行の途次に、何度か訪れています。数年前の冬に行った時は、保存したデジカメデータが、ハードディスクのトラブルに巻き込まれ飛んでしまい、すべて消えてしまうアクシデントもありました。やはり、思い出に残るのは、まだ8620が走っていた50年前の五所川原です。今とは違う、熱気、賑わいが感じられる時でした。
昭和47年2月、訪れた五所川原には、雪が降り続いていた。向こうの島式ホームで列車を待つ乗客の姿も、視界が定かでなくなってきた。間に置かれた植木鉢に積もる雪がアクセントになった。


いまの五所川原駅、50年前と比較すると、改札口は、パイプ製からボックス式に代わり、風よけの風防ができて、ホームとの見通しも効かなくなった。朝の7時35分、高校生を中心に多くの下車客が通る。五所川原は、今でも五能線随一の乗降数だ。列車が到着すると、おびただしい下車客があって、狭い跨線橋は、人で埋まってしまった。国鉄書体の吊り下げ駅名標も懐かしい。

いまの同地点、列車の発着時間帯にもよるが、こんな閑散とした状況だった。

当時のDCの主力は、10系気動車。最近の雑誌「国鉄時代」で、Mさんが“10系の小顔”のタイトルで、写真を発表していた。なるほど、窓が小さく、控えめのデザインのDCは、ローカル線の象徴だった。

いまの五能線は40系気動車。新形式の気動車が走っているとは言え、東北地方では、まだ40系気動車が多く見られる。ただ、そろそろ置き換え計画が具体化して、この五能線でも、2年で新形式に置き換え完了とアナウンスされている。

列車が到着した直後の乗客を見ると、高校生に交じって、多くの勤め人が交じっていることがわかる。▲▲列車の後部からいまの乗降シーンをとらえると、写っているのは高校生ばかりだ。ローカル線の乗客減少は、すなわち「大人」の乗客が極端に減ったことは明確だ。ちなみに、いまの五所川原の一日乗降数は、定期550人、定期外290人の計840人、いくら五能線随一の乗降数と言っても、この程度の数値である。

当時の10系気動車、満員の車内、“まるで外国語”と例えられ津軽弁が飛び交い、聞いていても地名とか数字しか分からない。いま、車内で老人の会話を聞いても、アクセントの違いはあっても、すべて聞き取れる。人の数が少なくなるとともに、方言も衰退していったのだろうか。8620の牽く旅客列車は、朝夕のラッシュ時に見られ、混合列車も昼間にあり、区間の貨物も走っていた。 今の五所川原駅前の朝夕を比較する。ここには写っていないが、津軽鉄道の津軽五所川原駅、津軽鉄道の本社、弘南バスのバスターミナルが連なっていて、シャッター店舗が続く駅前通と言い、昭和の匂いがプンプンだ。左手には、以前によく行った食堂も健在だった。当時は“平凡食堂”と言う屋号だったと思うが、いまは違う暖簾が上がっていた。

 ふた旅 めぐる旅 東北編 ④」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    先日私が電話した時に出られたのは五所川原でしたっけ。それにしてもお若い頃からよく駅のムードを次々に撮られていますね。だから今になって定点対比撮影ができるのでしょう。私など今でもそうですが改札口からみて魅力的な車両がいる時や入線する車両を撮るくらいです。ホームにあふれる降車客は都心では日常茶飯事ですが、ローカル駅を含めてほとんど撮ったことはありません。お客さんに「何をやってるんや」とにらまれたり、こういう時にレンズキャップや大事なものをなくす可能性があるからです。お客さんの数や年齢層が激変しているのは改めてよくわかりますが、天井がほとんど変わっていないのは何かホッとしますね。

    • 準特急様
      コメント、ありがとうございます。はい、ちょうど、五所川原のホテルに居る時に電話をいただきました。その時は、これからのことに不安の交じった声でしたが、いまの無事を心からお祝い申し上げます。乗客を撮る時、冷たい視線は、昔も今も気になります。最近は、個人の肖像権が云々されることになり、ますます気が引けますが、ここぞ、と言う時は、自然とカメラを構えてしまいます。五所川原の駅は、改築されていたのかと思いましたが、改めて調べると、昭和50年ごろに新築されていることが分かりました。それにしては、よくぞ昔と同じように新築されたものだと思いました。

  2. 総本家青信号特派員様

    準特急さんも仰っている通り、貴殿の写真の『人物&情景の描写』には毎回感服しております。
    小生などは車両にばかり目が行ってしまい、フイルムのコマ消化時や時間潰しの時に『序で撮り』する程度でしたので、貴殿の写真に出会ってから始めて『人物&情景の描写』の大切さに気付く有様で、『時』既に遅しでした。

    記事中、乗客の減った有様に加えて高校生ばかりが目立ち、人口が減ったのも然ることながら小生の持論である『鉄道がバカにされている』のを実感します。
    つまり、近年この様な地方では『一家に1台又は一人1台の自動車』が当たり前となっていて、鉄道を利用しないクセに『オラガ村にも鉄道が有る』と見栄を張るために存続を強要する有様です。
    かと言って、自分の車で子供達を学校へ送迎する事もせず、それを格安の学割通学定期券で鉄道に押し付ける有様で、鉄道への利益貢献は無く、ただの廃線阻止の作戦?とは考え過ぎ?でしょうか。

    車内での方言が『まるで外国語』から『全て聴き取れる』に変わったとの話、これは全国的なんでしょうネ。特に若い男女は。
    以前、京都のデパートで案内嬢に質問をした時、2人居た案内嬢が2人共ほぼ完全な東京アクセントだったのに『失望』した事がありました。(笑)
    以上、表現等に差し障りのある場合はご容赦を。

    河 昭一郎

    • 河さま
      いつも細かいところまでご覧いただき、ありがとうございます。「人物&情景の描写」でお褒めの言葉を頂戴し、恐縮です。私は、こと鉄道写真に関しては、ホント欲張りな人間で、あらゆる種類を撮りたいと思っています。形式写真、編成写真、列車写真、風景の中の写真、そして人物&情景写真と、ナンでも撮ってきました。ただ“その人らし写真”となると、形式写真、編成写真では、個性が出ません。とくに“激戦”のデジ青誌上において、アピールするには、やはり人物を入れたり、時代背景が分かったりの写真にアドバンテージがあるのではと思いました。
      地方の鉄道の現状について、河さまの考察は、さすがの思いで感じ入りました。よくテレビの旅番組で、地元の鉄道を住民に聞いても“そう言えば何年も鉄道なんて乗ったことない”と、自動車漬けの生活が分かりますね。
      デパートは完全に“標準語”ですね。とくに関西では、接客の現場で、アクの強い関西弁は嫌われます。この前も経験したのですが、大阪を地場にするLCCでは到着時の“ほんまお~きに”の挨拶が名物だったのですが、この前乗った時は、当たり前の標準語の挨拶に変わっていました。

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